ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

散りなむ後ぞ

2017-03-20 21:38:56 | Weblog



 3月20日

 暖かい春の日差しあふれる天気の日が続いて、庭のウメの花は、一気に花開いた。
 前回の写真(3月13日の項参照)と比べてみても、一目瞭然(いちもくりょうぜん)の華やかさだ。
 春は、ここにあり。
 その昔、白鳳・奈良の万葉の時代には、今では日本のサクラの多くを占めるソメイヨシノなどがまだなかったころであり、サクラは、里山の他の樹々の中で咲いていたヤマザクラのことを指していたのだろうから、今ほどにもてはやされずに、歌に詠われることもウメに比べれば多くはなかったのだろう。
 ちなみに、万葉集では、サクラが詠み込まれた歌は40首ほどで、一方ウメの花が詠まれた歌はその4倍にもなるとのことである。

 それはつまり、当時はウメのほうが人里に多く植えられていて、他のまだ冬枝のまま樹々の中で、一足早く花を開かせ、待ちわびた春の到来を告げるものだったから、春といえばまずウメの花を歌に詠みこんだというのは、今の時代にいる私たちから見てもよくわかるところだ。
 当時、花といえば、まずは春の最初に咲く、ウメの花のことだったのだ。

 わが家のウメの木は、もう50年にはなろうかというもので、四方に十メートル以上もの枝を広げる大きな木になって、その上にすぐそばにサクラやツバキの木などがあり、重なっているところも多くて、とても全景写真としては撮れずに、上にあげたような一枝だけの写真になってしまうのだが、それでも花の多さがよくわかる。
 そこに、何羽かの群れをなして、チーチーと鳴いてメジロがやってくる。
 それぞれにあわただしく、ウメの花のミツを吸っている。
 同じ時期に咲き始めるツバキの花もあるから、今の時期にしか、家の庭にやってこない小鳥でもある。
 もっとも、少し前まではベランダのエサ台にミカンなどを置いておくと、よく来ていたのだが、体の大きなヒヨドリやツグミの仲間たちもやってくるから、なかなかエサ台に近づけないでいた
 何より、メジロから見れば巨大な鳥である、カラスが来るようになってからは、年老いた猫ミャオのこともあって、もうエサ台ごと取り外してしまったのだが、そうすると、今では春先のこの時期だけの、メジロ観察になってしまったのだ。
 
 大体、野鳥というものは小さいからかわいいのであって、メジロ(全長11.5㎝)の何倍もあるカラス(ハシブトガラス56.5㎝)をかわいいと思う人はあまりいないだろうし、さらには海辺でよく見かけるカモメでも、(オオ)セグロカモメは60㎝もあり、遠くから見れば色は白いし優雅に見えるかもしれないけれど、近くで見れば意外に大きな鳥であることに気づくし、何よりあの目つきが、私にはあまり好きにはなれないのだが。
 ともかく、小さな鳥たちはかわいい。
 エナガ(シマエナガ)も体長はメジロよりも大きい13.5㎝だが、尾羽が長いから、体の大きさは同じくらいで、ジュリジュリと群れで鳴きながらやってきて、枝の虫などを上になり下になりして探し動き回る姿もかわいい。
 他にも夏山では、その姿を見ることよりは、鳴き声ですぐにそれとわかるミソサザイ(10.5㎝)も、かわいい小鳥であり、こげ茶の体に白い眉班(びはん)線だけがはっきりとして、尻尾を立ててさえずる姿を見れば誰でも好きになってしまうだろう。

 しかし、小さな鳥たちの中でやはり一番なのは、おそらくは誰でもが同意するに違いないだろうが、あのキクイタダキ(10㎝)である。
 まだエサ台があったころに、ミカンの輪切りにつられてやってきたことが何度かあったが、何しろメジロが大きく見えるほどの、日本では一番小さな鳥なのだ。
 その小さな姿の大きな特徴は、メジロをさらに小さくした姿だといえなくもないが、まずメジロと同じように、目の周りに白い縁取りがついていてかわいいし、体の色は全体的に見れば、ウグイス色なのだが。
 メジロは、のどから胸にかけての黄色が目立っている。もっともそれは、キビタキほどの黄色ではないし、また黄色と黒の取り合わせがシックな感じのミャマホオジロほどに目立つわけではないけれども。
 一方のキクイタダキは、何よりもその名前の由来になったように、頭央(とうおう)線、つまり頭の頂きにある黄色い王冠が何ともいえず、一点豪華主義的に見栄えがするのだ。
 まして、オスのほうには、さらにその頭頂の最上部だけが赤く縁どられていて、それがさらなる見ごたえにもなる。

