こもれびの日々

人生、経験することにおいてはどんなものでも無駄はないといいます。
無駄な日々はこもれびのようなものでしょうか?大藪光政

言葉の本質と行為について

2011年10月10日 | 入院体験


[パリ/ルーブル美術館にて]

- はじめに -

この文面、私が入会しているシニアクラブ、「若葉会」の会の集りのとき、
福津市シニア連合クラブの刊行物に投稿する話がありましたので、
それを引き受けて下記の文面を書き記したものです。
原稿文は、900字以内でしたのできっちの900字で仕上げました。



本当は、このブログに掲載するつもりではなかったのですが、
このブログ編集機能として、入力文字数が表示されるので、
それを利用することで書き記したものをそのまま残すことにしました。



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僕がシニアに入会したのは五十七歳の晩秋でした。

会が主催する区の自由参加の旅行に参加したことがきっかけです。

お世話してくださった人柄に惹かれ、家族的な会の雰囲気が好きになったのです。



その翌年に区長を務めることになりました。

きっかけは、今の柏木会長による推挙です。

さて、言葉とは不思議なもので、「老人会」というネーミングでしたら
僕は入会してなかったでしょう。

又は、会の名前が若葉会ではなく、「枯葉会」でも入っていないでしょう。(笑) 

しかし、「シニア」も、「早く、しにあ〜」と言われるようになれば、
また、ネーミングを変える必要が出来てくるかもしれません。



それは、車に付ける若葉マークが嫌だと言う人が増えて、
マークのデザインを替えたのと同じ理由ですね。

言葉と嫌いなイメージが同居しますと言葉を変えたくなります。



畢竟、いつの時代もその繰り返しです。

心理学者のユングがアフリカの土人の村に研究で入ったとき、
長老がまさしく威厳に満ちていて真の長老に出会ったと感動した話があります。



高齢者もただ歳の数だけでは尊敬されません。

高齢者しか出来ない業を発揮することで言葉に
素晴らしいイメージが定着するような気がします。



般若心経というのがありますが、あれは、呪文として唱えることで
自己暗示を掛けて心を落ち着かせることが出来ますが
本質はどうも違うようです。

「縁起」というのを重視しているようです。
つまり、物理学でいう「作用・反作用」の「作用」です。

人や社会に与える「作用」を為すと言うことです。

そこで長老だと現世利益から脱した「作用」を放つことができるのです。

生活や享楽に追われている若者では無理です。



僕もその一環としてのちに、無量育成塾という授業料の要らない塾を開校し、
次に、今年の春にウェルナー少年少女合唱団を立ち上げました。



人から作用を頂く受身の立場より与える立場の方が生き甲斐を持てますし、
真の若さも保てるようです。

シニアクラブで行なった公民館周辺の草取りも地域に対する立派な作用でしょう。



シニアクラブに入っていることが社会においての高いステータスになれば、
会に入りたいと願う人が殺到するかもしれません。

by 大藪光政

独立行政法人国立病院機構 福岡東医療センター に入院しました。

2011年09月10日 | 入院体験


[国立東医療センターの北側の窓からの展望]

やっとひと夏が終わろうとしている今日この頃です。

古賀市に「独立行政法人国立病院機構 福岡東医療センター 」という長ったらしい名前の病院があります。

そこへ、今年のお盆前に入院しました。
その体験記をちょっと書き留めておこうと思います。

入院したのが、8月10日でした。そして、退院が8月18日です。
入院としては短期のうちに入るでしょう。

入院したところは外科の西病棟2階です。
この入院日は、ちょっとした行き違いがあって8月3日が一週間ずれて、この10日の日になったのです。

この話をすると担当医である井口友宏先生、松本婦長(師長)さん、そして、これを知っている看護婦さんも皆笑ってしまうでしょう。

つまり、8月3日の日はお昼ご飯だけご馳走になって三時過ぎに帰ることになったからです。そして、8月10日に正式に入院したのです。(笑)

さて、僕の病名はここでは述べませんが、井口先生、曰く、「まだ若いから早めに手術した方がいいでしょう」と、ご説明されました。

それで、手術となれば下腹を切開することになるので麻酔についても気になります。なるべく痛くないにこしたことはありません。

その件について井口先生に質問してみると、「下半身麻酔ですね。」と言われました。「脊椎麻酔はとても痛いって聞いていますが・・・」と、尋ねてみると、「う〜ん・・・」と、はっきり言われません。



[入院直後の手術前の待機部屋]

そして、入院当日に、看護婦さんから色々な説明があり、その後、麻酔担当の勝谷裕子先生が病室に来られてから麻酔の説明がありましたので、僕が「痛くありませんか?」と聞いたら、笑って、「点滴と一緒に軽く寝てしまう程度の麻酔を入れます。そして、その後に脊椎麻酔を打ちますから、すぐ寝てしまうのでわからないと思います。」と言われました。

それを聞いて、「それを早く教えてくれれば・・入院する時まで、麻酔の注射が痛いだろうな〜と心配しなくよかったのに!」と言ったら、勝谷先生は笑っていました。

手術前日の儀式としては、下腹部の体毛を剃ることになっていますが、実は僕の場合、三回もこれを行ったのです。

一回目は、例の8月3日です。お昼ご飯を食べた後に電気バリカンみたいなので刈りましたが、途中、電池が切れてしまったのですが、まあこんなものでいいだろう?ということで理由あってそれが終わってからお風呂に入って・・・その日は帰ることになったのです。(笑)

そして、二回目は8月10日の日です。前回と人も入れ替わって刈りなおしをしてくれたわけですが、恥ずかしさは・・・もう、まな板の鯉ですから、どうでもよくなりました。

しかし、こんな可愛い女性に下腹部を見られるのはちょっと恥ずかしいものですが、看護婦さんが仕事として平然とされているのを見ていると僕も患者として毅然としておかねばと思いました。(笑)

このあと、井口先生が刈り具合を見に来られて、「あれ・・・切開するところの毛が刈られていない!」と言われて、看護婦さんを呼び、刈りなおしを指示されました。

と言うことで、三度目の草刈をすることになったのです。何故か?一回目も二回目も、下腹部の深部ばかりが刈られて、切開する上のところが刈られてなかったのです。(笑)

すると、今度の三回目のときは念のためか?別の看護婦さんも立会いで「これでいいよね!」と、一緒に見に来られました。多くの若くて素敵な看護婦さんに僕のすべてを見られて僕は苦笑い!



[病室の南窓から三日月山を観る]

さて、手術までは、夜の九時から水と食べ物は摂れません。これは、なんとか辛抱できました。

翌朝は浣腸してすべてを出し切ってから手術に臨む事になりました。これも、ちょつぴり恥ずかしいことですがもう平然として粛々と儀式に臨みました。(笑)

いよいよ、僕の手術の番となって案内が入り、術着を着用した僕は何故か車椅子で向かうことになりました。(別に歩けるのだけど)

手術室には看護婦さんが四人ほどいて準備を進めてくれました。医療事故防止の為、僕の左腕にはバーコードの入った腕輪が付いており、それを読み取って本人確認の作業と念のために名前と生年月日を聞かれました。

これは、術後も投薬とかの場合もすでに本人であることがわかっていても必ず名前の確認はすることになっているのです。

それは医療事故防止の対応でしょう。やはり、三交代というシステムや入院患者の入れ替わりを考えるとやはり双方にとって面倒でもそうしないといけないのでしょう。

麻酔の点滴挿入が始まると、腕に軽い冷たいような冷痛とその挿入感がわかりました。そして、しばらくすると、すっかり意識を失っていたようです。

その後、「大藪さん!」と言う声が聞こえました。恐らく術後、手術室で井口先生が声を掛けられたと思います。

そして、それに気が付いて目が覚めたのですが、そこでまた寝てしまいました。たいていの人はそうなるみたいです。

そして、もう一度、「大藪さん!」と声を掛けられたときは、病室に戻っていました。そのときは、新鮮でとてもすがすがしい・・・新しくこの世に出現したような神秘的な気分でした。

