murota 雑記ブログ

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古典作品、キーワードから意外な発見を。

2016年10月12日 | Weblog
 豊臣秀吉は全国的に大名の領地の石高を検地で正しく数え上げ、これを元にして、大名への出兵要請、大名の格付けを行う石高制という政治制度をつくった。これは歴史上の統計事例といえる。現代でも、形を変えて統治の手段としての側面は生きているが、最近は、観察手段としての統計の方が大きくクローズアップされている。統計がどうして観察の手段として有用かというと、小さいものを観察するためには顕微鏡が必要であり、遠くのものを観察するためには望遠鏡が必要なのと同様に、たくさんのものを観察するためには数え上げるしかないからだ。数え上げる前の漠然とした印象が数え上げた結果で訂正される場合も多いため、たくさんのものが多くなった現代では、統計は真実へ到達する重要な観察手段となっている。

 統計による観察には、主に、「意外」、「発見」、「確認」という3つの働きがある。 「意外」は、数え上げてみると、こうであるに違いないと思い込んでいたのと異なる結果になったということ。貧困意識を抱いている人が思いがけず減っているという世論調査の結果もあるが、数え上げてみないとやはり分からなかった意外な事実でもある。 「発見」は、数え上げてみると考えてもいなかった新事実に気がつくということ。2015年の国勢調査では前回と比べ「営業・販売事務職」が職業中分類で最も増えている。新しい時代の潮流は、案外、気がつかないところで進行している可能性がある。 「確認」は、知っていることでも数え上げてみないと、その程度が分からないということ。日本における高齢化の程度について国際比較すると、高齢化が日本では非常に進んでいることは知っていてもこんなにも世界との比較で群を抜いているということは分からなかった。思っていた程度どおりだということが分かる場合もあり、これは「確認」だ。

 古典作品のキーワードを数え上げる、これまた統計の一種というべきものについて、これら、「意外」、「発見」、「確認」の3つを見てみる。碩学の中国史家・宮崎市定は、孔子の思想を考える材料として論語に出てくるキーワードの回数を示している。 「仁」は、さすがに孔子の教育の目標なので非常に多く、97回とトップとなっている。次に多いのは「礼」だが、これは孔子の職業に最も深く関係している。信頼の「信」は、君主に対して使えないこともないが、人民と人民との間、国民同士の間の道徳として3番目に多い。親孝行の「孝」と忠節の「忠」は同じ18回だが、君主に対する忠というケースは、わずかに3回だけ。他の15回は忠信とか忠恕とかいう風に、むしろ一般的な道徳として使われている。孔子の職業とは、古来伝わった儀式(常に音楽を伴う)の指南役として俸給、謝礼を得る職業集団を孔子が率いていたことを指す。この儀式のしきたりや精神、すなわち「礼」については、「学んで時に之を習う。亦悦ばしからずや」だった。著名な漢字学者の白川静は孔子を「葬儀屋集団のリーダー」と呼んでいる。

 儒教は忠孝を重んじる教えと考えられることが多いが、それは後代の解釈や意義づけの影響によるものであり、儒教の祖である孔子は、そんな風には考えていなかったことをキーワードランキングは示している。特に「忠」は孔子以降に誕生した領域国家の支配者が自分に都合の良いように重要な徳として祭り上げた側面が強く、それが日本で、特に戦前の大日本帝国で受け継がれた。宮崎市定は「中国史」の中で述べている。論語は「忠孝を柱として道徳を説いたように考えられているが、実際は孔子の忠はそんな意味ではなかった。忠とは君に対してのみならず、特定の知人に対して誠実なることの謂であった。(中略)孔子が最も力説したのは信であった。信は一般的人間生活、特に(孔子の生きた時代に支配的であった)都市国家における市民間の信頼関係であった、正に社会道徳の根幹たるべきものであった」と。古来の注釈家の迷妄を払って歴史的に論語を解釈するという立場の宮崎市定から、「忠」を孔子がさほど重視していたわけではないことが示されると、日本人としては意外であり、また新鮮な感じがする。

