【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

右左

2018-02-15 22:21:52 | Weblog

 私から見たら右翼も左翼も似たようなものです。どちらも、全体主義的だ、という共通点を持っています。

【ただいま読書中】『文部省の研究 ──「理想の日本人像」を求めた百五十年』辻田真佐憲 著、 文藝春秋(文春新書1129)、2017年、920円(税別)

 文部省は明治以来150年間ずっと「理想の日本人像」を教育を通して実現しようとしてきました。だから他の組織が文部省に介入し続けています。戦前は内務省、戦中は陸軍省、敗戦後の占領中はCIE、高度成長期は自民党や日経連、最近は首相官邸。
 明治政府は「日本の近代化の基礎は教育」と認識していて、1871年9月2日(廃藩置県の4日後)に湯島(昌平坂学問所の場所)に文部省を設置しました。ここで文部省は「理想の日本人像」に関して「欧米列強(グローバリズム)」と「日本固有(ナショナリズム)」に板挟みされることになります(実は現在までそれは続いています)。
 ここで「グローバリズム(本書では「普遍主義」)」があくまで「欧米列強」で、アフリカやアジアや中南米やオセアニアが最初から除外されていたこと、「ナショナリズム(本書では「共同体主義」)」が明確に定義されていなかった(そもそも「江戸時代」を否定していた)こと、この二つが「理想の日本人像」をぼやかせることになった、と私は考えています。
 文部省の前身は1869年に設置された大学校(現在の大学と文科省を併せたような組織)ですが、ここは「国学派」「儒学派」「洋学派」のすさまじい内部対立できちんと機能しませんでした。新生文部省の文部大輔(トップの文部卿に次ぐナンバーツー。ただし最初は文部卿は空席だったので実質的ナンバーワン)に就いた江藤新平は、わずか半月の在任期間に洋学派の教官や事務官を多数登用し、文部省を「洋学派の牙城」にしました。彼らはただちに「學制(教育法令)」を整備し始めます。その前文に示された「理想の日本人像」は「国家に依存せず、自力で身を立て、生計の道を図り、仕事に打ち込む、独立独歩の個人」でした。さすが「洋学派」です。同様の主張は『学問のすすめ』にも見えています。しかし士族の乱と予算不足と明治政府のあまりに中央集権主義的な態度に対する批判などから、学制はすぐに見直しを迫られました。1879年にはアメリカを手本とした「教育令」がまとめられます。これは、地方の裁量と私学の存在を認め、国家の押しつけではなくて自分で考える独立独歩の個人育成を目指す、自由主義的なものでした(「自由教育令」とも呼ばれています)。世間でも「自由主義」「啓蒙」がもてはやされます。それに対する「反動の狼煙」はまず宮中で上がりました。「教学聖旨」で天皇は儒学の復活を唱えます。その意向を受け、さらに自由民権運動に対抗するために、政府は中央集権的な教育体制を是とし、教育令を「自由主義」から「干渉主義」に改正します。教育の義務化の強化、「修身」を科目の筆頭として採用、教科書の国家統制などがその目玉です。そして、国民に「尊皇」「愛国」をたたき込む手段として、音楽や体操が注目されました。そして、啓蒙主義でも儒学主義でもない教育方針が求められるようになり、そこで出現したのが「教育勅語」でした。これは、「個人を近代国家の道徳に結びつけること」が目的で、特定の立場を利することがないように工夫されたため、かえって多義的な解釈を許す文言となっています。この勅語が示す態度を東京日日新聞は「国体主義」と呼びました。本来これは「明治時代の『理想の日本人像』を示すための、異なる主義者たちを満足させるための暫定的な宣言」だったはずですが、「勅語(天皇の言葉)」であることから神聖視・絶対視されるようになっていきます。しかし、多様な解釈ができるものが「絶対」になると、あまり良いことは起きません。
 「日本が大国になっていったこと」「勅令主義」などにより、文部省の弱体化が始まります。朝鮮独立運動の発生により「他民族にも通じるように教育勅語を修正するべきではないか」と言う人が登場しますが、この人がばりばりの国粋主義者なんですから、「独立運動の衝撃」はとても大きいものだったようです。
 日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と、戦争ごとに「理想の日本人像」は揺らぎます。そして時代は昭和へ。文部省は「思想官庁」として共産主義などの「危険思想」に対峙することを求められます。そこで文部省は直轄の国民精神文化研究所(精研)を1931年(昭和六年)に設立して、マルクス主義に対抗できる「国体観念」「日本精神」を構築することにしました。この研究部で究明された「国体、国民精神」は事業部によって教員の再教育と学生の教育に注ぎ込まれました。
 本書で紹介される「国体の本義」は、大仕掛けな理論体系ですが、論理や史実にはアラが目立つものです。ただ「その時代に役に立つもの」という点では及第点が取れるものだったのでしょう。この壮大なイデオロギーが一度構築されると、こんどはそれが全てを縛っていき、教育勅語も「国体」によって再解釈をされるようになります。なんか本末転倒な気もしますけどね。こうして、戦争直前にアメリカから来た特派員(先月末に読書した『トーキョー・レコード』オットー・D・トリシャス)が理解困難で悩んだ「八紘一宇」の思想も確立し、国定教科書は第五期改訂となります。
 そして、敗戦。「時代に合わせて『理想の日本人像』をさぐること」に長けている文部省は、当然のように「時代の変化」に適応しようとします。「軍国主義の払拭」「民主・平和国家」「黒塗り教科書」です。しかしGHQはその程度の自主改革には満足せず、明治以来の教育制度に大きな揺さぶりをかけてきます。ただ、GHQも教育勅語には触ろうとしませんでした。というか、その権威を利用しようとしたフシがあります。また文部省も、GHQの権威を利用して、戦前にはできなかった教育改革を推進しようとしていました。キツネとタヌキの折衝、と言った感じでしょうか。「アメリカの押しつけ」と片付けたら簡単ですが、文部省もけっこうしたたかに立ち回っています。
 独立後、文部省の大きな仕事は、日教組の押さえ込みでした。冷戦の政治情勢まで利用しつつ、「監督官庁」として文部省は少しずつ中央集権的な権能を取り戻していきます。高度成長期には「勤勉で愛国的な企業戦士」が理想像です。しかし成長が鈍化すると、また「理想の日本人像」に改めてスポットライトがあたり教科書問題などが発生します。
 本書では「普遍主義」と「共同体主義」の相克が150年間継続されていて、文部省がその間で右往左往していることがわかりやすく描かれています。つまりは「理想の日本人像」とは時代が決めるもので、教育はそれを普及させる機能を持っている、ということ? 著者は「紋切り型の反動批判とワンパターンな愛国教育の二者択一は、いつの時代も有益な議論につながらない」と言います。私は歴史から学んだその意見に賛成です。




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