トンボが留まった!

心のつぶやきをここに記します。

メール:mysweetclover@mail.goo.ne.jp

神経ピリピリ

2010-01-28 18:31:33 | Weblog
3科目10kgの教科書と取っ組み合いしています。

はい、重すぎて困っています。
プラス、コンピューターをリュックで担いで通学となると・・・
でも、流石車付きのバッグは使いたくないです。

なかでも、倫理学[ETHICS]
そのクラス、精神科のカウンセラーやソーシャルウォーカー養成や、
麻薬中毒者社会復帰[経験者が一番仲間を救えるでしょう]、
を兼ねたプログラムのようで、
教授のやり方は、軍隊式、
時間ぴったりに、数秒も狂わず、教室のドアは鍵がかけられ、
トイレにもいけません、出たら最後戻れず、欠席扱いです。
欠席2日目は、クラスの単位が取れません、落第です!!

携帯がなったら、(バイブでも)、取り上げられ、
学部長のところに貰いに行かなければなりません。
授業態度不良の原点を貰います。2回目は、排席です。

すこしでも外れたら[倫理、モラル的に、正義に]、
心の笛を吹けというんで、皆首に笛かけての授業です。
私は、笛を吹くとか、車のクラクションを鳴らすとかは、
生死を掛けるとき意外失礼きわまると感じるので、
笛首にさげるのが気持ち悪くて仕方ないです。
教科書と笛は必ず持参しなければならず、
忘れたら、2回目は、排席です。
神経ピリピリで、凄いストレスを貰っています。

カウンセラーとしての、トレーニングなんだろうけど、
チョッと、度が過ぎていて、
最初から、'私は、カウンセラーにはなりたくない!"と想いました。
必修だし、役に立つ事学ぶだろうとは思うので、頑張りますけど、
意地でね!!


50歳の手習い一年生

2010-01-23 13:23:36 | Weblog
最初、私は、勉強する気は全くありませんでした。

退職後、高年期障害に悩みながら、人生の目的もなく、
ただフラフラと、
空気の抜けた風船のような生活をしていました。
一人、籠って、回想記を書いていました。

その頃、
長女は、大学の研究の仕事をやめ、
人間相手のやりがいのある仕事をしたいと、
あちこちの、病院や、リハビリセンター、などで
ボランティアしながら、自分に合った職業を探しながら、
2つのアルバイトで生計を立てながら、
大学でもいろんな医療保険関係のクラスを取っていました。

そんな彼女が、老人学のクラスに、
'ママも、そんなに家で腐ってばかりいないで、
面白いクラスがあるから、一緒にとってみない?"
と誘ってくれたのです。
(魂が抜けたみたいな母親を見るに忍びなかったのかもしれません。]

娘と一緒に大学で机を並べて学べるなんて、
めったに味わえるもんじゃないですよね。

私は、嬉しくて、飛びつきました。
まるで、小学校1年生になった気分で、
娘に手を引かれキャンパスに向かったのです。
私が、すぐ迷子になるので、随分心配かけました。

私は、とっても、とっても嬉しかったです!!

別に、何を勉強したいと思って、大学に行ったんじゃないんです。

単純に、娘と一緒に教室に座ってみたかっただけなの、初めはね。

おかしいでしょ、笑っちゃうでしょ。

アメリカで、初めての、フォーマルな教育を受けるにあたり、
慣れない手続きや、クラスのとり方、教科書を見つけて買う、
(全てが、タイミングよく要領よくやらないと上手くいかない、)
PCでやるのにてこずって、私が投げやりになると、

"ママ、そんな態度、ママらしくない、
私たちは、ママから、きちんと自分でやるよう躾て貰った。
最初は、皆、なれるまでは大変だけど、
私たちも同じように大変な想いしたの、
でも、大丈夫だから頑張って!"

娘達に、宥められたり、励まされたりしながら、

意地で頑張ることにしました。

その後は、もう、面白くなるばかりです。

人それぞれですが、
私は、突拍子もない事やる運命にあるようです。

よしこうするぞ!ではなく、
気がついたら、やり始めていた、
其処から、世界が広がっていったという感じの・・・

子供と共に成長していく、

2010-01-23 12:42:48 | Weblog



私の主人は、溺愛過保護、
常時子供を安全で居心地の良い湯船に入れて守りたいだけの人です。
世間の厳しさからは僕が守るって、
勝手に理想を描いて、子供の前に並べる人です。

放任主義、泥んこにまみれて転んで、すりむいて、
鼻水たらして[?]突っ走ってきた私の目には、
赤信号ピカピカ!

