猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はマンガとグルメ、お出かけ主体に。特に1960年~70代マンガを紹介したいと。ネタバレ有り。

岡田 史子 デビュー(前)作品 「太陽と骸骨のような少年」

2007年03月26日 13時32分00秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 COM 1967年2月号 第2回ぐら・こん まんが予備校にて

 上の写真はいつものように私の模写です。本物の載っているサイトは見つけられなかったので。どなたかご存知なら教えてください。それにしても誰か綺麗に写真撮る方法教えて(泣)

 岡田氏の経歴については、復刊ドットコムの岡田 史子 復刊特集ページの中のプロフィールではこんな感じ。

1949年 北海道静内町に生まれる。

67年「COM」誌にて「太陽と骸骨のような少年」を発表しデビュー。当時17歳。

翌68年「ガラス玉」で「COM新人賞」を受賞。

以後、72年まで同誌を中心に作品を発表し続ける。

一時は漫画と無縁の生活をおくっていたが、78年から再度漫画の執筆をはじめる。

しかし本格的なカムバックには至らず、90年に「漫画・夢の博物誌」に発表した

「エリム」以降、断筆。 (これ見てないです)

作品は抽象度が高く観念的で、一作毎に変わる絵柄は魅力的。

萩尾望都や山岸涼子ら24年組に強い影響を与えたといわれ、

「漫画家のための漫画家」と呼ばれることも。

2005年4月心不全の為死去。享年55歳。



 上では、 
 >「COM」誌にて「太陽と骸骨のような少年」を発表しデビュー。
となっていますが、「太陽と骸骨のような少年」はCOMの投稿コーナーである ぐら・こん のまんが予備校に投稿された作品であり、600点満点のうち370点の高得点を取っている入選作品なので、デビュー作ではないと思います。すぐにCOMの人気まんが家になっていますが。


    ↓ 岡田氏のファンサイトにも経歴が出ています。

岡田 史子ファンサイト 硝子玉

    ↓ ここでは 「ガラス玉」 と「春のふしぎ」の各1ページと本人のインタビューが読めます。

岡田 史子インタビュー


 「太陽と骸骨のような少年」は7P、全ページ4/1の縮小サイズで掲載され、大野 ゆたか氏が講評されています。要約して下に載せますと、

 岡田さん自信も言っている様に、この現代詩のような饒舌を美しいカットで飾った七枚の原稿をまんがと呼べるかどうかは多分に疑問だ。
 ストーリーもなく対話もかみ合わず、年少の読者には分けの分からない作品としか見えないだろう。
 しかし、まんがの形式を借りたこの作品はいままでまんがでは扱えなかったテーマ ― 人生・希望など ― に正面から挑戦している。
 岡田さんのこのテーマがまんがとして完成され、表情豊かにまんがの主人公がなめらかに 「人生」 をしゃべりだし、多くの読者がそれを認めた時、作者はまんが界に一つのジャンルを築くことになるだろう。情緒と形式に安住せずに勉強してください。それと、よりよき読者としての友人を一人でも多く身辺に見つけることです。


 多くの投稿作品を見ていたであろう 大野 ゆたか氏 にとってもかなりな問題作だったようです。絵柄は、この当時は石森氏にちょっと似ている。後になるとペイネ風と言うかムンクにも通じて、目が空洞になって 岡田 史子氏 の画風になってきます。
 
 この作品は、精神病院に入っているらしい少年と看護士(少女)の会話だけの内容で、神殿のような背景と海が見えます。少年は好き勝手にモノローグを繰り広げ、少女の質問にはかみ合わない答えを繰り返す。今大人になった私が読んでも、悪く言えば独りよがりの作品よ、と言えなくも無い。その後のCOM発表の作品群も難解なもの多いです。
 事実近年出た作品集 「オデッセイ」 などを見た今の読者の中には過去の有名な人なのに良さがちっとも分からない、と言う人もいます。
 
 デモねー、無理に内容をわかろうとしなくてもよいと思うのですよ、この作品は。この後彼女の亜流がどっと投稿作品に増えたほど、当時のまんが好きには彼女を強烈に印象付けた作品。

