指揮者 神尾昇の一言

「前の日にあったこと」や、自身の考え、問題提起などを中心に「毎朝」行進、いや更新中!!

機械的な音の中にも

2012年06月02日 | Weblog

人間の生活の中には音があふれていますが、無機質な音の中にも感情が入っている事をよく感じます。

私のうちは交差点のすぐ近くにあるのですが、だからこそ車のクラクションの音が良く聞こえます。
私はクラクションというようなウルサくて無粋なものはこの世から無くなればいいと思うのですが、
それは別として、
「危ない!」「どけっ!」というようなクラクションは、別に現場を見ていなくてもそう聞こえるし、
「青ですよ!」というクラクションはそう聞こえるし、
右折を譲ってくれて「サンキュー!」というクラクションはそう聞こえます。
でもこれは不思議な事で、別にクラクションの音そのものが変わった訳では無いと思いますし、
電子ピアノのように微妙なタッチの違いが表現できるクラクションは私の知る限りないと思います。
おそらく、鳴らす人の感情が手を通してクラクションの音を「奏でる」のでしょうが、
それは微妙な「長さの違い」に顕われるのだと思います。
 
でももっと不思議なのは、玄関のブザー、インターホンや電話のベル、にも相手が見える、ということです。
ドアのノックは、ノックしたのが女性か男性はおろか、年代や、その人の立場や感情などを即座に聞き取る事は可能ですが、
ブザーやベルは、押している間鳴っているものはともかく、
最近のものは一定ですよね。
でもその音で、電話なら、誰から、どんな用件でかかって来たのか、
インターホンなら、誰が、何の目的で尋ねて来たのかが分かる時があるのは
不思議な事です。
クラクションにしろ、ベルにしろ、やはり人間が操作して音を出す以上、
そこには感情や、人情が乗ってくるのでしょうね。
 
だから悪い知らせや、クレームを言おうと思って私に電話をかけて来ても出ない可能性が高いので、
そこんとこよろしくお願いします(笑)
 
 
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オペラの練習

2012年06月01日 | Weblog

「ナブッコ」の練習が佳境に入ってきました。

オペラの仕事の面白いところは、皆がだんだん乗ってくるところです。
もちろん、合唱やオーケストラ、吹奏楽団なども本番が近くなると乗ってくるのですが、
オペラのそれはひと味違います。
それは出演者がどんどん感情移入してくる、
結果、表現、表情が豊かになり、キャスト同士の結びつきと言うか、繋がりというか、
つまり人間の相関関係が色濃くなってくるからだと思います。
 
特に「ナブッコ」は宗教が物語の主体になっていて、ちょっと見ただけでは理解しにくいかもしれません。
それに他のオペラのような男女の「愛憎」の部分が少なく、
むしろ親子の中での愛憎劇が中心なのでそういう部分でも他のオペラとちょっと異なります。
しかしこれもオペラの面白い部分だと思うのですが、
この物語を単に演劇でやったら観た人が理解するのに難しい部分もあるかもしれませんが、
ヴェルディのつけた音楽により、無条件で楽しめます。
このオペラにはイタリアの「第二の国歌」と呼ばれている
「行け、想いよ、金色の翼に乗って」という曲が入っています。
 
それではホールでお会いしましょう!!
 
 
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「国境」は要らない

2012年05月31日 | Weblog

数日前のサウジアラビアの若者たちの件に関してのzoeさんのコメントに関するやり取りに関して、

ご本人と会話する機会があったので、せっかくだからここで私の意見を述べさせてもらいます。

 
私も小さい頃は、「日本人として生まれて来た」ということにある誇りを持っていました。
GDPやGNPが世界第二位とか、世界企業がたくさんある、とかそういう事は子供心に嬉しかったものです。
 
