比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

秋の信濃路・・・むかしの北国街道・・・格子戸・格子窓・・・小諸の街並み

2017-12-11 | 旧街道・峠道・旧宿場
11月29日、久しぶりの信濃路・・・
ノンビリとむかしの北国街道らしき街並みを東に・・・上田市大屋で明治のおもかげの「大屋駅」東御市元海野で「海野宿」そして小諸へ。
小諸なる古城のほとり・・・」・・・浅間火山群のシラス台地、千曲川を俯瞰する河岸段丘上の小諸城址「懐古園」であまりにも有名な小諸。
その「懐古園」ではなく小諸市街地・・・旧北国街道の街並みに。往時の宿場町、城下町、市場町の雰囲気がわずかに感じられる佇まい。

小諸市本町・・・格子戸・・・むかしの北国街道・・・の雰囲気が・・・

赤い郵便ポスト・・・

本町通りを北に向かって上って行くと突き当りに天機山傳通院光岳寺・・・総門・・・江戸時代の小諸城の足柄門

小諸城遺構・・・明治維新後、江戸時代の城郭のほとんどは破却、公有地への変更、民間への払い下げなどに。ここもまた天守、本丸などの遺構は残っていません。城址が「懐古園」として、島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」・・・。遺構は懐古園の入口に「三の門」、市街地の一画に「大手門」、そしてこの光岳寺に「足柄門」が。
足柄門」‥・通勤の侍の通用門。1596年建築。1742年水害で流失、1765年再建、1872年光岳寺に移築、2000年修理。
光岳寺・・・1624年松平家が入府したとき德川家康の生母於大の方(松平家は再婚先)の菩提寺として、当地の芳泉寺を再興したもの。


小諸市本町「ほんまち町屋館」の・・・建屋の裏から・・・浅間山冠雪・・・
※撮影日11月29日 Panasonic LUMIX DMC-TZ85。
小諸市・・・人口41600人、古くから交通の要衝・・・中山道で江戸、京・大阪へ、北国街道で北陸方面へ、佐久甲州往還で甲州へ、車坂峠を越えて上州へ、明治の時代に入り信越本線、小海線が。

※コメント欄閉じています。