MY CROQUIS

気が向いたときに徒然と描きます。
徒然なので、誤字脱字、乱文乱丁はご容赦下さい。

トンネル

2006年04月19日 | 休憩
もう何年になるだろう
私はこの先の見えないトンネルの中を
ただ ひたすらに前に進んで歩いている

このトンネルの先は はたして光り輝く天国なのか
それとも 奈落の底なのか

ここに入る前は たくさんの横道があった
どこをどう曲がったかは覚えていない
ただ 立ち止まることなく歩き続けたのは確かだ

数年前から岩の間から光が見え隠れしている
誰かが手招きしているのだ
心地よい光だった
一度 その光に吸い寄せられて 外の世界を見た

だのに また 私はトンネルの中に戻ったのだ

そして二年前 私はここで宝箱を見つけてしまった
大きな宝箱だ
今はそれを引きずりながら 歩いている

今もときどきあの人が外から光をくれる
でも もうそこには行けない
宝箱がその穴から出せないのだ

だから出口を目指すしかなくなってしまった

暗いトンネルの中を ただひたすらに 歩くだけ

理想の結婚相手

2005年12月04日 | 徒然…
最近理想の結婚相手とは…と友人と考える。
理想を言えばキリがない。
だから、消去法で行く。

・ギャンブルをしない
・酒乱ではない
・暴力をふるわない
・親(親戚)が面倒でない
・仕事はする

このへんがクリアしていればまずOK。
あとは本人との相性(性格)の問題だろう。
未婚者の意見としては

1.頼りになる
2.やさしい
3.自分だけを愛してくれる

を求めるそうだ。

1はまずありえないと思う。女性の方がよっぽど頼りになるのだ。
いざとなったらお姑さんの方がよほど頼りになる。
結婚は本人とではなく、その家族とするものだと理解するべきである。

2は何に対してやさしいのかを良く見極めなければいけない。
自己満足でやさしい可能性が高い。

3.これも半分本人の自己満足が多い。
つまり「妻を愛してるオレ。」なのだ。これも理解した上で条件の一つにしなければいけない。

では他の何に重きを置くべきか。
私の意見では本人の素直さである。
これは私のように女性の中でもキツイ性格を持っていると特に必要なのだが、
ここに頑固に「おれ」を通す人が出てきてしまうと早速「離婚届」を用意しなくてはならなくなる。
女性の中でもおしとやかな人もいるが、私の見る限りそのように自分を押さえているように見える。
とても頭の良い女性だと思う。
こういう女性でもいつもいつも押さえることは
現代の共働きを余儀なくされる社会では難しくなってくるのだ。
だからこそ夫側の素直さが大変重要と考える。

意固地にならず、他人の意見にも良く耳を傾け、時には謝ることもあり、意見する時もある。

最高に理想の結婚相手ではないだろうか。
これがあればたとえ犯罪者でもお勧めである。

ただ、ここが問題。
そういう男性がいないのだ。私が思うに若い人に特に多いが、とかく自分に自信がない。
だから、意見を言わないし、意固地になる。
思い通りにいかなければ逆ギレなのだ。

キレなくても充分自信を持っていい人でも、立派な意見を言える人でも言わない。

友人は未婚なのだが、条件はこれ一点なのに、そういう人との出会いが無いと嘆いている。

男尊女卑

2005年11月26日 | 徒然…
天皇制の改定がさけばれている昨今、
男尊女卑とは…と考えさせられる。

ちなみに私は男女差別は無意味だと思うが、男女区別は必要だと思っている。
そこに生まれる男尊女卑。

社会でも男女雇用機会均等などで男性と女性の区別はなくなってきた。
しかし、現状はひどくなっているとも言われている。

私が男女の区別を肯定しているのは性から来るどうにもならない能力の問題とそれに付随する得手不得手にかかること。
もちろん全ての人に当てはまるとは限らないとも思う。
これが男女区別と考える。
差別とはそれを無理矢理全ての人に当てはめようとする心理であると思う。

例えば女性は身近なものによく目がいくそうだ。
しかし男性は全体がよく見渡せる。
これは性の能力の問題らしい。
するとやはり女性は毎日繰り返される細かい家庭での仕事に向いていると言える。
男性は将来先々を計算しながら動かなくてはいけない社会での仕事に向いているのだろう。

