比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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2017の春4月・・・北海道の旅・・・釧路、ノサップ、ウトロ、美瑛、札幌・・・そして終章

2017-09-05 | 道を行く 北海道
2017年、春の北海道の旅・・・
帯広、釧路、根室、花咲、ノサップ、ウトロ・・・網走・・・旭川、美瑛、旭岳、札幌・・・。
・・・彩風人の写真帳・・・

春4月・・・釧路、根室、花咲、納沙布の海に流氷が押し寄せ、大雪や羅臼の山々は冬の装い・・・北海道のの冬は長く厳しい。
画像をコラージュして振り返ってみた。

北海道・・・その名は今から148年前の1869年に松浦武四郎の提案により名付けられたという。
松浦武四郎(1818~1888年)・・・伊勢国一志郡須川村(現松阪市)の農家の出。御師、僧籍、国学者、篆刻家、本草学者、民俗学者、地理学者、浮世絵師、登山家、探検家、さまざまな顔を持つ。青年のころ京都、江戸、中部山岳、中四国、九州、東北を歩く。27歳で帰郷するがふたたび旅立ち、28歳で鰍沢より松前に、以後42歳までに6度蝦夷地を踏み、樺太、択捉まで及んだ。「久摺日誌」他、多く日記で蝦夷地の考察文を残し、特に松前藩の場所請負人がアイヌに対して暴虐な扱いをしていることを糾弾している(場所請負…松前藩が統治する場所を民間に丸投げにして収益のみをとっていた制度…すべてではないであろうが領民に対して奴隷的な搾取をしていた請負人がいたという)。1866年江戸幕府蝦夷御用御庸、明治維新後の1869年明治政府の開拓判官、蝦夷地の県名、支庁名、郡名、村名の決定のために献策した。北海道の地名、最初の案では北加伊道、北海道。海北道、海鳥道、東北道、千島道、日高見道・・・などの7案、その中で北加伊道・・・北海道となったという。「カイ」は武四郎が天塩川の古潭でアイヌに教えられた「カイ=この地に生まれた者」の言葉によるといわれる。
武四郎の詠んだ歌。「心せよ えみしも同じ人にして この国人の数ならぬかは」。


北海道を旅したとき・・・自然に入ってくる札幌とか小樽とか帯広とかいう地名。全部ではありませんがアイヌの言葉からその音を漢字に当て字したものになっています。先住者の残した貴重な地名を植民したものがそのまま残す。アイヌを愛してやまなかった松浦武四郎の心だったかもしれません。武四郎は翌1870年明治政府開拓使たちのアイヌへの偏見差別に憤り職を辞したといわれます。
「地名は先人たちの歴史を語る」・・・戦前、日本は旧満州に乃木町、東郷町とかの地名をつけました。台湾の玉山を新高山と改名しました。西欧の植民地も同じです。いまアラスカのMtマッキンレーは「デナリ」と旧名に戻しました。

ブログで紀行を記す、できるだけ人に感動を伝えたい、のちのちのガイドの端くれになって役に立ちたいと思う。アクセスや地誌など簡単に記す、北海道の場合、その地名のいわれも記したい・・・そんな気持ちで書いてみました。

美瑛のパッチワークの丘は連作障害を避ける百姓のむかしからの知恵です。畑に入って写真を撮らないでください。世界一のヒグマの密集地知床・・・ソーセージでヒグマを寄せて写真を撮る馬鹿がいるそうです。

北海道・・・自然とは何か、開拓とは何か、生きものたちとの共存とは何か・・・


※2017北北海道の春・・・の紀行はこれで終了です。

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