「とてもすがすがしい気持ちです・・・ありがとうございます。」と言ったのを覚えています。本当に不思議なくらい感謝の気持ちで一杯でした。

それからしばらくして、下半身がまったく感じられないことに気付きました。その後、時間が経つと親指がなんだか少し動かせる感じが出てきて、時間の経過と共に麻酔が取れてきました。

こんな状況ですから手術の痛みは皆無でした。



[静かな西二階病棟]

しかし、その後待ち受けていたのはとてもつらい腰の痛みです。

それはとても辛い体験でした。

術後の切開部は動かない限り痛くないのですが、今まで寝たきりだったのか?とても腰が痛いのです。恐らく麻酔によりまったく寝返り打つことなく、不動だったのが原因だと思います。

なんとか、身体を少しずらしたりして、その辛さから逃れようとしたのですが、身体を動かせば傷口の痛みでたまらない状況でした。

この状態では咳とくしゃみは厳禁です。それだけで傷口にもろに影響して激痛が走ります。術後のひと晩は、それはそれはとても長い一日でした。

一時間が一日に感じるほど長く感じました。辛いときの時間の過ぎる速度がとても遅くてかないませんでした。

術後は熱が少し出ましたが、看護婦さんが氷枕をすぐに用意してくださいました。解熱剤は使用しませんでした。傷の化膿に対する身体の免疫力が働いているから恐らく解熱剤はなるべく使用しないほうがいいのでしょう。

投薬等は体力維持の点滴と化膿防止の抗生物質投与だけで、点滴も朝には終わりました。その後はまったく薬を使うことはありませんでした。

朝の朝食が待ち通しかったのですが、井口先生の診察で許可が出ないと食べられないということで、朝の九時ごろまでオワズケでした。とても待ち通しかったですね。

朝の診察で井口先生は、傷口をふさぐようにシール形状のとても大きなワッペンみたいなのを貼ってくれました。これは、通気性があって水をはじく絆創膏みたいで、これだとシャワーがすぐに浴びれるとのことでした。

診察が終わっても、ご飯を食べても良いとは言わなかったので、「先生、朝食とってもいいんですか?」と、質問したら、「ああ、僕が来たのでもう良いよ!」と笑って言われました。

この朝食から退院するまで、入院中、僕はずっと出された食事は完食しました。僕の場合は消化器系統はまったく大丈夫でしたので、何でも食べられたのです。

体力が回復するにつれて、内緒ですがおやつやアイスクリームも食べました。(笑)



[五階西側病棟から玄海国定公園 相の島を見る]

完全看護体制での看護状況として、術後の看護婦さんは心からとても親切で、色々と身の回りから世話をしてくれました。後でわかったのですが、身体の自由が利かないレベルに応じてサポートを色々してくれますから、元気になるにつれて自分で済ませることが多くなるとなんだか寂しくなるものです。

患者さんの中には、高齢者が幼稚園児のように駄々をこねて、ひとりの看護婦さんに甘えてかなり困らせる人もいましたが、そういう場合は、看護婦さんたちが何人か寄り添って宥めている光景を見ることがありました。

看護婦の皆さんはとってもチームワークがいいのです。

忙しい中でも患者さんにやさしく対応している看護婦さんを見ていると、やはり、ここの看護教育はすごく出来ているなあ〜と感心しました。やはり、リーダーとしての婦長さんが素晴らしいからでしょう。



[五階西側からの曇り空の展望]

日々、快復に向かうにつれて、看護婦さんや医師の行動に目を向けることになりました。観察していると色々とあってとても楽しいものです。

そうそう、術後の朝は、お湯で絞ったタオルをもらったので顔を気持ちよく拭くことが出来ました。そして、シャワー初日のとき、看護婦さんから「付き添ってお風呂場で背中を流してあげましょうか?」と、聞かれたとき、とてもきれいな方だったので、一瞬ためらったのですが、こんなチャンスはそうないなあ〜と思って喜んでお願いしました。

まあ、娘に背中を流してもらったこともないのに・・・と思いつつ、患者としての役得でとても楽しかったです。(笑)

しかし、これも当たり前のことですがその日だけでした。だから僕としては、毎回、手術したい気分でした。(笑)

元気になるにつれて、病室で横になっているばかりでは、身体が鈍ってしまいます。そこで病棟を歩いてあちこちの病棟を散歩することにしました。

僕のいる病棟は二階ですが、ここから海は見えません。それで、食堂にいた知らない他科の看護婦さんに、「上の階に登れば海が見えませんか?」と聞いたのですが、わからないとのことでした。

その看護婦さん、まだ新人でそんな余裕は無かったみたいです。(笑)

それで、担当の看護婦さんに許可をもらって最上階の五階まで行ってみました。もちろん、海は西側に見えるはずですから一番奥の西側まで歩いて行きました。



[五階西側のロビーから外を見る]

そこには、ソファーとテーブルが置いてあって、ちょっとした休憩する場所になっていました。そこからは予想通り素晴らしい展望が望めました。

好天気に恵まれて海がきらきらと輝いています。ちょうど、夕日を見る為に何人かの女性患者さんもおられました。



[五階西側のロビーから夕日を眺める]

僕は、カメラを用意していたので夕日が落ちるのをしばし待ちました。
そして、期待通りの美しい光景を眺めることができました。



[五階西側のロビーから日没を眺める]

まるで病院にいないみたいです。ちょっとした観光気分です。のちに、僕はここに来るとき看護婦さんに行く先を告げるときは、「ちょっとオプショナルツアーに行ってきます」とか、「展望台に行ってきます」などと、ふざけて告げて行きました。最初の頃、看護婦さんたちは、「はあ?」と言っていましたが、意味がわかるとすぐに了解するようになりました。

ある日のこと、ここで、ある男性の入院患者さんと出会うことになります。
その方と僕だけの二人きりのとき、色々と話をすることになりました。

話しかけてきたのは先方の患者さんです。だいたい、入院患者同士が他人でありながら話し始めるときは、相手の身体の具合や病状から、話がポツリ、ポツリと始まります。

その方は、自分から先に自分の病気を説明し始めました。病名が悪性リンパ腫とのことでしたが、それにしてもとても元気そうに見えるのです。

でも、本人曰く、「私の癌は、あちこちに転移するから、白血病と同じで切開して取り除くなんてことは出来ないから、抗がん剤を打つだけです。医者からは余命あと四年ぐらいだろうと言われています。」と包み隠さず話されました。

病院に入って驚いたのは、多くの皆さんはこんな調子で自分が何癌に掛かっているのかをはっきり言われる方が多いのです。

僕はそうですかと頷いて黙っていました。

すると、今度、「余命宣告されたときは、どうしても納得できなかった・・・」といった風に言われました。



[五階西側のロビーからラストの日没を眺める]

それで僕は、思わず、「失礼ですが今お幾つですか?」と尋ねました。
するとその方は、「75歳になります。」と答えてきました。であれば、79歳まで生きられるということだと合点しました。

そして考えあぐねた僕は、「それは贅沢な悩みですね」みたいなことを言ってしまったのです。そして、その言い訳をするみたいに、「僕の父は直腸癌から転移して、胃、肝臓がやられて五十五歳で亡くなりました。だから、僕の場合はすでに、父の年齢を六つも超えていますから、父より長生き出来た分、いつでも死ぬことに対してはなんとも思いません。ただ、まだ、あと下の娘が大学生ですからちょっと気掛かりですが」と、言い添えました。