でもある時から、国境ってどうやって決めるんだ?という疑念を持つようになって、
国境は必要ない、と思うようになったのです。
国境、というのは地面に線が引かれているわけでもなく、
国によっては壁や、電気を通した有刺鉄線を張り巡らせている国はあるかもしれませんが、
でもそれは人間が勝手に決めたものです。
そしてその多くは戦争で勝ち取ったもの。
同じ言語を話すもの同士なのに国境線で争っている現実がある。
これは全く無駄な事だ、と思うのです。
国境線というものは人間の意識の中にのみ存在する。
ということは国境線は必要ない、と思うわけです。
日本のように島国ならこの島に住んでいる人は何人、と分け易いですが、
ルーマニアのようにルーマニア語を話す人、
ハンガリー語を話す人、
トランシルバニア語を話す人、
という国は厳密に何人の何と言う国、というのは分かれにくい、と思うのです。
人類17万年の歴史の中で色々な事があり、今の結果になっているのですが、
現在のこの状況は何となく、今の時代に馴染まない、と思います。
実際にユーロを考えると、「国」という単位が崩れて来ている、というのは事実だと思います。
一方で、発展途上国を先進国が支援する、という事が行われていますが、
実はこれもどうなのか、という事は以前から懸念材料でした。
というのは全ての人類は全員が先進国の生活、
つまり、物資や食料に溢れていて、寿命の長い生活
をする必要があるのか。
ジンバブエに海外青年協力隊に参加していた人の話。
ジンバブエにはパソコンが普及しておらず、プロバイダーに払うお金は日本の何倍もするのだとか。
そういう国にパソコンを普及させるのは果たして良い事なのかどうか、考えたそうです。
 
極端な話かもしれませんが、うちの猫の太郎さんは一切外には出しません。
それは「外の世界がある」という事を知らせないためです。
もし知ってしまったら「外に出せ!」と騒ぐかもしれません。
でも今は知らないので、そういう事はありません。
しかし、それは太郎君にとっては不幸な事なのでしょうか?
私はそうは思いません。
外の世界で生きる事で、味わわなくても良い苦労や苦悩を背負い込む事になるでしょう。
幸せの基準は人それぞれでしょうが、人も同じだと思います。
背負い込まなくても良い苦労は背負い込む必要がないのです。
 
でも私たち芸術家は違います。
人よりもたくさんの苦労や苦しみ、悲しみを背負い込まないといけない、
と私は思っています。
そうでないと人が感動できる演奏は絶対にできない、と。
昨日のブログで述べたように、私は少年院の少年たちの合唱を聴いてから強くそう思うようになっていました。
 
話は大幅にずれてしまいましたが、私は地域、例えば文化や言語が違う、
という地域こそあれ、「国」というのはなくても良いと思っています。
制度や法律も、本当に人間が賢い生き物だったら必要ないと思っています。
 
司法書士試験を受けていた友人が言いました。
本当に良い国だったら六法全集がこんなに分厚くなる筈がない、と。
 
助けが本当に必要な人がいたらその人は遠慮なく助けを請う。
助けられる人は無条件でその人を助ける。
 
たったこれだけの事で人間社会は成り立つ、と思うのですがいかがでしょうか。
 
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音楽は表現力だ!

2012年05月30日 | Weblog

先日音取りの訓練術を掲載して、結構反響がありました。

ご質問も頂きましたし、実践した方からは成果も寄せられました。
 
しかし、音楽に本当に大事な事は正しい音程や、正しいリズムで歌える事ではない、
というのは言うまでもない事です。
 
いくらその原語が話せたとしても、「何を話すか」が問題だと思います。
中学、高校、と英語を習って来てとても疑問に思っていた点でもあります。
英語の授業にもっと「会話」を取り入れたらもっと英語が身近になるし、
楽しいものになるのではないでしょうか。
テレビCMで、どこぞの予備校の講師が言ってるではありませんか。
英語は怖くない、所詮原語だ!
と。
 
話はちょっとずれましたが、音楽もこれと同じです。
私たちが音大で習った事は実は「音楽」ではなく「音学」
音楽の奏で方なんて全く習った憶えがないのです。
常に評価されるのは技術力の高さ。
「上手」か「下手」か。
まあ、個性や個人の想像力は育てようもない事でしょうけれども。
 
昔、童謡歌手の川田正子さんの伴奏者として演奏活動していたことがありました。
長野県に行った時の話です。
川田正子さんは戦後、「鐘の鳴る丘」という曲を同名のラジオ番組の主題歌として、
当時録音技術が発達していなかったので毎日NHKに歌いにいかれていたそうです。
そのドラマはある孤児院の中で起きる話が主題だったそうですが、
その孤児院は実際に長野県にあったのです。
そして今その施設は少年院に代わっています。
 
