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-戦争の原因は対支経済野望だった-(GHQ焚書図書開封 第62回)

2017-05-16 06:36:09 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第62回
-戦争の原因は対支経済野望だった-
 第1次上海事変が起きた昭和7年(1932年)に刊行された「日米戦う可きか」は、前年6年には満州事変が起きていたが、日本はイギリスと戦争することはあっても、よもやアメリカと戦争をするなどとは到底思っていなかった時代に書かれた。
その内容は、米国の極東政策、米国の太平洋侵略史、米国進むか日本退くか、米国の対支政策と日米戦争の可能性、米国の支那進出とその将来、前進根拠地としての米国太平洋領土、米国海軍の現勢、米国陸軍の現勢、米国航空発達の現状、米国の産業動員計画、米国の富力とその世界的勢力、戦略上より見たる米国の対日作戦、もし戦はば日米何れが勝つか。であった。
 支那への進出に遅れたアメリカは、1988年、ジョン・ヘイによる清国においては通商権・関税・鉄道料金・入港税などを平等とし、各国に同等に開放されるべきであるとする門戸開放宣言を発し、強引に支那の市場拡大に乗り出してきた。当初、満州に目をつけたアメリカは満州における日露の対立を利用して、日本を支援し、ロシアを満州から排除しようとした。
日露戦争(1904-05)後、支那での市場拡大を進めるに当たり、抵抗が予想される英仏の南部支那、独の中部支那を避け、特に、ロシアが北満州、日本が南満州を支配する地域に、アメリカは投資先として目をつけ、ハリマンの満州鉄道買収案(1905年)、満州銀行創立案、錦愛鉄道借款問題、満州諸鉄道中立案の提議(1909年)と次々と介入してきたが、多くの血であがなって得た満州利権を渡すまいとする小村寿太郎らの反撃に合い全て挫折した。 第一次世界大戦(1914-18)後、西洋各国は戦費支出の影響を受け没落の道を歩んでいた。唯一、日本とアメリカだけが勝ち組として残ったが、日本のアジアでの台頭は「金(ドル)と武力(鉄砲)」でアジア市場拡大を図るアメリカにとって目障りな存在となってきた。
アメリカの外交政策の基本は、①北中南米に対して欧州の介入を排除するモンロー主義、②南北アメリカを全て独占する汎米主義、③アジアに対しては機会均等主義を要求する利己的なものであった。
ワシントン会議(1921-22)以降、日本封じ込めにアメリカは力を注ぎ始める。
1864年からの各国の対支貿易表によると、1931年現在でも、アメリカよりも日本にとって支那は重要な貿易先であった。
支那の治安が悪い当初、アメリカは日本を治安維持用の番人、警察官扱いとして利用していた。 治安が安定した段階から日本を排除する考えをもっていた。これは、欧米人が現地人との争いの矢面に立たずに済むという巧妙な植民地管理手法である。
参考文献:「日米戰う可きか -世界知識増刊-」新光社
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