この僕の変な物言いを聞いたところから、その方との会話がますます広がっていきました。たとえば、余命幾ばくかと言われたことに対して、それが不満であれば、つまり、その年月が少ないと感じるならば、では一体、あと何年生きたいのか?ということになります。

それは切りがないというものでしょう。

生きるということが、決して時間ではなくどう生きるのか?が大切なのであって、限られた時間であればそれなりに生きるだけのことでしょう。

池田晶子さんが、「人は癌によって死ぬのではなく・・・」と言われていることは、まさに、そのことだと思います。

人はこの世に生まれた時から限られた時間でしか生きれないのですね。

この方は、僕との会話をまたすることを望まれていたようで、もう一度お会いすることができました。二回目は少し深い話をしましたがとても楽しまれたみたいで明るい別れが出来ました。

二回目の話の内容は、先月書いた書評(書物からの回帰)の般若心経に関する見解を引用しました。



[深夜のスタッフステーション看護師は病室へ]

術後、四日目からは僕の体内リズムがよみがえって、夜、十時には寝付いて、朝の二時から三時に起床して、いつものように読書がしたくなりました。ドストエフスキーの「罪と罰」を再読しょうと図書館から借りて本を持ち込んでいました。

しかし、病室内は消灯が義務付けられています。

それで、看護婦さんの詰め所である「スタッフセンター」に行きました。すると、看護婦さんがすぐに寄ってきて、「眠れないのですか?」とやさしく尋ねてきました。

それで、看護婦さんに、「いや、僕は、元々こんな時間に起きて本を読んでいるので、そのリズムが戻ってきたのですが、部屋が暗いので本が読めなくて困っているのです。どこか読むところありませんか?」と申し出しました。

すると僕の場合、病棟内であればどこでも行っても良いという許可条件の患者であったので、一階の急患待合ロビーが明るくてそこだと通常誰もいないから、そこで読めばということになって、その日から退院する日まで毎回、朝の六時までその場所で読書をしてから部屋に戻ることになりました。

そこにいると、交代の看護婦さんなどと出会うことになりますが、その都度、皆さんから、「眠れないんですか?」と心配して声を掛けられました。

ある日、婦長(師長)さんともそこで出会って同じことを聞かれたのですが、そうでないことを説明すると安心しきってそこで色々とお話しました。僕は婦長さんは夜勤はないのだと思っていましたが、そうではなく、深夜から早朝の間、病棟の婦長さんたちが、交代で責任体制をしいているのを知りました。

そして、松本婦長さんに「外科の看護婦さんたちは、とてもよく仕事をされますし、患者さんに対しての看護が手厚いので感心しています。」と話しました。特に、医師も看護師も、患者に対して上から目線をとらない姿勢は、この病院がCS(顧客満足度)に取り組んでいるのを物語っていました。



[電子カルテ体制になってからの看護師の作業]

国立病院も、そうした取り組みをしないと存在価値が問われる時代になっているようです。でも、それはいい方向だと思います。ある患者が看護婦さんに向かって、「あんたたちの仕事はサービス業だ!」と、僕の前で失礼なことを言っていましたが、確かにそうした一面はありますが、そうであるとしても、それは人として最善のサービス業といえるでしょう。

婦長さんとの会話の中で「婦長の帽子も無くなったのですよ」といわれた時、改めて、そういえば看護婦さんも全員、帽子を着用していないので、患者に対するそうした医療従事者との壁を取り払った試みには合点がいきました。

医師もとてもよく病室に来て重症度に応じて頻繁に丁寧に見てくださっていました。僕の担当医の井口先生は、あまり喋らないのですが、パッと来て、「大藪さんどうですか?」とスパッと登場するのですが、なんだか、幕末の勤皇の志士みたいで、侍着と日本刀を持たせたらとても似合う先生でした。

下腹の切開部も八センチ程度でしたが、どうしたことか、ちょうど皺が寄っているところに沿って切っているのであまり目立ちません。傷口を目立たないようにそうしたのかは聞かずじまいでした。

退院日が近づくと、退院の予定確認がありました。先生が、「抜糸してすぐその日の退院か、それとも、その翌日でもどちらでもどちらでもいいですよ」、と言われました。

それで、「ずっと、ここにいたいのですが・・・仕事も溜まっているので、残念ですけど18日でお願いします」とお願いしました。確かに、病院と自宅ではやはり体に対する負荷が全然違いますので、本当は何もなければもう一日いた方がよかったかもしれません。

退院後は、疲れてまた睡眠リズムが狂って、幾度寝ても眠たい毎日が続きました。そうした中で、やっとドストエフスキーの罪と罰の本を読み終えました。これについては、今月中に書評(書物からの回帰)に投稿する予定です。



[退院後に見た我が家の前公園の鶏頭の花]

退院して変わったといえば、私の場合は消化器系統の病気ではなかったですが、今後あと五十九年間しか生きれないので飲食生活態度を変えることにしました。酒は三日に一度、食事は腹八分目ということで、今までの毎日の飲酒と腹十二部目の大食を止めることにしました。どうせ生きるなら元気でいないと意味が無い!



[退院後に見た我が家の前公園の生気を感じる花]

何故かと言うと、入院時の同室の患者さんを見て反面教師になったのです。

でも、いつまでそれが続けられるか?疑問ですね。(笑)

さて、最後に、私の担当の医師も婦長(師長)さんも、ここでは実名で記載しました。すでに病院のHPや掲示板にも顔写真と共に氏名も公表されていますし、公人でもありますので・・・そして、特に誹謗する内容でもないのでそうしました。(笑)

あらためて、東医療センターの外科40名以上のスタッフの皆様には大変お世話になったことをこの場を借りてお礼申し上げます。

ありがとうございました。

by 大 藪 光 政
















光陽台1区、2区、3区で初の運動会!

2010年10月31日 | Weblog


光陽台公民館の管理人で役員も兼ねているUさんから、「光陽台の運動会をしたら楽しいでしょうね!」という話が、随分前にあった。



そのときは、またか?と驚いた。Uさんは、秋の芸術作品の展示は、「静」だから、「動」の文化祭があってもいいと考えて、今年の五月に発表会なるものを企画された。

これは、大成功であった。詩吟、コーラス、カラオケ、踊り、新体操と、次々に演出される内容に区内の皆さんとても満足して賑わいました。

そして、今度は運動会です。



前回は、そうした活動サークルの母体がありますが、運動会は不特定対象となりますから、とても動員が難しいのでは?と思いました。

それで、動員という問題と競技について色々と大変だとは思いました。



Uさんからは、「大藪さん、何かアイデアがあったら出して!」と言われて、有限実行のUさんだから、相談には乗りましたが、僕も多忙の身ですから、この運動会の実行委員にはなりませんでした。

