Slow Life Mye's

マイシステムズな日々

備前長船

2011年03月31日 21時00分49秒 | 日記
本日岡山県に出張


駅名赤穂線「長船」で切符を購入
車中殆ど読書
結局一冊読んでしまった
この本については後日
さて本題駅に到着するまで
備前と長船が頭の中で繋がっていなかった
下車して駅の看板を見てはっとしたのである

そして案内板があった「備前長船博物館」
「備前おさふね刀剣の里」



昨日読み終えた本「台湾は台湾人の国」

2011年03月30日 17時49分14秒 | 日記
内容(「BOOK」データベースより)
台湾と日本とのあいだには正式な国交がありません。1972年、日本は日中共同宣言に調印し中国との国交正常化をおこなうと同時に、台湾と断交したからです。現在、東西冷戦は終結し、国際情勢は1972年当時とは大きく変化しています。日台間の経済や文化、観光における交流も非常にさかんです。両国のあいだに正式な外交関係がないのはもはや現実的ではありません。さらに、私たち日本人は、すぐ隣にある台湾の人々の苦難の歴史やその気持ちを、どれくらい理解しているでしょうか。中国は「台湾は中国の一部である」と主張していますが、台湾の人たちの多くはそう考えてはいません。本書では、現台北駐日経済文化代表処代表(台湾大使)夫妻が、戦前の日本統治下での思い出、外国で祖国を思いながら戦った日々、民主化後の台湾社会の目覚ましい変化、これからの日台関係へのビジョンを語ります。


これ等の本を読めば読むほど知らなかった事の多さに気付かされます。
そして日本人が考えねばならない事を教えてくれる。
沢山の人たちがこの本を読んでくれれば良い。
台湾人を理解し日本人を理解しこれからのあり方を学びたい。

福島の野菜農家

2011年03月29日 16時04分34秒 | 日記
痛ましい話である
放射能汚染によりキャベツの出荷停止となった
そして64歳の男性が命を絶った
東京電力や国から損害賠償については何も示されず
生活への不安が原因だとの事

こんな不安を取り除く事が出来るのは
誰なんだろう

やはり仲間ではないか
今はお上に頼っていても期待は出来ない
それよりも仲間が集まり
行く末を決め前進する方向を見つけるべきだと思う
3人寄れば知恵も出るはず
頑張って欲しい

そして私たちも何が出来るか考えよう

毎日原発のニュース

2011年03月28日 17時19分35秒 | 日記
良いニュースは無い
ただこんな時
被災していない遠くの私達が単なる批評家になっては
いけない事は分かっているが
「原発で作業に従事している人たちにすら
満足な食料が確保されて居ない」
と言うようなニュースを読むと
情けない国だと思う
食料確保も出来ないで
原発の管理が出るのだろうか
しかも役人は「自分の管轄ではない
東電の管轄である」と傍観者の如き発言

その上「幹部も作業員も同じ条件だ」と言う
あたかも同じ条件であることが免罪符になると言わんばかり

現地ではそうせざるを得ない事なのかも知れませんが
何か釈然としない報道に思えます



現在読んでいる本 『私のなかのよき日本―台湾駐日代表夫人の回想五十年』草思社

2011年03月27日 17時18分10秒 | 日記
盧 千恵(ろ せんけい/ぐ ちえ)は台湾人の児童文学者。台北駐日経済文化代表処元代表許世楷夫人、東京フォルモサ婦人会代表。夫と共に台湾独立運動に関わってきた。

1936年に台湾に生まれる。1955年に来日し、翌年国際基督教大学へ入学。1961年、当時早稲田大学留学中の許世楷と知り合い結婚。同時に夫とともに台湾独立と民主化運動に関わる。ペンネーム高明音。しかしこのような活動のために、1962年には当時の中華民国大使館により、夫ともどもパスポートを没収される。台湾への強制送還の可能性もあったが、周囲の協力により免れ、以後およそ40年に及ぶ事実上の亡命生活を送る事となった。その間、台湾における政治犯救援を訴え、アメリカに渡って「独立運動の声」アナウンサーや『台湾公論報』の記者なども務めた。その後台湾の民主化が実現し、1992年に刑法100条の内乱罪が改正となり、いわゆるブラックリストが解除されると翌年帰国。2004年には、夫の台北駐日経済文化代表処代表就任に伴って再来日した。2008年6月17日、夫の許世楷が台北駐日経済文化代表処代表を辞任したのに伴い7月に日本を離れ、現在は台湾の台中市に居住。(ウィキペディア)


テレビで見かける「金美齢」さんの事は何となく知っていましたし、彼女の書いた本も読みました。
しかし盧千恵さんの事はまったく知りませんでした、その著書を読み知らない事がたくさんある事に気付かされました。