 古代人が関心を持っていた植物種類について、植物学・食物史の大家である中尾佐助が作成した万葉集と聖書における植物ランキングで探ってみる。日本の万葉集に登場する植物種類は約166に達しており、この数は、ユダヤ民族の聖書、インドのヴェーダ、中国の詩経より多く、世界の古典の中で最も多い。万葉集に登場する植物の上位10位まで、これらは、総て実用植物でなく、花や姿に特徴のある植物だ。ウメ、タチバナ、サクラなどは果樹でもあるが、おおむね、果実としては歌われていない。一方、聖書の上位10位までは、ほとんどが食用および衣料用の実用植物だ。作物のコムギ、アマ、オオムギとウルシ科のテレビンノキを除くといずれも果樹である点に特徴がある。10位以外のものをみてもほとんど実用植物であり、ユリの他、花は問題になっていない。古代人は衣料用の植物に強い関心を持っていたと思われる。タク、タエ、ユフはコウゾとカジノキを含むと考えられるが、万葉集では多数登場する(タエは105回で第3位)。聖書でも衣料用のアマの登場回数が第4位。日本人の関心は植物の美学的側面に向けられていた点が特色となっている。万葉集と聖書は詩集と宗教書という違いもあるが、その違い以上の関心の差がある。聖書と比較すると、万葉集の植物の中では、栽培植物は少ない。上位10位まででは、ウメとタチバナだけ。これら栽培植物は、いずれも中国から渡来して栽培されていたものであり、当時の先進文明である中国文化の影響による。万葉集に登場するほとんどの植物は、日本原産植物であるが、中でも、ハギが最も多い。「ハギは原生林の植物でなく、自然破壊をした後に成立するマツ林などの二次林などで目だつ植物。ハギの歌の多いことは、万葉集時代には自然破壊がすでに進行しており、まわりにハギがかなり普通であったことを示すことにもなる。こんな自然破壊の中で日本の花の美学は最初に誕生した」(中尾佐助「花と木の文化史」岩波新書)。

 このように万葉集と聖書に出てくる植物を数え上げることにより、美学的な関心の高さという日本人と植物のかかわりの特徴や万葉集の時代にはすでに自然破壊が進んでいたという事実が発見できる。さて、五七五の俳句が我が国独自の短詩形式として確立しているのは季語があるからだ。俳句は、四季に寄せる日本人の生活感に根ざしながら、古代以来の言霊(ことだま)の伝統を再興させた詩形式。松尾芭蕉と与謝蕪村がどのような季語を多く使ったかを知るため、芭蕉俳句の5句以上と蕪村俳句の20句以上の季語のランキングを作成し、春夏秋冬別に多い順に並べてみた。元資料には季語索引があるので、元の句に当たって一から数え上げる必要はなく、索引に掲げられた句数をカウントするだけで済んでいる。各々の出典によれば蕪村の俳句は全部で2871句、芭蕉は976句であり、蕪村の方が約3倍(2.94倍)。これは、芭蕉が51歳で亡くなったのに対して、蕪村が68歳まで長生きし、作句期間に違いがあったこと、さらに芭蕉が「一句をどこまでも深く掘り下げ掘り下げしていくタイプの作家」だったのに対して、蕪村が「一つの題に応じて十句でも二十句でも豊麗な詩想を展開してみせ」るという作句スタイルの違いによるもの。そこで全俳句に占める割合がほぼ同等になる句数を越える季語でランキングを比較、本当は芭蕉は6~7句以上でないと同等とは言えないが少なすぎると特徴も見えないので5句以上とした。

