「ふたりでつくる」

まゆみさんと過ごす毎日をなんとなく記録します。たまにめんどくさいことも考えます。

よ、ようやく終わった……

2007-06-26 15:23:43 | Weblog
えーと、新しいブログへのお引っ越しが終わりました……。
以後、MK2の頭よくないテキストは、

http://munimunigyafun.typepad.jp/blog/


こちらにて更新となります……。
この場所が無料ならこのまま残しておいてもよかったんですが、月200円とはいっても金かかってるので、1ヶ月程度は残しておいたうえで、契約を解除しようと思います。えーと、まゆみさんにも新しい場所のほうで、ちゃんと更新するように伝えておかねばなるまい……。
でもさー、やっぱり「もうじき引っ越しする」とか思ってると、更新する気力も失せるよね。言い訳だよね。わかってるね。
ところで浄化槽の掃除頼んで、いま現在店で連絡待ちなんだけど、もう1時間以上連絡来ないよ。なにやってんの。
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まゆみさんと横浜まで焼肉を食べに行く

2007-05-27 23:15:16 | MK2がなんか

「しばらく更新をさぼっていたら」という定型句をそろそろ辞書登録したほうがいいんじゃないかと思うえむけーつーですこんにちわ。今日は日曜日ということで店も大繁盛。俺は仕事をさぼってテキストを書いています。
ここのところはなにをしていたかというと、家での余暇はほとんどまゆみさんとゲームをやって遊んでいました。ゲームのタイトルは「恋する妹はせつなくてお兄ちゃんを思うと以下略」嘘です嘘ですすっげえ嘘! カラオケじゃもってけセーラー服を絶叫であります。てゆうかカラオケなんかここ数年行ってないです。あと事務所に蚊がいるまじうぜえ。そして俺はどうしてこういう綱渡りみたいなネタを一生懸命に書いているのでありましょうか。
ちなみにまゆみさんは、自分ひとりで家にいるときは、ほとんどの時間をFF12に費やしているようであります。おもしろいらしいけど主人公がぜんぜん主人公としての機能を果たしていないらしいです。

昨日はひさしぶりに横浜に行って参りました。横浜くんだりまで出かけてなにをやっていたかというと、伊勢崎モールにある安楽亭で焼肉を食いました。車で2時間近くの遠出までして安楽亭。もう少しどうにかならないんでしょうか。でもここは横浜に住んでいたころ重宝していたのです。もともと深夜生活者である俺らにとって、朝5時まで営業してるというのはありがたい話でありまして。あんまり遅い時間に行くと、周囲から日本語聞こえてきませんけどね。
で、食った肉としては、ファミリーセットというとにかく安いのをひとつ。あとリブカルビというのを註文してみました。ファミリーセットはまあ、なんか「いやいいよ家で食うから」的な肉が出てきて、ソーセージとかも乗ってるんですけど、蓄肉スピリッツ満載の昔なつかしい味というか、まあともかくどうでもいい感じです。リブカルビは一人前630円もしやがるので、それなりのお味でしたが、まゆみさんは牛肉の牛肉たるゆえんであるところの肉の風味が嫌いなので、リブカルビはだめみたいでした。昔から俺の周囲には牛肉の嫌いな人ばかりが集まります。

で、そのあと南蛮屋という喫茶店に行きました。近頃神奈川で店舗数を増やしていくチェーン店らしいです。どんな店か知りたい人はぐーぐるさんに聞いてみてください。
スタバが世に蔓延しまくって「コーヒーを飲む」という趣味がやや一般化してきたのか、最近コーヒー専門店が少しだけ増えているような気がします。まあ、こう急速に店舗数を増やしているチェーンがあるってのはそういうことだと思うんですが。
まあ能書きはいいや。
内装はなんかヤケに凝ってました。入口はオープンカフェ風に開けっ放しになっていて、そこに「うちコーヒー屋だから。コーヒーしか飲めないから」という自己主張いっぱいのディスプレー。内部はダークブラウンというよりもはや黒に近いくらいの材木で統一されていました。照明はすべて間接照明、テーブルの上には小さな白熱電球をステンドグラスのホヤで覆った電気スタンド。まあ落ち着いた雰囲気といっていいでしょう。
よほど使い込んで何度もニスを塗ったような光沢が出てたんですが、店そのものは新しいはずです。新築でもああいう古い木造家屋みたいな味を出す技術があるのか、さもなくばどこかの古民家の建材を再利用したかだと思うんですけど。でもコストかかりすぎるよなあ、それだと。
喫茶店というのは、もちろん味を楽しむ嗜好品なんですが、それと同時に「おいしいコーヒーを飲むひととき」を提供する場所でもあります。どんなにうまいコーヒーでも、やっぱガストで飲むのは若干つらいものがあります。
さて、メニューなんですが、昨今のこの手のコーヒーにこだわりのある店では、必ずメニューに薀蓄が伴うことになっています。コーヒーってのは、ブラックで飲むと、豆によって呆れるくらい味が違うんですが、もちろん初めての人には、たとえばコーヒー豆のなかでも代表的な種類であるマンデリンやコロンビアでもどんな味なのか知らないわけです。そこで解説が必要、と。
で、この南蛮屋の場合は特上なんとやらってブレンドと「うまか珈琲」ってやつがおすすめらしい。初めての喫茶店ではブレンド飲んどけってのはだいたいの基本です。ただ、まゆみさんは極度にコーヒーの酸味が苦手なので、いちおーそれだけ確認してから註文。