長野県で迎えて下さった方がその孤児院で音楽を教えていらっしゃり、
少年院に入所している少年たちの合唱を聴いて欲しい、
ということで特別に伺いました。
もう20年近い昔の事ですが、今でも鮮明に覚えています。
「さようならの季節に」という曲でした。
技術的な事を言ってしまうと、正直「下手くそ」でした。
音程がない子が多かった。
でも私は感動して泣いてしまいました。
彼らの「魂の叫び」が聴こえて来たからです。
そして「自分は一体今まで音楽の何を学んで来たのだろう・・・」
と恥ずかしくなりました。
彼らから、「音楽は技術じゃない」という事を学んだのです。
技術を磨く、ということはそれはそれで大変な世界ですが、
「表現力を磨く」というのは大洋を小舟で行くようなもので、いつまでたっても陸が見えてきません。
だからこそ面白い、という事はありますが、時々その小舟が沈んでしまいそうになる事も多々あります。
日々、精進です。
 
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月光とピエロ

2012年05月29日 | Weblog

昨日は東京男声合唱団の練習でした。

やった曲はロシア聖教聖歌と、「月光とピエロ」
東京男声合唱団の初代指揮者である清水脩氏が、同団のために書き下ろしたものです。
東京男声合唱団は一昨年に創立60周年を迎えましたが、つまりその頃から歌っている、ということです。
ということで、合唱団の皆さんの「月光とピエロ」に対する気持ちはとてもお強い。
まず、私の思っているテンポになりません(笑)
ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサートで色々な指揮者が来ますが、
ウィーン・フィルは自分達の音楽やテンポがあって、指揮者がそれに合わせる、
みたいな話を聞いた事がありますが、そんな感じです。
でも面白かったのは、三曲目の「ピエロ」をやった時。
割と早口言葉から始まるのですが、それが言い切れていない。
恐らく60年前は東京男声合唱団のメンバーは20代が中心で、要するにエネルギーが有り余っていて、
その皆さんを対象に清水脩氏が書いたのだから、こういう風に書いたのだろう、
という結論に達しました。
 
でも私は以前にも書いたのですが、ある場所で、とても上手い大学のグリークラブが、
演奏会の後ロビーコールで「月光とピエロ」を演奏しているのを聴きましたが、
「上手いな」「奇麗だな」と思いこそすれ、正直、感動は薄かったのです。
それは彼らがこの曲を「楽しそうに」歌っていたからだと思うのです。
「ピエロ」の言い尽くせない、悲しみ、寂しさ、苦しさ、が正直伝わって来なかったのです。
道化師の中で、涙を顔に書いたのが「ピエロ」
なぜ涙を流しているのか、なぜ涙を流しながらも道化を「演じている」のか。
その部分は東京男声合唱団の皆さんの表現には、とても二十歳前後の若者は敵わない、
のではないか、と思います。
 
指揮する人がその事を注意して練習、演奏したら、若者も「演ずる」事は出来るかもしれませんが、
本当に他人の心を揺さぶる演奏になるには、本人たちに相当な苦しみを味わってもらわないと
難しいかもしれませんね・・・
 
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元気でいる、ということ

2012年05月28日 | Weblog

夕べNHKのニュースを見ていたら、パラリンピックの卓球日本代表の方の話題を取り上げていました。

別所キミヱさん。
郵便局で働かれている傍ら、卓球にも取り組まれ、ロンドンパラリンピックで狙うのは金メダルのみ。
43歳の時に手術をし、車椅子生活を余儀なくされてから卓球を始められて、
北京パラリンピックの時にはなんと5位!
驚きです。
ご本人のモットーは「輝いている」ということ。
職場では「シャイニー」と呼ばれています。
私も挫けそうになる事が良くありますが、その時は
「自分よりももっと苦境にいる人が、自分よりも頑張っていらっしゃる」
と自分に言い聞かせています。
この別所さんもその一人になりました。
ぜひパラリンピックで金メダルを取って頂くべく、応援したいと思います。
 