 両者のベスト5を比べると、第1位が花・桜で共通である他、梅、雪が入るなど、最多5つの季語の多くが重なっている。最頻出季語が重なっている点に俳句という我が国詩形式の共通基盤を見ることが可能だ。両者のランキングをもう少し詳しく見ると、蕪村が春夏秋冬の四季に渡ってまんべんなく季語を用いていたのに対して、芭蕉の場合は秋と冬に季語が片寄っている。どんな季語を使用する頻度が高いかについて見ると、芭蕉が月やほととぎすが非常に多く、季語の集中が目立つのに対して、蕪村の方は、季語がバラエティに富んでおり、多彩な作風が目立っている。例えば「時雨」という季語の代表句を並べてみると、「旅人とわが名呼ばれん初時雨 芭蕉」、「老が恋わすれんとすればしぐれかな 蕪村」。芭蕉の句は「冬を告げる定めない時雨と自分を重ね合わせるときこそ自信を持って旅人と呼ばれてもよい気になる」、蕪村の句は「年甲斐もなく恋心を抱いてしまった。いかんいかんと思ってふと外をみるとこうした自分を象徴するかのように時雨が降っていることに気がついた」となる。芭蕉と蕪村の対比は、思い切り単純化するとマジメとオトボケであり、ルソーとヴォルテール、萩原朔太郎と室生犀星、白土三平と水木しげるといった対比と似ている。芭蕉の場合、秋と冬に季語が片寄るのはマジメだからとも言える。

 もう一つの例として、芭蕉の好む寂寥の秋と蕪村の好む物憂げな春の言葉づかいも対照的な2句を見る。「こちらむけ我もさびしき秋の暮 芭蕉」、「あちら向に寐た人ゆかし春の暮 蕪村」。俳句を成り立たせている季語という観点からまとめると、芭蕉と蕪村を対照させたこうした句に見て取れるように、孤高の漂泊精神もロマンチックな気持ちも、同じように、日本の自然に抱き留められているという共鳴の仕方に、我が国独自の自然観を反映した詩形式である俳句の本質があらわれている。慣れ親しんでいた芭蕉や蕪村の俳句であるが、季語別に数え上げてみると、何となく感じていた両者の違いがくっきりと浮かび上がる。やはり確認するだけのことはあったと思える。統計データは面白い。

( 別件、参照メモ )  少子高齢化に伴う日本の若者の減少から

 少子高齢化に伴う日本の若者の減少。内閣府によれば、2060年には日本の総人口は8000万人台にまで減少し、生産年齢人口は3800万人と2010年のほぼ半数近くに割り込むと予測する。「人口8000万人時代」を目前に、日本政府はさまざまな政策を打ち出している。そのひとつが「外国人材の採用」で日本の少子高齢化を乗り切ろうというもの。日本経済の活性化や国際競争力の強化という視点からも、高度外国人材の定着が待たれている。

 日本企業の日本での外国人材の採用は、海外拠点の社員のモチベーションの引き上げもあり、10年ほど前から本格化しているという。日本の総合商社や大手電機メーカーなど海外拠点を持つ企業を中心に、日本人と同等の条件による外国人材の本社採用は徐々に定着しつつある。海外拠点の有無にかかわらず、近年は外国人材の採用は広範囲に及ぶようになった。国内では、建設、食品、不動産、ホテル、観光、流通、飲食などのインバウンド・ツーリズムにかかわる業界で欠かせない戦力になっている。外国人材からすると、日本企業を選ぶことには積極的になれない一面が存在する。日本の就労環境に外国人材がなじめないためでもある。典型的なのは“年功序列”であり、これを敬遠する外国人材は少なくない。年功序列の根底には、長期的に人材を自社に留めたいという発想があり、転職を繰り返し、自らのスキルアップにつなげる外国人材の思考とは相反する。ゼネラルポジションを体験させる社内の人事も、会社の歯車化と解釈され、専門性の向上を目指す外国人材からは嫌われている。

 日本企業と外国人材の間には埋め難いギャップがあるばかりでなく、中小企業における受け入れはまだ本格化していない。中小企業における採用はあるにはあるが、従来、それは“下働き”としての傾向が強いものだった。外国人材を業務の補佐としてしかとらえていない中小企業がまだまだ多い。日本人と同等に評価を与え出世させる企業は、ほんの一握り。そんな中で、外国人材は日本企業への就職に前向きになれないというのが実態らしい。実際には、外国人材の採用面接に乗り出す企業も多い。だが、面接を経て採用決定に至るその歩留まりは決して高くはない。日本の中小企業が重視するのは応募者の日本語レベル。面接では必ずといっていいほど日本語能力試験は何級という質問が出てくる。国籍問わず優秀な人材を獲得したいといいつつも、日本企業が求めるのは日本語人材。優秀な外国人材はいくらでもいるが、日本語重視の風潮が、本来外国人材が持つスキルや能力の発揮を妨げている。日本人でも、英語ができる人材が必ずしも仕事ができるとは限らない。日本企業が外国人材を測る尺度はこれと同じ。日本企業に就職する外国人材は日本語が流暢でなければならない、こう信じて疑わない経営者は少なくないが、そんな固定観念を打ち破る企業もある。GMOインターネット・グループ傘下のGMOブライツコンサルティングがそれだ。知的財産権の侵害に悩む日本企業をサポートするという同社の業務は、国際的戦略なしには闘うことができない。その戦力となるのが外国人材だ。同社は創業当初から、積極的に外国人材を採用している。社員はおよそ100人だが、スウェーデン人、オランダ人、中国人、マレーシア人、セネガル人、ウズベク人など外国人材は12ヵ国18人にまで増えた。