(以上、参考文献:『日本の野鳥』高野伸二著 小学館)
 
 しかし、上に書いたように、エサ台を外してからはもう何年も、キクイタダキを見てはいない。
 エサ台を外したのは、カラスが来るためでもあったのだが、もう一つにはミャオのことが心配になったからでもあり、というのもミャオが元気な時は、そのエサ台にくる子鳥たちを狙ってよくジャンプしていたものだが、ミャオの晩年は、エサ台にくる鳥たちにも興味を示さず、ただ日がな一日ベランダで寝ていて、むしろカラスの襲撃にあいはしないかと心配だったこともあって、思い切って長年のエサ台を外してしまったのだ。

 家のウメの木にやってくる、メジロの話から、ついつい小鳥たちの話になってしまったのだが、実はこうしてウメの花の時期にしか見られない、メジロのことを考えていて、ふと思いついた歌があって、それに例えて書いておこうと思ったからでもある。
 それは『古今和歌集』にある、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の有名な歌である。
 
「我がやどの 花みがてらに くる人は ちりなむ後ぞ こいしかるべき」 (『古今和歌集』67 佐伯梅友校注 岩波文庫)
 
 この歌を、貧しい言葉づかいながら、自分なりの言葉で読み替えてみた。
「わが庭の 花蜜吸いに くる鳥は 花散る後に 思い出すかも」

 などと勝手に自己流に楽しんだところで、前回の書き足りなかったことについて、ここで再び少し書き加えておきたいと思う。
 あのトマス・インモース氏が「生をゆっくりと楽しむ。」と書いた言葉の前には、さらに興味深い前文があって、それは以前にも書いたことのある、”臨死体験”からの死の持つ意味と重なっていたからでもある。

 彼は、あの学生紛争時代のさ中に、学生たちに長時間詰問(きつもん)され、心筋梗塞になって救急車で病院に運ばれ、そこで様々な幻影に出会った後・・・。

「やがて私は、暗い洞穴の前に立っていた。突然その洞穴から大きな光があふれ、ある文字があらわれて私の前にとどまった。それはヘブライ語でユダヤ教の神を意味する”ヤーヴェ”という文字であった。静かだった。私は安らかに眠ることができた。」
「生命が危機的状況に落ちると、血液の中に薬物様のものがつくりだされて(注:ドーパミン)、そのために夢・幻を経験するということであるらしい。」

 以上のことは、あの立花隆氏の『臨死体験』(文春文庫)の中でいくつも同じ体験として語られていた事例と見事に一致するものだったのだ。
 そして、さらに彼は言う。
「私には、たったひとつの願いだけがのこされた。私の残された生を、できるだけ意識的に経験し、そして楽しむことである。」

 (以上、『死ぬための生き方』「最後に残された願い」:トマス・インモース」より 新潮45編 新潮文庫)

 さらに付け加えて、このブログの2014.9.22の項で書いたことの中から、大きな二つのポイントを改めてあげておくことにすると。

 ”脳神経科学的に言えば、つまり、死とは”膨大な神経網がつながらなくなり、心も消える”ことである。”
 ”しかし、もう一つの希望的な側面から見れば、死とは、死と神秘と夢が隣り合わせのボーダーラインにくることである。死は苦しいものではない。だから、今はいい夢を見ようという思いで死んでいける。”

 私がこうして繰り返して、”死ぬための生き方”について書いているのは、まさしく自分を励ましてくれる人生の先達(せんだつ)者たちの言葉として、今の時点での心構えとして、自分の日記として書いているだけのことであり、他意はない。
 死は、命あるものすべてに等しく訪れるものであり、そして決して同じものではない、その人だけの、そのものだけの、それぞれに違った死があるということなのだろう。

 あの芭蕉(ばしょう)晩年の(辞世の句ともされる)有名な一句。

「 旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る」

 私も、今までに登ってきた山々のことを思い浮かべながら、最後のその時を迎えるのだろうか。
 それは、それでよい。すべての山々が、美しかったのだから。

 しかし、この年になっても、まだまだしぶとくあがきながら、命ある限りと、まだまだ登りたい山々があるのだ。

 さらに芭蕉の句をもう一つ、年寄りになってくると、あの有名な「閑(しず)けさや岩にしみいる蝉(せみ)の声」よりは、よほど心にしみてくる一句なのだが・・・。

「やがて死ぬけしきは見えず蝉(せみ)の声」 

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