ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

夏の盛りの山に

2017-07-17 22:16:46 | Weblog



 7月17日

 数日前に、山に行ってきた。
 それは、例の九州北部の豪雨被害をもたらした、梅雨前線の活動がようやく弱まり北上して、それまでのぐずついた空模様から一気に青空が広がり、梅雨が明けたような天気の日になったからだった。
 夏の山登りは、なるべく朝早くから登り始めたほうがいいと分かってはいても、やはりそこは、ぐうたらじじいの性分で、いつものように日が昇ってから目が覚め、朝食をすませてクルマに乗り、いつもの九重の牧ノ戸の登山口に着いたのは、もう8時に近かった。
(今の日の出は5時過ぎくらいだから、せめて6時くらいには登り始めたいし、そうすれば、暑さが盛りになる午後を避けて、午前中には戻って来られるのだが。)

 駐車場には、梅雨明けしていない時期の平日ということもあってか、クルマが10台ほど停まっていただけで、人影もまばらだった。
 登り始めの遊歩道の両側には、ずっと鮮やかな紫のアザミの花が咲いていた。 
 その一つの花に、アザミにはおなじみのイチモンジセセリがとまっていて、さらにもう一つのアザミの花の上では、マルハナバチが動き回っていた。(写真下)




 それも、最近北海道でマルハナバチを見ると、頭にセイヨウと名前のついたオオマルハナバチであることが多くて(大雪山でも見たことがあるくらいで)、彼らの強い繁殖力を前に、在来種のオオマルハナバチは駆逐(くちく)されてしまう怖れもあって、駆除対象外来種にもなっているのだが、そうした事情があるだけに、マルハナバチを見るとつい識別のためにじっと見たくなるのだ。
 しかし、ここにいたのは在来種のトラマルハナバチだった。 
 気がかりなのは、輸入牧草の関係で北海道に侵入し、繁殖範囲を広げ続けているセイヨウオオマルハナバチが、同じような酪農牧草地帯でもある、九重や阿蘇の高原でも繁殖し始めてはいないかということである。
 もっとも、その他の本州各地でも酪農業は盛んに営まれており、牧草地も広がり、輸入牧草も入ってきているのに、まだセイヨウオオマルハナバチが繁殖していないということは、北海道だけで繁殖していることからも分かるように、高温に弱いのだからそれほど心配することではないのかもしれない。

 と考える一方で、地球の高温化は少しずつだが進みつつあるようにも思える。
 今いる九州の家でも、連日32度くらいにまで気温が上がり、クーラーをつけてやっとしのいでいるというのに、北海道帯広では、なんと三日間続けての35度以上の猛暑日になり、それも37度にまでなったということだし、昔は十勝帯広ではクーラーをつけている家など余りなかったのに、今ではもうクーラーをつけていない家はないくらいにまでなっているのだ。
 そんな中でも、数少ないクーラーのない家である北海道のわが家では、10年前にやっと扇風機を買って何とか暑さをしのいでたのだが、さらに最近では、朝夕はともかく日中気温が上がった時には、やはりクーラーが欲しいと思うようになってきた、年のせいでもあるのだろうが。

 そして、北海道の農林漁業にも少しずつ影響が出てきているようであり、北海道近海では海水温が上昇し、それまでの北の魚が取れなくなり、逆に北海道でうまい米は作れないと言われていたのに、今ではその道産米である”ゆめぴりか”が、国内最高とされてきた、新潟魚沼産の”コシヒカリ”と同等の評価を受けるようになってきたのだ。 
 今、日本各地で発見されて話題になっている”ヒアリ”は、北海道では寒すぎて繁殖できないだろうとされてはいるが、一方でこのセイヨウオオマルハナバチのように北海道だから繁殖できる種もいるし。
 さらには、北海道ではほとんど見ることができなかったゴキブリが、今ではあちこちの道内都市圏で、一部ではあるが繁殖しているとのことだし、ともかくこうして、気温上昇に伴い悲喜こもごものニュースがさらに増えていくことになるのだろう。

 それは世界規模で見ても、アルプスやヒマラヤの氷河の著しい縮小後退ぶりは、周りに与える影響を考えると、暗然(あんぜん)とした思いにならざるを得ないし、昨日、放送されていたNHKの南極海のドキュメンタリー番組では、基地の前に立っている人々が雨に濡れていて、足元には水たまりさえもできていた。
 さらにしばらく前に放送されていた、北極のドキュメンタリー番組では、氷が融けてしまいアザラシを狩ることができずに、やせ細った体でさまようシロクマの映像が映し出されていて哀れだった。
 誰が悪いのだろか。 
 言うまでもないことだが。 
 傲岸不遜(ごうがんふそん)に自らの力を誇った者たちは、いつしか時とともに自ら滅んでいくものだが、恐るべきことには、その時に周りのすべてのものさえも巻き添えにしてしまうということだ。
 そうした中でも、残された日々を生きること。