 日本人枠、外国人枠と分けておらず、同一の基準で選考している。日本語能力よりも、重視するのは、会社を経営と同じ目線で牽引できるグローバル人材か否かだ。もちろん、日本人であろうと外国人であろうと人柄ありきは言うまでもない。外国人材の採用で一歩先を行く同社では、外国人材を管理職や部門責任者に数多く起用している。新卒で採用したフランス人の中にはすでに管理職に就いている人材もいるように、“生え抜き”がバリバリ活躍するシーンも見られる。外国人材の目にこの会社はどう映っているか。入社5年のあるフランス人は語る。 学生時代、日本に憧れ日本の企業に履歴書を送ったが、多くは無視され、唯一ちゃんと面接してくれたのがこの会社だった。当時、私の日本語レベルは決して高いものではなかったが、会社はさまざまなチャンスを与えてくれた。20代半ばで海外子会社の社長を経験させてもらうなど、異例の昇進も遂げることができた。グローバルビジネスのインフラであるドメインネームをワンストップで守る仕事はやりがいも大きく、今後も腰を据えて取り組んでいきたいと思っているという。現在の日本語レベルはむしろ社内でのコミュニケーションで身についたものだという。
中国に進出した大手某日本ブランド、そこで総経理付きの“通訳兼秘書”として雇われた中国人女性は、心のモヤモヤをこう訴えた。 「私は現地法人の立ち上げ時から、ここで働いてきました。総経理は何人も変わりましたが、私は15年以上頑張っても、いまだに『秘書』扱いです。給料も日本人並みではないし、いまだに役職も与えられていない。社内には私以上に日中の両サイドを橋渡しできる人材もいないのに、会社はそれを評価しません。日本企業に就職しなければ、もっと自分はキャリアアップできたかもしれません」と。社内でも最古参のベテラン社員であり、その情報量は目まぐるしく入れ替わる日本人駐在員とは比較にならない。だが通訳はどこまで行っても通訳に過ぎず、中国での現地採用を理由に出世からも取り残された。現地人材は通訳だと決め込む日本企業の評判は芳しいものではない。「出世できない日本企業」という悪評は、今やアジア全域に拡散する。このままでは外国の高度人材に背を向けられてしまう。


 中国国家観光局データセンターは、休暇期間中に観光に出かける本国国民の数は延べ5.89億人(前年同期比+12%)で、それがもたらす観光収入は4781.8億元(前年同期比+13.5%)に上ると見積もっている。人民たちの表情や行動を眺める限り、彼らの消費、生活、余暇に対する欲望は時を追うごとに膨張しつつある。9月30日~10月4日の5日間で、北京、天津、蘇州、成都、合肥、済南、鄭州、無錫、武漢、深セン、広州など10以上の地方自治体が新たな不動産市場への政策を打ち出し、その多くが市民らの不動産物件購入を制限するという。中国社会において、国慶節期間中に家族で新しい住宅を購入するために不動産物件を下見する、それをホリデーレジャーとする市民は少なくない。そんな市民たちは、今回の不動産購入制限政策を複雑な心境で、しかも当事者意識を持って眺めている。

