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-アメリカのハワイ・フィリッピン侵略と満州への野望-(GHQ焚書図書開封 第71回)

2017-06-09 17:47:23 | 近現代史
GHQ焚書図書開封 第71回
-アメリカのハワイ・フィリッピン侵略と満州への野望-
 日本とアメリカの中間にあって、因縁浅からざる歴史と来歴及びその帰属を巡って、星公使を通じて、大隈重信外相と国務長官シェアマンとの間に激しい論争のあったハワイ。
 大隈重信外相と交代した西徳二郎外相も、アメリカによるハワイ併合には執拗に食い下がり、強硬に抗議したが、アメリカは米西戦争でメキシコ、キューバ、マニラを占領した勢いで、1898年(明治31年)国内世論(軍事占領説)の高まりに乗じてハワイを強引に併合した。
スペイン本国が急遽、太平洋に軍艦を派遣したが、アメリカの侵略が余りにも早かったので、スエズ運河を越える時点で、フィリピン陥落を知り、あきらめて本国に戻ったのである。
なお、米西戦争のきっかけとなった「メイン号の沈没」「キューバの反乱」は米国の陰謀によるものである。
これにより、アジア侵略への重要な軍事拠点が確保された。
 アルフレッド・セイヤー・マハンの「海上権力史論」に影響を受け、日清戦争(1894-95)以前から日本に脅威を抱いていたセオドア・ルーズベルトは、満州において日本とロシアが戦うことを、イギリスとともに望んでいた。また、日露戦争(1904-05)後のポーツマス条約以降、支那侵略への第一歩となる満州を巡って日本への反日感情を露わにしていった。
そして、日米決戦の噂が世界中でたったグレート・ホワイト・フリート(Great White Fleet)の日本寄港。
 1906年ホーマー・リーの書いた「無知の勇気(日米必戦論)」が、その後の日米関係(言葉が現実を引き寄せる)を暗示していた。その内容は、真珠湾攻撃・占領後、アメリカ本土を攻撃するものであったが、実際には、ハワイの占領まで至らず、アメリカ本土への打撃は少なかった。
このことが、山本五十六の不徹底した戦術とみなされ、愚将と評された所以である。
参考文献:「ハワイを繞る日米関係史」吉森實行

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