ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

百花繚乱

2017-04-17 21:44:30 | Weblog



 4月17日

 暖かい天気の日が続いて、木々の花々がいっせいに咲き始め、わが家の庭はまさに”百花繚乱(ひゃっかりょうらん)”の季節を迎えたのだ。
 まず最初に、華やかな春の幕開けを伝えてくれた、ウメの花は今ではもう若葉の伸びる時期になっていて、次に暗い日陰の庭で明るく照り映えてくれた白いコブシの花も、まだ残ってはいるが、こちらも花の間からの若葉が目立つようになってきた。
 そして遅れていた、庭のヤマザクラは一週間ほど前にようやく花開き、この陽気の中で一気に満開を迎えて(写真上)、今日のこの雨であわただしくも散り始めている。
 そのヤマザクラの隣に咲いている、大きなツバキの木にも赤い花が点々と咲いていて、もうその幾つかが地面に落ちている。
 それでも、まだあたりに漂うあのジンチョウゲの香りの中で、わが家の庭では最大の見ものになっている、シャクナゲのあでやかな花びらが開き始めたのだ。
 そして、このシャクナゲこそは、その花が開いた時も当然に見栄えがするのだが、むしろ花弁の紅色がより鮮やかな、まだ花開く前のツボミのころの色が素晴らしく、全体的には三分咲きくらいの今ごろこそが、一番いい時期なのかもしれない。(写真下)



 さらには、他の樹々もようやく新緑の芽吹きが始まり、それぞれの枝先には初々しい小さな若葉をつけている。
 その小さな葉の色も様々で、すでに濃い緑のものから、薄緑さらには薄赤いものまでさまざまである。
 その中でも、カツラの木の若葉は、ずいぶん高くなった枝先を下のほうから見上げると、それは春の芽吹きの色と言われる、いわゆる黄緑の萌黄色(もえぎいろ)というよりは、それは光の加減もあったのだろうが、むしろ黄色に近い菜の花色の鮮やかさで見えていた。(写真下)




 今の時代には、こうした菜の花色とか萌黄色とかは、あまり使われなくなり、英語由来の色の名前か、あるいは、単純な赤黄青に黒白を加えたぐらいの色名しか使われていないようだが、できれば昔から使われていた色の名前をもっと使ってほしいとも思う。
 様々な化学合成による、あふれんばかりの色彩の混濁の中にいる現代の人々と比べれば、その昔、自然にある動植物などから名付けた、微妙な違いを持つ色は、日本人の豊かな感性ゆえの色名だとも思うのだが。

 例えば、単純に青といっても、浅葱(あさぎ)色から縹(はなだ)色、江戸紫に古代紫、葡萄(えび)色、蘇芳(すおう)色と紫に近づき、赤みが強くなってゆく赤色は、紅色、紅梅色、朱色とあり、それが黄色に近づいて黄はだ色に朽葉(くちば)色、山吹色や鬱金(うこん)色があり、緑色に近づいては、若菜色から萌黄色、さらには古代青などの色の呼び名があり、さらに着物を襲(かさ)ねて着ていた時代だからこそ、その襲着(かさねぎ)の色合いで、例えば、古代紫と古代青の組み合わせで、早蕨(さわらび)のころの季節感を表したものだとか、ともかく昔のものの本にはそうした色の組み合わせのことがいろいろと書かれていて、数少ない色味の着物のなかでも、十分に工夫され季節感を表そうとしていたことがよくわかる。

 そうして見てくると、今の時代は、まさに色があふれかえっている時代だけに、その色彩だけではなく、様々なデザインとの複雑な組み合わせが可能なだけに、今日のこの膨大な規模の、ファッション社会が成り立っているのかもしれない。
 もっとも思うのは、今も昔も若い人たちは、”ああでないと、こうでないと”という、自分の身を飾り身に着けるものの”コーディネイト”に腐心しているということなのだろう。年寄りの言うダジャレで、すみません。

 ここで、その昔、平安時代の宮中風景の中のひと時を、あの清少納言(966~1025)が書いた『枕草子』の一節から見てみよう。

「・・・。
 御簾(みす)のうちに、女房、櫻の唐衣(からぎぬ)どもくつろかにぬぎたれて、藤・山吹(やまぶき)など色このましうして、あまた小半蔀(こはじとみ)の御簾よりもおしいでたるほど、昼の御座(おまし)のかたには、御膳(おもの)まいる足音たかし。・・・。」

(清少納言『枕草子』第二十三段より 池田亀鑑・岸上慎二校注「日本古典文学大系19」岩波書店)
 
