前回の東京低地における微高地の分布を見ると、
その中でとりわけ存在感の大きな微高地が2つあることに気づきます。
1つは現在の神田駅〜東京駅〜新橋駅に至る、
外堀通りを軸に南北に伸びる微高地。
これは家康が江戸に入り、日比谷入り江を埋め立てる前は
半島状に海に突き出していた、いわゆる「江戸前島」です。
中世までの江戸はこの江戸前島によって形作られた「日比谷入り江」という、
港とするのにおあつらえ向きの地形を活かして栄えていました。
もう一つは現在の市川駅〜本八幡駅〜下総中山駅に至る、
JR総武線の北・京成本線に沿って伸びる微高地です。
歴史的な地名はないのですが、もとは今から4000年位前に
形成された砂洲ですので「市川砂洲」と呼ばれています。
市川砂洲とその北の下総の国の国府が置かれていた国府台との間には
現在も真間川が流れていますが、ここには古代から中世あたりまでは
「真間の浦」「真間の入り江」と呼ばれる入り江が形成されていました。
実はこの両者、比べてみると地形だけでなく歴史的な地域構造においても
類似点をいくつか見出すことができます。わかりやすくするために、
市川の方を反時計回りに90度回転させてみます。

※15世紀くらいをイメージしていますが、その頃には存在していないものも
含めてのっけてしまっています・・・
縮尺は同じですから、同程度の広がりを持つ地域だとわかっていただけると思います。
いずれも政治的・宗教的に重要な拠点が存在する台地と、微高地との間に
挟まれた天然の良港でした。
江戸の方は江戸前島が鎌倉時代以降江戸時代に至る約270年間、
鎌倉の円覚寺領でした。円覚寺はこの他にもいくつもの水上流通の拠点を
所領としています。当時の寺院は対中国交易をはじめ、国内流通網を使って
大規模な商業活動を行う、今でいう商社的な性格を持っていました。
ですから、この江戸前島は「円覚寺商事」の「江戸支店」であったと言っても
よい存在でした。
その他にも時宗や日蓮宗、浄土真宗など様々な系列の宗教勢力がその拠点を
おいていたことがわかっています。
一方の市川ですが、こちらの真間の浦は下総の国の国府の港(津)、
いわゆる「国府津」としての役割を古代から果たしていたと考えられています。
さらに古代東海道(武蔵の国の国府(府中)から下総の国府(市川・国府台)とを結んでいた)の
駅(中継基地)の一つ「井上(いかみ)駅」もこの真間の浦周辺に置かれていたと考えられています。
古代の政治体制が崩壊して中世になってからも流通の拠点であったことは
「市河=市の立つ川」という地名からも読み取れます。
市川砂洲の先端地域には安国院、龍泉院(以上二寺は真間の浦対岸の弘法寺系列)、
極楽寺等の寺院が集中し、寺院による宿場町経営が行われていたと考えられています。
さらに、同じく日蓮宗の中山法華経寺もまた東京湾の交通の拠点でした。
品川との間を船で往来していた記録などもあり、往時はその近くまで
船が入っていくことができたと推測されています。
調べ上げていけばもっといろいろ出てくると思いますが、とりあえずこのくらいで。
JR市川駅の北口を出て少し歩き回ると、微高地の端、というのを
実感することができます。興味のある方は一度訪れてみてはいかがでしょうか。
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