なんだか喫茶店について語るブログと化してますが、あんまり気にしないでください。
で、味です。
特上のほうは、苦味とコク中心で、甘みも感じられる、というのがメニューの説明です。「うまか珈琲」のほうは、甘みとコク、あとまろやかさ中心みたいな感じらしい。
実際に飲んだ感じでは、意外にも特上のほうがトータルの味としてはやわらかい感じでした。焙煎の時期の関係かもしれません。そのへんまで行くと俺にもよくわかんないです。うまか珈琲のほうは、やや苦味のカドが立った印象でしたけど、まあトータルとしては確かにまろやかかな、と。どっちのコーヒーにも共通してるのは、ストレートの持つクセというかとがった感じを徹底的に消してあること。安心して飲める感じで、確かに店としてこれを押すのはよくわかる気がします。あと、特筆すべきは、焙煎からあんまり時間が経ってないせいなんでしょうが、後味にコーヒーの芳香のような部分だけが残って、エグみとかがいっさい残らなかったこと。違う種類のコーヒーの味を比較するときは、1回水を飲んで口のなかに残った香りを消すんですが、この店のコーヒーは、水で流してもほのかにコーヒーのいい香りだけが残る。こういうのは、そうは味わえません。
いつか日記に書こうと思ってそのまま放置状態になってるんですが、以前、甲府までドライブに行ったときに、ロシェという喫茶店に入ったんです。そこのコーヒーは、コーヒーチェリーのフルーティな感じがそのまま残ってるようなすげえ鮮度感で、それはそれで驚いたんですけど、というかすっげーうまかったんですが、南蛮屋のこの完成された感じというのも悪くないです。ほんと、コーヒーを飲みつけてない人でも、ブラックで飲んでおいしいと感じられるんじゃないだろうか。
ただ、どういうわけか、ほんのわずかな水っぽさが感じられました。濃さの問題ではないです。以前日記でも書いた加藤珈琲店のコーヒーは、そんなに濃くはなかったんですが、水っぽいという印象はほとんどなく、むしろクリアで引き締まった感じのする味でした。それと比較すると、ちょっと疑問が残る感じでした。
とはいえ、全体的に「おいしい」という印象は変わらないですけどね。

ところでまゆみさんは、マンデリンの攻撃的な苦味が好きらしいです。
以前、近所の行きつけの喫茶店で、俺が註文したコーヒーとまゆみさんが註文したコーヒーを、運んでくるおねーちゃんがどっちがどっちだかわからなくしてしまったことがあったのですが、俺がてきとーなのを選んで飲んだ瞬間、噴くくらいの攻撃的な苦味が襲ってきて、問答無用でマンデリンだとわかりました。
まあ、それはさておき。
伊勢佐木モールの南蛮屋はおすすめです。はい。コーヒーの苦味が気にならない人なら、特上なんとやらを飲んでまずまちがいないんじゃないかと。