      私も2P目のこの少年の姿が40年近くなっても忘れられないのです。


 拙ブログ過去記事参考 → 伝説の岡田史子氏に合掌
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思春期・青春期の軌跡 (蔦村)
2007-03-27 01:22:23
思春期の入り口・青春期の只中で自己表現を模索しているものにとって、岡田さんは一つのアプローチの仕方を示してくれた勇敢な同世代の先駆者でしょうか。
青春とは何か、生きるとは何か、と気恥ずかしさもなく真正面に繰り返し問いつづけるように描いていた永島慎二さん(漫画家残酷物語など)がいて、岡田さんの画風もむしろ永島さんのように見えました(創刊号で永島さんのマンガを初めて見たとき、少年と少女の目が黒丸で驚きました)。
でも年上世代の永島さんの青春論が過去を振り返ってのもので、大人の悟りめいたものに変わっていく中で、岡田さんの作品群はいつも何か探しつづけているような、心のさすらって行く軌跡がその都度に感じられるような危うい印象でした。
決して読者に向かってでなく自分の内面に棲む人々に問い掛けているような、でも、表現せずにいられないものを嵐のように紡ぎ出していく姿に勇気を得て、内面に生まれるもの通り過ぎるものを描き出そうと試みた投稿青少年は少なくなかったかもしれません。それは「亜流」なのでしょうか(あのころ岡田さんはCOM内で既にひとつのスタンダードのように見なされてはいましたが)?
岡田さん(を擁したCOM)に励まされ、それぞれが表現衝動を発散させることを試みた人生の一ポイントを過ぎて後、筆を折るか、成長し人間として豊かになって、創作を他者と結び付けられる作家になったか、思えばさまざまですね。
ただ、マンガ少年などで再活動をはじめたときテーマが大人の男女の心理になると、まるで当時の中島みゆきさんのヒット曲のような世界で、岡田さん自身の関心あるいは問題事が年齢とともに変化しているのを感じ、絵としての表現が追いつきにくくなっているのではないかと思えました。もともと恬淡とした感じはあったのですが、愛着を持って一本一本の描線を置いているのか、どう描いても結局自分の神経の延長だから、走るに任せて描いているのか、意図してラフに描いているのか把めないこともありました。
いろいろな出来事を越えて生きていく中で、追い求めていた答えを獲得したかどうか知るところでありませんが、生きていく上でマンガを描くことが必要でなくなったので、岡田さんは描かなくなったような気がします。
COMを始点として羽ばたきプロとなった人はたくさんありますが、なかでも人間の良心をいつも忘れない誠実な作家としてたとえば山本おさむさんが折節に思い起こされます。
こちらでCOMにこだわって丁寧な紹介があるたびに懐かしく、あれこれ追想に耽ってしまいます。言い尽くせぬ思いもどかしいばかりで、長々と失礼しました。
嬉しいです。 (トミー。(猫とマンガとゴルフ~の管理人))
2007-03-27 09:17:17
 蔦村様
 多分同世代とお見受けする蔦村さんのコメントいつも有り難く、嬉しいです。どんどん長文でもご指摘でも書いていってください。
 以前ご指摘の有りました1970年当時のCOM表紙の件、見返しましたらおっしゃるように やなせ たかし氏でなく 和田 誠氏の間違いでしたので、前のブログを訂正しておきました。ありがとうございます。

 岡田 史子氏があの頃のまんが青年に与えた影響は大きいものでしたね。私も大好きで毎号楽しみにしてました。その後の >マンガ少年などで再活動 はぜんぜん見ていないのですが、COMに描いているときから石森氏(当時)などは才能が早く枯渇しないようにと言うようなことを注意しておられました。年齢の変化 (環境の変化) によって描けなくなる内容だと感じていたのでしょう。

 >生きていく上でマンガを描くことが必要でなくなったので、岡田さんは描かなくなったような気がします。

 とっても同感です。

 山本おさむさん ? お名前だけ覚えているような。ひっくり返してみてみます。
 
岡田史子さんのマンガ (tooru_itou)
2007-03-27 17:40:36
「オデッセイ1966~2003 岡田史子作品集 episode1ガラス玉」が手元にあります。マンガ師匠の(つる)さんが強~くお薦めしてたんで、試しに「復刊ドットコム」で買ったんです(^o^)。