でも、気が付いたら僕と親しいご近所の方が実行委員として協力しておられたので心強く感じていました。



球入れの道具の籠付き竿立ては、私が尊敬しているシニアクラブの連合会長のS氏。投げる球づくりは私がお母さんと言って尊敬しているEさん。

そして、事細かに体を張って・・・テント張りの手伝いなど色々こなしてくれるKさん。

また、当日、司会やアナウンスを務めた三区の若手ホープのTさんとOさん。



本当に、区の役員でもない方が楽しく手伝ってくれていました。

当日、どんな運動会になるのだろうか?とちょっと心配でしたが、「案ずるより産むが易し」で、とても楽しい運動会になりました。

何よりも、体力がない方でも参加できる競技が多くありましたので、とても参加しやすかったと思います。



また、子供たちのはしゃぎを観ていると、お年寄りも思わず笑みをこぼして声援していました。

今まで、1区、2区、3区内でこんなに楽しく賑わった集いはなかったですね。また、来年も参加を楽しみにしています。



筆者は、グランドゴルフとパン食い競争に出ました。もちろん、グランドゴルフでは、ホールインワン。パン食い競争では一番!でした。



ホールインワンを出したときは、対抗区を越えて1区、2区、みなさんからも祝福されました。お陰で、三区は団体でグランドゴルフは優勝しました。



この運動会で地区の市会議員の方とかその他右代表みたいな方々が開催の挨拶をされていました。しかし、真の立役者がそうした表に出ることなく、陰でじっとこの具現化を実行されたUさん。Uさんに感謝すべきなのに、恐らくご存知の住民の方は少ないでしょう。

by 大藪光政



学校教育のこと・・・

2010年02月11日 | Weblog


昨日、NHKのプロフェッショナルという番組を見ました。

内容は、定時制高校教師と生徒との葛藤をテーマにしたドキュメント番組でした。

この番組は、仕事人としてのプロの流儀を語らせる番組で偶然、見る機会があって、しかも、関心があるテーマでしかみることはありません。

学校教育と、ひと言で言っても様々です。

僕は、そうしたプロの教育者ではありませんが、教育にはとても面白いものがあると気付いているひとりです。

そのせいか、いつの間にか・・・気が付いたら、塾を開いていました。

それで収入は得ていませんから、プロではなくアマチュアですね。

この番組では、とても考えさせられる一面がありましたので、それが、今でも頭から離れません。

ここで取材された英語を担当している女性教師の取り組みにはすっかり感動してしまいました。

ひと昔の定時制高校は、家庭の事情でやむを得ず中学校を卒業後、仕事に就きながらも勉学に励むという時代のイメージしかありませんでした。

でも、現在はかなり違っているようです。

日本の経済が隆盛を極めた頃から生活が豊かになり、誰しもが高校や大学に進学するのが普通になった時点から、定時制高校は廃止されていったと記憶していましたが、まだ、公立高校でも残っているのですね。

そして、その役目も今回のテレビ番組で知ったように随分と変わってきたような気がします。

普通高校においては、特に、大学の進学を前提として授業を進めていますから、その教育といえば知識の切り売りみたいなものです。

それを、マスター仕切らなければ落ちこぼれていく・・・そうした生徒に対して学校で一応面倒をみることをやっている学校もあるということも初めて知りました。

しかし、それがうまくいくことは少ないのが実情で、どうしても見捨てられているのが現状のようです。

この教師はその個別指導する担当になり、落ちこぼれた生徒に対し、一生懸命に授業についていけるように努力されて、生徒がようやくそのレベルに達したのですが、クラスに復帰後、その生徒はそのクラスの空気に馴染めなくてついには学校をやめてしまう。

そこで、この先生は、自分が一生懸命にやってきたことの反省というよりも分析を徹底的におこなう。ここが、普通の教師と違うところでしょう。

普通であれば、「人が一生懸命に教えてやったのになんて生徒だ!けしからん!」と怒るところですが、この先生は、この失敗に対し徹底的に何が欠けていたのか?という疑問を抱きつつ教師を辞めずに、今度は定時制高校に赴任したのです。

そこで、教育者としての大切な姿勢を大発見することになったきっかけは、社会や家庭から疎外された生徒と真剣に正面から接し彼らが何を求めているのか?を知ることが出来たからのようです。

つまり、生徒から教育の本質を見出させてもらったと言っても過言ではないでしょう。

もちろん、常に、考えて考える姿勢で教師として真摯に仕事に取り組んでいるからそれが発見出来たのでしょう。

生徒の心をきちんとキャッチできる教師は、やはり、プロとして大切なことだと思います。

ところで、僕に考えさせられる一面があったと最初に述べたのは次のことです。

昨年開校した無量育成塾は、学校の成績良し悪しに関わらず、勉学したいという向上心ある塾生に対して学費を不要とした取り組みでした。

親子面接で採用した塾生を指導して一年近くになりますが、中には親が教育熱心?のあまり、本人にとっては勉強したくない子もいたのです。

大抵は本人の意欲を確認して撥ねたのですが中にはそういう子もいました。

それで、そういう勉強が嫌いな子は大抵落ち着きが無く、塾の勉強する雰囲気まで壊します。

つまり、そういう子は家庭での躾けの問題でもあるのです。

週に一回だけの指導で、そうしたところまで手を掛けるとなると他の塾生の面倒が見られなくなります。そこで、困ったわけです。

そういう問題ある子は、直接、塾から締め出せば良いのですが、そんなことをしたらその子の心に傷がつきます。大人ならいざ知らず、まだ子供ですから。

そこで思い付いたのが、一旦、全員、一年で終業にしてしまうという方法です。

新学期の四月からは、どっちみち、福津市の広報で三月に募集が掛かりますから、新規塾生を迎えるに当たって生徒数もそれだと少なく抑えられます。

幅広く誰にでもそうした機会を与えられることも考えていましたから丁度良いというわけです。

そして、どうしても本人の意思でまだこの塾で学びたいという塾生は、もう一度、面接を受けてもらうということにしました。

そんなことを決めていた矢先に、この番組を見て「あ〜あ、こうして問題児を教育するのも立派な教育だなあ〜」と、思わずにはいられず、排除するのは、教育する者として如何なものか?と考えさせられました。

確かに、そうした問題児の子供たちは、捨てがたいとても良いものを持っているのはわかっています。

ところが、個人でしかも本業としてではなくやっているところに制約というものがありますから、意欲ある塾生に対してだけ絞らざるを得ないのです。

でも、意外と蓋を開いてみると、現在の塾生のうち出来の良い子は再応募しなくて、出来の悪い子だけが又、応募してきたりして?(笑)

まあ、僕は、「来るものは阻まず、去るものは追わず」の精神で本業も含めて今まで何事も取組んでいましたから、出来の悪い子が来たいと言えば断るすべもありません。

「出来の悪い子ほど、可愛い」という格言は真だと思います。

そういえば、あの女先生は、目が輝いていましたねえ〜生き生きしていました。

by 大藪光政





高千穂の旅

2009年07月05日 | Weblog


[高千穂峡 国見ヶ丘からの雲海を展望]

シニア連合クラブで、宮崎の高千穂峡へ五月に行って来た。七月に入って、そのことをふと思い出し、少し書き記して置く気になった。 シニア連合クラブでの旅行は、今年で二回目である。

前回は、自分の区の人しかわからず、他の区の人との会話も少なかった。 昨今、我が地区では、こうしたシニアクラブへの入会者は激減する方向にある。

その原因がどこにあるのか、突き止めたことはないが、恐らく、こうした、団体への加入をわずらわしく感じている人、まだ、わしは、老人ではないと思っている人、身体に自信がなくて参加できない人などが主流である。



[阿蘇の草千里]

高千穂峡までの道中は、阿蘇の外輪山周辺を観光して周り、ミルク牧場にて昼食をとった。平日だったので観光客は少なく、それと、近隣の韓国の観光客もかなり減っているみたいで、ひつじ君もひとやすみしていた。昼食の時、生ビールを飲んだのだが、その後、トンネルを利用した酒造に行って試飲をして、まあ、飲み食いの道中だった。



[ミルク牧場の疲れたひつじ君]





旅館には、五時頃着いたのであるが、夜神楽を見学することになっていたので、宴会が、早く始まることになり入浴もバタバタであった。また、余り飲みすぎることも出来ない。そう考えると腰が据わらず落ち着かないものだった。