 以上私なりに訳してみると、”部屋のすだれがかかった内側の、女房(女官)たちがくつろいで座っているところから、その桜色の(一番上に着る)打ち掛け着などが、流れ出るようにはみ出していて、その下の重ね着の藤(表は蘇芳”すおう”、裏は青)や山吹(表は朽葉、裏は紅梅)などの好ましい色合いが、すだれよりも高い跳ね上げ戸の所からいくつも見えているなかで、宮廷のお昼のお食事の支度をする係りの者たちの足音が聞こえてくる。(もうお昼なのだ)”

 全く、何という観察眼に表現力なのだろうと思う。
 それまでの白黒の絵が、色彩の画像に変わったような、あの”源氏物語絵巻”よりもさらに鮮やかに、現実の目の前にある光景のように、お昼前の宮廷女官たちのくつろいだ姿を見せてくれるのだ。

 確かに、日本の文学は、その場面ごとの情景の色合いの妙と、さらには微妙に移り変わる、人間感情の機微(きび)を丹念に描き表し続けてきたのだ。
 江戸時代に至るまではもとよりのこと、明治の時代に入っても、尾崎紅葉に幸田露伴、樋口一葉そして泉鏡花へとその伝統は受け継がれていたのだが、やがて永井荷風に谷崎潤一郎をもって次第に細くなり、その流れは消え入るように、川端康成の名前を最後になくなってしまったようにも思えるのだが。

 もちろんそのことで、日本文学が途絶えるはずもなく、むしろ、西洋文学の流れを受けた”自我の目覚め”による個人主義の葛藤(かっとう)という観点から、現代文化の発展の中で生きる人々の、より人間的な内面性を描いた文学が生み出されていったのだから、むしろ新しい時代を迎えた喜ばしい変化ではあったのだが。
 ただ、日本文学に対しては、保守的な”守旧派”である私は、今では、こうして時代に逆らい、古典の世界に思いをはせることで、自分の思いとつながる人々への対話を楽しんでいるのだ。
 もっとも、若いころ一時的にせよ、日本の文学にかかわりたいと考えていた私なのに、今では恥ずかしながら、その日本文学の時代の最先端の表現者たちだともいえる、あの芥川賞受賞作品を、最近話題になった「花火」はおろか、もう何十年もの間、一編たりとも読んではいないのだ。
 しかし、それで、どうしたと開き直り、もう自分の文学観は変えたくはないと思っている年寄りのかたくな心・・・。

 ”はい、これは、山の中に住む、じじいの独り言でしかないことは、十分にわかっておりますだ。
 んだども、代官様、もしそれで、お仕置きを受けることになるのなら、できれますれば、ぜいたく言って申し訳ないのですが。
 これは、テレビで見たことがあるのですが、黒タイツをはいた、都会の若いねえちゃんに来てもらって、ムチで叩いてもらえないでしょうか。
 さらに、その彼女の黒いハイヒールでぐりぐりと踏んづけてもらえないでしょか。
 それでも、私は、白状せずに、転向もしないでしょうが。
 ただ最後に、遠のく意識の中、黒タイツのねえちゃんを視界に入れて、ああ、”万葉集、源氏物語、枕草子、古今和歌集、方丈記、徒然草”などと唱えながら息絶えれば、本望でごぜえやす。”
 (それにしても、あの一世を風靡(ふうび)した”にしおかすみこ”さんは、得難いキャラだっただけに、今テレビで見かけなくなったのは残念ではありますが。)

 最初は、古来の日本人の色の感覚の話から、いつしか変なところに行ってしまい、こうして冗談妄想の”おち”をつけたのは、もうそろそろ疲れてきて、今日の書き込みを終わらせたかったからでもあるのだが、もともと年寄りというものは、真剣な話と妄想のバカ話を行き来することによって、いつしか立派な”妄想族”の一人になってゆき、やがてはあの世の妄想世界へと旅立って行くことになるのだろうが、この世への警笛をパッパラパーと鳴らしては。 

 今回は、今の時期に北海道にいたころの話で、前に書いた残雪期の山への、再挑戦の模様について書くつもりでいたのだが、ちょうど家の周りは、今が百花繚乱の花々の盛りの時であり、どうしてもそのことを先に書いておきたいと思って、主題変更したのだが、それが色味の話から、次第にあらぬところへとそれて行ってしまい、この辺りで終わらざるを得なくなったのだ。

 それでも、最後にもう一つ、この晴れの日が続いた中で、相変わらず山には行かずに家にいたのだが、それでも時々むしょうに歩きたくはなるから、往復2時間もかかる遠出の山麓歩きに出かけて、沢を渡り対岸の尾根筋を登り、ぐるっと回って家に戻ってきて、いい汗をかいたのだが、その時に、久しぶりに立派なキブシの花が咲いているのを見つけて、これだけでも、今日遠歩きに出かけてきたかいがあったと思ったくらいだった。
 下の写真は、その沢筋に咲いていたキブシの一本である。(併せて近くにもう二本)

(参考文献:「新編国語便覧」秋山虔編 中央図書、「古語辞典」旺文社) 

 

 



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