以下神戸新聞の記事から引用です。
 

 8月29日開幕のロンドンパラリンピックまで約半年。車いすの選手が競う卓球のシングルスで、兵庫県明石市魚住町清水の女性(64)が、悲願のメダル獲得を目指して練習に励んでいる。骨盤の骨の一部に腫瘍ができる重病で両足の自由を失い、絶望の中で卓球に出会った。日本選手団女子最年長で出場した北京パラリンピックでは5位入賞。女性は現在、年下の選手に負けないためのフォーム改造に取り組んでいる。

 

 別所キミヱさん。43歳のとき、全国で患者が数人という「仙骨巨細胞腫」を発症した。1990、91年に受けた骨の移植手術はいずれも24時間を超え、病院では約140人が輸血の協力に列を作った。別所さんは術中に心肺停止になるなど生死をさまよいながら、何とか命は取り留めたものの、両足の自由を失った。

 ベッドの上で「生きてる価値、あるんやろか」と考え続けた。発症前に夫をくも膜下出血で亡くしていたこともあり、自らの境遇を嘆いた。支えになったのは、多くの人の輸血に助けられたという事実。約1年後、「粗末な生き方をしていたら申し訳ない」と奮起し、県立総合リハビリテーションセンター(神戸市西区)で卓球に出会った。

 各地で健常者に混じって練習し、めきめきと実力をつけた。99年には日本代表として、国際大会にデビュー。仕事と競技生活を両立させ、「私は卓球に人間として育てられた。絶望の中で自信をもらった」と振り返る。

 予選落ちしたアテネ大会、入賞を果たした北京大会を経て、3度目のロンドンでメダルを狙う。障害に応じた「クラス5」という階級で、1月の国際ランキングは6位。大会出場が有力な情勢で、別所さんは「若い選手に動きの速さではついていけないが、球のスピードを調節し、コースを打ち分け、意表を突くプレーで勝ちたい。あと半年、技術向上へあらゆることに挑む」と意気込んでいる。

 
 
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サウジアラビアの国旗は子供のときなぜか大好きでした。

2012年05月27日 | Weblog

生活保護の不正受給とかで世間は盛り上がっているようですが、

私はそんな個人的なことはどうでもいい、と思っています。
もし非難されるべき出来事であるなら、相談をした上で、支給した側にも問題があると思いますし。
 
それよりも最近私が興味を持ったニュースは、サウジアラビアの若者についてです。
サウジアラビアという国は莫大な石油の輸出によって、それこそ働かなくても暮らして行ける、
そうです。
しかしこれからは人口の半分以上が若年層を占めることになり、その生活を賄えなくなる事から、
若い人たちには、「働きましょう」、会社を経営している人には「雇いましょう」
という政府の働きかけをしているそうです。
実際のところサウジアラビアで働いている9割の人は外国から出稼ぎに来ている人だそうです。
それで、雇い主はその出稼ぎよりも遥かに高い給料を出して若者を雇うそうですが、
大半は真面目に仕事をしないで、早々に辞めてしまう、ということでした。
これはテレビで見ていたのですが、若者に対して就職活動のセミナーに参加した若者に、
「どんな仕事がしたいですか?」と質問すると、
「何か資格を取りたいがこれから考える」はいい方で、
「クーラーの効いた部屋で簡単な事務仕事がいい」というような意見が多数でした。
つまり働く気は殆どない、ととっていいでしょう。
まあ、働かなくても済むなら人間はやはり働かなくなるのでしょうかね。
仕事をしていないと金銭的にはともかく、不安になってしまうのは、やはりワークホリックなんでしょうかね。
サウジアラビアの人たちはいいなぁ、とは素直に思えませんでした。
もちろん私にも、遊ぶお金や、遊ぶ時間が欲しい、という気持ちはありますが、
それは一生懸命働いた代価として、ごくたまに遊びにいける、その時間を楽しみにして、
というスタンスです。
一年中遊んで暮らして一生を終える、というのはどうも馴染みません。
これは環境や、受けて来た教育の違いなんでしょうが、
だからこそ、これからサウジアラビアの若者たちが真面目に働く、とは到底考えられない、
と思うのは私だけではないと思います。
 
