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異色のミステリー本 ポール・アダム「ヴァイオリン職人の探求と推理」

2015-12-10 17:45:58 | 読書

                
 月に一度の弦楽四重奏のためにトマソ・ライナルディ、イグナッィオ・アリーギ神父、アントニオ・グァスタフェステにジャンニ・カスティリョーネの四人が集まった。気楽な集まりだから演奏曲がなかなか決まらない。ライナルディが言った「ベートーヴェンにしょう。ラズモフスキーの7番から9番のどれかだ」

 著者の表現を借りれば「なるほどそれはベートーヴェンだった。人の内側に忍び込み、魂を揉みほぐすような、あの輝かしい、熱烈な中期の四重奏のひとつだった」というようにクラシック音楽を愛好する人には同意やニヤニヤ笑いになるだろう。

 クラシック曲そのものばかりでなくヴァイオリンについてもまったく知らない世界が展開される。それにイタリアの都市についても言及されていて観光案内書の趣もある。

 例えばヴェネツィアについては「この街はひどく狭く、オープンスペースは非常に小さくて少ないため、このサン・マルコ広場だけが息の詰まるような閉所恐怖症からの逃げ場を提供してくれるのである。サン・マルコ広場だけ、本当に空が見え、そこでのみ、ヴェネツィアの薄暮のえもいわれぬ雰囲気を、大聖堂の尖塔に触れる日の光を、踏み減らされた石に伸びる影を、磨いた薄い真珠母のように七色に変わるピアツエッタ(小広場)のそばの水をゆっくりと眺めることが出来るのだ」

 さらに「ドウカーレ宮殿のうしろを走る小さな運河では、ゴンドラの長い列がこちらに近づいてきた。先頭のゴンドラで、アコーディオン奏者と甲高い声のはげたテノールが乗客たちにセレナーデを聞かせていた。列の最後尾のゴンドラには、日本人の観光客が一人だけ、ビデオカメラを連れにして座っていた。彼が気の毒で胸がうずいた。ヴェネツイアは一人でいる場所ではない」どうやらヴェネツイアはカップルの都のようだ。

 わざわざ小説の中でこの一行加えるということはしょっちゅう見る風景なのかもしれない。少なくとも読むほうは寂しい気分になる。ここから読み取れるのは、特に欧米人はカップルが普通なのだろう。日本人の同行者がいないなら現地調達という手もあるんだが……

 いずれにしてもミステリーだから事件が起こる。弦楽四重奏仲間のヴァイオリン職人トマソ・ライナルディが自分の工房で殺される。さらに富豪のコレクターも殺される。ヴァイオリン職人のジャンニ・カスティリョーネがこの物語の主人公。捜査をするのは同じ四重奏仲間の地元警察の刑事アントニオ・グァスタフェステ。この二人が各地を回りイギリスにまで足を延ばす。

 とにかくヴァイオリンの薀蓄は豊かで、名器はストラディヴァリだけではないということも分かった。さらに大人のロマンスに発展するのかなあと思われる女性が現れる。その女性は、殺された富豪の姪でミラノ大学の経済学教授マルゲリータ・セヴェリーニ。50代後半。肩書きからはなにやら堅物を連想するが、なんと垢抜けたユーモアの持ち主。

 彼女はおじの富豪の死で警察の身元確認のために呼ばれた。そのおじの家でジャンニが椅子を勧めた縁で今観光客の来ないレストランで向かい合っていた。

 淡いブルーのフラウスと黒っぽいスラックスに着替え、アクセサリーは金のボタン形のイヤリングをつけているだけだった。髪はとかしてあり、テーブルのキャンドルの光にきらめいていた。マルゲリータはヴェローナ産の辛口の白ワインのグラスを掲げて「ありがとう」
「何がです?」
「リストひとつ分あるわ。おじの家で椅子を持ってきてくれたこと、泊まるところを見つけてくれたこと、スーツケースをペンスィオーネまで運んでくれたこと、ディナーに呼んでくれたこと、料理を注文してくれたこと」

 別の日、おじが残した膨大なヴァイオリンの査定を依頼するためにジャンニを訪れたマルガリータ。ジャンニの手入れの行き届いた庭を散策して家の中に戻った。マルゲリータは奥の部屋にあるピアノに目を留めた。「
ピアノも弾くの?」
「いや、妻が弾いたんです」マルゲリータは軽くキーに指をすべらせ、それから蓋にのっている楽譜の山を見た。
「ブラームスは好きですか?」とジャンニ。
「ええ」
「それじゃいつか一緒に二重奏をしましょうか」
「そうね」彼女の手が私の腕に触れた。「
もう本当に帰らなくちゃ」彼女はジャンニの頬にキスをした。
「また連絡するわね、ジャンニ」そのキスは彼女が帰ってしまったずっとあとまで残っていた。

 ミステリーでロマンスを強調するなんてと思うかもしれないが、事件はどこへも行かないが、ロマンスはちょっと間違えば逃げ足が速い。目を放すわけにいかない。とにかく満足する読後感だった。

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