だから、
躾、社会勉強をさせるのは、私の仕事でした。
娘達という事もあり・・・

子供が直面するであろう社会を先ず、自分の目で確かめる事。

[井戸の中から、外の世界は怖いところだと叫ぶだけでなく、
先ず自分が飛び出して、自分の目で確かめる。
悪いところだけでなく、
特に、いいところを見つけるために、]

幼稚園、小学校から、学校のボランテアとかで
学校の、図書館や、リーディング介助、
郊外学習のドライバーとか、バザーとか、
色々参加しながら、子供たちの世界を遠くから観察しました。

中学になると、もう親は中に入れません。
異常と思える変化を見せる年頃で、豪く心配しました。

その頃、私は社会に出ました。
もう、家事の手伝いは、ホトンドできる年頃ですから、
自分の事は親の手を借りずにやるという風に仕向けました。

まだ甘えたい子供を冷たく突き放した母親かもしれません。
[でも、子供といられない自分が辛くて、よく一人で泣いていました。
移民1世で頼る人もない社会で、
子供3人抱え、主人の身に何かあったら、
一人でも、自立して、子供を育てられる人でなくてはいけない。
子供の学費もかかる事だしというので社会にでました。
でも、
将来の為に、今を犠牲にした自分が許しがたかった!!]

その代わり、
親も、社会に出て、頑張っているという背中をしっかり見せました。

社会に飛び出すというのは生易しいことでは無い、甘えなんて通らない、[主人の気持ちも理解できました]

でも、

しっかり頑張れば、何とか、生きていけるんだ。
信念を徹せば、解る人はわかってくれる。
其処に信頼と、人の輪が広がり、幸せに生きていける。
という事を見せてあげたかった。

毎日、子供たちが起きだす頃もう家を飛び出し、
学校に迎えに行く時間だけが子供と過ごす時間[30分]、
家中が寝静まった頃[ワンコだけが嬉しそうに迎えてくれた。)
帰宅する生活が何年も続きました。

そんな私の身を按じ、
あの、甘えん坊の末っ子が、早起きし、
トーストと、フルーツ、紅茶かコーヒーか解らないようなコーヒー
(飲み終わる頃、コーヒーの粕が口の中に入ってきて、”アアッ、コーヒーだったのかとわかる感じに薄い・・・)を、
”コーヒーはママの身体によくないよ”
と言いながら持って来てくれる。

食べるのを忘れる私への思いやりだった。

今思うと、子供たちに心配させて本当に悪かったと反省しています。

子供たちが、高校生になり、アルバイトができるようになると、私の元で一緒に仕事した。

働き者の真面目な大学生のお兄ちゃん、
お姉ちゃん達に混じって、一生懸命に働いた。

そんな我が子に、私は、容赦なく厳しく仕事を仕込んだ。
自分の子も、よその子も、区別はしない。

子供たちは、凄い社会勉強が出来たと想います。

いい人たちに支えてもらって、本当に幸せな親子です。

家で、”お帰りなさい”と迎えて上げれなかったけど、

親たちも頑張っている、
自分達もしっかりしなきゃと、
自覚を持たせる教育だったと想います。

仕事場での経験は、家庭外の、大きな、厳しい、
でも、やりがいのある生きる姿勢を見せてやれて、
よかったと思う事にしています。

家では、パパの方針で、

ママとは、外の社会を経験、

子供たちの友達もたくさん連れて来てくれ、一緒に過ごす中で、
子供の世界を見守る事も出来ました。

ある意味で、いいバランスが取れていたと想います。

私がどうのこうのと口を挟まなくても、
年頃の子供たちの心も、親の見解もよく解っている、
大学生のお兄ちゃんやお姉ちゃんが、
親身になって相談に乗ってくれました、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その時期が過ぎ、
子供たちが、社会人としてスタートする時、

子供たちにとって、主人と私の存在は、
少し、大きすぎる山となって、
子供たちの前に、大きな威圧感を与えていました。

長女は、パパ大好きで、パパの望む分野に進学し、
インターンシップで、パパの勤める会社で、パパの研究を手伝ったりし、卒業後も大学の研究所に就職していました。

あの2人の会話には、他の娘達も、私もさっぱりついていけません。
自分の研究が解る子供との会話を主人はとても楽しんで、
いつか、自分の研究を継がせたいと夢を走らせてもいたようです。

でも、
流石に、そのプレッシャーには応えられなかった娘は、
ある日、
’パパ、私はどんなに頑張っても、
例え、PHDまでとっても、到底パパには追いつけない器です。
私は、植物や細胞相手ではなく、
人を救える仕事、
自分の器にあった仕事を見つけ頑張ります。”

と言って、仕事を止め、ボランティアの放浪の旅を、
復学しいろんなクラスを取りながら、3年もつづけ、
今やっと、自分の道を見つけ、
その間アルバイトでためた貯金と、学生ローンで、
大学院に戻りました。

2番目は、
大学時代から、サイエンスは自分に合わないと、
パパの意に反するアート・デザインを専攻し、
家も出て自立し、学費以外は自分で稼ぎ、
生活を立ててわが道を歩きました。

3番目は、
夢見る天然娘で、誰もどうこうしようという気はなく、
好きなようにさせました。
おかげで、自分で、色々躓きながら、
一生懸命社会と馴染もうと頑張って、
3人の中でも、一番、真面目な生き方をしていると想います。

社会人1年生の子供たちへのプレッシャーを抑えるためにも、
親の私は、復学し、学生1年生になり、

先輩の娘達にアドバイス貰いながら、
ああ、娘達も、こんな思いで学生時代を頑張っていたんだ
と自覚する事で、あの子達の気持ちを実感!