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表現の「礎」になるもの

2012年05月26日 | Weblog

合唱団を指導していて、私のやり方の順番というのがあります。

今回は日本語の曲に限った事を書きます。
先ず、詩を音読する。
それも二回やります。
一回目は内容を理解するために。
二回目は人に聞かせるように。
そして各パートの音取り。
昔はメロディーを覚えるためにソプラノからやっていましたが、
正直なところ男声の方が音取りに時間がかかるので、ある時からバスからやるようになりました。
そしてバスとテナーが音が取れれば一緒に歌ってもらい、
を繰り返しハーモニーを組み立てて行きます。
その都合上、バスが練習時間内で一番多くの時間を歌う、という事になります。
 
そして細かい部分を直していきます。
例えば、日本語の助詞の部分の音は小さく歌う、とか、
ソプラノとバスが二オクターブ違いで同じ音を歌うところをより調和するようにそこだけ取り上げる、とか。
 
それらが出来て来たらやっとこさ「材料が揃った」状態です。
音楽はそこからが勝負で、後はいかに「表現するか」
いくらハーモニーがきれいでも、いくら立ての線が揃っていようとも、聞いた時に
「ああ、奇麗だな」という印象が残るだけです。
その印象も与えられないのでは合唱をやっている意味が全くないのも事実ですが、
それよりも大事な事は、いかに「魂のこもった」演奏をするか、ということ。
これは私一人の力ではどうにもなりません。
一人一人が自分の魂をいかに燃焼するか、にかかっています。
バーベキューをするときに、如何に早く、かつ効率よく火をおこし、それを持続できるか、は、
火をおこしたお父さんの責任でしょうが、そこに湿った炭が入っていたらどうでしょう。
その炭に火がつかないばかりか、まわりの火も消してしまうかもしれません。
湿った炭を投入しなければいい、というご意見もあるでしょうが、
アマチュアの合唱団というのはこちらがメンバーを選べない、という条件がついてきます。
だから入念に作られた炭ばかりのコンロに仕上がれば良いのですが、
そこには木の枝や、枯れ草、プラスチックなどの、何とか燃えそうなもの、から
下手をすると生木や果物みたいな、相当苦労しないと燃えてくれないもの、
まで含まれている可能性があります。
だから「自ら燃えて」くれる、ということがとても大事なのです。
そしてただ燃える、といっても燃え方にも質があります。
一瞬で燃え切ってはいけないし、くすぶっていてもいけません。
いい状態の炎を出し続けてくれなければいけないのです。
それはその人の気持ち、人生経験、それに伴う考え方、などの要素がふんだんに入ってきます。
それは技術の世界の話ではありません。
私は人よりも趣味が多く、凝り性なところがあると人に指摘されますが、
それは音楽をより、表情豊かに表現したい、と思っているからに過ぎません。
言うまでもありませんが、
全ての経験はその人の生き方にも影響するように、自分の音楽にも大きく影響します。
 
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「音取り」訓練術その2

2012年05月25日 | Weblog

この前の訓練法の続きです。

完全五度が取れるようになったら次は完全四度。
 
例えば「ド」の音に対して上は「ファ」下は「ソ」
そうです。
完全五度の逆です。
その事に気付いたアナタは鋭い!
一オクターブは「足して9」の度数になります。
だから完全五度と完全四度の調和が良いのです。
 
同じように長三度上、長三度下、の音程を取って行けば良いのですが、
今度は白鍵の音に対して黒鍵の音になってきますから難易度が上がります。
そして長三度や短三度だと何の音を取れば良いかわりと即座に判断がつくでしょうが、
長六度や短六度はちょっと考えないと何の音か即座に分からないかもしれません。
そういう時は先程の「足して9」になるように計算すれば良いのです。
例えば「ド」から六度上の「ラ」は長六度か、短六度か。
「下に」三度取った「ラ」は短三度ですよね。
そこから更に「下に」六度取ると「ド」になりますね。
ということは「ド」と「ラ」の間は長六度、ということになります。
 
この辺になると読むだけだと分かりづらいかもしれませんので分からなかったら捕まえて聞いてみて下さい。
タダでお教え致します(笑)
 
さあ、これで音程感覚はだいぶ身に付いた、ということで次の段階に行きたいと思います。
今度は「ド」と「ソ」を叩いて完全五度をならし、そして真ん中の「ミ」の音を叩いて下さい。
つまり「ドミソ」という「長三和音」ができました。
そして同じく「bミ」を叩いて下さい。
今度は「短三和音」ができました。
 
