ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

かたばみ

2017-08-25 04:21:09 | 短歌





天離る 鄙の小野辺の 片陰の 萱の根元に 咲くかたばみよ





*今日はわたしの作品をとりあげましょう。これはあるとき花の写真を撮りに外に出ていた時に、偶然見つけたムラサキカタバミの花を見て詠んだ歌ですが。

ムラサキカタバミの花の写真があればいいのだが、なければほかので代用しましょう。何せこの項を書いている今は7月下旬ですから、写真を決めることはできません。

この近くに、小さな水神の祠があるのですが、その裏には年中萱草が生えている空き地があるのです。わたしは祠の裏にランタナの花が咲いているのを知っていたので、裏に回ったとき、萱草の中に一輪のムラサキカタバミが咲いているのを見つけたのです。

何やらそれに強い印象を受けたものですから、花に尋ねてみた。だが何も言ってくれない。事情がわかったのは、ほかの花が教えてくれたからです。

あのムラサキカタバミは、かのじょが生きていた頃、かのじょをなんとかするために、とてもいいことをやってくれたのです。それがために、かのじょを深く愛してくれているのです。

愛というのはありがたい。何も言わなくても、神が教えてくれるのだ。田舎の隅の、どこにでもある萱草の茂った空き地の、その萱草の影に咲いている小さな花が、清らかな愛で大切なことをしてくれていたことを、わたしは知ることができたのです。

空き地の隅に何げなく咲いている、どこにでもありそうな小さな花にも、魂がある。愛で大切なことをやってくれている。その珠玉のようなひとつを知ることができたのは、とても幸福なことでした。

「天離る」は「鄙」にかかる枕詞ですね。一応押さえておくのがわたし流です。勉強はこういう細やかなことを繰り返し抑えておくことからできてくる。何度でも繰り返す練習というのを、侮ることはできません。「小野辺」は「おのべ」でもいいですが、ここは「おのへ」と読みましょうか。そのほうが軽くてよい。

いちいち細やかに押さえていくことによって、自分の言葉を増やすことができます。そうすれば、次に詠むときに活用できる。

どんどんスキルがあがってくるのは楽しいでしょう。できる自分になっていくのが楽しいでしょう。

あなたは小さな萱野の隅のかたばみのように、小さいかもしれないが、確かに自分ができる花なのです。

愛を発揮すればすばらしいことができるようになるのです。






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