此処で、頑張る私の姿は、
あの子達が社会人1年生として向き合っている姿と同じ、
お互い、プレッシャー掛けずにに、
励ましあいながら、いい関係を持つ状況を作りました。



そんな我が子を見ながら、
自分達の至らなかった子育てを反省しながら思うのは、

子供には、期待しすぎはよくないこと、

子供に育ててもらえる事を感謝し、
(親は子供に育ててもらいます]

親も新しい事を学びながら、頑張り成長する姿を見せることで、

私も自分のために頑張っているから、あんたも頑張って!
と応援してあげるほうが、

いい関係を保ちながら、
お互い成長できるんじゃなかろうかと思うのです。

(上から子供を監視しながら誘導し、
イライラしながら、怒鳴り散らし、
子供はペットのように言いなりで自発心を失い、
目の上の親を睨んで爆弾を抱えているというのではなく]


決して、巷で言われるエリートコースには乗ってはいませんが、

遠回りでも、スローでも、

自分の好きな事自分で見つけ、やると決め、
責任持って頑張れる、
転んでも立ち上がる、
自分の生活は自分でまかなえる、

そして、

人の気持ち、苦しみも理解でき、
手を差し伸べられる、

健康な子に育ってくれている事に、心から感謝しています。

これも全て、いろんな周りの人たちが支えてくれたからです。

私なんかにはもったいないほどの、神様からの恵み、

やっぱり、私は、頑張らなくちゃ!!と思うのです。

いつか、
誰かの役に立つ人になり、お礼がしたいです!


感謝!


そして、これからも、子ども達と一緒に成長していきたいと想います。
大人になった子供たちに、

彼女らの築く家族の成長を見守り、
あの子たちの”安らぎの故郷”として居座り、
頼もしく老いの道を歩く姿を見せなくてはいけません。

それが、これからの私の役目です。



http://www.youtube.com/watch?v=OsMh1z9xlqM&NR=1


立ち止まって向き合う心、

2010-01-23 12:29:50 | Weblog
立ち止まって向き合う心、


以前、私は、小さなファミリーレストランをしていました。
20年以上もやっている町で一番古い日本レストランでした。
私は、2代目です。

大学時代の青春時代から、卒業、恋愛、結婚、家族の誕生、成長、孫達との時間・・・
常連さんたちの、そんな人生の移り変わりを
共に、見守る経験をさせていただきました。

常連さんたちは、いつも私に様々な人生のドラマを分けてくれました。

帰る前に、いつも、わざわざ立ち寄って
暖簾越しに、台所でバタバタしている私に
声掛けてくれます。
”今日も美味しかったよ、ありがとう!”って、

私も、時間作って、ダイニングの常連さんたちに
声掛けるよう気をかけて、
一緒に家族の成長を喜び合いました。

カウンターには、星野さんの英語版本や、ちひろの画集、心の詩集などを幾つか置いでいました。
訪問日記も。
そして、
葉書やカードを切手と一緒においていました。

各テーブルには、花とキャンドルと共に、メッセージをおきました。

”あわただしい毎日におわれて、
自分と向き合う時間が持てない貴方。
少しだけ、此処で、ゆっくりご自分の心と向きあってあげてください。”

”日頃なかなか想っていても届けられない貴方の想いを、
ここで少しだけ時間を作って、
故郷の家族に貴方の想い伝えてあげてください”

食事を待っている時間、
里の家族や友達に、葉書やカードを書いたり、
本を読んだりしてゆっくり過ごしてもらいました。

あるとき、一人の女性が、
”Dear Mom:お母さんへ”を読みながら、
涙を拭いているのを見かけました。

で、私は余分のナプキンを持って、彼女の元に行き声をかけました。

”大丈夫ですか?”

”遠くからのドライブの途中、
たまたま立ち寄ったまちで、入ったレストランで、
この本を目にし、読んでいる内に母のことを思い出しました。
今日は、母の誕生日だったんです。”

私は、切手を貼ったカードを持って行き、
”お母さんに、一言、書いてみられてはどうですか?
きっと、喜ばれますよ”って声をかけました。

そしたら、彼女がいいました。

”母は、2年前に亡くなりました。”

私は彼女の手を取って、黙って一緒に涙を流しました。

”葉書は出せないけど、
きっと貴方の気持ち天国のお母さんに届いていますよ。”

”ありがとう。
今日此処に来なかったら、
母の誕生日に気付かずに過ごしてしまうところでした。

今、離婚の事で、ゴタゴタしていて、
今日もその事で遠くに行く用事があったのです。

偶然にも、此処にこれて、この本に出合えたのが、不思議です。
ありがとう!”

