【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

デストロイヤー

2016-11-28 07:15:57 | Weblog

 何かを破壊することが大好きな人がずいぶんエラそうに「お前たちの大切なものを壊してやる」と言う場合がありますが、破壊するためには誰かが先に建設をしておいてくれないといけないわけです。ということは、破壊者は(自分が作ったものを自分で壊している場合を除いて)建設者に依存して生きているだけ、ということになります。ということは、あまり破壊者はそれほどエラくはない、ということに?

【ただいま読書中】『コンニャク屋漂流記』星野博美 著、 文藝春秋、2011年、2000円(税別)

 著者の名前をどこかで見たことがある、と思ったら、11月22日に読書した『島へ免許を取りに行く』と同じ人でした。別に狙って図書館から借りてきたわけではないんですけどね、こういった偶然の一致もあるんだな、と感心します。
 NHKに「ファミリー・ヒストリー」という、特定個人の“ルーツ”をたどる番組がありますが、本書も著者の“ルーツ”をたどる本です。
 著者が愛した祖父が残した手記が“出発点”です。明治36年に生まれた祖父は「大漁の日に生まれた漁師の六男だから漁六郎だ」と父親に名前を届けられそうになりました。ところが役所の窓口で「あまりにそのまんまだが、将来どんな職に就くかわからないから、量太郎はどうだ」と言われてそうなったのだそうです。このエピソード自体から、すでに「親の仕事を継ぐのが当たり前」ではなくなってきていた、という当時の風潮が感じられます。
 千葉の外房、岩和田という漁師町が著者の祖父の故郷ですが、そこは紀州からきた兄弟が開いた町だそうです。時期は、メキシコの「ドン・ロドリゴ」より前。
 慶長四年(1609)、岩和田の浜で南蛮船サン・フランシスコ号が難破しました。生き残ったうちの一人がドン・ロドリゴ。フィリピンの臨時総督で任期が終えて前任地のメキシコに帰る途中でした。村人は遭難者たちを温かく迎えました。しかし、300人の村に300人の遭難者ですから、貧しい村には文化的にも経済的にも相当な負担だったでしょうけれど。「故郷」はずいぶん「歴史」を持っています。
 そして舞台は五反田へ。著者の祖父は13歳で上京し、白金の町工場に勤めました。やがて独立して五反田へ。その家には、岩和田から多くの人が訪れ、「漁師」の人脈と「工場」の人脈とがクロスする場となりました。祖父はなぜ五反田を選択したか。そこに岩和田の人たちが多くいたからです。そして五反田が著者の「故郷」になります。そこで著者は印象的な言葉を残します。「人は故郷を選ぶことができない。しかし故郷とは誰かが選んだものである。」と。
 「コンニャク屋」とは著者の実家の屋号です。屋号って、知っている人には説明が不要だけど、知らない人は知らないんですよね。ちなみに私の父も「屋号で育ったクチ」です。村の中に同じ名字の家族がたくさんいる場合、屋号で区別するのが便利なのです。で、なぜ「コンニャク屋」なのかと言えば、著者の先祖の中に、漁師からおでん屋に商売替えをしていた人がいたから。でもまた漁師に戻ったりしているんですけどね。「漁師だから海に忠誠を尽くす(商売替えをしない)」という態度ではなくて、不漁の時は無理して船を出さない、漁師ができないときには他の商売で食っていく、という柔軟な態度のライフスタイルです。
 本書で断片的に紹介される著者の祖父の手記は、時代を超えた「声」です。それは「二代前の声」であると同時に、それをガイドとする著者をもっと昔へ、もっと遠くへ誘います。
 「ルーツ」と言えば、ついうっかり「血脈」のことを思いそうになりますが、過去の先祖がどこにどんな人たちと住みどんなことをやっていたのか、それらをすべて含めての「ルーツ」なんですね。著者の「ファミリー・ヒストリー」は、とんでもなく面白いものでした。そして、もしかしたら、あなたや私の「ファミリー・ヒストリー」もまた、同じくらい面白いものなのかもしれません。



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