もう一つ大切なことが子育て。
最近では男性が子育てをし、女性が外で働く家庭もあると聞く。
しかしこれは非常に稀なケース。
女性には母性があるが男性には明らかにないのだ。
私が感じるに女性は意外と自立心が高いが男性はサポートを欲しがる。
ここに子育てが加わるとどうか。
子供は当然自分勝手である。子育ては孤独が必要だ。
これを男性がやると子供も親もどこに頼って良いのか
真っ暗闇で手探りのように探し始めてしまうのだ。

もちろん例外もあると思う。
しかし、私が会った限りの人は全て当てはまっていた。
ここが問題である。
「会った限りの人は全て」なのだ。
だから、突然例外がでてくると攻撃が始まる。
キャリアウーマンとは非常にやりにくくなってしまうのだ。

ただ、私が思う男女の一番の理想の形は
「男性は社会に出て外から家族を守り、女性は家の中から家族を守る」
ことだと思う。
それが一番自然である。性の能力に全く反していないのだ。
私は本当に例外である社会に出るべき女性以外の女性が
外にでることで社会がこじれているように思う。
子供の教育が行き届かないのもしかり、
離婚率が高くなるのもこれが大きな原因だ。
それこそ、女性に経済力があるとあとは子供さえいれば男性はいらないのだから。
男性はいざというときに重たいものを運んでくれれば充分。
それすら経済力でまかなえてしまう時もある。

しかしこの世に男性は必要なのだ。
女性同士で企画しているとどうしても計画倒れが多い。
先のことが予想できないからである。
このペースで社会を動かせば当然無理が生じるのだ。
現代の女性から見れば現代の男性が頼りなく感じるのかもしれない。
しかし、女性が男性に頼り切っていた時代から男性はそれほど頼りにはならないようだ。
昔の男性は家にいる時はただいるだけで子育ては全くしない。
子供に声すらかけない。
重たい荷物も持たない。(母か嫁がやっている)
ほとんどの時間は書斎でひとりで過ごして食事の時だけ出てくる。
こんな生活だ。
女性が社会で認められることは皆無。
それよりも妻が夫をしっかり立て、
いざというときの一家の顔として立派姿を表に出す。
ここで初めて男性が認められ、その影にいた女性がほんの少し評価されるのである。

ちょっと待て。
これは男女差別だろうか、区別だろうか。
この前に考えなければいけないのはなぜ男性を女性が立てなければならないかだ。
男性が上位になるのはいろいろな理由があると思う。
一つは心だ。私はずっとこの違いを考えてきたがここが一番違った。
男性は女性と比べると心が清らかだと思う。
これは男性にはわかりづらいかもしれない。
わかりやすく例えるなら、
女性の心はよく満ち欠けをする月に例えられるほどきまぐれだ。
男性は太陽である。同じ形で同じように輝いている。
女性は全てを他人に見せることはほとんどない。先ほども言ったが、自立心が高いからだ。
男性は人に頼る。だから、頼りたい人にはできるだけ自分を解ってもらおうと心も内を話してしまうのだ。
ここに男女の違いを思う。

弥生時代、卑弥呼という女王がいたと言われている。
このころは女性が上位であった。
これは卑弥呼が占い師のようなことをしていたからだと推測されている。
しかし、奈良時代からは男性上位だ。
もちろん腕力の問題もあるが、それよりも神聖なものとして捉える
宗教のような考えが大陸から届いたのだろう。
私は別に宗教を重んじているわけではないが、理解はできる。
いつ心変わるか解らない女性を天上に置くよりも、
素直な男性を上げた方が信頼できるのである。


私は男尊女卑は大歓迎である。
それが自然であり、自然がそれぞれ一番の幸せの近道だと思うからである。

子育てのススメ

2005年11月14日 | 徒然…
子育てって楽しい。
今日は子供が風邪をひいて熱を出してしまった。
冷えピタをおでこに張っている娘がまたかわいい。

娘は現在2歳の反抗期入り口である。
ちょっと前までは
「スボンはいて」「はい!」「パンツ脱いで。」「はい!」
と、とってもカワイらしかったのに、今では何を言っても
「嫌。」の一言。
大好きなサーモンも何と勘違いしているのか
「嫌。」
「サーモンだって。」「嫌。」
何かの拍子に食べさせてみると
「もっとください!」…完全に反抗期である。