 例として、国営新華社通信は、10月4日に配信した記事『勝負に出るか、あるいはとりあえず様子を見るか:ゴールデンウィーク不動産市場を巡る市民たちの心境をスキャンする』において、同通信社の記者が河南省鄭州高新区恒大城で遭遇・取材した同省許昌出身の寧氏の状況を紹介している。大学卒業後鄭州で就職した同氏は、これから2年以内に結婚すべく準備を進めており、両親もそのために早急にマイホームを購入するように催促している。近年、鄭州の不動産価格の常識はずれな高騰ぶりに愛想を尽かしていた寧氏は制限策のニュースを聴いて喜んだが(2016年8月、鄭州市の不動産価格は前月比で5.6%上昇し、単月で見れば全国主要都市のなかで最大の上昇率を記録。なお、前年同月比で見ると、最も高い上昇率を記録したのは福建省のアモイ市で+44.3%)、状況を打診するにつれて、喜びは薄れていったという。 価格の上昇は緩やかになるが、それでも上がり続けると予測、政府によるマクロコントロール政策が住宅価格の急激な上昇の流れを抑制できるのであれば、メリットがあると考える寧氏だが、「翡翠華庭」という物件が販売を始めた当初の価格は1平方メートル9000元であったが、現在では1.5万元にまで上がっており、更なる上昇を懸念する寧氏はこれ以上待つのは危険だと判断し、早急に購入する予定という。

 中国で半世紀以上続いた「農業戸籍」の廃止が中国経済社会にもたらし得るインパクトというと、あらゆる改革の中でもその難易度と進め方という観点から比較的難しい分類に入ると思われる戸籍制度改革、現政権が重視する都市化政策、産業構造の転換、不動産政策などとも直接的にリンクしてくるため、改革のプロセスが複雑化するのは必至であろう。中央政府にとっては、経済成長の原動力や過剰生産能力の解消問題などを占い、地方政府にとっては自らの財政基盤を左右しかねない要素だ。企業家にとっては、本業が不振に陥ったときの損失や倒産リスクを軽減するため、できる限り持っておこうとする保険であり、一定以上の資産を持つ“有産階級”にとっては自らの資産を管理するための拠り所だ。安定した生活、幸福な人生を送ることを何より祈願する“無産階級”としての一般大衆にとっては、自らが生活の最大基盤とし、家族が一つになるための“家”を持てるかどうかという要素だ。不動産市場というファクターは、中国政治社会・経済社会で生きるあらゆるプレイヤーの運命を左右しかねない複合的産物である。複数の地方自治体が同時期に不動産購入制限政策を打ち出した背景には、不動産バブルの過熱化という前提的情勢が存在する。

 李克強首相を首長とする国務院(中央政府)は近年、不動産市場を、国民が求める実需に応える役割を果たし、中国経済の安定的成長を下支えする重要なファクターと見なしつつも、同市場の行き過ぎた過熱化はバブルを招きかねないと懸念している。そのバブルが“崩壊”すれば、中国経済に致命的な打撃を与えるのは明白であり、その観点から、同市場の成長は促しつつも、過熱を警戒し、バブルを抑制するために、マクロコントロールが不可欠というスタンスを堅持してきた。中央政府は各地方自治体、特に経済規模の大きい主要都市に対して、このスタンスを繰り返し伝えると同時に、各地の実情に基づいて、適切な政策を実施するよう促してきた。中国経済社会全体としての不動産政策は、いまだにアクセルとブレーキをどう踏み分けるか、情勢によって緩めたり、引き締めたりする段階にあるといえる。今回の集団的な引き締め策実施は、中国の不動産市場が全体的な流れとして過熱化の傾向にあり、少なくとも「バブルが懸念される局面にあると、当局が認識していることを意味している。
国家統計局の統計によると、2016年8月、同局が統計対象としてきた主要70都市のうち、64都市の不動産価格が前月比で上昇。7月の前月比に比べて13都市増えた。うち、行政区分で「一級都市」に属する北京、上海、広州、深センではそれぞれ3.8%、5.2%、2.4%、2.1%上昇した。前年同月比ではそれぞれ25.8%、37.8%、21.2%、37.3%上昇している。過去半年における統計も、今年2~8月の期間において、同70都市のうち、17都市で価格が10%以上上昇、15都市で5~10%上昇、25都市で0~5%上昇、13都市で下落という結果であった。上昇率が最大だったのが江蘇省南京市で44%、次が安徽省合肥市で38%、それから北京市の27%、広東省東莞市の26%、同省珠海市の24%と続いた。注目される1級都市では、上海市が13%、広州市が4%、深セン市が8%だった。ちなみに、今年2~8月、70都市のなかで上昇率が最も低かったのは遼寧省大連市で6%の下落、次が山東省青島市で4%の下落となった。

