ザ・道楽のシナリオ

「深い夜こそ道楽あれ」がコンセプト. 愉しく生きたい、若い読者に捧げる愛のシンフォニー

「キッズ・リターン」おすすめ

2005年07月05日 20時04分33秒 | 映画の道楽
大まかなあらすじは、こうである。

落ちこぼれの男子高校生であるシンジ(安藤政信)とその兄貴分マサル(金子賢)はいつも2人でつるみ、授業にも出ずに好き勝手な生き方をしていた。
以前カツアゲした高校生に呼び出された彼らは、同伴のボクサーに報復を受ける。以来、学校に来なくなったマサルはジムに通い始め、それに誘われシンジもボクシングを始める。
ところがある日、マサルはシンジにスパーリングを挑み、あっさりとKOされてしまい、ボクシングを挫折する。学校にもジムにも顔を出さなくなったマサルは、以前ラーメン屋で顔見知りになったヤクザ(石橋凌)の子分になる。
しばらくして、シンジはしだいにボクサーとしての頭角を現しプロデビューを果たす。一方でマサルもヤクザとしてのキャリアを積んで出世していく。「お互いの世界でトップに立った時にまた会おう」と約束した2人には、全てがうまくいくように思えた。
だが、現実は彼らを再び冷たく蹴落としてしまう。「強い奴は強く、弱い奴は弱い」などのセリフに感じられる“才能”の有無と、普遍的な若者の“挫折”を描いた物語である。
コメント (13) |  トラックバック (3) | 

CHANCES COME NEXT TO YOU NEXT TIME

2005年06月14日 22時51分33秒 | 人生のシナリオ
笑いながら生きていくために、まず何をするか。
花壇に水をあげるのでもなく、にんじんの皮をむくわけでもない。
笑え。まずは笑え。
それでもって笑わせればいい。
コメント (0) |  トラックバック () | 

箱の中の拓かれた世界について

2005年06月14日 20時20分03秒 | 人生のシナリオ
僕らの住む地球を大きな箱に例えるとしよう。
その中には大中小の様々な箱が存在する。
それは国や民族、地域や会社を枠組みとする箱だ。
細分化された箱の中には、さらに複数の箱が入っている。
日本人としての箱があって、アジア人としての箱があって…。
家族としての箱があって、学校としての箱があって…。
僕らは生きていく限り、常に新しい箱をつくり続けてゆくのだ。
箱の中身は、綺麗な輝きをはなつ。
人格というビー玉が数多く納められているのだ。
そこでは、十人十色の美しきオリジナリティーがひしめき合っている。
僕らは、それぞれの箱の中で生きていくしかない。
自分というビー玉はたった一つしかない。
ただ、その輝きかたの度合いは箱の種類によって異なる。
会社の中での自分と、プライベートでの自分が違うように。
だから僕らは、箱の中の世界とたった一人で向き合っている。
自分以外のビー玉は、みんな自分ではない。
それは世界が成立する上での、原則である。

さて、どうする……。
こんな文章を書いたところで、何の結論が出る。
僕の手に負えないとしたら、この文章の行く末はどうなる。
僕がこの文章を放棄した場合、誰がこの文章を結論付ける。
そうか、文章なんてものは、所詮あてもない言語の産物だ。
このまま僕がPCをシャットダウンさせれば、この文章が全部パーになるだけの話。
どうする……。
この箱やビー玉がいったい何のメタファーなのか混乱してきた。
そして、あまりにもテーマが曖昧だ。
僕にとってさえ、この文章は何の意味も持たなくなった。
もはや、この文章はこれ以上の拡がりをみせることはない。
しかし、その結論は僕が打ち出すべきではない。
実を言うと、僕自身この文章について何一つ判ってない。
だから、その是非は僕以外の誰かに委ねたい。
そう、君なんかに……。
コメント (0) |  トラックバック () | 

コミュニケーションは性交する

2005年06月12日 04時28分34秒 | 人生のシナリオ
男女がまず最初に交わすものと言ったら、それは会話である。
最終的な極致として交わすものが、互いの性である。
それは陰と陽でも、プラスとマイナスの関係でもなく、1と2の関係である。
何の変哲もない数字の推移の結果と同じである。
セックスは互いの関係が+1累加されるだけの発展であり、決して飛躍ではない。
なぜなら会話とセックスは、原則的に同じシステムの上で実行される。
ボケとツッコミであったり、マゾとサドだったりする関係性の中での内発的な偶然性による行為である。
そこでは、互いの意見を交換し合いながら協調性を求めていく。
またある時は、互いの快感を認め合いながら絶頂を目指していく。
したがって、一定の情緒的交換性が成り立たない関係において、セックスは成立しないのだ。
コミュニケーションの成功こそが性交するための必須条件なのだ。
コメント (0) |  トラックバック () | 