期待の夜神楽は、思ったより、簡素化した感じがした。見学者は、他の観光客も来て、六、七十名程度でしたか?後で知ったのですが、この夜神楽も、色々バージョンがあるようで、我々観光客が見たのは、ほんの一部だったようだ。

昔は、ちょっとエロいところもあったとのことです。観光客が増えてから子供も見に来るので、そうしたところの配慮?からか、そうした場面は無くしたようです。

地方の楽しみでもある神楽は、もともと本当は、大人の楽しみであったに違いない。今日では、性教育を小学校の先生に押し付けているのに、どうして、こんな民芸としての伝統に関してはこれを隠してしまうのか?ちょっと疑問である。



[高千穂の夜神楽]

早朝に、起床すると、わずかだが小雨が降っていた。昨日まで、天気が良かったのに何故?といった感じであった。後で分かったのだが、福岡県は雨は降っていなかった。どうも、山間部のにわか雨であった。



[天岩戸神社]

朝の第一の観光は、天岩戸神社であったが、ここで思わぬハプニングがあった。バスが、神社前に着いたとき、傘がいるということで、私は、近くのスーパーに駆け込んでいたので、遅れて参拝することになった。

ところが、参拝の神殿に行くと、なんと、同行者の女性の方が石段で足を滑らせてしまい、骨折してしまったのである。神さまの前で怪我をするなんて・・・あまり、御利益がないなあ〜とため息を皆が吐いていた。

会長は、その御婦人と一緒に救急車に乗り込んで行った。元会長もわしも行くと云ったが、救急隊員から、「二人も行く・・・その必要はありますか?」と言われてしまった。傍で聞いていて、それもそうだなとは思った。

事故の後は、何だかすっきりしないものがあった。せっかくの愉しい旅行も、怪我をされた方を含めて、誰にとっても腰を折られた気分であった。



[高千穂峡の渓谷入り口にて]

高千穂峡の渓谷入り口に辿り着くと、気分が少し落ち着いた。鬱蒼とした緑の木の葉にすっかり包まれてしまった。この感じは、妙に落ち着くものだ。



[どくだみの花]

渓谷への小道を歩いていくと、誰かが、どくだみの花が咲いているといったので、早速、カメラに収めた。ひっそりと、名前に似合わず可憐な白い花である。渓谷の小道にひっそりと咲いているその姿を愛おしく感じるのは、控えめな目立たない女性のような存在に思えるからかもしれない。

歩く途中で、もうひとつ八重桜の花びらみたいな可愛い花を見つけたが名前は分からない。



[高千穂峡の道中のピンクの花]

高千穂峡は、秋に二度程来た事があるが、五月頃は初めてで、すっかり雰囲気が違っていた。



国見ヶ丘からの展望は、流石に雲海が見られるところだけあって、見晴らしのいいところである。天岩戸神社で怪我をされたご婦人と会長さんは、病院からタクシーでお昼の食事場所で合流することが出来た。皆さん、色々と心配されたり、その後、車椅子を借りたりして、一緒に帰ることができました。

磨かれた御影石の石段も、雨の降り始めは滑るので注意が必要みたいですね。




[国見ヶ丘に建つ瓊々杵尊(ニニギノミコト)の石像]

旅行の帰りは、早いもので通潤橋に立ち寄ってからは、あっという間である。



[通潤橋]

ここには、イベントに棕櫚の皮で作られた大きなフィギュアが置かれてあった。よく出来ているなあと感心する。



団体旅行は、観光会社がお土産店に案内するので、立ち寄りが多くて駆け足で旅行している気分ですね。

シニアの団体は、仕事をリタイアされた方ばかりであるから、道中、仕事の話はあまりしない、しても、『昔は』が付く。男性の皆さん、お元気な方ばかりである。

また、逆に元気でいないと、こうした旅行すらついて来れない。各界で、重責を果たされた方々には、立派な肩書きも付いていたはずですが・・・すでに、そうしたレッテル無しでの裸の人生を歩まれている。人間そのような立場になったとき、その人の持ち味が生きてくる。『みずから』から、『おのずから』の人生へとシフトしていく。そうしたところをしっかり傍観させて頂いている。

有識者で且つ、近所の付き合いが良い方々がシニアの会におられるが、近年、有識者で、近所の付き合いをしたくない方が増えているようでは、その有識も宝の持ち腐れみたいにならないだろうか?

by 大藪光政



竹田の旅その2 ・・・ 岡城址、原尻の滝へ

2009年05月02日 | Weblog

旅館の部屋で目が覚めた時、時計は午前二時を過ぎたところでした。
まだ、起きるには早い時間ということでトイレに行ってまた寝ました。
次に起きた時は、時計の針が五時を過ぎたところでした。



そこで、入浴の身支度をして階下に降りて行きました。廊下は“しん”としています。お風呂は案の定、誰もいません。つまり、貸し切りですね。お湯の温度も頃合い良く気持ちのいいものでした。




寝床から起きた時に、昨日のワインを少し飲みすぎたと『胃腸君』が申しておりましたので、お風呂場の入り口にあった当地の硬質泉水をガブガブ飲んだところ、非常に、お後がよろしかったようです。

結局、朝風呂はその後六時過ぎに家内が起きた時にもう一回入浴しました。もちろん夫婦仲が悪いので混浴ではありません。(笑)

その時は、他の男性の宿泊客と一緒でした。最初は、お互い黙っていたのですが、私の方から声を掛けました。その方は呉から来られたという方でした。浴槽の中では、いろいろと土地柄の話をしました。

朝食も、川岸の丸山公園に咲いている桜を眺めながら摂りました。一杯だけでいいからビールが欲しいところでしたが、車の運転があるのでコンプライアンス上駄目ですね。息子に、早く、融資して車の免許を取らせるべきだったと思うのは、いつものこんな時だけです。



大丸旅館には、春祭りなのかお御輿が玄関内に入ってきました。宿のおかみさんがうれしそうな笑顔で応対していましたので、私も子供が大好きなので写真を撮ってあげました。



私たちの朝食は朝の八時だったのですが、外の公園ではすでに地元の方が集まって清掃活動を始められていました。お年寄りから若い方もおられます。後で、参加されている若い奥さんに、一番のお年寄りは何歳かを、お聞きしたら、丁寧にも一番お年寄りと思われるおばあちゃんのところに駆け寄って「おばあちゃんより上の人いる?」と聞いてくれました。

その結果、そのおばあちゃんが最高齢でした。94歳だったのです。とてもお元気でした。こうした奉仕活動に参加できるほどご健康なのですね。



食事が終わると、チェックアウトしてすぐ道路向かいの茶房「川端家」でコーヒータイムをとりました。なかなか、静かでよいところです。川端康成が大丸旅館に宿泊したのを記念して名付けられたようです。この茶房の経営は、大丸旅館のオーナーです。ご主人は、竹田市の市長に立候補して四月に当選を果たされました。

後で、市長となった大丸旅館の主人は、先程、村の清掃活動が終わった頃に一升瓶をもって立っていました。なかなか、中年の好男子だったですよ。選挙を頑張るよう声掛けしてあげようかなとも思いましたが、思い留まりました。余計なことですね。(笑)


<車は、まっすぐ岡城址に向かって走りましたが、ほぼ道を間違えることなく往くことができました。着いてみると岡城址の入場に料金がいるようになっていました。ここは、私の大学時代に卒研仲間と旅行で立ち寄ったところのひとつです。