 私は考えをまとめることができないまま、今、緑濃いこの九重の山の景色をひとり愉(たの)しみながら登っているだけなのだ。
 まだまだ続く、鮮やかなアザミの花とヒョウモンチョウだらけ(各種の区別がつかない)の道を登って行く、濃い紫のウツボグサに、白い小さな花の穂先を幾つも伸ばしたヤマブキショウマ、低いササの中から一本だけ立ち上がったシライトソウ。
 遊歩道が終わる沓掛山(くつかけやま)前峰からは、南に盛り上がる扇ヶ鼻(1698m)との間一面に、緑のナベ谷の景観が広がっていた。
 ゆるやかな縦走路を行く。 
 夏の日差しは強いけれども、風もあり、まだ午前中だということもあって、そう暑くはなかった。
 しかし、もう戻ってくる人たちに、一人、二人と出会った。朝早く登山口を出て、午後の暑い中での歩きを避ける彼らのほうが正解なのだ。
 
 やがて、尾根の下の谷を挟んで、星生山(ほっしょうざん、1762m)が姿を現し、秋は紅葉に彩られる西斜面(’16.10.31の項参照)の、さすがに夏らしく盛り上がる緑のうねりが素晴らしかった。(写真上)
 扇ヶ鼻分岐から、平らな西千里浜をたどって行くと、久住山(1787m)が見えてきた。
 今までに何度も見てきた姿だが、その度ごとにどうしても写真に撮りたくなる。一二分ごとに立ち止まってはシャッターを押してしまう。 
 岩塊帯を登って星生崎下の鞍部(あんぶ)に着き、そこでもまた一枚。(写真下)



 冬、雪に覆われるころの姿とはまた違って、緑鮮やかに夏の強い光を浴びてそびえ立つその姿、高さでは中岳に少し劣るとはいえ、九重山群の中の盟主たるべき山であることは間違いのないところだ。 
 一度、眼下の避難小屋のある平坦地に降り(上の写真の左下)、それからゆるやかに久住山から北に張り出した山腹をたどり、そして御池への道と分かれて、天狗ヶ城(てんぐがじょう、1780m)への急な登りとなる。
 右下に見えてきた御池の色に励まされ、何度も立ち止まり大きな息をつきながら、やっと天狗ヶ城の頂上に着いた。 
 この九重山群の中で、私の最も好きな頂上だ。 
 何度も言ってきたことだが、何よりも人が少ない静かな山頂であることがありがたいし、普通の登山者たちは久住山か最高峰の中岳(1791m)を目指すから、この天狗は見逃されることが多く、ついでに登る山だと思われているようだが、私にとってはこの天狗だけが目的の時もあるくらいなのだ。
 さらに、周りの山々を見ることから言えば、この天狗と中岳が最も最適な位置にあり、他の山々、久住、星生、稲星、三俣、大船などの頂からの展望も、もちろんそれぞれに独立峰として悪くはないのだが、何と言っても、この二つの山の頂からこそが、久住山群主峰群を眺めるには最適の場所だと私は思っている。

 しばらく休んで、岩塊の下り道からゆるやかになり、そこから御池とそれを囲む御池山の向こうに、先ほどの鋭角的な姿とは違うゆったりと山体を横たえた久住山の姿が見えている。ここでもいつものようにカメラを構えてしまう。(写真下)




 まして、御池の色がいつもとは違うエメラルド・グリーンになっていたから、その鮮やかな色を見ただけでも来たかいがあるというものだ。 
 前に一二度はこの色を見たことはあるが、いつもは普通の浅い緑か濃い緑色であり、今回の色は、火山山群であるこの九重一帯の火山活動によりというよりは、このたびの記録的豪雨により、周りの硫黄などの火山成分が流れ込んだためと考えるべきだろうか。
 
 さらに、ゆるやかな鞍部から中岳への短い急な登りになって、ほどなく中岳頂上に着く。 
 ここで、今まで見えなかった東側が大きく開けて、眼下に小さな箱庭のような坊ガツル湿原の広がりが見え、取り囲むようにミヤマキリシマで有名な平治岳(1643m)と大船山(だいせんざん、1786m)が見えている。しかしどうしても、反対側の西側に目がいってしまう。 
 先ほどの、御池を懐に抱くように見える久住山の両側に南に稲星山(1774m)、西から北にかけて手前に今登ってきた天狗、そして向こうに星生山、遠くコニーデ富士山形の涌蓋山(わいたさん、1500m)があり、北側にひとり離れてうずくまるように三俣山(1745m)が見えている。
 11時になるのに、小さな雲がいくつかあるだけで、ほとんど快晴の夏の空、他に誰もいない静かな山頂。
 それ以上に、まるで初めて見るかのように、夏の強い日差しにくっきりと浮かび上がるかのような、濃い緑にあふれる山々の姿。