さて、帰りの車のなかでは話をしました。
ここのところ俺は、烏蛇さんのとこの掲示板で「非モテは奢るべきか、奢らざるべきか?」というのをずっと読んでたのです。なかなか読みごたえがあったのですけれども、すでに旬も過ぎているし、俺自身は参加する気がまったくないのです。
俺は物事を俯瞰できないし、そもそも「この世界に通用する正しさ」というものにほとんど興味がないので議論というものはできません。自分なりの正しさといっても、俺の場合、極端な利己主義者なので、正しさもなにもないのです。正しくなくても自分にとって利益になるならそれでよし。たとえ世界が汚辱にまみれて、多くの人が悲鳴を上げていても、俺とまゆみさんが笑っていられればそれでよしです。もっともそういう状況では、そうそう笑ってるわけにもいかないんですが。
でまあ、まゆみさんにとってのヒマつぶしになるならば、と思ってこの話題を出したのですが、1秒くらい間を空けてですね、まゆみさんがしゃべり始めたときには、掲示板で出ていた目立った論点が立て板に水のごとくどんどん羅列されていくのです。この人いったいなんなんだろう、と不思議な気分になりました。しかしまゆみさんには知識がないはずなのです。それでなんで論点を網羅できるのか。
おそらくまゆみさんは、この問題に関する歴史的認識として「昔は男が外で働いていて、女はほとんど家庭にいた」くらいしか持っていないはずです。あとはバブルという時期があって、それが弾けた、くらいでしょうか。しかし、それでまゆみさんにとってはおそらく充分なのです。そういう過去があって、まゆみさんが現在見ている現状がある。だとすれば、あとは構造的に「見える」のでしょう。まゆみさんはナンプレというパズルをかなりやりこんでいるのですが、こうした問題もまゆみさんにとってはナンプレと一緒、ということでしょう。

「で、結論としてはどうなるわけ?」
「現実を見ろ、でしょ」
「いや、それを言ったら議論が終わるでしょ」
「じゃあ、好きにしろ?」
「それ、完全な禁句のひとつだよね」
「じゃあどうしろって言うんだ! みんななにをやりたいんだーっ」
「いやだからね、状況を俯瞰しててすね、みんながそれぞれ自分なりの正しさを持ち寄るわけですよ。そうした意見の交換のなかから、より強度の高い正しさってものが生まれるかもしれないじゃん」
「生まれねーよ」
「いや、だからそこは、そうは言っても……」
「確かに通用しやすい正しさ?は生まれるかもしれないけど、そんなの関係ないじゃん。生きてるの自分なんだから。状況を俯瞰?しないと自分なりの正しさなんて生まれない。だからわたしは俯瞰するんだよ。でもそれはわたしの正しさで、だれにもそれを強制する気なんてない。意味もない。逆に強制されたくもない。だから主張もしない。でも考えるのは好きなんだよねー。考えて、そのあとどうすればいいんだろう」
「ブログに書けば?」
「そしたら主張することになっちゃうじゃん! でも自分ひとりで考えてると、すぐに終わっちゃうんだよ。おもしろくないんだよ」
「もう、どうすれば……」
とりあえずは俺が聞くしかないんですが。
しかし俺にはモラルがないので、まゆみさんの話相手としては不適当であります。俺は自分の立場を変えつついろいろ相手になってみるのですが、すべて論破されて最後には「だから現実見ろって言ってんだろ。当事者はだれだ。おまえだろ」って話になってしまうのです。議論クラッシャーです。
しかしまあ、そのクラッシュっぷりもそうですし、クラッシュの前に出尽くす論点の豊富さ、その異常なスピード。それを見てるだけで充分おもしろいので、俺は今日もまゆみさんにネタ吹っかけるのでした。
ちなみに、奢る奢られるの話については「全部男の見栄が悪い。女としては断ると立場が悪くなる。だからしかたなく付き合う。しかたなく付き合ってやってるんだから奢れって気分にもなるよね」と申しておりました。まゆみさん自身は割り勘主義者らしいですけど。「そもそも自分のことは自分で、だろ。男も女も関係ないよ」とのことです。しかもまゆみさんは自分の主義を絶対にまげるつもりがないので、社会的な付き合いを持つのをいっさいやめてしまいました。まゆみさんが「引きこもり」を自称するのは、外に出て自分の主張をいっさいまげないと必ずトラブルが発生するため、俺という防波堤が存在しない場所にはいっさい出ないからです。いわれてみれば、引きこもりと構造は似ているような気もします。
ちなみに、俺と結婚する前は、実際にトラブルだらけだったもよう……。
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泣く男の子

