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ハンナ・アレント「革命について」とパオロ・マッツァリーノの『みんなの道徳解体新書』を読もう

2017-05-14 | ブックレビュー


ハンナ・アレント「革命について」とパオロ・マッツァリーノの『みんなの道徳解体新書』を読もう

 今日(2017年5月14日)の朝日新聞日曜版の(古典百名山)という書評コラムで、大澤真幸氏がハンナ・アレント「革命について」について、次のように述べていた。

 (略)アメリカ革命は、アメリカ人が飢えていたから引き起こされたわけではない。アメリカ革命の目的は、本来の政治の条件にかなっていた。「自由(フリーダム)の創設」である。(略)興味深い論点は、新しい憲法(コンスティテューション)がどうやって正統性を獲得したのか、どこから権威を調達したのか、という話題である。普通は、政治の外部の絶対者(神、教会など)に頼るが、ヨーロッパの伝統から自分を切り離したアメリカではそれができない。アレントによれば、アメリカ革命は古代ローマに倣った。
 持続する新しいもの(政治体)を「創設」する行為、つまり建国の行為そのものが権威を含んでいたというのだ。偉大なことを成し遂げた「創設」の行為に、自分自身が感動し、それに深い敬意を抱き続けること、これが権威となるというわけだ。
 ここで我が身を振り返るとひとつのことに気づく。日本の戦後体制にはこれが欠けている。日本人には、この体制を自分で創設したという達成感がない。創設の行為が生み出す権威が、戦後体制には宿らなかった
。(略)

 大澤氏が指摘するこのことが、平和憲法を支持する国民が多数派だが、それを改悪しようとする保守政権も支持するという矛盾に平気でいられる、熱のない政治意識にも反映しているのだろう。「偉大なことを成し遂げた『創設』の行為に、自分自身が感動し、それに深い敬意を抱き続けること」で生まれる平和憲法の「権威」など確立できなかったので、それを護ろうという政治的な情熱に欠けている、というわけだ。
 保守派の「おしつけ憲法論」が付け入る隙がここにあるのだろう。現実に超党的な委員会が「前文」や特に「9条」について熟議して、自分たちの憲法を創設するという情熱を傾けた事実があったとしても、国民にはその実感がなく、GHQに促されて制定したと受け止められたようだ。
 ならば、今、改憲を目論む保守勢力から平和憲法を護るのではなく、自分たちの手で再創設したという機運を、国民的に盛り上げる必要があるだろう。
 護憲派の野党はそれを国民運動として盛り上げる努力をするべきだ。
 今日の朝日新聞のテーマ書評(ひもとく)で、道徳教育をテーマとして、木村草太氏がパオロ・マッツァリーノの『みんなの道徳解体新書』を取り上げ、次のように評している。

 (略)本書は、「戦後の民主主義的自由教育のせいで日本人の道徳心が低下・劣化した」という道徳教育推進派の紋切り型の主張が、いかに無根拠で非論理的かから説き起こし、「自分とは違う人間がよのなかに存在することを認める努力が大切です」と締める。
 この一冊を読めば、教育現場に何が必要で、何をやめるべきかは、明らかになるだろう。

 保守派のこの決めつけが、彼等の改憲の理由ともなっている。
 そのことについての批判は、私もこのブログで述べた通りだ。
 木村氏はこの書評を、次の言葉で結んでいる。

 マッツァリーノは、道徳よりも論理学を教えよという。長尾の論文を読めば、道徳は、法との関係を射程に入れて教えるべきことも分かる。私たちが適切に関心を持ち、政治と行政を動かせば、論理学と法学で道徳教育を乗っ取ることもできるだろう。一部の狂信に教育内容を委ねてはならない。



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