比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

秋の日光・・・杉並木の例幣使街道・・・鹿沼から今市へ

2014-10-30 | 旧街道・峠道・旧宿場
秋の日光ぶらり散歩です。鹿沼から例幣使街道の杉並木を通って、日光から奥日光へ。
(画像は2013年11月10日。1年遅れのレポですが、いま日光は紅葉真っ盛り・・・日光見どころ案内・・・です)
国道121号線(例幣使街道)、鹿沼市街地を北に・・・日光市小倉との境界のあたりに日光杉並木寄進碑が。、
そこから今市で宇都宮から通じる日光街道杉並木と合流するまで13㎞の杉並木が続きます

この杉並木、一般にいわれている日光街道杉並木のバイパス的存在で通り抜ける車も少なく静かでイイ。
※カメラは Panasonic LUMIX DMC-GH2 14~45mm。

例幣使街道・・・京都御所から天皇の勅使が東照宮に幣帛を捧げるために旅した道。京都から中山道を経由、上州倉賀野宿(現高崎市)で中山道を離れ現在の伊勢崎市、太田市、足利市、佐野市などを経由して楡木宿(現栃木市)で日光西街道(壬生通りともいわれる)と合流し今市、日光へ。現在は倉賀野から今市までが例幣使街道と呼ばれている。なお例幣使の帰路は東海道経由であった。
例幣使‥・伊勢神宮ほか神社、山稜に幣帛を奉幣する天皇の勅使。奉幣は応仁の乱ごろより天皇家の事情で伊勢神宮を除き廃止になっていたが、江戸時代、江戸幕府が奉幣の儀式を復活、1646年から日光東照宮の例幣使制度が始まった。
例幣使は天皇家の使者であり公家がその任についた。公家といっても当時の公家は財政逼迫した貧乏人、例幣使に選ばれると公務であり様々な手当て、役得があり、道中で天皇家、幕府の威光を借りた利権行為を行い一代の財を築いたというが…その話は省略。

日光杉並木・・・1617年日光東照宮が造営されたのちの1625年から相模国玉縄(現鎌倉市大船)藩主松平正綱が20年の歳月をかけて紀州熊野の杉苗24300本を植樹整備、1648年に寄進したもの。松平正綱は川家康、秀忠、家光の三代に仕えた譜代大名、知恵伊豆として有名な松平信綱(武州川越初代藩主)は甥。
東照宮の神域から日光街道(国道119号線)の大沢まで16.52㎞、今市から例幣使街道(国道121号線)小倉までの13.17㎞、今市から会津西街道(国道121号線)大桑までの7.2㎞、全36.89㎞の杉並木。ギネスブック登録の世界一の長さです。国指定天然記念物、1648年に建立された正綱の寄進碑は国指定史跡。
樹齢400年、現存する杉は12500本、1年に100本くらい朽ちていってるようです。計算すると125年で消滅します。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