南京玉すだれ

火星人の独り言

国立能楽堂

2011-07-01 | Weblog
国立能楽堂へご案内いたします。

能楽堂に入ると、大きな老松の絵が描かれた檜舞台が、ただひとつあります。
大がかりな舞台装置は使いません。演技・舞・セリフによって、何もない舞台に都・田舎・海・山・森・川などの想像の風景を浮かび上がらせます。

本日の出し物は、狂言、蝸牛・能、小鍛冶でした。

狂言 蝸牛は縁起物の蝸牛(カタツムリ)を取ってくるように、命じられた太郎冠者は山伏のことばにだまされて、蝸牛と思い込みます。主の所へは蝸牛の条件で踊りながら連れてゆきます。。。

能 小鍛冶は京都三条に住む刀鍛冶の名人・小鍛冶宗近は、剣を打つことを命じられます。しかし剣を打つには同じぐらいの力量の相槌が必要なのですが、ふさわしい相手がおらず宗近は困ってしまいます。そこで氏神である伏見の稲荷明神に祈願に行くと、不思議な童子が現れます。。。

能・狂言の起源は平安時代以前といわれ、今のような形になったのは室町時代になったといわれています。河原や寺社の境内など、屋外の広場に簡単な仮設の舞台を作って、演じられておりました。惹きつけるものは何でしょうか?現在まで演じ続けられる魅力は?
人々の喜びや哀しみ、怒り、心情、嫉妬、苦しみなどが正直に表現されるからでしょうか。
時代が過ぎても、現在の私達の心を動かす何かがあるからです。
初めて観た時は、チンプンカンプンでした。

演者の身のこなし、舞、謡、舞台の雰囲気、面、衣装美しさ、鼓のリズム、等々ひとつでも感じる物があればいいと思います。