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黛信彦の時事ブログ

浜矩子語録(106) “胃腸に優しい暴飲暴食”がG20の処方

2010年11月21日 | 浜矩子語録
以下は前2編に引き続き、日曜クラブに招かれ(会場:文化女子大学)『恐慌ドラマの行き先は? 今、恐れるべきことは何か』を演題とした妖艶なエコノミスト・浜矩子の9月11日の語録である。

私は、今恐れるべきことは、3つあると考えております。
その一、それは、財政恐慌でございます。財政が恐慌をもたらす。
その二、それは昆虫大戦争でございます。
そして怖いことその三、それは、愛国開発でございます。
この三つのことが、どうも、来るべき三大怖いことではないかと思います。
これらを検証して参りましょう。

まず、財政恐慌。経済という風船からものすごい勢いでガスガ抜けていっぺんに、ぺしゃんこになってしまうことが恐慌現象でございますが、財政というものがそうなりそうな状況に来ています。
どうしてそうなるのというメカニズムは説明するまでもありません。
世界中挙げて、大多数の国々が財政再建をテーマにせざるを得ない、財政の規模を圧縮してゆくことが大きなテーマになっているわけでございます。

いみじくも、リーマンショックという鉄槌が下されたのに、性懲りもなく、一刻も早く以前の状態を再現したい、我々は高い山から恐慌の淵に落っこちたわけですが、その恐慌の淵から一刻も早く、突き落とされる前の高い山に戻ろうということで、世界中で財政の大盤振る舞いをやって、金融政策もそれをサポートして現金を市場に流し込んでゆく。高い山に我々を押し上げるために財政という名のシェルパは物凄いエネルギーを使ったわけですが、それが祟って今はちょっとお休みをしなければならない。
というので、財政が引き締まっている局面になっている訳でございます。

そういうことになれば、今までの世界中の国々の経済がそれなりに回っていたのは、もっぱら金融が、政策という突っかい棒に支えられていたわけですが、突っかい棒のほうが少々疲れてきて「ちょっとすみません、おやすみです」と。
突っかい棒のほうが力尽きてしまい、なくなってしまうことになれば、経済がどーんと落っこちることは当然のことでございまして、国々が財政再建を真剣なテーマにせざるをえないことになったところで、地球経済の大失速が起きるのは当然のことでございます。

契機の二番底が懸念されるという言い方をされておりますが、二番底という言い方は実は私は「非常におかしいな?」と、当初から思っておりました。

二番底という言い方をするのは、一遍、どーんと落っこって底を打った景気が立ち上がった、だけど力を失って落ちて二番目の底に立ち上がるから、そこを二番底と言うわけでございます。
しかし、この間の日本経済或いは世界経済はそういう状況ではなかった。言ってみれば、まともに一番底も打っていなかった。
落ちるべきところまでは落ちない、途中のところで政策が、財政が支えに入ってしまった。あんまり体力はないのに、借金をしなければそういうことも出来ないのに、財政が大出動をして、下り坂の途中で経済の落ち込みを支えてしまった、というのが今までだったと思います。
そういう意味では、今我々が居る場所、遠からず我々がそこから滑り落ちるであろう場所というのは、下り坂の踊り場、そういうところに我々は居たのであって、一遍落ちたけれども立ち直ってでも、息切れして又落ちるのではなくて、ひゆっと、本当はここまでおちるべきところ、突っかい棒が出てきて支えたものですから、踊り場に落ちた。しかし、遂に踊り場も力を失ったから、今回落ちるべきところに落ちた。
本来の一番底に向かって踊り場から落ちてゆく、そういう展開が今の姿であります。

財政を中心に政策が非常に無理をして、無い袖を振って、やめときゃいいのに借金をして踊り場を作ってきた。
しかしながら、それがいよいよ限界に達したので財政の下支えもなくなって本当の恐慌の淵に落ちてゆく。
こんなまどろっこしいことをしないで、リーマンショックのところで、落ちるべきところを見極めて、そこに、なるべく皆で一緒に軟着陸して行きましょう、という事を考えていれば、こんなに残酷にならなかったと思いますけれども、踊り場大作戦は強制終了になりつつあるわけで、それが財政恐慌が出てきてしまうプロセスだと思います。

これが、財政恐慌が起こるカラクリですが、もっと、より本質的な問題として、今我々が考えてみなければならないことは、そもそも、何故、財政恐慌が起こるのか?ということでございます。
財政恐慌という言い方には矛盾があると私は思います。
なぜなら、財政或いは金融もいろいろな対策も含めて、政策というものは、本来民間経済、市場経済が非常に難しい問題、窮地に陥ったときに、そういう事態に直面した我々を救ってくれるために出動してくる役割を持っているもの。それが政策であり、財政である筈でございます。
民間企業の窮地のときに、公共事業をやるとか減税をやるという格好で救いの手を差し伸べてくれる、それが政策です。
そういう意味で、我々が遭難しているときに助けに来てくれるレスキュー隊の役割を期待して政治家や政策責任者たちを税金で養っている。
まさかのときのために我々は政治家を養っているはずでございます。
そのようなレスキュー隊の役割を果たすべき政策が、恐慌をもたらす張本人になってしまうなどということは、本来はあり得ない。
レスキュー隊が我々を救ってくれるはずなのに、レスキュー隊を救うために我々が、増税を我慢したり、公共事業が削減されたり、行政サービスがなくなるとか、我々が財政をレスキューするために我慢しなければいけない。そんな変な状況になってしまって、恐慌を我々が我慢しなければならない。
実に実に、奇異な話でございます。

