沖縄戦で住民に集団自決を命じたと著書で虚偽の記述をされ、名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の元少佐らが作家の大江健三郎さんと岩波書店に出版差し止めと損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、大阪地裁であった。
これについては多分多くのブログが触れると思うので私の気がついた所だけ述べることにする。
これに対して29日の読売社説は地裁判決に対して次の様に疑問を呈している。
沖縄戦の集団自決は、旧日本軍の「命令」で行われたのか否か――。
判決は、旧日本軍が集団自決に「深く関与」していたと認定した上で原告の訴えを棄却した。
しかし、「自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない」とし、「命令」についての判断は避けた。
昨年の高校日本史教科書の検定では、例えば「日本軍に集団自決を強制された」との記述が「日本軍の関与のもと、配布された手榴弾などを用いた集団自決に追い込まれた」と改められた。
軍の「強制」の有無については必ずしも明らかではないという状況の下では、断定的な記述は避けるべきだというのが、検定意見が付いた理由だった。
沖縄の渡嘉敷島と座間味島の集団自決をめぐっては、戦後、長い間、隊長「命令」説が定説となっていた。沖縄の新聞社が沖縄戦を描いた「鉄の暴風」などが根拠とされた。
しかし、渡嘉敷島の集団自決の生存者を取材した作家の曽野綾子氏が1973年に出した著書によって、隊長「命令」説は根拠に乏しいことが明らかになった。
これを受けて家永三郎氏の著書「太平洋戦争」は、86年に渡嘉敷島の隊長命令についての記述を削除している。
座間味島についても、元守備隊長が自決命令はなかったと主張していることを、85年に神戸新聞が報じた。隊長に自決用の弾薬をもらいに行ったが断られたという女性の証言を盛り込んだ本も、2000年に刊行された。
一方で、日本軍が自決用の手榴弾を配布したとの証言もある。
ただ、集団自決の背景に多かれ少なかれ軍の「関与」があったということ自体を否定する議論は、これまでもない。この裁判でも原告が争っている核心は「命令」の有無である。
[私の意見]
・読売の社説の指摘は正しいとおもう。
軍の関与
・狭い島のなかで、米軍の攻撃にあって、行動を共にする住民に対する軍のなんらかの関与があるのは当然だ。
首を捻る判決の概要
・裁判長の判決は、平たく言えば、原告は自決を命令してないと主張し、裁判長もそれがあった事実は認定出来ないが、それがあったと推認(広辞苑にはないが推測して認定する?)した。
一方教科書検定の対応、集団自決に関する学説など、被告が原告の自決命令があったことを信じさせる合理的資料があったので、それを信じたのは当然だから、原告の主張は認められないとした。
・この判決には明らかに無理がある。
原告は自決命令などないと主張しているのに、明らかに認めたのは何らかの関与であり、命令自体は推認だけで逃げている。
合理的な資料や、教科書検定問題にも触れているが、そのどちらも左翼的思想の人達が絡んでいることから、その正否に付いては多くの議論があるのに何も触れていない。
それを信じてそのまま鵜呑みして本を書いたのだから、それで被告に損害を与えても、責任はないなど明らかに可笑しい。
・現代史家の秦邦彦さんは「争点は隊長の自決命令があったかどうかであり、命令が出ていない可能性さえ認めているのに、関与という表現に置き換えて逃げている」と言っている。
判決に影響した「空気」
・この問題に共通する言葉は「空気」だ。
戦争中は軍事政権により広められた「死して虜囚の辱めを受けず」と言う空気が日本全体に行き渡っていた。
それと自決問題に大きく影響していたと思う。
今回の裁判長の判断は、教科書問題に対する一部沖縄県民の反応や左翼団体の活動から全国的に拡がった日本軍のすることはなんでも悪いという異様な「空気」、ノーベル賞作家の書いたものだから、レポートでもそれなりの信頼性があると言う「空気」が大きく影響していると思う。
判決の重み
・裁判所は基本的には疑わしいものは罰せずの基本的な態度がこの判決となったと思うが、もし梅沢さん、赤松さんがが逆に被告として訴えられれば、判決文の傾向から読めば二人の方が必ず勝訴するに違いない。
そしてどちらでも動く裁判所の判決が大江さん支持者の言うように「教科書問題に代表されるように、政治的、社会的問題に大きく影響される」のは大問題だ。
その点で言えば裁判所はその判決の重みをもっと考えるべきだと思う。
著者の責任
・小説家が何を書いても良いが、少なくとも実在の人達に影響するレポートを書くときは、現実を良く確かめて、他に不当な影響を与えない様にすべきだ。
報道によれば、大江さんはレポートを書く前に、沖縄に入ったのは良いが、そのレポートの資料となった「鉄の暴風」著者(その著者自身も現地取材してないそうだ)に逢っただけという余りにも軽率な取材だったと思う。
その点反論を書いた曽野綾子さんの現地住民への広範囲かつ慎重な取材態度は遥かに大江さんより優れているし、その内容も真実性があると思われる。
参照:沖縄自決と大江さんと曽野さん
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不法行為による損害賠償請求の場合、原告である被害者が被告である加害者の不法行為があったことについて挙証する責任がある。
被告側の大江氏が悪意または過失によって原告側の名誉を傷つけたものと挙証するには相対的に被告の記述が間違っていたものと推定(つまり原告らが自決命令を下していないと客観的に判断できる証拠の提示)されなければならない。
反対に被告には挙証責任(つまり原告らが自決命令を下したという客観的に判断できる証拠の提示)は存在しないので、その記述が100%事実として裁判所が認定する必要はないのである。
だから判決文にも被告の記述が事実であったとは断定はできないと書かれている。
よってこの判決は挙証が原告の不十分であった以上、不法行為の法律判断としては何の問題はない。
最後に付け加えるが、すでに時効成立済であることを無視して仮に原告らの自殺教唆または自殺幇助に対する刑事責任が訴訟のなった場合、その法律判断が今回のものと異なることがあったとしも何ら問題がないことは言うまでもない。
私も今回の判決には疑問をもっています。戦争からもう60年経過するわけですが、この事件はもうそろそろ決着をつけてほしいと思います。「軍の命令」について何の資料もなく、また、当時を知る人の話からもそのような事実はなかった、ということになれば結論はおのずから出ると思います。なぜ、この問題がこうまでもつれるのか合点がいきません。
今回の判決文は、「資料及び学説」が信じるに足る内容だったので信じてもしかたが無いというおそまつなものでした。その「資料及び学説」の判断にまで踏み込むべきだと思うのですがそれさえしていません。当裁判所にはこの裁判の意味がまったく理解できていないのではないかと思います。たぶん、単なる名誉毀損事件程度の認識しかないのではないかと思います。
このままでは、国を守るため死んでいった人たちの魂が救われません。
貴重なアドバイスを頂きまして有り難うございます。
大変勉強になりました。
破れ傘さん
いつもコメント頂きましてありがとうございます。
お二人とも今後ともなお一層のご助言とサポートをお願い致します。