そういってくれました。

”貴方のお母さんに代わって、
元気の出るものを貴方のために料理しますから、
しっかり食べていってください。”

そういって私は、台所に引っ込みました。

その後彼女に会う事はありませんでしたが、
これも、会うべくしてあった出逢いでした。

お金儲けはしませんでしたが、そんな大切な場所だったんです、
お客様にも、
一緒に働く子達にとっても、
勿論私にとっても、
いろんなことを学ばせてくれたところでした。

アメリカの成人式

2010-01-23 12:17:39 | Weblog
アメリカの成人式

アメリカでは、成人は18歳、飲酒は21歳からです。

高校3年の終わりに、各学校で、シニアプロムという、
フォーマルなディナー/ダンスパーテイが伝統的な成人の儀式です。
女の子は、髪もセットし、お化粧をし、イヴニングドレスを着て、
手首に男の子から貰ったコサージュ(花)をつけ、
男の子は、タキシードを着、胸に女の子から貰った花をつけ、
リムジンの送り迎えで会場に向かいます。

アメリカは、
一般的に、18歳になったら、親の家から追い出されます。

大学に行くにしても、仕事に行くにしても、ほとんどが家を出て、
若い子たちと、ルームメイトでアパートや家を借り、
共同生活をし、お互いのだらしなさに腹立てながら、
自立心、責任、思いやり、人との関わり方を学びます。

そこで、日頃親に言われていた片付けや、
家族への気遣いなどのありがたさを実感して
感謝するようになります。

日本もその辺を取り入れることお勧めします。

親元はなれて、
一人でアパート住まいでは、大人の自覚、
人とうまくやっていく、気配り、思いやりなどが学べません。

1DKのアパートが、3DLKアパートより安いとか聞きますが、
少しエキストラに払っても、 同年代の他人と共同生活する経験は、

子供を成長させ、自己発見、社会基準の尊重、
友達付き合い、ケジメ、自主性、自立、
きちんとした生活態度、
親や家族の感謝、大切さ、人を思いやり尊重する、

そんな人間として、大人として、
社会に生きる大切なことを学びます。

とても良い時期年代の、大切な経験です。


それに、
金持ちは別として、
大学は、学費は、学生ローンで学費を払い(**)、
アルバイトで、家賃や、生活費を作って切り盛りするというのが多いです。

親は、足らないところを援助、
それも、出世払いという形です

(実際親子で、支払いする人は少ないと想いますが、
当然出す、当然出してもらうという感覚はありません。
だから、1-2年先ず働いて社会にで、苦労し、お金をため、
自分のやりたいキャリアを決めて、大学に行くというケースが多いです。

また、最初から何学部と決めて入る子は少なく、
一般学部専攻という形で大学に入り、
基礎過程が終わる頃、2-3年で、専攻を決める
というのがほとんどです。

当然親が全額出してやるのが当たり前という考えは通らないです。

自分の教育は、自分の責任で、苦労しながら
というのが、真剣に勉学に向かう姿勢にも影響されます。

こちらの大学は、入るのは難しくないですが、
ちゃんと勉強しないとついていけないし、単位が取れないし、
簡単に落とされます。
卒業までこぎつける事が、とても難しいシステムですから、
いい加減な学生生活している子は、学生ローンを切られ、
奨学金(割とたくさんいろんな奨学金制度があります)を切られ、
単位を落とし、行きたい専攻に入れてもらえず、
退学と言う事に簡単になりえます。

だから、
アメリカの中高生は、よく遊びますが、

(大学受験はエッセイくらいで、
後は、全国一斉試験のテストの点数、それと、学校の成績、
課外活動状況、特技、スポーツ、ボランティアなどの経験、
所謂就職の時の履歴書みたいな感じです。

ですから、長年の日頃の勉強、活動、学生態度がものを言うようになっています。)

大学生は、真剣に勉強します。

大学生が、ブランドものさげて、おしゃれして
ショッピングが趣味というのは
こちらでは見かけません。
たぶん尻軽として遊び相手、
場違い軽蔑の対象として見られます。

皆、T-シャツと、ジーンズ、とバックパック背負って、
自転車でキャンパスに通い、なりふり構わず、勉強します。
空いた時間は、アルバイトや、インターンシップに忙しい。
専攻が決まれば、実習、現場研修が重要視され、
研究助手とかもしなければならない。
卒業後、すぐ使い物になる知識と能力・技術を身につけ、
論文公表とかたくさんやって、
教授の推薦がないと、いい就職にありつけません。



日本は、高校までは、羽目がはずせないので、
大学は、遊び第一のようですね。

そのために、親は、自分の食費を削っても仕送り続ける。
それを受けている子供のどれほどが、
自分の将来の基盤のために自分の教育という自覚で、
親の仕送りに感謝し、負担を最小限にするために、
自分で出来るだけ頑張ろうという
気持ちの子がどれだけいるだろうか?
当然、親の義務、子の権利として、
どっかり居座ってはいないだろうか?