その割には夜になると恋しくなるのか
「ママあ、ママあ。お歌…」と言ってくる。
ここでABBAのヴーレーヴーなど歌っては目がぱっちりになってしまうので
おかあさんといっしょの歌を一緒に歌う。
3,4曲も歌えば寝てしまうのだ。
(ちなみに私が「ヴーレーヴー」というと「ア・ハ!」と歌ってくれる)

掃除機をかけていればおもちゃの掃除機を持ち出し、一緒にかけてくれるし、

お化粧をしていれば100均で買った空のファンデーションケースに
パフを入れて横でお化粧を始めて鏡を占領するし、

おままごとでは白い棒をもって口にくわえると
「フー…」とたばこを吸っていたので灰皿を出してあげた。

おもちゃの携帯を持たせると
「もし!!あ、○○ちゃん?(私の友達の名前)え?!ほんと?
ふーん。そっかそっかぁ。じゃあねー。はーい。」と言って切っていたので
「○○ちゃん、何だって?」と聞くと
「お仕事だって。」だそうだ。

何をやってもかわいらしい。
もともと子供嫌いな私は、
子供を持つとどうなるのか自分ではわからなかった。
何が違うのだろうと思っていたが、
多分何も出来ない生まれたばかりを見ているからなのだと思った。
何も出来ない時からくらべれば反抗期で全く言うことを聞かなくても
「反抗するほど大人になったのだ」と微笑ましくさえ思う。
転んで怪我をしても「それほど動けるようになった」と思う。

これは娘が未熟児で生まれたせいだろうか。

娘は早産で一ヶ月早く生まれ、退院が私より2週間遅れた。
2週間は早いほうで奇跡に近い方だった。最初は1ヶ月と言われていたのだ。
その間毎日病院に通うのだが、生まれていきなり私と離され、
保育器に入ったまま抱くことも出来なかったために借り物のようだった。
本当は自分で生んだのではなく、ただ病院で借りているだけのような感じがしていたのだ。
しかし、退院後、娘は順調すぎるほど順調に育ち、
3ヶ月の検診では医師から「出生体重1865gかぁ…え?どの子?」と言われるほどで、
6ヶ月からは平均身長、平均体重を1センチ、1gもずれずに成長した。
ただ、この経験がよかったのか、まわりのお母さん達が
「全く眠れない…。ちょっとは休ませて欲しい…」という中、
泣いているところを見られることがうらやましいと思っていたほどだった私は
娘の退院後は泣く度にうれしかったのだ。
だから、わがままもかわいく見えるのかもしれない。

子育ては本当に楽しい。
子供にイライラさせられることがある人もいるのだが、
何も出来ない時から比べれば充分がんばっているのだから、かわいいものなのだ。
子供がいるだけでありがたいことなのだなぁといつも感謝している。

レーシックその後

2005年11月12日 | 徒然…
レーシックから1週間経った。
見え方は
「自然に見えるってこんなもんなんだ…」
という感じ。
あまりにも自然に見えすぎて違和感がないのだ。
コンタクトなどで矯正してこの視力だと頭が痛くなったり、
おお!!よく見える!という感想なのだが、
レーシックの場合はちょっと違う。
「これが1.5なんだ…」
という程度。
レーシックの術前の説明にもあったが、光がまぶしく見えたりぼやっと見えたりするのは
1週間経ってみるとかなり軽減されているように思う。
慣れると言われたが、慣れというよりは軽減だった。

今日からは禁止されていたアイメイクも解禁になり、
3時間、5時間毎にさす目薬以外は普通どおりになった。

寝る時と起きた時に眼鏡の位置を確認してしまうのは相変わらずの癖だ。
アイメイクを落とす時などは本当にこのままメイク落としをつても良いのだろうかとびくびくものである。

ただ、何よりも一番驚いたのは自分の体型だった。
いままで全身を映る鏡などは正面からは見えるものの、
横からはコンタクトだと落ちそうになるので見ないし、
眼鏡では当然見えないのではっきりと見ることはなかった。
びっくりした。

世の女性陣、ダイエットにレーシックは効果大です。

レーシック結果報告!