 難解なマンガを描く萩尾望都さんが絶賛するだけあって、超難解でした(笑)。ストーリー読みの私ですから(?)でふた(笑)。
 しかし、岡田史子さんのマンガの絵が『忘れられないのです』♪(^o^)。読者に強烈な印象を残す『絵』なんデスねー。
 で、分かりました。萩尾望都さんと同じに、ストーリーを読まず、『絵』の世界を感じればいいんだと♪(^o^)。
当時としては。 (トミー。(猫とマンガとゴルフ~の管理人))
2007-03-28 13:35:51
 tooru_itou様
 実は40年後の今、COMを見直していると、上から俯瞰しているような気分で、えらそうにも ???? な部分も多いのですよ。今より漫画界 (?) も熟してないし、それこそ膨大な数の作品がその後出ていることを思えばどこかで見たなあとか、若いなぁとか。
 しかし当時は皆、新しいものだったし、斬新な考えのものばかりでした。新しい物を作るって大変だよね。当時はそんな若者の熱がありました。
 今で言えばネットで自分の考えを発表するとか、ネット社会で成功してやるとか、プロスポーツも増えましたが、当時はまんがと音楽と小説と、スポーツならプロ野球くらいしかあまり選択肢が無い時代でしたから、まんがブームも熱かったです。
 当時を知っている人のほうが、岡田さんに思いいれ深いのはしょうが無いことだと思いますよ。なんたって青春時代をともに過ごした作品たちですもの。
岡田さァ~~ん (つる)
2007-03-30 22:26:01
ウチの母の出身は北海道静内郡静内町で、岡田さんと同じ。母の妹にあたる叔母は岡田さんとほぼ同年代なので「知ってるかも」なんですが私と違って漫画に熱心じゃない母は訊いてみてくれない。。。

私は萩尾さんの作品に出会った中学生の頃「萩尾さんが解説を書いている」ことから単行本『ガラス玉』と出会いました。

tooruさんが仰るようにひとコマの絵が雄弁で印象的ですね。私もトミー。さんのように「太陽と骸骨のような少年」のその鮮烈な絵は忘れられません。。。ほかにも印象的な絵が多いですね…実はtooruさんのところに置いていただいている絵の次の予定は岡田さんの「墓地へ行く道」で萩尾さんが指摘している『汽車に轢かれる夢をみている少女が汽車に轢かれるところ』の見開きの絵なんですが、、、コレが難しい。。。比較的単純な線に(私には)見えたのですが、描いてみるとほんのちょっと角度が違うだけでまるで違った印象になるのです…下描きが進まないのでそのまま滞ってます。

岡田さんはいわゆる「普通の」少女マンガを描いていたそうですが永島さんの「漫画家残酷物語」を読んでそれまで描いたものを焼き捨てて新しい表現を始めたそうですね。
同じく永島さんに惹かれたガロ出身の阿部慎二さん、未読ですが興味があります。阿部さんは精神を病まれて筆を折ったようですが岡田さんも自殺未遂していらっしゃいますね、、当時の青年は熱かった、と思わせられます。

去年、その一年前の岡田さんの訃報を知りました。最後はご長男に送られたご様子、葬儀は晩年暮らされた埼玉でとのこと、在住の萩尾さんも参列されたのでしょうか、など思いつつ…ご冥福をお祈りします。

やはり失礼ですがCOM時代に、生まれてきてすべきことを終えられた印象がありますね…私は直接雑誌で読んだのは復刊されたマンガ少年誌上の作品でですがかつてのものとは違った印象でした。それでも「柳の木の下で」「家出前夜」などは印象的でしたし「ダンスパーティ」も繰り返し記憶に蘇ってくる勁さを感じますが。

「ガラス玉」のラストページの大きなコマ、レドアールがアタラクシアに旅立つところは個人的にナルニア国物語の「あさびらき丸東の海へ」一冊分…と思ってしまいます。
背後に抜けてきた門の向こうはいわゆる「現実」や「社会」を、遠くに見える生(家庭)や死(墓)、立ち込める暗雲、かつて未知の世界を求めて出かけた帆船などが描かれ、自分だけの「真実」(ガラス玉)を求めて旅立つレドアール。『人生』そのものを思わせますね。

当時最も印象的だったのは『へんだわよ はじめからおわりまで 奇妙だわ…およそ現実ばなれした はなしだわ』といきなり「登場人物」から「読者の視座」にまでのぼってきたリーベのセリフ。度肝を抜かれました。。。
お亡くなりになったの?! (夜)
2007-04-03 19:43:20
知りませんでした。。。
55歳?
まだ、そんなお年じゃないのに残念です

実は蔦村さんやつるさんのコメ読んで、ずっとコメしようかどうしようか悩んでました

だって、だって、私、
岡田さんのまんがを面白いと思ったことが無いんです~!
みんなが褒めれば褒めるほど書き難くて。。。

思春期の内面を鋭く描く
深層心理に迫るような絵柄
印象的なセリフ。。。

どれもその通りなんだけど
読後感が。。。く、暗い!
生きることがどんどん重くなって、つらくなって行く感じ?
青春の悩みに共感するより、負のスパイラルに巻き込まれていくような感じがダメでした
その上、ラストが判らん~~???
前衛的過ぎて付いていけなかったわ~
単行本も、一回読んだだけでたんすの肥やし状態です
今読んだら、違う風に感じるかもしれませんが。。。