(**)卒業一年後、職があってもなくてもローンを返し始めなければならない。
そのプレッシャーは大きいので、
フリーたーとか、ニートとか暢気な事言ってられない現状です、
利子は小さいですが、支払いはしなければならない。
人によっては、20年以上支払い続けている人もいます。


命の使い方を考える

2010-01-23 12:09:59 | Weblog
命の使い方を考える

A:ここに一人の若者がいる、小さいときからハンサムで皆に好かれ、道行く女性は皆彼の事振り返る、愛嬌もよく、頭もよくて、家柄もいい、毎日彼が一番真剣に考える事は、今晩どんな子とデートしようくらいのもんで、気楽な生活。いつか遊び飽きたら、将来は、綺麗なお嫁さん貰って,可愛い子供のいる家庭を築く、親からの遺産で豪邸を建てるつもりで、もう土地だけは買い上げてある。有り余る財産をどう使うかという事もちゃんと考えていて、競走馬を育ててレースに出すとかね。
で、ある朝、お気に入りの馬に乗ってひとっ走りに出かけたんだ。
そこで,馬が穴に足突っ込んで躓き、青年は、馬の背中から跳ね飛ばされて、首の骨折って、即死したんだ。

B:最悪な災難だね。

A:残された家族にとってはそうだね、辛いよね、

  でも、当の青年はどうだろうか?
  彼は、その朝 起きた時、その日死ぬなん知らなかった。
  この先60年はゆっくり人生楽しく生きるつもりで、いたんだから。

  彼の間違いは、今日死ぬかもしれないという事を考えていなかったことなんだ。

A:もし、君が、後3分の命と知らされたら、最後の命どう過ごすかね?

B:多分、外に出て、最後にしっかり景色や、空の青さ、空気の美味しさをしっかり心に納めるだろうな・・・

A:なら、そんな気持ちで、毎日過ごしたら、君の人生は随分違った人生にならないだろうか?

あの若者の最大の災難は、
あの日彼が死んだ事じゃなくて、
いつかは死ぬ身である事への認識を、今日どう生きるかという事に使わなかった事だと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

生[命]あるものは全ていつか“死ぬ”が、
生[命]あるものの全てが“生きている”とは限らない。

いつか必ず訪れる死と向き合う事で、
自分というもの、生きる事をより真剣に考える事となる。



人は生きてきたように、死を迎える。

心置きなく死にたかったら、心置きなく生きる事だ。

一番、暖かく、安らかな眠り方:

2010-01-21 16:33:53 | Weblog
一番、暖かく、安らかな眠り方:

雪の夜道を着物姿の女の人が、頭からすっぽりショールを羽織って歩きます・・・

あの感じです、
ふわふわの肌さわりの良い肩掛け
[または膝掛けのようなもの]を、
頭から覆い、胸で掛け合わせ、顔だけ出してお布団に、その上に、普通にかけ布団かけてみられませんか?
まるで、赤ちゃんが、寝ぐるみに包まっている感じで、ホッとした気分で、安らかに、温かく休む事が出来ますよ。

それと、冷たい空気が胸を内側から冷やして寒くてならない事があります。
そんな時は、口のあたりに大きな空間をお布団でつくり、
自分の吐く暖かい息を、外気と混ぜて吸い込む感じにすれば、暖かくなります。

私は、そうしてお布団の中で温かくして休みます。

注意:顔を覆わないよう、呼吸を制限しないように気をつけてくださいね。

おきているときは、首と頭をあたためるとかなり体温が保てます。
スキーの時の耳バンド、ネックウォーマー、
毛糸の帽子をお勧めします。
ベスト(ちゃんちゃんこ]も背中が温まり、
腕の制限がなくていいかもしれませんね。

今日という日

2010-01-20 16:59:25 | Weblog

今日という日は、

私の残りの人生で、
一番若くて、
ー番時間があって、
ー番エネルギーもあって、
ー番やる気が盛り上がっていて、

何かを始めるのに、
ー番条件が良い日、

所謂ベストチャンス

それが今日!


早春の朝

2010-01-20 16:57:07 | Weblog
もあ~っとした霞がかりの、

春の兆しを思わせる朝、

木の芽や、土の下に眠る植物達が目を覚ましそうな・・・、

まだ、もうチョッとだけ眠っていてと、

むずがる子供を宥めるかように、

そっと、土の上に手をあてる・・・

http://www.youtube.com/watch?v=aps47cMxPRQ&feature=related

爽やかな一日をお過ごしください。



冬の大地

2010-01-20 16:55:46 | Weblog

雪に覆われているとき、
その下で、
大地は一生懸命命を養って頑張っているそうです。
やがて、
雪解けの時が来、氷柱のしずくで雪が解ける頃、
暑い大地に押し出されて、
青い命の芽が吹き出すときを迎える。

ペットと人間の子の育て方の違い。

2010-01-20 16:46:23 | Weblog
ペットと人間の子の育て方の違い。


”人の人生は、決して思うようには行きません

だから、
逆境に於いても、踏ん張れる、
どんなに生き詰まっても、
必ず光を見出し其処に向かって
命がけで這い上がれる。
ひっくり返っても起き上がれる 
そんなベースを身につけさせるのが “親の役目“ だと想います。

**親の仕事は、
子供に失敗をしないよう、
転ばないよう、
痛い思いしないよう守る事ではなく、

子供の意思で、選択判断、実行を促がせ、
後ろ から子供を信じて応援する。

転んでも自分の力で起き上がれる勇気と、
自分を信じる心を育んであげることでは無いでしょうか?

