遅まきの桜が漸く咲き始めた。 『花見はいつにする?』などと友人とメールのやり取りをしておりました。
そんな漸く暖かくなり始めました先日、
父が急逝いたしました。
3/29の午前五時ごろ、気が動転した母からの電話で、それは全く要領を得ない電話だったのですが、つまりそういう事でした。
今年の桜を待たずして、父は死にました。
事情も様々ありますので、通夜・葬儀はその翌日と翌々日という事になり、東京にすんでいる小生は取り急ぎ妻と息子を連れて京都府北部の実家に帰省しました。 息子は新幹線に乗れると言うと無邪気にはしゃいでおりました。
「どうする?通勤ラッシュに巻き込まれないように、早いめに出る?」などと、妻と話しておりましたが、そんな事を考えていたわけではありませんでした。 オヤジが?死んだ?
今年の一月。あまり具合のよくない母に会う為に帰省しました。
滅多に正月に帰省する事がなかったので、息子は大雪を見てはしゃいでもおりました。母はまずまず元気で、いい帰省になったと思います。実家の雪見障子を開け閉めするのが大好きな息子を、あ〜!そんなんしてたらまた破くぞ! なんて言いながら、やきもきとして見ていた父と、最後に交わした言葉は多分
夏、帰るんだろ? だったと思います。
ほいほい など、ともすれば面倒臭そうにもとれる曖昧な返事をして、ろくに父を振り返ることもせず、小生は駅の階段を上ったものと、今、無理矢理思い出せばそうだったと思います。
父の死の予兆はありませんでした。死ぬ前日まで、母と車で買い物に行っていたといいます。 いて当然な人だったので、そのことに対しては大して感謝もしてませんでした。
家に着いた時、丁度父が湯灌されているところでした。 おくりびと が来て、何だか硬そうな父の身体にタオルを乗せていました。 はやくはやく そう言われて慌てて着替えようとしましたが、どういうわけか、ネクタイが結べません。 まったく結べません。
なにしとるん はよ! 結局、小生はみっともなく、人に結んでもらい、だらしなく着乱れた喪服姿で父の横に立ちました。
何も考えることもなく、ただ人が多いので、それに厳粛な空気だったので、それがどうも嫌でした。 本当にそれだけで、ただ おくりびと に言われるままに父を、よいしょ とお棺に入れました。
父の身体には少しお棺が小さかったようです。
それから今まで、ずっと何か妙な感覚が続いています。 それは 悲しい というよりも、強いて言えば、悲しい になる前の、悲しいの材料を見ている様な、そしてあまりに大量のその材料に唖然としているような、そんな感覚が続いているのです。
それが上手く纏まれば漸く悲しくなるのかもしれませんが、小生は早速来週、浅草でアコースティックライヴがあり、その翌日には息子の幼稚園の入園式があるのです。 その時、着るスーツがない、だから昨日それを買ってきました。安いスーツ。7900円。明日は仕事の後、スタジオに練習に入ります。花見の計画はどうなったのだろう? 昨日の風は凄かった。
こんなに毎日毎日、後から後から、乱雑に材料が積み込まれては、なかなか纏まるものも纏まりません。ひょっとしてこのまま悲しくなくなってしまうんではないかな と、思ったりします。
日常は常に何事にも無関心でいいと思います。 人々は勝手に暮らし、桜は咲いてあっという間に散る。 イヤー凄かったね、昨日の風!
