比企の丘

彩の国・・・比企の丘・・・鳩山の村びと
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秋の信濃路・・・北国街道・・・旧道に忽然と・・・歴史薫る「海野宿」

2017-12-10 | 信濃の国は

11月29日、久しぶりの信州上田へ日帰り・・・
11月下旬は信州リンゴ、秋野菜の収穫期。
葱、白菜などいただき、知り合いの果樹園で規格外の林檎をタップリ仕入れて帰路に。
ノンビリとむかしの北国街道らしき街並みを東に・・・忽然とむかしの宿場町が目の前に・・・東御市本海野「海野宿」。

江戸時代、中山道追分宿から分れて北信濃、上越、越中、加賀に向かう北国街道
北信濃、上越、北陸の大名の参勤交代の道、善光寺への信仰の道、佐渡金山の輸送の道。
追分宿から分れて小諸宿、田中宿、海野宿・・・海野宿は田中宿のサブのような位置づけ、のちに本宿に格上げ・・・上田宿へと続きます。


延長650m、幅員10m、用水堰(表の水)、旅籠屋造り、蚕室造り、茅葺造りが100棟・・・見事です。
北国街道では唯一残る江戸時代からの宿場の家並みです。

屋根の上に小屋根(養蚕のための換気設備)が見えます・・・明治時代、鉄道が開け宿の役目の終った街は養蚕業に転換していきました。

今日は祝祭日ではなくウイークディーなので静まり返っています。
江戸時代にタイムスリップしたような街ですが、普通にお勤めに出たり農業を営んでいるかたたちの住んでいるオウチです。
※撮影日11月29日 Panasonic LUMIX DMC-TZ85。
※「日本の道100選」、種別「宿場町・養蚕町」で重要伝統的建造物群保存地区として選定。電柱の地中化、道路、水路の整備、毎年3棟ほどの改修などの保全工事が。

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8 コメント

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海野宿…… (池 千之助)
2017-12-10 10:52:45
ヒキノさん、こんにちは!

海野宿……、この風景、久し振りに見させていただきました。
確か、二年以上も前だと思いました。
両側に並ぶ建屋は、風情があって何となく落ち着いていていいですね!

こういった景観はいつまでも残って欲しいと思います。

旧道 (池 千之助さんへ・・・)
2017-12-10 18:50:47
むかし浅間サンライン、高速道などなかった時代、国道18号線は大渋滞、上田から大屋、海野と旧国道を走ったものです。おかげで信州の道と峠は知り尽くした?
信州を訪れる人に、こういうところに寄っていただきたくて、こういうネタが多くなります。

コメントありがとうございました。
昔の生活した (縄文人)
2017-12-10 20:51:41

人々の息遣いが、建物の中から聞こえてくるような気がしてならない。
古きを訪ねて、新しきを知る。
このような街並み、そして暮らしを立ててきた人々、家を辿れば家族。
しかし、街に暮らす人々は、みな兄弟姉妹、人々が皆んな寄せ合って暮らしを立てて来たのでしょう。
向う三軒両隣、思いが伝わってくるようです。

北国街道をちょいとググってみたが、どうもはっきり分からない。歴史薫る「海野宿」を初めて知りました。
以前、北国街道・稲荷山を旅したことが有りますが、ここは違うのですか!?

『夜明け前』、<木曽路はすべて山・・・・〉の通り、
山の中には、峠を越えねば人里には辿り着かない、独特の文化が育ったのでしょう。

先日、飛騨の高山に足を運びました。
・歴史薫る「海野宿」、行って見たい旅欲に駆られました。

有難うございました。


宿場は文化の交流点 (縄文人さんへ・・・)
2017-12-10 23:29:57
都と都を結ぶ街道、いろいろな人が行き交ったでしょう。
北国街道海野宿・・・妻籠宿、馬篭宿のように有名ではありませんが江戸時代そのままです。1枚目の右の建屋の小屋根。江戸時代後期、群馬県島村の田島彌平という百姓が考えた養蚕のための温度調節設備です。この宿場が転業するとき蚕室に改築したのでしょう。
信州生まれはすぐそんなところに目が行きます。
今は電子産業や精密工業に勤めている兼業農家であろうか。
お蕎麦屋さんや胡桃おはぎの喫茶などあります。元本陣もあります。
東御市は湯の丸山、池の平があります。
一度は尋ねて見たいところです。
アッ・ここは・・・・・ (こきおばさん)
2017-12-11 07:50:48
私も昨年訪れた場所。ツアーで行きましたので、ガイドさんが説明してくださいました。宿のはずれに白鳥神社がありましたっけ。
とても落ち着いた雰囲気の好い家並みでした。
海野宿 (こきおばさんへ・・・)
2017-12-11 08:35:51
馬篭や妻籠のように観光地化していなくて静かですね。
鉄道が通り宿の時代が終わったあと何故ここが往時のままに残ったか。
小諸や上田のように町ではなかったため急激に変わりようがなかった。養蚕に転業した。二階屋の広い旅籠は蚕室にもってこい。生糸産業はそのご昭和の中期まで続いたので経済的に安定していて建て替えの必要が無かった。そんなふうに考えました。
地元の人が歴史的建造物に愛着を持っていた。
そんなふうに考えました。

白鳥神社・・・街はずれ、観光客のための駐車場のそばですね。

コメントありがとうございました。
海野宿 (ヒトリシズカ)
2017-12-13 08:44:44
ヒキノさん

東御市の海野宿は、たぶん30年前に訪れた時に比べて、最近は観光地としていくらか整備され、当時の北国街道の様子が分かりやすくなっています。

約30年前はもう少し生活感がある街並みでした。

小諸市側の街並みも拝見して、当時の北国街道の賑わいを感じました。

明治時代の国の主力産業となった養蚕・絹産業は、街並みを豊かにしたようです。
海野宿 (ヒトリシズカさんへ・・・)
2017-12-17 08:53:31
作り物でもなく、リノベーションでもないほとんど完全にむかしのままの宿場町。
それでいてまったく無名。
長野県生まれの人でもほとんど知りません。私の家内は上田生まれですが、この街を知るようになったのは最近です。
馬篭、妻籠が島崎藤村の「夜明け前」で知られるようになったのと比べて対照的です。

高速道、浅間サンラインができる前は18号線の渋滞を避けてよくこの前を通りました。旧北国街道、最近バイパスができて通り過ぎるところでした。

古道マニアとか週末の観光客ぐらいしか寄る人はまばらのようです。

市場町でなかった、急激な時代の変化がこの村になかった、養蚕業への転換がこの宿を原型のままにした原因でしょうか。

いまの農業はサラリーマンの休日農業、サンちゃん農業です。この村はどう変化していくのでしょう。

内山峠付近の冬、凍結路に気をつけてください。

コメントありがとうございました。

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