つまり、
上手い転び方、起き上がり方を教える事では無いでしょうか?**

そして、

成人し、自分自身の世界を逞しく築いていける人にしてあげるのが、

親の役目ではないでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
我が子をペット扱いしているお母さん!

ペットは、一生飼い主依存の生き物です、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ペットは、
動物的本能は、去勢され、
人間社会、飼い主の思うがままにペット人生は形作られます。
そして、
与えられた枠の中で、与えられたものを食べ、
飼い主に愛嬌を振りまき、垂れ流しを片つけてもらい、
風呂にも入れてもらい、手取り足取りで世話焼かれて、
死ぬまで自立することが ありません。

子犬が大きくなりすぎて、可愛げがなくなったり、
手に負えなくなったら、社会から弾き出され、簡単に捨てられる運命です。



しかし、



人間の子、しかも我が身を傷めて産んだ子を、
ペット扱いして育てたらどうなるでしょう。

幼稚園受験から、親の叶わなかった理想に向けて、
子供の本能は去勢され続け、親の敷いたレールを途中一時停車も許されず走らされ、
大学受験、就職、または、お嫁さんを決めるとこまで、
あるいは、その後もマザコン人生まっしぐら?

習い事の数々で芸を仕込まれ、
(スパルタ教育。所謂、愛の鞭という名の、
親のエゴによる小児虐待)、

親の理想にそぐわなかったら、子供は愛されない
(犬だったら、捨てられる!)と不安に慄きながら、
ペット人生をまっしぐら。
愛されるために一生懸命親に愛嬌をまき、
良い点数を取り、
芸大会で賞を取り、命がけで、飼い主にすがりつきます。

でも、
人間本能の自立心、好奇心、高知能が災いして、
思春期に、とうとう爆発してしまいますと、

親は、手に負えなくなった子供を捨てるわけにもいかず、
噛み付く狂犬児を、何とか、宥めながら、世間様に見つからないように、
(一応、エリートコースのレールを敷いてきましたから、
世間の目というものがあるし・・・)
親は我が子に怯えながら生きるしかありません(家庭内暴力)。

自分というものを見つける経験がなく、
親依存というペット的自分に納得いかなくても、
外に飛び出す勇気はなく引きこもりで、気分で暴れまくる。

親の絶対愛の確信、
自分は愛されているから大丈夫、
自分は信じられる、だから、人も信じられる
という自分がないのですから
自分で、選択すると言うのが下手ですし、
失敗は許されない、
痛い想いも転ぶ事も避けてあるべき事じゃない。
自分で自分の責任取るなんて、
誰かが責任取ってくれないと!と思っていますから、
とにかく、人生を築くベースを持ち合わせていません。

友達を作ることも、
人の気持ちとか理解できませんし、

人どころか、自分の世話するとかも何したらいいのか、

自主的に自分の人生を築く術も学んでいませんから、
社会と正面から向き合う事は出来ません。

出て行っても社会の迷惑になる事しかできません。

(成人式に暴れて・・・という若者の行動を聞いて、そんなこと想いました、

ああ~、この子達は、
これから
今までさせてもらえなかった,
自己発見の旅をしなくちゃいけない子なんだなって、

幼児期からの心の成長が押さえられてきて歪んでしまっているのは、
その頃に戻って、皺を伸ばし、
まっすぐに伸ばしてあげる必要があります

根気よく、
大人としてみるのでなく、
幼児の体験時代という感覚で、
寛大な目で、見守って応援してあげる
社会、家族の応援が必要でしょう。

親の、絶対愛、其処から生まれる自分を信じる心、
其処から生まれる、人や社会を信じる心を、
育ててあげなくてはならないのではないでしょうと。)

逃げ出したペットは、
道路で車に撥ねられて怪我したり死ぬか、
保険所に通報され、確保され、保留され、不要物として抹殺されます。
また、人を咬んだり、襲い掛かったりすると、
その場で死刑にされます。


ペットの飼い主の義務は、
溺愛で甘やかして王子さま、お姫様のように育てるのではなく、
(アッというまに、暴君と化しますから。)
家族生活、社会生活が、上手く安全に、
皆が快く共存できる“躾” を最初からきちんとする事、
飼い主が上!ペットは下!と位置付け、
一生無理なく介護し合える関係を作る事です。
(社会マナー、家庭生活ルール)
一生自立しないペットとの お互いに 心地よい家族生活の確立。