 大連と青島は、共にザ・地元的な匂いをプンプン放ち、その酒豪の多さと飲む量の半端なさも含めて、スタンダードというよりはむしろ独自の文化・風習を大事にしてきた遼寧省、山東省のなかでは、最も遼寧・山東の都市っぽくない、いかにも日本人や欧米人に喜ばれそうな、例外的な湾岸都市であり、特に生活という観点からすれば、その立地・気候条件からも住み心地が良い場所とされる。この“美しい、住みたい湾岸都市”で不動産価格が“低迷”している現状は注目に値する。「1級都市」である北京・上海・広州・深センでは、不動産価格が“安定的”に上昇し、規模や影響力も大きいだけに、中央政府もバブルを懸念せざるを得ない対象となっている。南京・合肥・大連・青島といった「2級都市」における不動産価格は比較的不安定で、地域間の格差も大きく、バブル高騰懸念とバブル崩壊懸念が併存している構造が見て取れる。中国経済全体の安定的成長を担保する任務を持つ中央政府としてより懸念するのは後者であろう。特に今年に入ってから不動産バブル懸念が頻繁に世論を騒がすようになった原因は、中央政府による政策に見いだせる。

 今年3月初旬に開催された全国人民代表大会の『政府活動報告』において、李克強首相は2016年の経済政策5大任務として「不動産在庫の解消」(中国語で「去庫存」)を掲げた。同任務は、2015年12月に行われた中央経済工作会議で審議され、翌年の任務として採択されたもの。2014年あたりから緩くなってきた中央政府による不動産市場へのマクロコントロールであるが、昨年末から今年の初旬にかけて、「空き家を減らすこと」が中央レベルで奨励されるようになってからというもの、企業家や投資家、および一般消費者を含めて、「いまがチャンス」とばかりに不動産市場に流れ込んだ。この半年における銀行の貸出金のうち7割以上を住宅ローンが占めている。自らの奨励策が一つの引き金となって、再び過熱してしまった不動産市場をクールダウンさせるべく、国慶節という象徴的な時期を選んで、今度は引き締め策が打ち出されるという急展開だ。北京市は、主に住宅購入ローンを制限し、1軒目と2軒目購入の頭金支払い比率をそれぞれ不動産価格の35%、50%に引き上げた。天津市はすでに1軒の不動産を所持している現地戸籍を持たない家庭に、市内6区および武清区での再購入を暫定的に禁止し、同時に同対象者に対し、一軒目購入の際の頭金比率を不動産価格の40%に引き上げた。

 河南省鄭州市では、市内で指定した区域内に2軒以上の住宅を所持する現地戸籍を持つ家庭、および1軒以上の住宅を所持する現地戸籍を持たない家庭が180平方メートル以上の住宅を購入することを禁止した。山東省済南市では1軒目と2軒目を購入する際の頭金比率をそれぞれ不動産価格の30%、40%に上げ、かつ現地戸籍を持ち、すでに3軒の住宅を持っている家庭にはさらなる購入を禁止した。湖北省武漢市では、10月3日以降、江岸、江漢、?口、漢陽などの区域において、現地戸籍を持つ家庭が不動産を購入する際の頭金比率を1軒目は25%、2軒目は50%まで引き上げ、3軒目は購入禁止と規定した。このように、制限策には地域差があるが、共通点を大まかに拾っていくと、中国政府が人民の住宅購入をトップダウン型で制限する際には、都市における行政区分、支払いの際の頭金比率、そして戸籍といった要素を個別、かつ総合的に考慮しながら政策決定している。今後の展開として注目されるのは、購入制限策が功を奏すか否か、どのように市場の動きに反映するかだ。