愛の正当化=片想いの正当化

2005年06月08日 17時45分37秒 | 人生のシナリオ
交際している異性がいるにもかかわらず、他の異性に片想いをすることってありますか?
僕は今、付き合って半年くらいの彼女がいて、それなりに関係もうまくいってて一見何の問題もないように思える。
かつて一生彼女だけを愛していくと自分に誓ったこともあったけれど、今はしだいにその自信を失いかけている。
どうして人間の気持ちはこうも脆くて儚いだろうか。
間違いなく彼女のことを愛してるし、いつまでも一緒にいたいと心では願っているのに。
僕はこのまま彼女を愛し続けることができるのだろうか。
それとも、僕は最終的には完全に片思い中の女の子に心を寄せてしまうのだろうか。
人間の短い人生を考えれば、自分の生きたいように生きることこそ人間である上での必要最低条件だから、僕が自分の生き様を自分で選択していくのも正当な手段である。
けれど、人間は決してひとりで生きているわけではないし、他人に迷惑をかけるのはよくない。
生きたいように生きるとて、僕たち人間にとって自分の想い通りに生きることほど難しいこともまたこの世にはないのである。
コメント (0) |  トラックバック () | 

大陸への進出

2005年06月08日 17時17分57秒 | 人生のシナリオ
語学の勉強は積み重ねだ、と中学校の担任がまだあどけない丸顔の僕に言った。
今、再びそのお言葉を5年ぶりに頭の中でリフレインさせる。
だが現在の僕は英語に中国語とどれも中途半端に終わっている。
このままではいけないと思いつつも、なかなか勉強が習慣化できない。
でも、語学さえできれば世界中の人々とコミュニケーションがとれるようになる。
遠い海の向こうの知らない外国人と、友達になることも夢ではない。
そして何より、これから社会に出る(要するに就職する)といった時に困らないで済む。
というより、むしろ武器になるのではないか。
まあそうは言っても、その手の文句は常套的なものだ。
今の僕自身にいったい、何が必要かを考えるとやはり世界を知る必要があると思う。
この狭い島国から羽ばたいて、知らない国の知らない土地で生きていく時間が必要だ。
せめて1年間でも、そういう期間があれば男が磨かれるような気がする。
男なら家を出て、ひとりで暮らし、たくましくならなくてはならない。
ちょうど一年前の僕は、そういう気分で福岡から上京してきた。
東京での生活もやっと足についてきた。
さあて、そろそろかなと思う今日この頃。
まず何から始めればいいのかは、承知の上である。
コメント (0) |  トラックバック () | 

タイプの子に弱い傾向アリ

2005年06月08日 17時04分06秒 | 人生のシナリオ
どうしても好かれよう気を引こうとかって、四苦八苦していると女の子に相手にされなくなった。
良かれと思ってしてあげたことなのに、過剰な優しさは不信感を抱かれる。
あのひと、わたしに気があるのかしら。
僕は好きだと思った女の子になら、何をお願いされても尽くす性質である。
その子が僕のことを好きになってくれさえすれば、言うことない。
ただ、相手の気を引くために提供してもいい優しさの許容範囲ってどこまでなのだろう。
優しくしすぎるのも相手に妙な気を起こすし、冷たくするのも嫌われるだけだ。
もし学校に好きなタイプの女の子がいるとしよう。
僕と彼女はまだ知り合ったばかりで、僕はなんとかして彼女をものにしたいと思っている。
ある日、彼女は落ち着かない表情で授業後の教室にたたずんでいた。
僕はなかば偽善的なまでの優しさで、彼女に声をかけた。
欠席した授業の分のレジュメを持っていない、と彼女は僕の顔を覗き込んでいった。
もちろん僕はそのレジュメを持っているし、君に貸さないわけにはいかない。
是非、僕のレジュメでコピーをとってくれ、と僕は言った。
ありがとう……。
僕は決して親切な人間ではない。
優しいジェントルマンでもない。
下心丸出しの優しさで、女の子に優しいだけの偽善者だ。
コメント (2) |  トラックバック () | 

軟派になりたい

2005年06月08日 16時48分25秒 | 人生のシナリオ
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
たかがナンパと思えど、されどナンパだよホント。
人生一度のチャンスを活かすか、活かせないかという狭間だもんね。
男にとって、女以上の宝石はない。
だから例えば就活や会社での仕事でも同じことが言える。
あこがれの企業、やりたい仕事ってもんを、自分のモノにできるか否か。
自分がコレだって思えた宝石をゲットできるかどうかは自分しだいだもんね。
よく仕事のできる男はもてるっていうことを耳にするけど、ある意味じゃあホント。
だって自分のチャンスを逃さず、実力を発揮するっていう図式は変わらない。
上司や部下とコミュニケーションがとれない男は社会には通用しない。
そして何より、自分に自信のない男は上に登れない。
企業で出世する人間は自分の信念に忠実で、常に自信に溢れているもんだ。
そう、だから僕はこれからナンパで腕を磨いておこうと思う。
コメント (0) |  トラックバック () | 