同じように永島慎二さんの「漫画家残酷物語」も
分かるけど、面白くない漫画でしたねぇ

両者ともプロの評価は高い漫画家さんだけど
プロとしてやっていくにはあまりにも実験的でしたねぇ
もっとも、COM自体がそういう方向性の雑誌だったんだけど。。。

やっぱり、私はエンターテイメント性の強い漫画が好きだわ~
夜さん (つる)
2007-04-05 10:33:32
出会った年齢や個人差など関係してくるのかもしれません。
私にとっては「どきどきわくわくする」ような面白さ、というものではなく奇妙でわけがわからない印象が強かったのですが、最初に読んだ時上に書いたように『ガラス玉』のリーベのところでは「びっくり!」しました。
最初に感じた面白さはそこだけだったと思います。

この「感じ」は私には覚えがあったんです。6~7歳頃にこのへんな「感じ」はなんだろう、と思ったことがあって、そのことはそれ以来すっかり忘れ果てていたのですが、14歳でコレを読んだ時、自分の体験にある「あの感じ」だ!という確信めいたものがあり、それを漫画に表現することのできる人がいる、ということと漫画という媒体の可能性にとても驚きました。

この「感じ」っていうのはたぶん乳幼児期に自分が世界の中心だった時代から自分が世界の一部だという事を認識していく過程だと思います。人によっては早い時期に起こり、記憶に残らないと思う。私はたまたまかろうじて思い出せる時期に読んだので今でも覚えているわけですが。

なので当時それしか「わかる」と感じたことはなかったと思うのですが、自分が感じたような「感じ」がほかにもこの人の作品には満ち溢れていて、人によって共感を感じるところが違い、でもその鮮烈さは自分が感じたように激しいものだろうと思いました。

その後いくつか似たような思い当たり出てきたのですがなにもかも「わかった」というわけではありません。ただそういったものがたくさん隠れているのだろうと思わずにはいられない根拠があるわけです。

数年後にナニゴトか考え込んでいて、自分なりのその答えとして「わかった、《生きる》ためだ」という結論をだしたのですが、このフレーズはどこかで読んだな、と思い、記憶を辿ったら『ポーヴレト』の中に同じセリフがあったのです。単純な言葉なのでほかにも《生きる》ため、という言葉はあてはまるものがあるとは思うんですが、「感じ」ごと思い出すものが岡田さんの作品に発見される、そういう体験がしばしばあるわけです。

乳幼児期の体験と同じように、思春期の内面の体験や葛藤というのは忘れやすいものだと思います…本人にとってはその時期に「解決してしまう」種類のものだから。解決してしまうと「悩み」ではなくなり、解決までの過程はもう本人に必要なくなるから。

プロの方に支持者が多いのは何か作品を生み出そうとする人たちはいくつになってもこの「忘れ去られやすい感覚」を追想してみる機会が多いからではないかと思います。
現実問題に対処していくとき、こういった感覚に浸っているヒマは普通少ない、そうして時間が過ぎるほど日常忘れていく感覚だと思われます。

思春期、乳幼児期に起こるこうした感情の動きというのはとても「死」に近いところにあるものと思います…4~5歳頃の子供はよく自分が死んだらどうなるのか、お母さんが死んじゃったら自分はどうなるか、考えていますよね、思春期に悩むのももっと複雑化しますけれども存在って何なのか、自分の存在意義は?などを無意識にでも模索するものではないでしょうか。「生きる」ことを選択し終わると、「死」についてだの存在意義だの考えることはとても重い。岡田さんの作品に感じる重さは大人の感覚にとっては荷が重過ぎるものなのだと思います。
そう、「あの感じ」  (蔦村)
2007-04-07 17:37:00
このコメントを読ませて頂く内、つるさんの感じられたものと、私自身の感じたものが同じかどうかはわかりませんが、岡田さんの作品の世界に触れたときの印象はまさしくそう、その感じ。いみじくも言い表されたもの、いつしか封印して持ち越していた懐かしい感覚に図らずも心の準備もなく立ち戻らされたようで、涙ぐんでしまいました。


