ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

白鳥

2017-07-08 04:20:25 | 短歌





白鳥は 哀しからめや 空の青 海のあをにも 友とただよふ






*本歌取りですが、ほとんどパロディですね。4文字しか違いません。原作者を尊敬しているというよりは、皮肉っている。元歌は、若山牧水の有名なこの歌です。




白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ   若山牧水




実はわたしは、若山牧水と正岡子規は好きではありません。絵の世界にも偽物の画家はいますが、歌の世界にも、実は偽物がいるのです。この二人は、歌人の偽物です。自分で詠んでいる歌もあるのですが、彼らの歌には、霊的盗みで他人の作を自分のものとしているものが多い。

この歌も、実は牧水の歌ではありません。全然本人らしくない。おそらく、これとほとんど同じ作品が、霊的世界か、またはこの世界で埋もれてしまった無名の歌人の作にあります。それを、霊的世界にいる人間が、技術で牧水の頭に吹き込み、彼の作品として発表させたのです。

こういうことは昔からよくありますよ。貫之は下手な歌詠みにて候、などと子規は言ったそうだが、わたしはこう返してさしあげます。子規はずるい歌詠みにて候。

昔の歌詠みはそれほどでもないが、現代の歌人には、こういう歌詠みはかなりいます。短歌というものは、かなり簡単にできるもので、それでかなりいい感じのステータスを得ることができるものですから、馬鹿が自分をよいものにするために利用することがあるのです。残念ながらこれは本当です。本人は自分の作だと思っているだろうが、裏を見れば実は、守護霊を気取った馬鹿の霊が、他から盗んできて本人に与えたものだというものが多いのです。

きついことですね。だが一応、一つの真実として、知っておいてください。

それはそれとして、表題の作の元歌は、かなりニヒリスティックですね。白鳥は哀しくないのか。青い空にも青い海にも染まることなく漂っている。世界との絆を絶って浮遊している人間の魂の姿を詠っているようだ。実に人間というものは、若い頃にはだれしも一度はこういう感興を持つものだ。誰にも理解してもらえない自分を、未熟で浅い感情の中でもてあそんでいる。

しかし大人になってくると、こういう感興は薄れてくるものですよ。

「めや」は前にも言ったが、反語推量を表す語尾です。「~だろうか、いいや~ではない」という感じに訳します。

白鳥は哀しいのだろうか、いやそうではあるまい。青い空にも青い海にも、友達とただよっているのだから。

人間も大きくなってくると、一緒に生きてくれる人間がいることに気付いてくる。その温かさ、ありがたさがわかってくる。たとえ孤独でいても、見えない誰かが必ず自分を見ていてくれるということを、感じられるようになる。

生きるのはつらいことも多いが、一人ではない。みんな助け合っていくことができるのだ。

牧水の歌はいくつの時に詠んだか知らないが、まるでまだ人生を確かには知らない十代の若者が詠んだ歌のようだ。しっかり、もとはそういう人が詠んだものを、盗んできたものにちがいないのです。






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