 思えば、真夏の九重に登ったのは久しぶりのことであり、10年から10数年前に、真夏の縦走路は暑いからと避けて、沢登りで二度ほど扇ヶ鼻に登ったことはあるが、中心部の主峰群に登ったのは、中高校生の頃に三度ほど登って以来のことであり、あれから数十年もの歳月が流れていて、モノクロ写真からは当時の山肌の色までは思い出すことができず、こうして初めて見たような夏山の姿に、新鮮な驚きを感じたほどなのだ。 
 その後、九重へは、ミヤマキリシマの咲く6月か雪の降った冬の時期(’17.1.30の項参照)にしか登らずに、秋の紅葉の時期さえも今までに少ししか知らなかったくらいなのだ。
 山は、一回登ったくらいで、その山のすべてについて語れるものではなく、春夏秋冬、さらに日の出から夕日に照らし出されるすべての情景を見てこそ、ようやくその山について少しずつ話すことができるようになるものなのだろう。 
 私は、この九重の山に、おそらく100回ほどは登っているのだろうが、最近登り始めた紅葉の時期と併せて、このたびの真夏の山に登って、まだまだこの九重の山について知らないことが幾つもあるのだと教えられたのだ。この年になって。

 かと言って、若いころにもっといろんな山に登っておけばよかったのにとは思わないし、それは若いころには他にもやるべきことがいろいろとあったからであり、今になって、昔の記憶の中にある山だけを懐かしみたいとも思わない。 
 大切なのは今であって、記憶にあるだけの若いころなんぞに戻りたいとは思わない。 
 年寄りになってからの今こそ、長い経験に基づくいろいろな視点からの観賞力が蓄えられていて、その観能力こそを大切にしていきたいと思うのだ。
 これからいつまで続けられるかもわからない、一つ一つの山旅が、すべて私には大切なものになるのだろう。
 生きて年を取って行くということは、そういうものだと思う。 
 若いころの激情の発露こそは、確かにその時に若さのただなかにいた証(あかし)であり、それと同じように、いやそれ以上に年を取ってからの、余分な感情に左右されない、静寂の中の確かな動きこそが、残り少ない生のきらめきの鑑賞力を高めてくれるのだろう。

 帰りは、御池に向かい湖岸いっぱいになった水辺を眺めながら、エメラルド・グリーンの色合いを心おきなく楽しんだ。
 しかし、沓掛山に向かうなだらかな縦走路では、夏の午後の光が強く照りつけていて、早立ちして山に登り、午前中までには下りてくる人たちの思いがよくわかった。 
 それでも、まだ登ってくる人たちがいたし、学校の集団登山の列も続いていた。
 まあ、人それぞれの考えや予定もあることだろうから。

 往復6時間足らずの、適度な山歩きだった。(前回の登山から2週間ほどしか間が空いておらず、翌日以降の筋肉痛もなかった。) 
 家に戻って、まずは昨日の残り湯に入って汗を流し、ついでに汗まみれの登山着なども洗濯して、冷房の効いた部屋で、ノンアルコール・ビールを飲んで、うーんたまらん喉ごしの感じ、そしてデジカメをテレビにつないで、とってきたばかりの写真を見る。なんという幸せな時間だ。

 ところで暑い夏に九州の家に戻ってきたのは、様々な用事が重なってのことなのだが、その他の理由の一つに、庭のウメの木になる大きなウメの実でウメジャムを作ることがあり、大げさなようだが、このウメジャムこそが、今の私の健康を支えてくれているのだと思っているからでもある・・・信じる者は幸いなるかな。
 ただし、毎年少しずつウメの実の数が少なくなってはいるのだが、今年も何とか大びん1、中びん1個と作ることができたし、さらには近くにあるヤマモモの実(写真下)からもジャムを作り、これも大びん1個に小びん3個と作ることができた。
 いずれも暑い中、大汗をかいての二日にわたる作業だったが、ともかくなすべき季節の仕事をすませることができて、その後で、またもノンアルコール・ビールを一杯、うまい。(私はビール業界の回し者ではありません。念のため。)

 虫は虫なりに、動物たちは動物たちなりに、じじいはじじいなりに、それぞれに生きる道があるものなのであります・・・。


 

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