2005年11月09日 | 徒然…
レーシックやってきましたよ。

まず手術前の視力は0.06と0.04。
(これでもクリニックの基準では中等度の近視らしい。強度近視ってどんなだ。)
翌日の検査では左右とも1.5で両眼で2.0だった。

手術は説明を受けてから「じゃあ、こちらのドアにお願いします」と
あっさり手術室へ連れて行かれ、手術台らしいものではなく、
社長室の椅子のようなものに座らされ、まずはレーザーでフラップという
ふたのようなものを作る手術室へ行った。
ここは難なくクリア。

次に目の前がかなり白い中、看護婦さんに連れられて隣の手術室へ移動。
そこはまさに手術台。
先生達が別のドアからワラワラとあらわれ、
全員薄緑の割烹着のようなものを着ていたのに更に緊張感が増し、
怖くなってきた。さながら仮面ライダーがジョッカーに実験台にされているシーンのよう。

いよいよ手術スタート。
目をまずテープで顔に掛けた布に固定して、
目の前に発行ダイオードのような光が沢山集まったようなものを当てられ
瞬きができないように何か(わかんないんだよ)で固定して…

最初はジーという音だったのが光がぼやけた時突然バリバリバリ…という感電しているような音が20秒くらい続いて終了。
そして、もう片方の目…。という感じだった。

手術台からおりる時はまだ目の前は白っぽいが、何故かくっきりと線が見えた。
これはびっくりしたが、怖いやら痛いやらでかなり混乱中。
もともと私はひじょーーーーーーーに痛みに弱いタイプで
先日もレーザー脱毛をエステでやってもらう時、「何も感じなくて寝てしまう人もいるほどです」
と言われる静電気が当たった程度の痛みにも耐えられず、
1年経った未だに脱毛が終了しないほどだ。
(ほとんどの人は1年未満で終わるらしい。レーザーの出力が弱いと終わらない。)

その後、リラクゼーションルームという飛行機のエグゼクティヴファーストクラスのシート
(見たことないけど、大統領の専用機にありそうな感じ)のようなソファーがある部屋に
連れて行かれ、30ほど休んだ後簡単な診察を受け
「大丈夫です。手術はきれいにできました」とお医者様に言われ
ジムのお姉さまに目薬の説明を受け家に帰された。

しかし、ここからが大変だった。

「ちょっとしみる程度ですよね」
と明るく接客してくれた最後のお姉さまの言葉を信じた私が悪かった。
タクシーで家まで帰ったのだが、そこが一番の難関。
麻酔が切れてきたのかずきんずきんと激痛が続く。
コンタクトのハードを入れていてかなり大きなゴミが入り、
それが取れた後でもまだ痛みがひかないでいる状態が延々と続いた。

渋滞もあり、家まで1時間半ほどかかったが、ほとんど目が開けられず
タクシーの料金も払えなかったので主人に来てもらって払ったほど。
家に着いてやっと痛み止めを飲むことが出来、落ち着いたのは手術から4時間後。
痛み止めはクリニックで飲むべきだった…。

しかし、その後はあまりにも自然にくっきりと見えるためコンタクトをつけているのじゃないかと思うほどすごかった。多分このときには既に2.0あったのだ。

翌日は洗顔できないのだが、翌々日夜に洗顔をした時はコンタクトをつけていないのに洗顔ができることにものすごい違和感(良い意味で)を感じた。
手術から4日経ったいまでもそれはびっくりしている。

またカラオケ行った

2005年11月01日 | 休憩
今日のカラオケラインナップ

・マンマ・ミーア (ABBA)
・このゆびとまれ(おかあさんといっしょ)
・ボヘミアンラプソディー(クィーン)
・たこのくるんぱ(おかあさんといっしょ)
・恋人達のクリスマス(マライア・キャリー)
・しってしまったぼく(おかあさんといっしょ)
・One more time On more chance(山崎 まさよし)
・夢のパレード(おかあさんといっしょ)
・ヴーレーヴー(ABBA)
・風のおはなし(いないいないはぁ)
・SOS(ABBA)
・地球ネコ(おかあさんといっしょ)
・フリフリ‘65(サザンオールスターズ)
・あのね、あきはね(おかあさんといっしょ)
・ステキな恋の忘れ方(薬師丸ひろ子)

