京都で万祝(まいわい)

 16年の京都居住歴を活かした京都およびその周辺の自治体を紹介するブログ!

信長ゆかりの地めぐり その2( 紫竹・紫野コース ) 小野篁(たかむら)と紫式部の墓

2017-06-15 21:31:44 | 日記
 今回は、小野篁(たかむら)と紫式部の墓について紹介します。




 場所は、出発点の堀川北大路の交差点の南西角を少し南へ下った所にあります。






 ひっそりとした場所で、小野篁(たかむら)と紫式部の墓は寄り添うように佇んでいます。






 紫式部は、言わずと知れた日本古典文学の最高峰『 源氏物語 』の作者であり、知らない人はいないでしょう。

 これに対して、小野篁(たかむら)のほうはマイナーなので、少し説明しておきます。

 小野篁は、聖徳太子の右腕として、また、遣隋使としても有名な小野妹子(いもこ)の子孫で、平安時代前期の嵯峨天皇の頃に昼間は学者官僚として内裏(だいり)に勤めました。

 この篁(たかむら)には、あの世とこの世を行ったり来たりしていた!という面白い伝承があります。 

 つまり、夜になると祇園松原の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)の敷地内にある井戸を伝って、冥界へと赴き、そこで地獄の閻魔さまのアシストをしていた!という伝承です。







 上の写真では少し分かりづらいですが、写真の中央に写っている男の人の左の方に、緑の樹木のすき間からコンクリートのような物が見えますが、あれが篁(たかむら)が冥界へと赴く時に利用した!と伝わる井戸です。

 ところで、紫式部は小野篁(たかむら)よりも150年くらい後の時代の人なのに、どうして2人が結び付くか?というと、原因は紫式部が書いた『 源氏物語 』にあります。

 つまり、『 源氏物語 』は、紫式部が存命中も当時の平安貴族のあいだで大流行した!のだそうです。しかし、平安末期の末法思想では源氏物語は貴族社会の淳風美俗を乱す!とみなされ、そのため閻魔さまに地獄行きの裁きを受けそうになった紫式部を、「 それは少し厳しすぎる! 」と閻魔さまに助言して閻魔庁の役人だった小野篁(たかむら)が救った!のだそうです。

 ただ、この点に関しては、別の伝承もあってハッキリしません。なので、いちばんロマンのある伝承を採用させて頂きました。

 なお、紫式部という名前は、彼女がここ紫野の界隈で生まれた!ことと関係しています。

 次回は、小野篁(たかむら)と紫式部の墓から建勲神社の大鳥居までの道順について説明します。


 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 信長ゆかりの地めぐり その... | トップ | 信長ゆかりの地めぐり その... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。