手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

俺の昭和が遠くなる 8   ”焼きを入れる!”  入れられた経験

2016-12-13 19:08:45 | 随想
 昭和20年の4月、私は永山農業学校に入学し、寮に入った。寮一棟に6人部屋が4つあり、それに食堂がついている。一部屋に3年生2名、2年生2名、一年生2名の6名が定員でした。勿論寮監の先生の住まいがついています。

 昭和20年、丁度終戦の年です。入学した時はまだ戦時中です。戦時中ですので、規律は軍隊並みに厳しくて、2年生は仏さん、3年生は神様といわれました。一年生はあらゆる仕事をしなければなりません。掃除、上級生の布団の上げ下ろし、食事の手配、上級生に命じられたことは反抗を許されません。上級生には全部「さん」づけで呼ばなければなりません。帽子や服装に格好をつけることは許されません。

 入寮して三日目くらいに初めての”焼き入れ”がありました。3年生が部屋から出てゆき、しばらくすると2年生が食堂に集められました。何か嫌な予感がしていました。間もなく一年生に食堂の前に集まれという知らせが入りました。一年生が食堂の前に集まって待っていると、食堂の中から怒鳴り声が聞こえ、ばし!ばし!という音か聞こえました。その後食堂に入れといわれて入ったらい列に並ばされました。そして、3年生の一人の方がすごい声で、「今、2年がどかんなことをされたかわかるか!たるんでいるので焼きを入れたのだ、焼きを入れるとはこういうことだ!}というなり一人づつ平手うちでビンタをはられたのです。そのうえで、これから心得て行かなければならないこと言われました。入寮して何か一つ偉くなったような気分でいたのがいっぺんに吹っ飛んで、命令に忠実に言葉遣いにも注意を払うようにしました。将に規律正しい生活をするようになりました。こんな状態の時、最初に家から手紙が届いたのですが、手紙を見ると泣けそうなのでトイレに入って読みました。

 私は、ビンタを食らったのはこの1回だけでしたが、仲間のほとんどは何回も呼び出されて殴られていました。

 これは、終戦後禁止されましたが、ほんの4か月くらいの間に軍隊式規律を教え込まれました。確かにつらいことでしたが、私自身とても良い経験だったと思っています。田舎で勝手気ままに過ごしていたものですから、此処で鍛えられ多くのことが身に着いたと思います。この寮生活がなかったらできなかったと思うようなことがあり、今の時代では許されないことだけれど、あの厳しい生活規律を身につけてくれたものとして、今の私は怨むより感謝しています。

 
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