結構、久住連峰の見晴らしが良くてとても気に入った場所です。それに、滝廉太郎の『荒城の月』でも有名なところですから、まあ、ロマンチックなところです。



入場料を取られても、別に特別なゲートや監視委員もいませんのでお金を払わないでも素通りできる雰囲気です。ですから、九重大吊橋より周りの雰囲気はいいですね。



ショルティは入場料を取られずに済みました。また、ペットの入場禁止もされていませんでしたので飼い主は、ちゃんとマナーを守って見物すべきですね。



城跡に入って気付いたのですが、かなり発掘復旧作業が行われていて史跡の整備が行き届いていて展望する場所が幾つにも渡っていたので驚きました。これだけの整備にはやはり、竹田市もかなり予算がいるだろうと察します。



その為の入場料なら致し方ないと思います。その入場券が、なんと絵巻物ですから驚きました。岡城址から観た展望絵巻物です。この巻物だけでもお金が入場料ぐらい掛かると思ってしまうぐらいです。



家族者全員に一本ずつもらったので、なんだかもったいない気もしました。お天気もよく、満開の桜で感激のシーンがあちこちにありました。少し大きめの鳥が桜の木に飛んできて桜を食べている風景も大変風流でのどかだったですね。



岡城址をくまなく散策してから『原尻の滝』に駒を進めました。これも、問題なくすぐにわかって辿り着きました。まったく『原尻の滝』の予備知識がなかったので、もっと山奥にあるのかなと思っていたら、意外にも平地だったので驚きました。



滝は、丁度、川が火山活動か何かで、ズレ落ちた感じで、川の片側が陥落した感じがします。平地なのでそう感じるのでしょう。この付近は、チューリップ畑が観光として作られていてチューリップも桜も満開でなかなか美しい景観でした。



画一的なチューリップ畑は遠くから見ると、とても美しいものがありますが、畑の傍まで来ると何故か一本のチューリップに魅力を感じません。それは、あまりにも多くのチューリップの中で、その一本が没個性になるからでしょうか?


今年の四月に、私が開校した『無量育成塾』(学費免除の塾)での塾生面接入試における子供たちは何故か図工とか美術などが得意だけど他の学科に弱点があり、親として心配して入塾を希望しています。


絵が描けることはとても素晴らしいことなのに、算数や数学などが出来ないことで、学校の落ちこぼれになるのは合点がいきません。どうも、画一的な教育にも問題がありそうです。



学年を揃えて効率よく学習させることは、多くの少年少女を抱える学校ではやむ得ないことですが、その反面、人間としての教育の本質からはずれるところがあります。やはり、きれいに並んだチューリップのように、近くで見ると「なあ〜んだ」と思うことにならないようひとりひとりを大切に育てていくことが肝心だと、チューリップを見ながら考えました。



さて、この原尻の滝がある川には幅の狭い吊橋があり、走って渡るとかなり揺れるので楽しかったです。(吊橋は揺れるから吊橋らしさがあると思うのですが、九重大吊橋は、あまり揺れないと聞いています) 我が家族集団は、吊橋の入り口付近でちょっと渡り掛けはしたもののそれだけで渡って来ようとしません。どうも本格的な重度の高所恐怖症です。(笑)ショルティは、私と一緒に喜んで渡りました。



吊橋から観た滝の眺めは最高でした。「吊橋の真ん中までくればいいのに・・・」と家族のことを思いましたが・・・吊橋のど真ん中から眺める滝の展望は絶景かつ雄大で見ないのはもったいない!

ただ、残念だったのがそこでのお食事ですが、長湯温泉と違って観光客がわんさかと多数の人が押し寄せてきているせいか?売り手市場のせいで客への応対がとても横柄でした。私が入ったところだけがそうだつたのかもしれませんが。

お客さんが多いからと胡坐を掻いていると、そのうち、見物は『原尻の滝』そしてお食事は、別のところでということになりかねないですね。



家路は、ナビでまったく違ったコースを選んで帰りました。帰宅時間が早かったので、道中をもっと楽しみながら帰ろうと思い山道を駆け巡って我が家に向けて車を走らせましたが、車中は後ろで悪妻とその娘が、ぐっすりとおやすみです。



助手席の莫迦息子が気遣ってか、眠り防止のガムとか、途中で目の覚めるような苦いコーヒーを私に提供してくれました。私も流石に疲れて睡魔に襲われ掛かっていたのです。今回の旅は、宿泊も、見物もそして、ドライブコースも大満足でした。

ショルティも、毎度の長距離旅行にはすっかり慣れていますが、今年の春で11歳ですから、人間の齢では60歳ぐらい、だからちょっぴりお疲れだったかもしれません。そのうち、同行できない日が来るかもしれませんね。



でも、出かける前に車のタイヤをミシュランからブリヂストンにしたので、とてもクッションが良かったと思います。息子は、気持ちが悪いといってタイヤは硬い方が良いと云っていましたが、これは慣れと好みがあるかと思います。

帰り着いてからは、家族で打上パーティーをしたのはいうまでもありませんがいつも思うに、我が家に辿り着いたときの気分というものが、特に楽しかった時は何故か少し切ないものがあります。



by 大藪光政

竹田の旅その1 ・・・ 直入の長湯温泉

2009年04月23日 | Weblog
区の総会が終わって、区長としての大きな仕事が完結したところで、翌日朝一番に、家族で大分県の竹田へと一泊二日の旅行をしました。目的地は、長湯の炭酸温泉と、原尻の滝、岡城址です。

もちろん、車の運転は私ひとりです。息子は四月から大学院に入るのですが、未だ免許をもっていません。それというのも、親である私が融資しないからです。一応、今年の五月ごろには、融資しますから自動車教習所には通えるでしょう。

<高速ドライブインにてショルティの休憩中>



平日の旅行ですから、例の千円高速というわけにはいきません。九州縦貫道は、九重インターで降りました。

日本一のつり橋を見るために九重インターで降りたのですが、着いてからは家族の誰もがこの橋を渡る意志がないということだったので、私ひとりが「どうしょうか?」と迷ってしまいました。

渡る料金が500円と、表示されており、不正侵入が出来ないよう厳重なバリケードみたいな囲いが橋の入り口に出来ていました。

それをみると、なんだかお金を取る為につり橋を作ったみたいで・・・そんな観光目的だけで作った橋を渡るのもなんだかバカバカしくなって結局渡らずじまいになってしまいました。

<九重大吊橋>



我が家族は、皆、高所恐怖症なので渡りたくないという気持ちが強いのですが、それにも増して、商業主義を嫌いますのでそんな結果になってしまったのです。よくみるとバリケードのような入り口に囲いのある橋は、そんなに美しいとは思えませんでした。

『イソップの狐と葡萄のお話ではないですが・・・負け惜しみではありません』

そこで、仕方なく直入の長湯温泉へと・・・山道を辿って往く事になりました。道中、我が家では、いつも道先案内でナビと道路標識と家族の言い分で車の方向が定まらず、いつももめながら喧嘩しながら車を走らせています。
(だから家族旅行は、楽しい!)

