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日本人の集団性に巣食う病理性の解剖とその建設的解体の方法論が大事ではないか  新聞スクラップ

2017-05-18 | ブックレビュー


日本人の集団性に巣食う病理性の解剖とその建設的解体の方法論が大事ではないか  新聞スクラップ

 朝日新聞の記事で、下記のような中根千枝氏の『タテ社会の人間関係』(講談社現代新書)を取り上げて、「日本人論」を紹介していた。

2017年5月17日朝日新聞朝刊
「タテ社会」揺るがぬ50年 中根千枝さん、読み継がれる日本論

 日本の社会構造を説明した名著として内外に知られる中根千枝さんの『タテ社会の人間関係』(講談社現代新書)。刊行から50年を迎えた今も読み継がれ、117万部に達する。日本の集団や組織は、半世紀たった今も「タテ」の原理で動いているのだろうか。
 ■電通過労自殺「ヨコ」の乏しさ映す
 中根さんは社会人類学者で東京大学名誉教授。90歳の現在も、研究論文の執筆に取り組んでいる。
 『タテ社会の人間関係』は高度経済成長期の1967年に刊行された。現在129刷。中根さんによれば外国語版も十数カ国で出版されている。日本社会・文化論の代表的な書物だ。日本各地の農村社会やインド・英国などを観察した知見をもとに、日本の集団や組織がどういう基本原理で動いているかを分析した。
 中根さんは、日本人が自身を社会的にどう位置づけるかに着目。記者やエンジニアといった職種よりも「○○社に所属する者だ」という意識が強いことを挙げ、インドなどでは「資格」が重視されるが、日本では会社などの「場」が重視される、と指摘した。場を安定させるために、しばしば感情的な一体感が活用される、とも記述している。
 資格が同質であることをベースにした集団が「ヨコ」の関係にあるのだとすれば、日本の集団と組織は「タテ」の関係で構成されている。「親分・子分」の関係性や入社年次などの「序列」がその典型だ。中根さんはそう論じた。
 海外では、戦後日本の奇跡的な高度成長を支えた「会社人間」や「年功序列」の背景を説明する理論としても注目された。
 半世紀たった今も、「タテ社会」という見立てに変わりはないのだろうか。
 「ありません」と中根さんは明言する。「1億人もいる大きな社会は、そう簡単には変わりませんよ」
 タテの関係性が健在であることを感じた最近の事例として、電通の女性社員の過労自殺事件を挙げる。
 「感情的な一体感を要請される職場は、運よく人間関係がよければ思いやりのある場になるが、悪ければ逃げ場のない場になる。会社を超えたヨコのつながりがなければ、外へ救いを求めることもできません」
 著書では当時の時代を映して、年功序列を特徴とする企業や派閥の論理で動く自民党などを分析対象にしていた。近年はグローバル化や政治改革などによって、年功序列や派閥の存在感が薄れてしまっているようにも見えるのだが……。
 「確かに変化は起きています」と応じて、中根さんはこう続けた。
 「ただし変わっているのは周辺であって、長い歴史のある大企業や公的機関などにはタテの仕組みが生きているでしょう。経済的な理由から雇用制度が変わっても、それはタテの社会構造と併存していく。自民党でも上下関係の強さは変わっていないはずです」
 もし自説に理論的な整合性がないと発見したときはもちろん修正します――。そう語りながらも、中根さんは意気軒高だった。
 「原子力ムラの存在、長時間労働、そして天下り……。いま生きている日本人を見ていると、自説を修正しなければと思わされる芽が見えてこないのです」
 (編集委員・塩倉裕)
 ■「日本とは」理論から表現へ
 著書『「日本文化論」の変容』で知られる文化人類学者・青木保さんの話 敗戦と占領で、高揚した日本主義に終止符が打たれ、アイデンティティーが喪失される。戦後「日本とは何か」が問われた起点にそれがあった。中根さんの理論はその延長線上に現れ、社会集団中心の戦後日本社会像を示した。だが経済大国としてのアイデンティティーが崩れた1990年代以降は、日本文化論も日本社会論も不在の時代に入っている。国家を単位として「我々の全体」を説明する理論はもう出てこないだろう。日本人のアイデンティティーとなりうるものは現在、理論ではなく表現文化の形で現れている。好例は村上春樹の小説だ。現代の日本社会と人間を描き、世界で共感される。戦後日本が到達した普遍的な価値を示す表現として「我々」の説明にも役立つと思う。
 ■日本社会論・日本文化論の例
 ・『菊と刀』ルース・ベネディクト           1946年
 ・「超国家主義の論理と心理」丸山真男           46年
 ・「日本文化の雑種性」加藤周一              55年
 ・『「甘え」の構造』土居健郎               71年
 ・『ジャパン アズ ナンバーワン』エズラ・ヴォーゲル   79年
 ・『柔らかい個人主義の誕生』山崎正和           84年



武良コメント
 こういう著作を読むたびに思うことがある。
 上記の本も中根千枝氏の『タテ社会の人間関係』も社会学的に集団としての日本人とその社会、文化の分析的論考は、それはそれで読み応えがあって面白いと思う。
 この記事のインタビューで中根千枝氏が語っているように、戦後という経済成長期も、バブル崩壊後の低成長時代でも、日本の集団と組織は「タテ」の関係で構成され続けていることに潜む、不変の病理性の解剖と、その建設的な解体の処方箋についての考察が大事ではないか、といつも思ってきた。
 世界的な平均値から言えば、集団性を優先する日本社会は規律が守られて、町も人も整然としていて美しいという利点がよく肯定的に語られる。
 それは規律と道徳性もないぐちゃぐちゃな町は気持ちが悪く暮しづらいだろう。
 だが、日本の集団的規律性のある「美しさ」は、多様な人が集まって、明確に意識してその秩序を産み出し守ろうと努力した結果ではなく、「無意識状規律」的な面があるから気持ちが悪いのだ。
 規律を守るという点では美徳的に作用するが、社会の仕組みに関わるような意思決定を、意識をもって自覚的にしようとしない点は、大問題である。
 その「無意識状規律」が、保守的な政治勢力の「無意識的現状維持支持」行動となって作用し、今の安倍自民党の支持率50パーセントに表れている。
 社会の規律と保守勢力の支持率は保たれるが、政治レベルでの非民主的言動や数の力による横暴な政治手法が批判されることはないという病理となって現れている。
 その病理自身を解剖し、その病理はどうやれば治せるのか、社会学者は真剣に考察して示して欲しいものだ。
 その改革が行われない限り、日本はいつもでも碌な国家になれずに終わるだろう。
 

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