 党機関紙《人民日報》の記事(10月3日付)は、「専門家による分析」を引用している。 「今回の引き締め政策は、主に投資・投機需要を抑制することに重点を置いている。購入者層とローンを制限したことによって、不動産市場は短期的にはクールダウンするであろう。今年の第4四半期には、各都市の不動産政策を巡るギャップはより鮮明に出てくるはずだ」。、また、「不動産市場にバブルが存在すること、国民生活コストへの影響が比較的大きいこと、実体経済への影響を免れないことを警戒すると同時に、マクロ経済政策を成長のインセンティブに転換するプロセスが完結していないなかでも経済の安定的成長を実現しなければならない状況下において、不動産業界の下支えとしての役割が必要なことも事実である。政府は不動産市場に対するマクロコントロールのバランス点を把握しつつ、リスクを防止しながら同市場の安定を確保し、経済運営が合理的な区域で完結するように務めなければならない」と。この2つの段落は中央政府の心境と目論見を反映している。今後、中国では不動産バブル、そしてそれと紙一重のように見える“崩壊”が懸念される局面が続くであろう。中央政府にとっては、適切なマクロコントロールの策定、および各地方自治体・市場・世論との綿密で、透明性のあるコミュニケーションがかつてないほどに試されている。

 中国で最もお金を持っている不動産王、大連万達集団(ワンダーグループの)王健林CEOが米CNNテレビの取材に対して、「昨今の中国の不動産バブルは史上最大である。上海などの大都市の価格は持続的に上昇しているが、多くの空き家を抱える中小都市では価格下落の現象も起きている。この問題を解決するための良好な方法などない。政府は購買・ローン制限などあらゆる政策を取っているが、どれも効果的ではない」と断言している。今年の不動産市場は、昨年乱高下の様相を見せ、中国政府の対策が国際的に疑問視された“上海株ショック”を彷彿とさせる。しかしながら、中国の広範な消費者・労働者にとって、不動産市場と株式市場はまったく次元の異なる存在。彼らにとって、住宅という不動産は、死に物狂いで貯めてきた資産を投資するという動機を遥かに超えた、家族が一緒に住み、次の瞬間には何が起こるか分からない激動の時代を生き抜いている家人たちが戻ってくる場所。中国人という生き様にとって、これだけは譲れないというボトムライン。それが、彼らにとっての“家”という存在だ。だからこそ、一時的な投機的・賭博的心理で向き合い、マーケットが萎んでしまえばそっぽを向いてしまう対象に映る株式市場とは異なり、市場の性質やルール・法律がどう変わろうとも、より極端な表現をすれば、中国という国家の在り方そのものに劇的な変化が生まれたとしても、“そこ”に生きる人々が絶対に目をそらそうとしない、永遠に目をそらすことができない市場である。それが中国人にとっての不動産=住宅=家という空間が意味するところだ。中国共産党当局が、 “民族大移動”が確実視される国慶節という時期に、この政治的敏感性に満ちた不動産政策の転換シグナルを発した事実も、なるほどと思われる。
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1 コメント

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こんな見方も面白いですね。 (H.K)
2016-10-12 09:24:50
蕪村が春夏秋冬の四季に渡ってまんべんなく季語を用いていたのに対し、芭蕉の場合は秋と冬に季語が片寄っている。芭蕉が月やほととぎすが非常に多く、季語の集中が目立つ、蕪村の方は、季語がバラエティに富んでおり、多彩な作風が目立つ。「時雨」という季語の代表句を並べると、「旅人とわが名呼ばれん初時雨 芭蕉」、「老が恋わすれんとすればしぐれかな 蕪村」。芭蕉の句は「冬を告げる定めない時雨と自分を重ね合わせるときこそ自信を持って旅人と呼ばれてもよい気になる」、蕪村の句は「年甲斐もなく恋心を抱いてしまった。いかんいかんと思ってふと外をみるとこうした自分を象徴するかのように時雨が降っていることに気がついた」となる。芭蕉と蕪村の対比は、思い切り単純化するとマジメとオトボケ、ルソーとヴォルテール、萩原朔太郎と室生犀星、白土三平と水木しげるといった対比と似ている。面白い味方ですね。

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