九重の大吊橋を出発したところから、すぐ、ナビの方向と私の方向感覚とがぶつかって、家族で早くも意見が割れました。(まだ、旅行が始まったばかりなのに、先が思いやられました。)

ナビもいい加減なところがありますから、鵜呑みには出来ません。ナビに従わないと、やはりナビが正しくて道を元に戻ることになり、ナビに従うと・・・旧道を走らされて遠回りになったりします。

<長湯からの眺め>



途中、『長湯温泉はこちら』という大きな案内板がありましたが、ナビにはその道が記されていません。それで、ナビの指示する道を選びましたが、なんだか山奥の谷間に沿って降りたり登ったりの狭い道を探検している感じです。

そのうち、長湯ダムの湖畔に沿って車は走り出しました。まあ、道は間違いなく長湯へとは続いていましたから、間違いではなかったわけです。あの看板通り大きい道を直進していれば、恐らく新道で近道だったと思います。

<芹川のながれ>



お陰で、ダム見物も出来たし、道中、ぐるぐる廻って結構自然を満喫したのでよかったと家族全員満足していました。なんでも、近道がよいとは限らないですね。

時間的には、お昼頃に着きましたので、道の駅の観光案内で色々と食事の場所やスポーツが出来るところの案内も聞き出しました。

<天風庵にて昼食>



宿泊先の大丸旅館もすぐわかったので、お昼は旅館の近くにある天風庵というところでしましたが、ここの料理はとてもおいしくて、ボリュームたっぷりで料金もまあまあで納得でよかったですね。

<大丸旅館からの展望>



お食事がすんだところで、息子と娘が早くスポーツをしたいと言うので、直入の公民館へ行きました。ここには、運動場から野球場、テニスコートとあり、広々としています。最初は、バトミントンを屋内でするつもりでしたが、羽根がボロボロということで、色々聞いているとテニスも道具が一式貸してもらえるということで、1時間200円で楽しめることになりました。

<直入のテニスコートで楽しむ>



平日だったのか、誰一人いない敷地内で、二人は結構いい汗をかいたようです。悪妻は、テニスコート内のベンチで二人を観戦していましたが、私はショルティと一緒に、運動公園付近を散策しました。とてもきれいに整備された公園です。ちょうど桜が満開で、散策の後は桜の木下で仮眠しました。

<公園で桜木の下でくつろぐショルティ>



汗をかいた二人はすっかり満足した顔でしたので、親としては若い世代との同行旅行での『顧客満足度』として、得点が上がったなと思いました。

早速、大丸旅館にチェックインして、外湯のラムネ温泉とやらに入りに往きました。ラムネ温泉は湯の温度が低く32度程度でしたので、まだ肌寒い季節においては、少し辛いところがあります。しかし、サウナがあったのでなんとかなりました。確かに、体中に炭酸の気泡が一杯ついて面白かったですね。

<ラムネ温泉へ行く途中の橋から>



旅館での夕食は、和室での高テーブルと椅子に腰掛けての食事だったので意外でしたが、部屋からの川越しの公園にある桜を一面に見ながらのお食事だったのでとても見晴らしがよく素敵でした。

<夕食時の部屋からの眺め>



メニューは、いのししの生姜焼き、山女のから揚げなどと郷土料理づくしで、とても個性的なメニューで感動しました。ビールで乾杯してから後、仲居さんから「ワインの差し入れがあります。」との知らせがありました。

それは、テニスを申し込んだ先の公民館で、職員の方の次男さんが同区に住んでいるということが話の中でわかり、区長としてその次男さんを野球活動で知っていましたので驚いて話が弾んでいたことがあり、その職員であるお母様からの差し入れでした。

<夕餉のひととき>



早速、旅館の親切な計らいで、ワインをその場で頂くことになり、お食事においしさが増したことはいうまでもありません。お酒など口にしたこともない娘も初めて、ちょっぴりワインを口にしました。

ワインは、私と悪妻と息子で一本軽く空けてしまいました。お陰で寝る前の入浴はせず、悪妻はワインに討ち果たされ、寝てしまいました。元気なのは残りの家族です。

娘がトランプを持ってきていたので、三人で久し振りに遊びました。そして、その次に寝てしまったのがこの私です。子供たちは、親二人のおかしな寝姿をデジカメで撮って遊んでいたようです。

<大丸旅館にある与謝野鉄幹、晶子夫妻の記念石碑>



大丸旅館は、老舗で、与謝野鉄幹、晶子夫妻や川端康成など文人が泊まってくつろいだ由緒ある旅館です。早朝の朝風呂は、誰もいない露天風呂から川越しの桜を眺めながらゆったりした気分で入っていました。(早朝だと、光の波長の関係で桜が真っ白に見えます。)「露天風呂、湯煙の中、桜見を」と、つまらぬ一句を詠って満喫しました。

<露天風呂から眺めた丸山公園と天満神社>




by 大藪光政








晩秋の雷鳴で驚くショルティー・・・

2008年11月28日 | Weblog
晩秋に、昨日から雨が降ったり、雷が鳴ったりでショルティーを驚かせています。
散歩の途中で、西の空が真っ暗になってごろごろ鳴り出すと、ショルちゃんは、必死になって、公園から自宅の東方向へとロープを強く引きます。

僕も、感電死はごめんだから、急ぎ足となります。その急ぎ足が踏む小道には、落ち葉が一杯になっていました。上を見上げると、なんと、樹木が刈り取られた羊の身体みたいに、丸裸になっていました。

桜の木の葉は、早くから落ちていたけど、つい最近まで紅葉して残っていた広葉樹の木の葉が散ってしまっています。風は冷たく、冬の前触れを郵送してきます。

先日の萩、長門の旅行が過去のように過ぎ去っていくのを、風に吹かれた木の葉の秒速で知りました。残されたのは、旅行の思い出を焼き付けた印画紙だけです。

人は、何故かデジカメという科学の粋でつくられたツールで、決定的瞬間でもないのに撮り捲ります。その行為は心理的に、その刹那を失いたくない。持って置きたい。保存しておきたい。あとで楽しみたいという本能が働くのでしょうが、百舌鳥のように、その後、想い出の証拠品は眠らせてしまうでしょう。

でも、不思議なことに、カメラマンはカメラを人に渡さない限り、或いはセルフタイマーを使わない限り、自身を撮る事が少ないですね。つまり、主観である私は除外されるのです。そして、客観の世界ばかりを主に撮りまくるのです。

カメラは主観から客観に向けた視点を映し出すのであって、主観であるカメラを使っている人の姿を撮ることは決してありません。(カメラを持ったまま、自分にカメラを向けて撮ることもできますが、そうした行為はほとんどしないでしょう。)その主観が客観の世界ばかりを撮った写真には、主観の思惑が反映されていることは、事実です。

主観による描写として、対象物の選定、構図、遠近感・・・とカメラ技術の経験的度合いによって、映し出された描写はさまざまです。だから、写真を芸術として捉えている人もいます。主観をもとに撮った客観的世界には、主観的世界が盛り込まれているということになります。それが、芸術としての地位を得ている証拠というのでしょう。

しかし、科学技術の粋でつくられたツールで芸術を創るということを認めたくない人もいますね。科学と芸術分野の棲み分けも難しい。絵の具や、絵筆にしても昨今は、科学技術を基にした加工技術のもとで製造されている。

発光ダイオードが生まれた間もない頃、それを電子部品として手にした私は、これらを使ってオブジェを創ると芸術としてみとめられるのかなあ〜と昔、思ったことがあります。今では、現代芸術としてやられていることですが、その当時は誰もやっていませんでした。もし、私がやっていたら先駆者でしょう。でも、したくなかった。レトロなものの方が、こころがほっとするからです。

話をもどすと、主観的に捉えた客観的世界の証拠写真を第三者が観て、「これは素晴らしい写真作品だ!」と言った時、それは、写真を観た人の主観的観察でもってその『主観の入った客観的写真』に感動するのですね。写真を観た人にとって、その写真は客観的物質ですが、主観と客観がブレンドされたものを感じ取るわけですね。それは、その人の視覚と、経験的価値でもってさらにイメージを膨らませているということになります。

