トニーザイラーさん死去 asahi comより転載
【ウィーン=玉川透】56年のコルティナダンペッツォ冬季五輪(イタリア)で史上初のアルペンスキー3冠王に輝き、映画でも活躍したオーストリアの名選手、トニー・ザイラーさんが24日、死去した。73歳だった。地元メディアなどが伝えた。
同国チロル州キッツビューエル出身。56年五輪では男子の大回転、回転、滑降で金メダルを独占し、回転の銀メダルが猪谷千春さんだった。58年の世界選手権でも滑降、大回転などを制覇、回転でも銀メダルを獲得した。
59年に引退し、俳優や歌手としても活躍。映画「黒い稲妻」(58年)や「白銀は招くよ!」(59年)は日本でも大ヒットし、ザイラー・ブームを巻き起こした。日本映画「銀嶺の王者」(60年)などにも出演。各地のスキー場のコース設計も手がけた。
国際スキー連盟のアルペン部長などを務め、85年に国際オリンピック委員会から五輪オーダー(功労章)が授与された。
地元テレビによると、最近は脳腫瘍(しゅよう)などを患い、母国で闘病生活を続けていた。 転載以上
細川隆一郎さん死去 asahi comより転載
細川 隆一郎さん(ほそかわ・りゅういちろう=政治評論家、元毎日新聞記者)が25日、老衰で死去、90歳。通夜、葬儀は未定。喪主は長男隆三(りゅうぞう)さん。
1942年、毎日新聞社に入社。67年に連載「日本政治への提言」で新聞協会賞を受賞した。政治部長、中部本社編集局長などを歴任。退社後、政治評論家として多くのテレビ番組に出演した。
エドワード・ケネデイ氏死去 nikkei net より転載
エドワード・ケネディ米上院議員が死去 ケネディ兄弟の末弟
米民主党の重鎮、エドワード・ケネディ上院議員が25日夜、マサチューセッツ州の自宅で死去した。77歳だった。ケネディ氏の家族が明らかにした。昨年5月に脳腫瘍(しゅよう)と診断され、闘病を続けていた。暗殺されたジョン・F・ケネディ元大統領、ロバート・ケネディ元司法長官らケネディ家9人兄弟の末弟。オバマ米大統領の有力支持者の一人で、国民に「テッド」の愛称で親しまれていた。
1932年にマサチューセッツ州ボストンで生まれ、62年に同州上院議員に初当選。亡くなるまで上院議員を務めた。2人の兄と同じく大統領を目指したが、80年大統領選の民主党予備選では現職のカーター大統領に敗れた。(ワシントン=弟子丸幸子)(01:30) 転載以上
同時代に活躍された方々である。トーニザイラー氏は、この時代の明るい部分のシンボルで有ったような気がする。オリンピック選手から映画スターへの道を歩み、わが国で多くのファンが有ったのではないか。冬の遊びとしてスキーが人気を集めるようになったのは彼の影響が大であったかもしれない。73才と言う年齢は若いと思うがこれでよかったのでは、と思う。往年の端正な風貌を知るものにとって、老いたるスターは余り想像したくない。
細川隆一郎氏は愛敬のある顔で、歯に衣を着せず話され痛快で有った。又今にして思えば適切な発言が多かったと思う。
郵政民営化で国会が混乱したとき氏は次のように述べている。
以下The Sekai Nippo2005.8.1より引用します。
小泉首相、引き際を考える時
郵政政局 細川隆一郎氏が直言
参議院を舞台にした郵政民営化法案の審議は今週、採決に向け大詰めを迎える。だが、政権政党の自民党内が二つに割れ、解散含みで政局は推移している。こうした混迷した「郵政政局」に際し政治評論家の細川隆一郎氏が政治のあるべき姿について直言した。
宰相は“無常観”の風格を
政界が乱れると二人の人物を思い出す。緒方竹虎と山崎猛だ。緒方は福岡出身で、朝日新聞の主筆を経て吉田茂(元首相)の補佐を務めた。一方、山崎は水戸出身で高潔な人物であった。
昭和二十八年五月、第五次吉田内閣が成立。ところが、その年の秋から年末にかけて造船疑獄のにおいがしてきた。造船工業会が当時の自由党に賄賂(わいろ)を贈ったという。
