ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

かたつぶり

2017-04-21 04:25:15 | 






みをはぢて とぢしなりしや かたつぶり     夢詩香






*汚れた百合ほど汚いものはない、と言ったのはルナールだと思いますが、それは清らかに美しいものが汚されたというものほど、痛々しくつらいものはないということでしょう。

本当は美しくあるべきものが、嫌なことをしてしまい、嫌なものになってしまった。そういう自分であることが苦しすぎる。人の苦しみの中には、そういう心がいつも、膿んだ傷のように存在しています。

人間は、絵の中にいる聖母は尊敬するが、実在の女性が、聖母のような美しい生き方をしようとすれば、激しく憎む。みなで邪魔をして引きずり落そうとする。それは、そういう生き方に失敗して、自分を汚してしまった自分が、たまらなく恥ずかしいからです。

ですから人は、清らかに咲いた百合の花を見ると、汚したくなるのだ。嫌だからです。嫌なのは百合の花ではない、自分です。汚れたことをしてしまった自分が、嫌なのです。

誰にも見られたくない心を、カタツムリのような殻の中に隠し、嫌な自分が自分である痛みを、どこかでごまかそうと、心は暗いところに流れていき、美しいものと見ては、ずるいやり方でいじめるようになる。そんなことをする自分が、また痛ましくつらくなり、一層激しく自分が嫌になり、その心を、また美しいものに振り向ける。

こういう心の負のスパイラルがあることは、ご存じでしょう。たくさんの未熟な男や女が、こんな心の沼に浸りこんで溺れている。苦しさのあまり、嫌なことばかりして、世間に馬鹿を振りまいている。人から盗んだ顔を着て、表面は馬鹿馬鹿しいほどきれいな、できた人間の芝居をしていながら、誰も見ていないところに行けば、みじめなところで延々と守っている、愚かな自分を満足させるために、天使のような生き方をしている人間を、不幸のどん底に落とすようなことばかりしているのだ。

世界中のみんなが、自分のように汚くなければ、馬鹿は我慢ができないのです。

馬鹿が必死になって美しい人を攻撃するのは、自分がたまらなく恥ずかしいからなのです。だから馬鹿は、カタツムリの中のような閉じた闇に閉じこもり、延々と毒を食い続ける。出て来なさいと言っても出て来はしない。暗闇から人をいじめる血の味に、酔うてしまうと、なかなか出て来れなくなる。阿呆の愉悦とは、自分よりいい人間が落ちて不幸になるときに、げらげらと笑って馬鹿にできる時が、しびれるほどいいということだ。

そんなことをすればするほど、自分がみじめに醜くなってくるというのに、やめられないのだ。愛を、あんなものは馬鹿だと言ってだめにすれば、自分の方が大変なことになるというのに。

もうそこから出て来なさい。いつまでもいると、当然のごとく、世界を破滅させたものとして、大きな罪の家を、カタツムリのように背負うことになる。

阿呆はもう、やめなさい。






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