【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

増量セール

2017-09-21 07:03:52 | Weblog

 スーパーでぶらぶらしていると「今だけ2個増量」なんて言葉がでかでかと袋に印刷されたお菓子などに出くわすことがあります。なんとなくお得感があるのでつい手に取ってしまうのですが、これ、わざわざ新しい袋を印刷してお菓子の製造ラインも変更する(たとえば「10個詰め」と「12個詰め」ではラインの設定を変更する必要があるはず)という“コスト”を投入して、さらに安売りをする、というのは大変だなあ、と企業の方に同情してしまいます。
 でも、買うかどうかは「量」ではなくて「味」が好きかどうかで、私は決めます。悪しからず。

【ただいま読書中】『新聞の凋落と「押し紙」』黒藪哲哉 著、 花伝社、2017年、1500円(税別)

 日本の新聞は凋落の時代を迎えています。発行部数はどんどん低下していることが「ABC部数(日本ABC協会が監査する中央紙の発行部数)」の推移からわかります。これは新聞社にとっては深刻な事態です。発行部数の減少は“売上”の減少に直結しますが、もう一つ、広告費は「発行部数(の多さ)」によって決められているので、公称発行部数が減少すると広告単価も減ってしまうのです。
 日本の新聞は「宅配制度」に依存しています。販売店が注文を出すとその部数に「予備紙(配達中に破損すると見込まれる分。標準的には2%)」を加えたものが店に届けられます。ところが実際には「30%増し」くらいの新聞が販売店に届けられています。そしてその分の卸代金を店は会社に支払わなければならないのです。これを「押し紙」と呼びます。明らかに独禁法違反の行為ですが、公正取引委員会がこれを問題にしたのは1997年の北国新聞の「一件」だけです。なぜか摘発に及び腰です。国会質問があっても政府は対応に及び腰です。……なぜ?
 「押し紙」は新聞社にはメリットがあります。直接的には代金収入が増えますし、さらにABC部数を水増しすることで広告費を増やせます。
 「広告費」で見ると、新聞は斜陽、インターネットは右肩上がり、が歴然としています。企業は、広告代理店に大金を払って効果が不確かな(しかも部数を「押し紙」で誤魔化している)新聞広告を出す従来のスタイルをやめ、インターネット広告に移行しつつあるのです。さらに折り込み広告も、発注主が押し紙分を減らす傾向が出始めました。「押し紙」で販売店は損害を受けますが、折り込み広告の“増量”でいくらかその分は補填できていました。それどころか、「押し紙」ではなくて、販売店が自分から水増しをする「積み紙」もあります。販売数を水増しすることで折り込み広告費と新聞社からの補助金で黒字にする、という戦略です。そこで折り込み広告が減ると、販売店は立ちいかなくなってしまうのです。
 しかし、「押し紙をやめさせてくれ」と裁判所に訴えると「自分で注文したんだろ。多すぎるのなら自分で返せ」と裁判官が「注文書の文面」だけを外形的に見て「力関係」をまったく無視した判決を出すのには、あきれます。「世界」について判断する人は「世界」について無知であって欲しくない。
 「新聞の凋落」を「好機」と見る人もいます。たとえば政治家。弱みにつけ込んで「自分の広報機関」として既存のメディアを利用できるからです。もちろんメディアの方も、経済的に優遇されたり「特ダネ」がもらえるのだったら、と尻尾をふります(ふるメディアもいます)。かくして、安倍首相とメディアの会長たちとの会食は数を重ねることになります。「内閣府や中央官庁」=「広告代理店」=「新聞社」の結合ラインに、莫大な国家予算が流れることになります。たとえば2015年「重要施策に関する広報」には60億8600万円が支出されました(電通が32億円、博報堂が25億4500万円)。「御用新聞」には困りますが、広告代理店と政府との契約にも不明朗な点があって、会計検査院は文句を言わないのかな、と私は思います。
 新聞は政府に「自分たちには軽減税率を」と求めます。これもまた「経済的優遇」を求める態度ですが、ここには「押し紙にも消費税がかかっている」ことも影響している、と著者は読み解きます。ただ、最近「ABC部数」がどんどん落ちているのは、「新聞を読む人が減っている」ことを意味するのかもしれませんが、もう一つ「押し紙が減ってきている」ことを意味しているのかもしれません。もし後者だったら、それは(手遅れ気味とは言え)新聞が“健全化”に向かっていることを意味するのかもしれません。手遅れでなければ良いんですけどね。
 



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