人間の親子関係は、

最初から、いずれひとり立ちして親元を離れ、
人生を歩く命として、躾、付き合いをしなくてはいけません。
自分と同じ人間としての権利を持つ
命の成長をお手伝いさせていただけるという想いで、

赤ちゃん時代は、絶対愛を注ぎ、
自分は愛される価値のある存在だ。
自分はどんな時も、何をしても愛されている・・・

親の愛を受けている確信。
自分を信じる、
自分の命を大切にする心。を学び、

幼児期は、
手当たりしだいのものに興味を抱き、
母子一体の自分から、母子別体の自分を見つける。

母親から切り離した世界に何があるか、
そこで自分に何が出きるか、
体当たりして、転び、痛い思いをし、
自分にとって、いい事か、よくない事か、
自分の体験から判断していく、

自分は愛されている、
自分の命は価値あるものだ、
大丈夫という信頼に支えられて、
起き上がり、再挑戦し、、
また転びながらも、毎回少しづつ成長していく経験をする。

失敗や、痛み、間違った選択を後悔し、
自分の過ちを認め、
改めて、もう一度挑戦して、
やっと、上手くいったなどの経験は、

周りにいる人から学ぶという事の大切さ、
人のの痛み・苦しみを理解できる、
弱いものに手を差し伸べて、
信頼を分かち合う、友を探し、見つけ、
支えあうという社会性を身につけていく。

信頼する親が見せてくれる新しい事も
やってみたい、学んでみたいという事を感じれば、
まねてやってみる、

思春期になれば、
もう、親に聞いて、如何したらなどと言うことはやらず、
自分で決め、自分で責任取れることを自覚し、
自分の力で試してみるという形に変わってくる。

親は
此処で応援しながら見てるから、
あなたを信じているから、
想いっきりやりたい事、
正しいと思った事を一生賢明やりなさい。

ただし、責任は自分で取るんですよ!

自分にして欲しくない事は人にもしない、
いい友達選んで、
其処からいいことたくさん学んで大きくなりなさい、

もうそれだけでいい。

後は、子供だけでなく、
親も、自分の人生をしっかり頑張って生きている姿を
見せてあげる事。

と、思うのですが・・・

少なくとも、私のお母はそのように私を育ててくれました。

チョッと、常識社会性にかけますが、

自分で決めた人生を、
思う存分生きてこれてよかったと、
後悔はしていないし、
感謝の気持ちを持って生きて来れました。

自分の子供にもそうして欲しいと願っています。

子供は巣立ちましたが、
XXワンコは、ペット人生を私の元で生きています。








可能性は無限大!

2010-01-20 16:45:02 | Weblog
可能性は無限大!



昔、死に物狂いで仕事していた時、
あんまりきつくて、時には、
何で私はこんなに苦しい道を歩かなきゃいけないんだろう
なんて思う事がありました。辛かったんです。

そんな時、星野さんに出会いました。
彼の絵と詩を前にして、
くどくどいっている自分が恥ずかしかった。

人一倍動き回っていた人が、人生のてっぺんから、どん底に突き落とされて、
口しか動かない、生き絶え絶えに生み出された、名もない花達への愛に満ちた姿とそれを思う彼の言葉。

彼がこんなに頑張っているのに、手足が動く自分がやらなければならないことはたくさんあるはずだ!てね。叱咤されました。

彼の作品が太平洋を渡ってきた時、私も、足を運んで見に行きました。ご本人には、時間の都合であえませんでしたがね。

どうか、自分を狭い殻に閉じ込めないで、
与えられた命です。
無限大の可能性を持ち合わせています。
それを信じて、
夢をしっかり胸に抱いて、

今、
自分のいる場所で、
自分に出来る事を一生懸命することから始めよう!

1ッ歩、何かに近づいた自分が見えますか?

それが何なのかは、

歩いていく内に見えてくる。


奇跡の確率

2010-01-20 16:42:06 | Weblog
”先ずやるべきと思う事をやる事で、

可能性は拡大し、

奇跡を呼び起こすであろう!”

これは、

* 宇宙に存在する全ての物は偶然(チャンス)と、必然(能力、準備完備)が生んだ果実である。
(古代ギリシア自然哲学者デモクリストス)

* チャンスは、準備された人を好む
”Chance favors the prepared mind”
(ルイ パスツール )