…以下略

子供番組系はもちろん娘のリクエスト。
(子供できるとわかるけど、歌えちゃうんだってコレ)
おかあさんといっしょの音楽はほとんど歌えるが、
結構良い曲がそろっていてびっくりだったりする。

特に好きなのは「しってしまったぼく」や
今日は歌わなかったが「にじのいろとおほしさま」

「しってしまったぼく」は音楽の楽曲も大好きだが、
歌詞の中の子供の自分のほんのちょっとの成長に喜ぶ内容がかわいい。
「にじのいろとおほしさま」は虹の色は本当は8色だったのに、
白が虹をすべって逃げてしまったので7色になった…とか、
昔は星は昼間も出ていたのに、太陽や雲とおしゃべりしすぎて夜に連れて行かれちゃって、
今は坊やの夢の中…などとてもかわいらしい夢のある内容。
(詳しくはここでは書いてはいけないのでどこかで歌詞をみてください)

その他の歌は自主的に…。
クィーンを知ったのは高校生の時で、好きになったのは小学生の時。
メッツ(ドリンク)のCMや夜中のたばこのCMの音楽が大好きだったのが、
メッツは「ウィー ウィル ロック ユー」だったし、
たばこのCMは「ドント ストップ ミー ナウ」だった。
ABBAは小さい頃に両親がドライブに行く時にかけていたようだ。
ダンシングクィーンから好きになり、アルバムを買ったら
いきなりほとんど歌えたのにびっくりした。

邦楽はあまり好きではなくて、別に嫌いではないのだが、いまいち盛り上がれない…。
なんでだろう…。


またカラオケ行きたいなぁ…。

お料理大好き

2005年10月30日 | 徒然…
私は家庭的である。(誰も認めてくれないが)
毎日お料理やお洗濯、お掃除も全く苦ではないと思う。(誰も認めてくれないが)

だから、キャリアウーマンではなく専業主婦の方が向いているのである。
(全くだれも認めてくれないが)

とりあえず出来る料理はなんだと聞かれれば、非常に一般的な家庭の料理ならまずは大丈夫だ。
冷蔵庫の中の残りもので作ることができる。
さすがに中華は調味料に限界があるので中華丼くらいしかできないが、
和食、洋食、イタリアン(スパゲッティーね)くらいならとりあえずは作れる。
作れると言っても美味しくなければ意味がないが、10中8,9は大丈夫なはずだ。
お料理本をみないと出来ないほど難しい物ではなく、アイディア料理が一番楽しい。

このネタの宝庫は居酒屋さんである。
居酒屋さんのメニューは簡単で好き嫌いをほとんど言われずに無難に美味しい物が多い。
とはいうものの、私は全くお酒が飲めない。
梅酒(缶)を1センチ飲んだら真っ赤になってしまうほどである。
居酒屋さんに行けない。

だから、お料理の本を買う。
本を買うときは居酒屋さんのおつまみが載っているものを買う。
「納豆を海苔で包んだ天ぷら」
納豆好きにはたまらないが、納豆嫌いでも大丈夫と書いてあったが多分無理だと思う。
「クリームチーズツナinプチトマト」
食べたら非常に美味しかったが、トマトの中身を出すのが大変。しかもプチ。

ある程度工夫が必要そうである。

それと、裏技的な本。
天ぷらにマヨネーズを混ぜたり、
牛肉をコーラに浸して柔らかく下ごしらえをしたり、
唐揚げを片栗粉ではなく上新粉でやってみたり である。
これは非常に役に立った。
これに一工夫を加える。
ニンニクで香りをつけたり、ショウガをきつくしてみたり、
お砂糖ではなく蜂蜜をいれてみたり、牛乳ではなくクリープをいれてみたり、
日本酒をワインにしてみたり、その逆だったり…。
ここが腕の見せ所である。

その上料理には飾りを楽しむことができる。
春雨を油で揚げてみたり、にんじんをお花の形にしたり
直接お花を添えてみてもかわいらしい。
秋は紅葉も素敵だし、中華ではよくデンファレ(蘭)が付いてきたりする。

