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-支那と排日の八つの原因-(GHQ焚書図書開封 第73回)

2017-06-12 07:36:22 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第73回
-支那と排日の八つの原因-
今日、日本人に理解できない中国人の性癖は、元軍人であり、足で歩いて支那を研究したシノロジストで、後に作家になった長野朗氏の「支那の真相」(昭和5年刊行)によって詳細に研究・分析されていた。(日本人の義理、人情が通じない、議論になると、散々自分が悪いことをしてきたのに、口角泡を飛ばして自分が正しいと主張し、相手を口でいい負かすことに全力をつくすことや、口論に勝つためには平気でうそを言って平然としていることなど)
この研究内容からすると、1972年の日中共同声明後、日本が中国に対して行ってきた経済援助等はいかに無駄だったかが理解できる。
排日の分析については「日本と支那の諸問題」(昭和4年刊行)に詳しく述べられている。排日は、対華21か条要求に対する反対運動の五四運動から始まった。
1919年の五四運動の原因は、ウィルソン大統領の民族自決宣言(対象は東欧諸国であり、ハンガリー、オーストリアの解体には成功したが、他のアジア植民地諸国の民族自決は認めなかった不平等なもの)に刺激を受け、ロシアの被圧迫民族の解放論、反キリスト運動、反文化侵略運動が便乗して、共産主義の影響を受けた北京大学の新進気鋭の教授達を中心に、山東省問題で欧米の圧力に屈服した日本に対して激しく向けられた。
なぜ、日本に対して激しかったかと言えば、
 ①欧米に対しては、どんな圧力をかけられても仕方がないが、日本が欧米と同じ圧力をかけるのは許さない、日本は支那が恩恵を与えていた国ではないか、しかも支那の東の端にある「東夷」の日本は野蛮な国家との侮蔑意識(歴史的序列)があったためである。
 ②日本を侵略的軍国敵なりとし、日本は絶えず支那を侵略せんとするものなりとの観念が一般の頭の中に深く刻み込まれている。それは、支那人のあらゆる言論に見て明らかである。そうした観念を持たせた原因は
・歴史的事実に基づくもので、支那と日本の立場が日清戦争で逆転した。北清事変でその脆さを暴露した。そして、朝鮮、満州、山東州、北支那、中支那へと進出してくるのを、名付けて「蚕食」と言っていた。21か条要求に屈し、その後英米がやってきて反日運動に火がついた。
・日本外交の遣り方が日本を侵略国家なりと思惟せしめたというのは、近年における日本外交は口に、日支親善と支那の領土保全を叫び、内政不干渉主義を高調しながら、裏のほうでは一党一派を助けて内政干渉をやり、あるいは陰に各地で利権に手を出したりするため、支那人は日本人を甚だ陰険なる国民のごとく誤解し、表面の親善政策をもって、裏面の侵略を進めんとする欺瞞手段なりとの感を抱くに至った。
即ち、日本の外交が捨てるべきものを捨て、守るべきものを守る日本の希望要求を大胆明白に表明せずして、謙譲的に、遠慮がちな国民性の一端を発揮したからである。
 ③白人崇拝と日本に対する蔑視及び支那一流の遠交近攻的外交と支那大衆の無知
 ④土地狭くして、人口多しの日本の経済的弱点をとらえ、日本側の言う「共存共栄」は、日本が中国なくして生きていけないことを認めた言葉と勝手に誤解している。
 ⑤小学生の頃から排日教育をするため、10数年後の青年時には排日迎合主義が身についている。
 ⑥欧米の品は比較対象外高級品との白人崇拝思想があり、日本品だけを支那品と比較するため日支間の利害が対立する。
 ⑦中央政府がなく政情不安定なことに乗じて、軍閥が排日を政争の具に利用する。
 ⑧排日運動が商売の種になるため、排日運動家が生まれ職業化する。
と長野朗は述べている。
参考文献:「日本と支那の諸問題」長野朗
ジャンル:
学習
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