サドから始まる2年目の歴史

2005年06月07日 13時23分30秒 | 人生のシナリオ
人生つねに繰り返し
きくぜすべてはやり直し
サドに舞い降りし奇跡
これが新たなる歴史
コメント (0) |  トラックバック () | 

夜更けの池袋・中国人留学生と中華飯店にて

2005年05月29日 16時52分57秒 | 人生のシナリオ
「その国の思想は極めて稀なるものだ……」
(デウス・ピロック『五年間諸国放浪記』より引用)

深夜零時を過ぎた頃、僕の家を中国人の友達3人が訪れた。
そして突然、「飯を喰いにいこう」と誘ったきたのだ。
僕は夕方に王将の餃子を2皿食べただけだった。
しっかりと晩ご飯を食べてなかったので、お腹が空いていた。
よし、ということで僕は彼らに従った。
僕たちは高田馬場駅まで歩いた。
それから終電の山手線に乗って、池袋駅まで向かう。
深夜の池袋駅は雑然としていた。
回送電車の中、プラットホームやコンコースの至るところに泥酔者がいた。
改札を抜けたところで、僕は柱に寄りかかっている男を見つけた。
男はフレッシュなスーツを着てはいるが、顔にはフレッシュさのかけらもない。
だらしなく酔っ払ったところをみると、おそらく男は社会人一年生といったところだろうか。
僕は恐る恐る、その男に声をかけた。
「大丈夫ですか?」
男は目をつむったまま、こくりと頷いた。
終電なくなりましたよ、と中国人の友達が声をかけても彼は無反応だった。
こんこんと眠り続ける。

僕たちは駅構内を出て、北口方面に歩いた。
夜の駅前はタクシー乗り場に並ぶ大人たちが互い列をつくっていた。
ほかには駅の壁沿いで、おかま風の男が一人で何らかのパフォーマンスをしていた。
それは大道芸でも、演奏でもなさそうだった。
ただ定期的に駅前に現れては人々を楽しませる、といった感じの興行なのだろう。
僕たちは駅前の風景を横目で見ながら、目的の中華料理屋を目指した。

驚いたことに、池袋(ことに北口?)には実にたくさんの中華料理屋がある。
そして実にたくさんの中国人で溢れている。
これは新大久保にみる、コリアン・タウンなみではないか。
北口に出たとたん、次々に立ち並ぶ中国系の店を見てそう思った。
中華の食材店や、料理を扱う店の看板が目の前に飛び込んでくるのだ。
中国人の友達の一人は、ある食材店のアルバイト君に挨拶をした。
アルバイト君はもちろん中国人だ。
「よぉ、がんばってるか?」

彼らは巨大な中国大陸を離れ、小さな日本と云う島国においても巨大なコミュニティーを形成している。
ここ池袋はその些細な一例に過ぎない。
例を挙げるならきりがないが、横浜の中華街を代表とする溜り場は至るところに存在する。
日本だけではない。
中国人は世界のあらゆる街に必ずと言っていいほど、チャイナタウンを作っている。
僕が大学入学のために上京して最も驚いたこと。
それは、東京の街でアルバイトをしている留学生の多さだ。
ラーメン屋で、松屋で、リンガーハット等などで、彼らは働いていた。
彼らは勉学に勤しむかたわら、寝る間も惜しんでアルバイトに励んでいるのだ。
そしてアルバイトをする留学生同士でも、そこに組織化された交友関係を築く。
当然といえば当然だが、彼らはそこで強い結びつきを持つことになる。

僕たちは一軒の中華飯店を見つけて、入店する。
店の前には、中国語の新聞が多数設置してあった。
華僑もしくは留学生向けのものだろう。
いずれも無料で配布されているものだそうだ。
店のつくりは二階建てだった。
二階は中国人のグループが宴会をしているらしく、ひどく騒がしい。
一階のほうが落ち着くだろう、ということを友達の一人が言った。
僕たちは四人がけのテーブルについた。
すぐさま接客の女性がやってきた。
茶髪に割とかわいらしい格好の私服を着た女性だった。
見かけも化粧もほとんど日本人のようだった。
しかしよく見れば、中国人に見えなくもない。
友達の一人がメニュー表を開き、料理を注文していく。
もちろん中国語で。
中華料理屋で中国語を当たり前のように使うことは、なんの違和感もなかった。

食事を終えた僕たちは、再び池袋の街に出た。
西武線もJRも、すでに終電すらない。
車道にはタクシーがたくさん流れている。
もう僕たちにはタクシーで帰るしか手段はなかった。
「さて、帰るとするか」
僕はタクシーの後部座席で、法政通りの景色を見ながらあることを考えていた。
何を隠そう、今日食べたヒツジのキンタマやラクダの肉についてである。
忘れてはならない、あのパンダの皮を。
コメント (0) |  トラックバック () |