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小川恭一翁柳営談「江戸城のトイレ、将軍のおまる」

2009-12-18 13:17:43 | 読書

         
 この本を100頁ほど読んだところだ。わたしがかねがね思っていたのは、お城見学で殿様や大名の接見の間などは仰々しく開放して紹介してあるが、台所やトイレの紹介はあまり見たことがない。特にトイレは皆無だ。(私の見た範囲で)
 先年京都の二条城見学の機会があったが、台所といってだだっ広い場所に木製の大きな流しが置いてあるだけだった。人間が生きていくうえで重要な食べ物の摂取と排泄は、基本に属するものだろう。そういう展示がないのが不満だった。それもいたし方ないかもしれない。トイレを後世の人間に残そうとする人はいないのだから。
 そんなことから、排泄についての記録が殆どなく、これらの研究者にとって悩ましいことらしい。少ない文献から浮き上がるトイレ事情は、殿様や大名は大変だなあという感想に尽きる。
        
        江戸期の縫腋の袍(阿部正弘)
 公家式最高礼服といわれる束帯衣冠(そくたいいかん=現在の神官の装束)などは年に一・二度。この束帯はどんなものか。ウィキペディアから引用すると、下から単(ひとえ)、袙(あこめ)、下襲(したがさね)、半臂(はんぴ)、袍(ほう)を重ね、袍の上から腰の部位に革製のベルトである石帯(せきたい)を当てる。それに大口袴を履きまたその上に表袴を履くという装束。これだけ重ねれば、トイレで脱着なんてとても出来ない。
 もっと頻繁にあるのは麻半上下という半袴で、月次御礼に用いる。あまり登城のない表大名でも五節句、月次のほか年に四十回くらいあり、そのうち三十回は半上下着用のため、少なくとも小用は股立(ももだち=袴の上部の、左右両側の開いているところを縫いとめた部分)が深くしてあれば心配も少なく、何とかなったのではないかと推測される。ただ、たとえ半袴であっても礼式に参加する以上、小用でも袴の脱着に時間的余裕はなかったと思うと著者は言う。 
 そういうときどうしたのか、書いていないので分からない。問題の束帯衣冠のときで、袴の脱着はできない。しかし、尿意は起こる。尿筒の出番となる。この尿筒係りは下々の者という訳にいかない。高位の人の役務だったそうだ。具体的にどういう風に行ったのか記録が残っていないので分からない。しかし、想像力で補うしかないだろう。
 それに大奥の御台様(みだいさま)のトイレは、一生使いきりの万年掘りだったらしい。そして、悲劇も起こる。江戸城のトイレには、下駄があり石敷きで滑りやすく照明の行燈(あんどん)もなかった。そんな時代、高九百石の松下伝七郎は、酒好きの公家たちと痛飲した挙句転落死という気の毒な笑えない話もある。
 現代に生きるわれわれも、トイレにはよく泣かされる。特に車での移動中、渋滞にはまったときの尿意には集中力を欠き不安定な精神状態に陥る。そこでどこにでも公衆トイレがあるわけがない。どこにでも目にするのは、コンビニだ。これが用足しに重宝する。勿論、何かを買うのがマナーだろう。ずいぶん助かる。
 ちなみに、江戸城のトイレの実物が、川越の喜多院にあるという。近々行って見たいと思っている。

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