なんて会話こそ、大切なのかと思ったりもします。 そんな会話の中に埋れてしまうほど、父の死は小さな出来事でいいのかもしれません。
昭和9年生まれなので78歳。ん……。三歳の息子が、果たしておじいちゃんを覚えているか? 微妙なところ。 もう少し生きていて欲しかったなと、そのことは少し残念に思います。
とにかく、オヤジお疲れ。ありがとう。 さよなら。
あ! 来月また四十九日で行くよ。じゃあとりあえずそん時まで、さよなら。
そんな漸く暖かくなり始めました先日、
父が急逝いたしました。
3/29の午前五時ごろ、気が動転した母からの電話で、それは全く要領を得ない電話だったのですが、つまりそういう事でした。
今年の桜を待たずして、父は死にました。
事情も様々ありますので、通夜・葬儀はその翌日と翌々日という事になり、東京にすんでいる小生は取り急ぎ妻と息子を連れて京都府北部の実家に帰省しました。 息子は新幹線に乗れると言うと無邪気にはしゃいでおりました。
「どうする?通勤ラッシュに巻き込まれないように、早いめに出る?」などと、妻と話しておりましたが、そんな事を考えていたわけではありませんでした。 オヤジが?死んだ?
今年の一月。あまり具合のよくない母に会う為に帰省しました。
滅多に正月に帰省する事がなかったので、息子は大雪を見てはしゃいでもおりました。母はまずまず元気で、いい帰省になったと思います。実家の雪見障子を開け閉めするのが大好きな息子を、あ〜!そんなんしてたらまた破くぞ! なんて言いながら、やきもきとして見ていた父と、最後に交わした言葉は多分
夏、帰るんだろ? だったと思います。
ほいほい など、ともすれば面倒臭そうにもとれる曖昧な返事をして、ろくに父を振り返ることもせず、小生は駅の階段を上ったものと、今、無理矢理思い出せばそうだったと思います。
父の死の予兆はありませんでした。死ぬ前日まで、母と車で買い物に行っていたといいます。 いて当然な人だったので、そのことに対しては大して感謝もしてませんでした。
家に着いた時、丁度父が湯灌されているところでした。 おくりびと が来て、何だか硬そうな父の身体にタオルを乗せていました。 はやくはやく そう言われて慌てて着替えようとしましたが、どういうわけか、ネクタイが結べません。 まったく結べません。
なにしとるん はよ! 結局、小生はみっともなく、人に結んでもらい、だらしなく着乱れた喪服姿で父の横に立ちました。
何も考えることもなく、ただ人が多いので、それに厳粛な空気だったので、それがどうも嫌でした。 本当にそれだけで、ただ おくりびと に言われるままに父を、よいしょ とお棺に入れました。
父の身体には少しお棺が小さかったようです。
それから今まで、ずっと何か妙な感覚が続いています。 それは 悲しい というよりも、強いて言えば、悲しい になる前の、悲しいの材料を見ている様な、そしてあまりに大量のその材料に唖然としているような、そんな感覚が続いているのです。
それが上手く纏まれば漸く悲しくなるのかもしれませんが、小生は早速来週、浅草でアコースティックライヴがあり、その翌日には息子の幼稚園の入園式があるのです。 その時、着るスーツがない、だから昨日それを買ってきました。安いスーツ。7900円。明日は仕事の後、スタジオに練習に入ります。花見の計画はどうなったのだろう? 昨日の風は凄かった。
こんなに毎日毎日、後から後から、乱雑に材料が積み込まれては、なかなか纏まるものも纏まりません。ひょっとしてこのまま悲しくなくなってしまうんではないかな と、思ったりします。
日常は常に何事にも無関心でいいと思います。 人々は勝手に暮らし、桜は咲いてあっという間に散る。 イヤー凄かったね、昨日の風!
なんて会話こそ、大切なのかと思ったりもします。 そんな会話の中に埋れてしまうほど、父の死は小さな出来事でいいのかもしれません。
昭和9年生まれなので78歳。ん……。三歳の息子が、果たしておじいちゃんを覚えているか? 微妙なところ。 もう少し生きていて欲しかったなと、そのことは少し残念に思います。
とにかく、オヤジお疲れ。ありがとう。 さよなら。
あ! 来月また四十九日で行くよ。じゃあとりあえずそん時まで、さよなら。
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