では今度は完全五度をならした上で、その「ミ」の音を歌ってみて下さい。
長三和音と短三和音両方試すのです。
そして音を替えて、例えば「ミ」と「シ」を鳴らして同じようにやる。
黒鍵でも試してみる。
 
これがもう音を叩いた瞬間、頭に正しい音程が鳴り始めたら音程感覚がついた、と言っても良いでしょう。
これで「自力」で音を取る方法が、分かって頂けたでしょうか。
そして、正しい音程を取るために、いつでも「音叉」を持ち歩かれる事をオススメします。
楽器屋さんで数百円で売っています。
 
私が指揮を弟子に教える時に一番最初に教えるのは、
いつでもどこでも「時報」が頭の中で鳴らせるように、と教えます。
時報は「ラ」の音。
そして間隔は60というテンポなので、それが身に付けばメトロノームも不要になります。
 
さあ、これからも素敵なミュージックライフをエンジョイしてください!!
 
 
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夜は特に危ない!

2012年05月24日 | Weblog

昨日は柏の「合唱の集い」のホールでの練習でした。

柏市民文化センターはちょっと駅から遠いところにある、のと、
夜9時から9時半という短い時間でもあったため久しぶりに夜の街を自転車で行きました。
以前は柏はほとんど自転車で通っていたのですが、2010年の八月に仕事に行く道中、
転倒して仕事にも多少なりとも支障が出たので仕事に行く時には自転車は使わない、
という事にしていました。
しかし昨日は上記の理由で自転車を利用して行ったのです。
 
先にお断りしておきますが、私は松戸にも柏にも大変お世話になっていますし、
どちらかというとこの街が好きで住んでいます。
 
しかし、しかし、自転車のマナーの悪い事には以前から本当に辟易していました。
 
右側を走るのは当たり前、
歩道を走るのは当たり前、
人の通行の妨げになるところに駐輪するのは当たり前、
そして
無灯火で走っている者が多い、
イヤホンをつけて走っている者が多い、
携帯を片手に走っている者が多い、
複数で並列になって走っている者が多い、
 
という印象をずっと持っていました。
つい先程ブレーキのついていないピストバイクが流行って、
しかしその危険性を取り沙汰されたので東京の街ではほとんど見ないようになりましたが、
千葉県の以上のような輩は全く減る様子がありません。
 
実は夕べそんな自転車乗りと事故を起こしかけました。
あるスーパーの駐車場から出て来た自転車と危うく衝突しかかったのです。
「危ない!」と言ったら「お前も悪い」と言われました。
「何が!?」と聞き返したら「何がじゃネエよ!」と捨て台詞を吐いて行ってしまいました。
私は余程追いかけようかと思いましたが、時間がなかったですし、
自分の立場を弁えて我慢しました。
因に私は車道の左側をもちろんライトをつけて普通に走っていましたから、ルール違反は全くしていません。
一方彼の方は、スーパーの駐車場の出口にある、「止まれ」の標識を無視、
しかもそのまま車道の左を行こうとしたならまだしも、あろう事か渡ろうとしたのです。
私が車だったら完全にアウトでした。
向こうもこちらのスピードが読めなかったのかもしれませんが、
それ以外に、やはり無灯火、イヤホンをつけて、あろうことかハンドルに買い物袋をぶら下げて、走ってきました。
 
日本の自転車のマナーの悪さは時々取り上げられていますが、どうしてこうも減らないのでしょう。
先ずは「お手本」がいないからでしょう。
どちらかと言うとそういう危険な走り方をしている人の方が多いので、
それが「当たり前」になっている。
例えば信号を守って待っているとどんどん無視して渡って行く人がいます。
そして待ってる方が何となくバカバカしくなるのです。
他の上記の事例もそうでしょうが、それらを守っている人よりそうでない人の方が多いので、
まあ人間としては仕方ないのでしょう。
そしてここで声を大にして言いたいのが、警察関係の方もルール無視をしていらっしゃる。
これではマナーを守る、ということの実現には程遠い、と思います。
正直マナーそのものが存在しないくらい、日本の自転車を取り巻く状況は体たらくです。
 
このブログを読まれた方は少なくともマナーを作り出すべく、手本になるべく走りましょう!!
 
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