比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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天空の峠をゆく・・・白馬村の白沢洞門・嶺方峠・・・鬼無里村の大望峠

2015-10-06 | 山が好き 北アルプス
立山黒部アルペンルート、安曇野の旅は9月23日の朝で終了、帰路に。
白馬駅あたりから国道406号線(鬼無里街道)を西に。2014年11月の神城断層地震の影響で道路がところどころ崩壊、その補修工事中。しばらくすると白馬村と鬼無里村の境、白沢洞門(標高約1100m地点)に。

白沢洞門から白馬連峰の山なみ。右から白馬鑓ヶ岳、唐松岳、五龍岳、鹿島槍ケ岳
この峠、地図には名前が無い。嶺方峠と呼ばれている? 鬼無里方面からトンネルを抜けると突然絶景が目に飛びこむ隠れビューポイントだ

国道406号線を鬼無里村(現長野市)の中心地に、そこから県道36号線を辿って戸隠方面に。
大望峠(標高1060m地点)から戸隠連峰西岳の岩峰を仰ぐ。

・・・山ヘンに上下と書く。漢字ではなく日本で作られた国字。峠は山の上下・・ナルホド 
・・・クニ境、分水嶺、異界との境目、結界・・・語源は旅人が旅の無事を祈って道祖神、山の神に幣を「手向け(タムケ)」たいうことからといわれ、山の撓んだところ「たわみ」からとも。
むかし杣人、狩人しか行かないような山越えの峠は、乗越、越と呼んだ。本場中国では嶺、岭という文字で表記。英語、ドイツ語ではpass(通過すること)、フランス語ではcol(鞍部のこと)。国によってさまざまだが峠という和製漢字は傑作だ。

いまから134年以上むかしの1981年、英国人宣教師ウォルター・ウエストンは飛騨山脈上高地を訪れようと上田から松本へ、そのとき保福寺峠の上から飛騨山脈の山なみを見て、のちに「日本アルプス・登山と探検」でこのように記している。
・・・稜線の中央から南の部分が衝立のように立ちはだかって、飛騨の秘境を隠している。雪の縞をつけた尾根や、一万フィートを超えるみごとな山々が、乳白色(オパール)の夕空に紫の輪郭をくっきりと浮きあがらせていた。・・・・・・

野麦峠・・・山本茂美著「あゝ野麦峠」(朝日新聞社 1968年刊)の1節。
明治42年11月20日午後2時、野麦峠の頂上で一人の飛騨の工女が息を引きとった。名は政井みね、20歳、信州平野村山一林組の工女である・・・(中略)
峠の茶屋に休んでソバがゆと甘酒を買ってやったが、みねはそれにも手をつけず、
「アー飛騨が見える、飛騨が見える」と喜んでいたと思ったら、まもなく持っていたソバがゆの茶わんを落として、力なくそこにくずれた。


峠にはさまざまなものがたりがある。



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