しかしながら、そういうふうに現状がなってしまっていることは間違いございません。
それが証拠に6月末にトロントでG20の会合が又また開かれました。リーマンショック以降4回目となりますが、ここで、最も緊急性の高い最も重要なテーマとして追求すべき課題として、財政再建が出てきたわけでございます。
財政再建というテーマが政策のテーマになること事態がおかしいわけで、財政は人のためにあるのであって、それを立て直すことが政策テーマになるのはおかしいのです。
なぜそうなったかと言えば、踊り場大作戦で国々がカネを使いすぎたということもあるのですが、カネを使わなければならないようになる、すぐ財政赤字が大きくなる。

しかし、何もこれは、リーマンショックによって突然国々の財政が赤字になったわけではない。
赤字は大きく膨らみましたけれども、それ以前、アメリカを筆頭に、ヨーロッパで大騒ぎになったギリシャを始め多くの国々は、長い期間に亘って財政は慢性的な赤字になっていたわけでございます。
そういう状態がなぜ出てきているのか?、これを踏まえておかないと、次にどういうふうに進むべきかがなかなか見えてこないので、何故今財政恐慌なのか?なぜ、国々の財政はここまで悪化してきたのか?ということでございますが、この回答を端的に申し上げれば“地球はひとつ、されど国々は多数”、というところに問題の本質があるわけでございます。
経済はグローバル化しており、人モノカネは国境を越えて、国境に制約されずに人モノカネという経済活動の三大主役たちが自由に動いて行く。

にもかかわらず、財政というものは相変わらず、国民国家と言う国境によって画されている空間をベースに形成されていることから、人モノカネは自分の都合の良いところにどんどんどんどん出て行ったりする、けれども、財政は国民国家という枠組みの中に封じ込められているわけでございまして、従来ならば黙っていても税収が入ってきたものが入ってこなくなった、又例えば日本ならば、日本人しかいなければ発生しなかったようなコストも発生してくる、日本企業は皆日本国内に留まっているであろう事を前提としていればそれなりに問題点もなく勘定も合っていたものが、人モノカネがそうではない動き方をするようになってしまったために、国民国家を基盤としていた財政が帳尻が合わない状況になってしまっていた、そういうところに持ってきて金融の大暴走が起こり、大激震が起こり、リーマンショックが起こったという展開になったために、グローバル化という現象に、国民国家型の財政が置いてきぼりを喰っているのが現状で、その置いてきぼりを喰っている財政の帳尻の合わなさが踊り場大作戦によって一段と高まってしまった。

このように考えて見ると、じゃあ、このような状態から脱却するにはどうしたら良いか?ここから先はまかり間違うと、「地球は一つ、国々は多数はまずいなぁ」ということであれば問題はないのですが、「地球は一つだが、国も一つにしてしまえ」ということで地球国家というものを作り出そうなどという空恐ろしい、これは私は空恐ろしいことだと、地球大帝国などというものが出来るとこれはもう宇宙大戦争みたいな感じになって行くというような話になりかねませんが、警戒しなければなりませんし、そのような危惧を含みつつ、地球は一つ国家は多数という課題を背景にして財政恐慌が起こりかねない気配が近づいているという感じがする今日この頃でございます。

そういう事があるにも関らず、(トロントの)サミットでは財政再建を主たるこれからのテーマにせざるを得なかった。
しかしながら面白いことに、さすがにG20に集まった人たちは「財政が恐慌をもたらすきっかけになってしまうのはまずいよな」というのは勿論あるわけでございますし、放っておけば「ここで財政の突っかい棒が潰れれば、大恐慌になる恐れが大きいよな!」と分かっているわけでございますので、苦し紛れに彼らは「財政再建が主たるテーマであります」という事を打ち出すに当たって、それだけ言うのでは彼らが「これから財政恐慌を起こします」と宣言しているようなものですから、そうなるのはまずいという事で彼らがどういう表現を使ったかというと、これが篩って(ふるって)おりまして「成長に優しい財政再建」という言い方を致しました。

財政再建をするんだけれども、それは同時に成長に優しい、すなわち「成長を支えることをしながら財政再建を致します」という言い方を致しました。
成長に優しい(growth friendly)財政再建、非常におかしな言い方です。
これは、胃腸に優しい暴飲暴食と言っているのと全く同じことでございまして、こんなことが成り立つはずはないわけです。
私は趣味兼特技が“多品種大量飲酒”なのでございますけれども、それを標榜しながら胃腸に優しくあるというのはおかしい。まあ、おかげ様で私の場合は意外と上手くいっていると思いますけれども、本来ならば胃腸に優しい暴飲暴食はあり得ないのですが、それと同じ程度に、成長に優しい財政再建はあり得ないのでございます。

「成長に優しくあろう」と思ったら、減税したり、公共事業をばんばんやったり、とするべきで、財政を引き締めるというのが逆の方向に行かなければ成長に優しい政策と言うことは出来ません。

逆に、財政再建をしようと思ったら、増税をしなければいけない、公共事業も厳しく仕分けをしてゆかなければいけないわけで、成長に優しくなれるはずはない。成長に優しい財政再建は詭弁としても成り立っていないのです。
以下、次編

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