日本の貿易収支が 年振りに赤字になってしまったとのこと。
それをNHKのニュースで取り上げた時に、アナウンサーが「政府の対応が待たれます」と言うのを何気なく聞いていたのだが、その後何となく違和感を感じた。
その違和感は何なのか、ちょっと考えてみた。
それは政府の対応など期待していいのか?ということである、ということに思い至った。
今のところ日本の政府は国民のために何をしてくれているのだろう。
そして自分自身「してくれている」と思ってしまっていることに愕然とした。
ハッキリ言って今の政府に何かを求める、ということは非常に困難なのではないか。
だからこそ支持率は下がっているし、世界でも存在感がものすごく薄くなっている。
私は政治家ではないので、だから日本の政府にどうこう、ということはあえてここでは述べない。
逆に政府がやってくれないんだったら自分達でなんとかしなければ・・・と思う。
昨年は大震災、節電、タイの洪水など、企業が大変伸び悩んだ一年だったと思う。
それなのに円高が続き、外国からのお金が入ってきても知れているから、対外国、ということで言えば赤字になってしまったのだろう。
でもだからと言って国内のお金の流通がストップしたわけではないし、外国でも日本の製品が売れなくなってしまったわけではないと思う。
お金がないから物を買わない、あるいは安い物を買う。
売る方も買ってくれなくなるから安くする。売り上げが減る。給料が減る。
で、お金がない。
ということの循環なのだろうが、そのどこかを変えれば循環作用も変わろうもの。
まあ、物事はそんな単純では無いだろうが、少々高くても欲しい、と思うものをもっともっと作ってはどうだろうか、というか作って欲しい。
あるいは少々高くても食べたい、飲みたい、と思うものを作って欲しい。
日常生活で使うものに双方お金をかけない、という図式が成り立っているだろうが、日常生活で使うものだからこそ、その時に喜びや、もっと言うなら感動の得られるものを使いたいし買いたい、と私は思う。
昨年引っ越したことをきっかけに、それまでに使っていた食器をかなり廃棄し、新しく買い足した。
しかも少々値の張るものを。
そういう食器で朝食を食べるだけでも何となく一日のスタートが違ってくる。
そして食器そのものを大事にしようと思う。
そうすると食器洗いの洗剤やラック、食器棚までランクアップする。
私が欲しい、と思う決め手のほとんどは「デザイン」
価格や使い勝手は二の次に考えている。
レストランで大事にしていることは味はもちろんだが、「サービス」
そしてそれらを追究することは人によっては贅沢でムダ、と思うかもしれないがそういう日常のちょっとした幸せを感じられることで仕事や、人生に対する意欲や、活力が更に湧くのではないだろうか。
そういうことで経済が支えられたら良いんじゃないか、と個人的には思っている。