世界は、主観と客観が融合したものをさらに、主観と客観の入れ子状態を繰り返すことで生成されている・・・とも思えます。

by 大藪光政

ひまわりの生命力・・・・

2008年08月31日 | Weblog
                

小公園に花を植える・・・ということを、区の美化運動で行いました。それで『ひまわりの種』を蒔きましたが、その結果はとても面白い内容となりました。

それは、各組によって、種を蒔いた場所、そして水を適時にやっているところ、肥料もやっているところ、何もしないところと、組によってまちまちですが、それに対応するかのように、ひまわりの育ち方が、それぞれ違ってきました。

これは、子育てと同じで、やはり手を掛けたひまわりほど生長は良いようです。しかし、植えた環境が、たとえば日当たりの悪いところに植えると、いくら肥料や水をやっても、なかなかうまく育ちません。

これは、孟子が言ったように、子供がよく育つ環境に何度も引越しをするべきだというのと、同じことですね。邪悪な場所で育てるとその環境が当たり前になりますから。

               

これらをまとめてみますと、植物も動物も、まず環境に左右され、次に如何に手を掛けて育てることが大切かを学ぶことができました。こうしたことは、本で読んでわかっていることなのですが、実際にひまわりを植えて育ててみることで、経験値としてかなりインパクトがあります。

知識とは、経験から再認識されることでより確かなものになるということは、どうも本当のようです。

さて、つぎに発見したことは、「物を見るという行為は、経験を通して見ているということである。」ということに気付きました。

これは、たとえば有名な公園で美しい花の群生を見たとします。その時、本当に誰が見てもきれいであれば、その全体的な美しさにまず感激するでしょう。

そして目が花の一輪、一輪に届きますと、その中でさらに美しい最高の花へと目が移動していくでしょう。それは、一般的な鑑賞者にとっては当たり前なことです。

そこで、花を見るという行動意識の中には、実は鑑賞者の経験によるものを通して一つ一つの花を見ているので、花に対する主観は人によって、まったくまちまちなのです。

私の地区が植えた小公園のひまわりは、まったく外部の人々にとっては、「なんだ、手入れの悪いひまわりだな・・・」と、思って、美しくもなんともないと感じで、素通りするでしょう。

でも、今年の夏みたいに、日照りが激しくて、それなりに、手を掛けたけど、葉っぱは、枯れ、やっとひまわりの花だけがなんとか咲いている・・・そんな状況でも、咲いてくれればいとおしく思うし、不思議と美しいと感じるのです。

そして、私の場合は、区全体の活動を推進した責任者ですから、毎朝、毎晩、ひまわりの生育を我が家族のように見守ってきました。すると、公園のひまわりは、すべて・・・発育状況から、開花・・・といった内容が頭の中に入ってしまっていて、名前こそ付けませんが、一輪一輪が、大家族として、わが子のように認識してしまっているのです。

すると、どんなに惨めな姿になったひまわりでも、花が咲くと、とても美しく感じてしまうのです。その感動は、惨めな姿であればあるほど強いものとなります。「誰も水や肥料もやっていないのに、よくここまで頑張ったね!」と感激してしまいます。これは、どういうことでしょう。これが、自分とは無縁の公園で咲いたひまわりだったら、目も向けないに決まっています。

          

つまり、人は己の経験に基づいて、物事を見ていることに他ならないのです。その経験が浅ければ、物を観察する力も弱いものとなるでしょう。そうしたことを小公園で育つたひまわりたちは、私に教えてくれたのです。

もうひとつわかったことは、ひまわりは、どんなに悪環境下であっても、たとえその成長が阻害されても、完全に枯れてしまわない限り、花を咲かせる力をもっているということがわかりました。

小公園のひまわりは、今年の夏の厳しい環境の中、すべて花を次々に開花させていっています。日の当たりの悪いひまわりですら、着実につぼみを膨らませて、九月の開花をめざしています。

ひまわりは、とても強いのですね。

人間もひまわりのように生きることが大切でしょう。

おかげで、ひまわりから、ひとつの哲学を学びました。

by 大藪光政 
 

ツバメが困った日・・・

2008年06月10日 | Weblog
近くに『ふれあい市場』という農産物のお店があります。最近、そこで夏みかんがスーパーより安くておいしいので、今日も悪妻が行こうといったので車にて立ち寄りました。

店内に入ると当然のように、重い夏みかんを二袋(全部で10個)持たされて仁王立ちしていました。そして店内をボォーッと見ていたら、店内にツバメがいるのに気付きました。

「むむっ!・・・こんな食べ物を売っているところにツバメが巣を作っているのか?食品衛生上・・・問題だなあ〜。」と思って眺めていましたら、巣が何処にも見当たりません。

それにしても、あっちにいったり、こっちにいったりして、落ち着きがありません。そこで、ハタと気付きました。

外から入ってきたけど、外に出ることができなくなっているのだと。

原因はすぐにわかりました。それは、まず天井が高く、そしてドア側の正面はすべて、上の方までガラス張りです。建築設計上外の明かりを取り込むような省エネ設計がなされているのです。それは、入ってきたツバメにとって室内からは外が丸見えなのに、出ようにも出られない・・・出口がどこかわからない・・・そんな状況になってパニックになってしまっているのです。

鳥は、目がいいと言われますが、昔、かすみ網などで、乱獲されたことがあるくらいで、透明性のものに対しては、とても弱いのです。

店内の係員も、困った顔をされていました。それと言うのも明日はお店がお休みで、あと20分したら閉じなければいけないからです。

このままだと、大変困ったことになるのです。店は閉めたいけど、ツバメを死なせるわけにはいきません。ツバメは神のお使いですから。

そこで、私の出番です。今まで何羽の野鳥を保護して救ったことでしょう。プロは、しばらく、ツバメ君の動きをじっと観察します。もちろん、お買い物の悪妻のお付き合いは中止です。

必死になって、出口を探し回るツバメ!天井が高いので、下の玄関がわかりません。どこを見てもツバメにとっては外が見えるので出られそうに見えるのだけども、出られない・・・。自分の人生にもこんなシーンがあったっけ。そう思うと同情したくなります。

そうしている内に、左隅の窓近くに行って、窓に向かって羽を広げてバタバタとさせて、もがき始めました。

「いまだ!」と思って、すっと近づいて、さっと両手で取り押さえました。私の背の高さでやっとですから・・・なんとかセーフです。

いつも、夏になると木に止まっている蝉を片手で捕まえてショルティ(愛犬)に見せては逃がしてやりますが、小鳥の場合は、羽を痛めないよう・・・両手でそっと全体を包むようにして捕まえます。 コツは、気付かれないように近づいて、躊躇せずさっとさらうことです。

ツバメは、久し振りに助けましたが、羽の感触が他の鳥とは違います。ビニールのような感触です。ですからあまり気持ちの良いものではありません。

もともと、元気そうだったので、ケアをすることなく、すぐに外に出して放ってあげました。すると勢いよく飛んでいきました。

店内の係員は、唖然としていました。そして、「すごいですね・・・でも、大変助かりました・・・どうなるかと思っていました・・・良かったわ!」と、感謝されました。

そして、まだ何も知らない外のレジの係員が、「あのツバメ・・・店のなかに入って出られなくて・・・大変ねえ・・・」と、囁いていましたので、「あのツバメは私が捕まえて、外に逃がしましたよ!」と言ったら、「ええっ!・・・本当ですか?・・・良かったわ!」と云って店員同士が、目を合わせて驚いていました。

悪妻は、本当にあなたは好きね!と云わんばかりにさっさと車に向かいました。
車を運転して帰る途中、ふと『あのツバメ、自分のことをどう思ったのだろう?怖い存在と思ったのか?それとも感謝しているのか・・・でも、鳥はそこまで考えないのでは・・・』などと、勝手な面持ちで、自分は善人だなあ〜と自画自賛!

ツバメの恩返しが楽しみだなあと・・・思う次第です。

by 大藪光政