これで、さらに見た目の味が変わるのだ。


友人曰く、これだけやって30分程度で全部水の泡なのが納得できない。

まあ、確かにそうなのだが、楽しい・美味しいと思って食べてもらえるのが嬉しいのだ。
こんなことを毎日出来る専業主婦は非常にうらやましい限りである。

ハマってしまった(脳力トレーナー編)

2005年10月29日 | 徒然…
ばっちり すっかり ハマってしまいました。

私はぜんそくで大学病院に1,2ヶ月に1回ほど通ったりしているのだが、
その待ち時間がひじょーーーーーーーーーーーーーーに永い。

すばらしいときだと9時に受付をして14時になったことがある。
会計をして帰る時に17時の放送が流れていた。
(もっとひどい人もいるらしい)

そこで、この待ち時間にPSPが大活躍だ。
30も目前のいい大人の女性がPSPに夢中になっている姿はちょっと恥ずかしいが
そんな悠長な事を言っていられるほどの待ち時間ではないので許される。

今まではパズルゲームを中心にしていたが、いいかげん3時間目には飽きてくる。
そこで、かのCM「アレリーマン」をみて早速買った。

もともと知能テストが大好きだった私はかなりハマってしまった。

計算能力や反射能力、判断能力、記憶力を簡単な問題を通してトレーニングをしたり、実力テストがあったりで単純で疲れない内容だった。(私にはね)

データのグラフなんかもあって、
私は判断能力には長けているが、計算問題は全く駄目なのがよくわかる。
昔からそうだったが、高校の先生に「あなたは絶対理数系に進むべきだけど、ケアレスミスをなくそうね」と言われ続けていた。(そして美大に入った私)
難問と言われる文章問題や特に図形(代数幾何系)は大好きだったのに、
足し算と引き算を間違えるのである。
あわてているわけではないのだが(多分)、いきなり
9 ひく 7 は?
と言われると「え?」となってしまう。
(意外と言えないよね。。。。え?そんなことない?)

と、言うわけで反射も弱いことがわかった。

これやってたら本当に脳力つくのかなぁ。
つかなくてもおもしろいからやるけど。

死刑の賛否

2005年10月23日 | 徒然…
とても難しい問題なのだとは思う。
しかし私の結論は死刑は反対である。

理由は「人が人を殺すことに正義を見いだすことが出来ないから」だ。

そもそも罪を犯した人間というのも、それがどんなに大虐殺をした犯人だったとしてもその罪を償わなければいけないと思う。
償うのに死を持ってしてしまったらどうか。
遺族は果たしてそれで本当の意味で報われるのだろうか。
気が晴れるのだろうか。
その犯人が最後まで「私は悪くない」と全く反省せずに死んでしまうのである。
それに対して怒りを覚えないのだろうか。

私はその大虐殺をした犯人を殺してしまっては被害者の命も全くの無駄死にだと思うのである。
ここでこの犯人が大いに反省をしてその生涯で二度と犯罪を起こさないようになるのであればそれだけでもその命に無駄がなかったとほんの少しだが思えるのではないだろうか。

私は常に人が人を殺して良いほどの罪を犯すことはできないと思っている。
例えば犯人にも言い分があったのかもしれない。
しかし、どんな理由があったにせよ、殺人は悪である。

死刑はどうなのか。
悪ではないのだろうか。

殺人=悪  死刑=善

というのは疑問である。
法律がそこまで完璧だとは思えないし、そうでなくとも毎日複雑な人間関係が出来ていく世の中で何が悪で何が善なのかの定義もあやしくなってくるのである。
そこで、悪と決められた人を殺してしまっても良いのだろうか。
もしかするとその悪は偏見からみてはいないだろうか。
そうするともしかすると犯人は周囲に押されて犯罪を犯したのだとすれば…。


もちろん、死刑をなくして許そうというのではない。
無期懲役で充分ではないかと思うのである。
「そこで生活をさせてあげる」のではなく永遠に反省させるような状態をつくることを刑として与えたらどうなのかと思う。
死んでしまっては何もできないのだから。


私は死刑は反対だ。