こころ模様
人はなぜ生きるのでしょうか。希望、居場所、時間というキーワードから、人生とは何かについて考えていきます。
 




高浜二郎は1884’明治17)年9月、姫路市神屋町に漢学者高浜信民(号、書山)の二男として生まれた。兄は一高に入学したが、その夏に病死した。その兄は、官吏になるなら外交官に、なれないなら新聞人にと言っていたようだ。父親からは、兄の後継ぎになれと言われていたが、幾何や代数が嫌いだったので、姫路中学を2年で中退し、新聞社に入った。

「姫路新聞」「鷺城新聞」「五州公論」・「白鳳新聞」等の記者をしていたことが分かっている。姫路新聞は1899(明治32)年4月創刊、鷺城新聞は1900(明治33)年5月創刊、五州公論は鷺城新聞社を退社した小嶋三郎(黒風)が創刊、白鳳新聞は1902(明治35)年11月創刊である。10代後半には、新聞記者として活動していたのであった。

1903(明治36)年11月、再び「鷺城新聞」の記者となり、1904(明治37)年3月頃から38年8月退職するまでは同紙「日曜文壇」の担当者であった。「日曜文壇」の投稿者であった5歳年下の三木露風と知り合ったのも、その当時である。


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