日本は戦争で多くの船を失ったので、貿易のため船を造らなければならない。そのため、多額の利払いに苦しんだ造船工業会は、利子の一部を国が肩代わりする「外航船建造利子補給法」の制定を求めた。やがて時の自由党幹事長佐藤栄作、政調会長池田勇人の二人に多額の金品が渡ったとの噂(うわさ)が広がった。
明けて二十九年一月七日、東京地検による山下汽船、日立造船、飯野海運などの捜索が行われ、世の中は騒然となる。ついに政界にも検察の手が入り、自由党の有田二郎副幹事長が逮捕され、佐藤幹事長と池田政調会長も地検の内々の取り調べを受けたことが表ざたになり、吉田首相は驚いた。
「政権政党の自由党が崩壊するようなことがあれば日本は大変なことになる」として、犬養健法相に「二人を逮捕してはならぬ」と命じ、同法相は両氏を拘束しないよう佐藤藤佐(とうすけ)検事総長に命令した。これがいわゆる「指揮権発動」である。同年四月二十一日のこと。佐藤幹事長、池田政調会長の二人は逮捕を免れた。
この指揮権発動に国民は怒った。さらに吉田首相が「造船疑獄は検察のでっち上げだ」と発言したので、国民の怒りは頂点に達した。
そうこうするうちに吉田首相が「解散」を口にした。ちょうど小泉首相が「郵政民営化法案が否決されれば解散する」と言っている現在の状況と似ている。その時、政権党の自由党に二つの意見が出た。「よし、解散だ」と言ったのが吉田首相の一の子分、池田政調会長。池田は竹を割ったような性格である。一方、これに対し、佐藤幹事長は慎重派。
そこへ緒方竹虎副総理が吉田首相に対し「解散などとんでもない。あなたは総理を辞めて大磯に帰るべきだ。さもなければ私は政治家を辞めて国家再建の青年運動を起こす」と、自らの真情を吐露して首相の退陣を迫った。吉田首相は「憲政の常道を踏み外してはならない」という緒方の説得を受け入れ、その年の十二月七日に退陣、次いで十日、第一次鳩山内閣が発足した。
もしも緒方がいなかったら自由党はどうなっていたか。政界は収拾が付かない状態になっていたかもしれない。一人の人物が身を捨てて総理総裁に憲政の常道を説いたのだ。さすがの吉田首相もこれには従わざるを得なかった。
第五次吉田内閣が総辞職したとの報を聞いて、国民はホッとした。
もう一人は同じく自由党の幹事長山崎猛のことだ。二十二年に発足した片山内閣、芦田内閣ともに短命。連合国軍総司令部(GHQ)のホイットニー民政局長は吉田を好まず、山崎幹事長を次期首班とするよう星島二郎、山口喜久一郎にひそかに働き掛けた。
この動きに対し、山崎はどうしたか。議員を辞めたのである。議員のままでいると、首班に指名されてしまうかもしれない。これは、占領軍の政治介入を許すことになる。友人の益谷秀次は、山崎の自宅を訪ねた。世間話を終えて、帰り際の玄関で山崎の目を見詰めると、山崎は「分かっとるよ」と、ひとこと言ったという。ともに連合軍の政治介入を許してはならないという同じ思いがあった。こうして山崎は身を捨てて国を守ったのである。
これらを今の政界に当てはめてみると、郵政民営化法案が可決、否決にかかわらず、小泉さんは堂々と引退すべきだと考える。
今、日本には多くの難題が横たわっている。政権政党が一致結束して難局打開に当たらなければならない。宰相には“胆識”を有し、かつ“先知先覚”であり、“淡宕(たんとう)”にして、“無常観”を漂わせる風格が欲しい。小泉さん、故郷の山河が待っているのではないか。(談)
(敬称略) 転載以上
小泉氏は引退せず、いわゆる郵政選挙に打って出た。その結果は如何で有ったか、言うまでも有るまい。歴史にタラレバは許されないが、小泉氏がこの細川氏の直言を受け入れていたらばわが国の現在は全く違ったものであったろう。
世の中、正論正義はいつでも退けられるのが常で有るとつくずく思う。
エドワード・ケネデイ氏は、長兄で大統領のジョン、次兄のロバートが相次いで暗殺された、と言う事で非常に印象に残っている方である。大統領の暗殺の真相はいまだ藪の中である。国家機関による暗殺というのも一つの有力な説である。民主党上院議員を勤めておられたらしいが、どのような思いをもって今まで過ごされたであろうか。遺稿が出版されると言う事はないのであろうか。
写真:保土ヶ谷区 帷子川 街の釣り人