充分条件: 必要条件

にも示されている事ですね。

ただ、夢見るだけじゃ何も奇跡は起こらない、
必要条件を満たす事から始り、それが十分満たされたところに、天は、奇跡をもたらす・・・



中学の頃、

2010-01-20 16:35:09 | Weblog
カレー作りながら、思った事・・・

子供は、

余り期待しすぎないほうが・・・、

ただ信じて、

特に、中学入ったら、

後から、距離置いて、

自分から伸びるスペース、

転んだり、滑ったり、仲間達とワイワイしたりできる
空間と時間あげて

思う存分やってみな、
あんたは大丈夫!
信じてるから。

炊き出しや、観戦で応援してやるだけがいいかも・・・

親の期待が、子供を潰す事にならないように・・・

子供は余り期待しすぎないほうが、

出来上がりの喜びは大きいかもです。

有名なお偉いさんでお金持ちにならなくても、

自分の足でしっかり踏ん張って、転んでも必ず何かを学んで立ち上がり前に歩き出す、

自分を信じで生きて、この社会に自分の居場所を見つけて、健やかに幸せで生きてくれたら

親としてこれ以上の喜びはないと思うのです。



子供にとって、

”信じてる。大丈夫”

この2語に勝るお守りは無いと、

私は、娘に言われました。

そこで、私は

すごすごと、レールをたたんで引き下がりました。

実はね、
15歳のとき、色々心配して言ってくれる親に、こういったこと思い出したんです。

私のこと、心配してくれるのはとってもありがたいです。
お父さんやお母さんの目からしたら、失敗するのが目に見えてるとヒヤヒヤなんでしょうが、

私は、自分で失敗を経験して前に進んで生きたいです。
そのチャンスを私にください!

お父さんも、転んで失敗し、今しっかりしておられるのなら、

私から、その”権利”を奪わないでください。私の人生です。


「自分で責任だけは取りなさい」と一言いわれ、

父も母も、それから、完全に放任主義になりました。

心から、感謝しています。

自己責任を言い渡され、私は、同級生に中でも、とても慎重な人間に育ったと思っています。
周りの人は、随分心配してくれたとは思いますが、迷惑をかけず、合法で、自己責任で、自分なりに自分で決めた道を自分の足で歩いてきたことだけは確かです。







新学期がはじまりました。

2010-01-20 16:30:33 | Weblog
ふう~!
長い一日でした、
最悪の状況を考えて、
嵐で、帰り、視界がわるかったら、
キャンパスの近くのホテルに泊まる準備や、
其処までもいけなかったら、
車の中で寝れる様に
寝袋や懐中電灯、夜食や、コーヒーなども車に詰めて、
風で傘を差せない事考えて、
長靴に上下の雨合羽の出で立ちで朝から出かけました。

新学期初めは、駐車場も満員で、
停めるのにウロウロ30分、一番遠くにやっと見つけた!
完全装備の私は、とても快適にキャンパスをあちこち歩き回りました。
駐車パスを買うのにも、1時間ほど並んでやっと手に入れ、

倫理のクラスの教授は凄くビシビシ厳しくて、
まるで、軍隊に入ったのではと錯覚するくらい。
というのも、麻薬や、アルコール中毒者の
社会復帰を促がすためのリハビリプログラムからも、
たくさんこのクラスとっているらしく、
聞くところによると、グループプロジェクトが、50%の採点という。
こりゃ~豪く頑張る羽目になりそうです。

夜のクラスは、心理学、"死について”では、
心理学、看護学、老人学専攻に加え、
”葬祭学"というのがあるのを始めて知りました。
たくさんの若者が専攻しているのがなんとも、異様な感じがしましたよ。

教科の内容は、どちらも凄く面白そうで、
'よし、教科書しっかり読みまくるぞ!"という気になりました。
実を言うと、あの、持ちきれないほどの分厚い教科書を見て、チョッとうんざりしたのでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20歳未満の若者の50%が、身近に死を経験した事がないそうです。

メディアだけから受ける印象で、死亡原因を察すると、
事故死:55%、自殺:5%、殺人:80%、病気などの自然死:2~3%

実際は、
事故死:4.1%、自殺:1.2%、殺人:0.7%、病気などの自然死:92%

メディアだけから受けるインパクトが、どれほど我々の生活感覚に及ぼすか恐ろしいものがあります。

毎年、普通のインフルエンザで死ぬ人が、36,000人という中で、
今年N1H1で死んだ人が、1,100人で、
パニック状態に陥っている社会状況も、メディアの影響です。

見えない事実を知らされないまま、
メディアに振り回されてオロオロしながら生きている私たち、
本来、より快適に、安全に、幸せに暮らせるための情報を流すべきメディア、
今は、全く逆のほうを向いているようです。

悪いニュースを国民が求めているかのようです。
良いニュースを流しても、視聴率が上がらない。

明るいニュースを書けないメディアにどれだけの価値があるのでしょう?

特に、モーニングショーとか、スクープとか言って、
トップニュースを、何回も一日中流す事で、
国民が、いいように、洗脳され、パニックになり、
社会に対してネガティブな見方をするように流れてしまう。
メディアの力、怖いですよ!

めいが総理大臣なら、
3割の悪いニュース、7割の良いニュースを伝えるという
メディア規正法を立ち上げます。
それだけでも、絶対社会はよくなる!
そんなこと想いながら帰ってきました。

帰りは、幸い雨も上がり、スムースに運転して帰る事が出来ました。