「感じ」を表現する絵の土壌に、自分の好きな画家(その作品に見入り、想像の羽を伸ばせる)と共通の趣味=ひとつの「感じ」を表現するための「共通言語」要素を見つけると親近感が高まります。COM当時ムンク、キリコそしてラファエル前派の匂いを岡田さんのあの汗ばんだように有機的な描線とベタ空間に聞いて、いつかの「あの感じ」を呼び起こされることがありました(つるさんの感じ取ったものと重なるかどうかは別の話なのに、あえて同じ言葉で表現することをお許しください)。

匂いとか音とか五感のいづれかが刺激されたとき、すっかり忘れていたようなあること、ある感じが不意に蘇えることは、多くの人が言っている事ですが、「そういう体験をする」ということでなく、その「感じ」そのものを形象化して描き出すのは作業としてはとても難しいことに思います。岡田さんはいともやすやすと描いていて、第三者の共感や理解を求めたり、理解されるための手がかりとしての説明的な描写を心がけたりはせず(あるかもしれませんが)、心の勢いのままに吐き出していたような。自分自身に忠実で他者から自由な(他者の思惑に媚びない)人に思えます。媚びで加工されてない赤裸の「感じ」だから、同じ「感じ」を感じているものには直截に響いてくるのでしょうか。
この同じ「感じ」を感じる誰かを当時の岡田さんは探していたのでしょうか。


今となっては帰れないけれど、ずっと抱きつづけていたある「感じ」、そういうものへのこだわりが岡田さんの『私の絵本』でも描かれていますね。漠然とした不安が、行きずりに耳に入ってきた「きのうのにおい」という会話の片鱗をきっかけに記憶の闇を探し始める… 関連して矢代まさこさんの『シャボン玉』を思い出します。
幼い頃のある感じ・感覚・魂に刻み付けられた記憶を共有する自分の半分を、夢の産物・架空のものと他者に否定されながらその実在を信じ、子供のときからずっとずっと探し続けていた、でも、すれ違い、生きて逢えなかった、読んだ当時胸がかきむしられるように悲しい物語でしたが、そういえば岡田さんも、COMで読んで心に残る作品としてあげておられました。
岡田さん自身は信奉者や理解(していると思いたい)者はたくさんいても、友達はもしかして少なかったのではないかと、勝手に想像してしまいます。

夜さんのおっしゃる「読後感が暗い」「生きることが重くつらくなっていく」というのはむしろ同時期取り上げられていた青柳祐介さんの作品などに感じました。宮谷一彦さんも青春期の情動を垢抜けたスタイルで表現して「青春とは何か」見つからない出口を求めて暴力的にもがく蹉跌の連続なのか熱っぽく語っていましたが(学生運動とか哲学とか性とか理解できなかった)年下世代の自分から見ればたくさん難しい本を読んで(ひけらかされてわからないのでちょっと悔しい?)かっこよくて気障な感じ、青柳さんは作品の印象自体が「暗く重い」、宮谷さんは「青春とは暗く重い」事を表現しようと貪欲に参考資料を渉猟し取り入れる、岡田さんとは別の信奉者を生んで(湊谷夢吉さんの『回転』など一見して宮谷さん調?)岡田さんは自分の世界の中でいたずら心や遊びの気分を発散させたりして、必ずしも暗いとは限らず楽しめる画面もたくさんあったようです。三者三様の創作・表現との格闘があったのだろうと思います。
COMを離れてからの変容もまた三者三様でしたね。
COM時代の印象がやはりいつまでも深く残ります。


今のマンガ作家は膨大すぎてよく知りませんが、少ない(現役で好きな作家として読んでいる)方の中で独自の豊かな想像力とイメージを表象化しうる表現力・画力に敬服する作家として高野文子さん・五十嵐大介さんを指折ります。諸星大二郎さんも孤高でありながら飄々としたイメージが好きです。
トミー。さん、つるさん本当にたくさん読んでおいでで、私が触れてない作家さんにも詳しくていらっしゃいます。共通で語れる数少ない話題として、つるさんのコメントに誘われ記してしまいました。
書き込みに時間がかかるうち気分が微妙に変化してとりとめもなく、当時の思い出は印象のみで記すため、思い違いもあることでしょうが、失礼します。
コメント有り難うございます。 (トミー。(猫とマンガとゴルフ~の管理人))
2007-04-09 09:36:19
 蔦村様
 同世代の あの感じ 表してくださってありがとうございます。なんとも表現できないデジャブは誰にでもあるもので。又あの時代は皆、微熱を帯びて熱かった (と思うのは団塊世代を見上げていたちょい下世代の思い上がりか) 
 いづれにしても誰でも青春時代に出会ったものは忘れられません。
 蔦村さん又、どんどん書き込みお待ちしています~

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