2007-05-18 01:44:13 | MK2がなんか

店でのお話です。
アルバイトで、高校2年生男子を採用しました。
採用の連絡をするあたりでレジがアホみたいに混みあって、ちょっとばかり連絡が遅くなりました。とはいえそれは、いつもきつきつのシフトで回していて、オーナー自身も労働力であるうちの店ではよくあることなので、面接のときにあらかじめ「30分くらい連絡時間が前後する可能性があります」ということを言っておくわけです。
面接した子は、うちの女子高生バイト2人と知り合いでした。通常だったら店内に知り合いがいる場合は採用しないのですが、この人手不足の折、贅沢なんぞ言ってられません。面接での印象がまともなら即採用くらいの勢いであります。
で、しばらくレジ打ってたんですが、そこに女子高生バイトが話しかけてきました。
「面接した○○(呼び捨て)、なんか泣いてますよ」
「は?」
話を聞いてみると、時間になっても連絡が来ないので、不採用になったと思ってうちのバイトの女子高生に電話をしてきたらしい。泣きながら。

ちょっと頭のなかでいろんなことが結線しなくなりました。

・えーと、あらかじめ時間が前後するってことは言ってあったはず。
・って、泣いて電話って。男だろ? 高校生だろ? もし不採用だとしても、それで泣くかふつう。
・いや、泣くところまではいいとして、わざわざ女に電話して泣くか?

とはいえまあ、なんとかしなきゃならん。本来だったらもう退勤してる女子高生2人にレジ打たせて慌てて電話。ものすごい鼻声で、ぐずぐず言っている当人が出たんで、採用の旨伝える。
ちなみに電話が終わって、レジもひと段落ついたんで、女子高生と雑談。
「……泣くか、ふつう」
「なんか繊細な感じの子だしね」
「うんうん。かわいいところあるよね」
「うん。かわいーよね」
かわいい? え、情けないとかじゃなくて?
意味がわからなくなってきたんで、質問を重ねる。
「でもさー、男ってあんま泣かないもんだと思ってんだけど。これが女だったらどうよ。不採用で泣いちゃう女」
「えー、うざい」
「なに酔ってんだって感じだよね」
え。そういうもんなんすか。
ほんとにそういうもんなんすか?

さて、特殊例をもって全体を敷衍するのはあんまり頭のいい行為とは呼べないわけです。が、個別の例に全体の流れが表れている、というのもまたよくあることでもあります。
俺が驚いたのは、まあ面接で落とされて泣く男子高校生がいることもそうなんですが、それをもってして「かわいいよね」と評する女子高生がいたということです。2人は、確かに際立って気が強いほうではあるんですが、かといって異常と呼べるほどの特徴があるわけでもありません。問題の男子高校生は確かに顔面はそこそこ整っているので、そういう意味ではより「許されている」感は強いのかもしれないですけど、かといって「かわいいよね」と揶揄の意味を含まずにストレートに評価されるってのもどうなんだろう、と思うのです。
俺は別に男尊女卑の人でもないし、その逆でもないです。性別というものに「肉体の違い」以外にどういう意味も見出さない人です。その意味では世間の標準からみて、いちばんラディカルな場所にいるといってもいいくらいです。
しかしその俺をもってしても「男が人前で泣くのはどうなんだろう。ましてやそのことで(いくら面接をした当の職場で働いてるからといって)女に電話して泣きつくのはどうなんだろう」という素朴な信仰めいたものは持っていたわけです。それが36歳の限界ってやつでしょうか。そういう問題じゃないような気がするんだけど。

この手の男と女の問題については、俺はずいぶんと前からことあるごとにテキストに書いてます。ずっとバイトを使う仕事をしてきたこともあって、主な観察対象は、そのときどきの高校生になるわけなります。
バイトを使う仕事をしてる人は似たようなことを感じてると思うんですが、たとえば15年前だと「高校生の場合、女はまず使えない」という先入観を持っていて、ほぼ正解だったんです。先入観なんてロクなもんじゃないですが、少なくとも面接での印象が似たようなレベルだったとしたら、先入観にもとづいて男を採用しておいてほぼまちがいなかった、ということです。ちなみに15年前当時、若い主婦は採用しちゃだめだ、というのも先入観としてありました。あくまで全体的な趨勢としてです。個別に考えれば話はぜんぜん別です。
しかし15年後の現在、この評価は完全に逆転しています。高校生の男はまず採用しちゃいかん、という先入観を持っていて、だいたいそれで正解です。とにかく、異常なくらい打たれ弱い。失敗すること、そしてそこから自力で物事を学んで「よくなること」。こうした部分がまったくといっていいほど機能してない。素直さという点では昔よりもいいんですが、いかんせんすぐ拗ねる。我慢ができない。ルールに従うことができない(これは男女問わず最近の高校生全体の傾向としてありますが、男のほうが程度はひどい)。

さて、件の新人くんですが、今日、初日研修でした。うちの初日研修は、店の仕事内容とか心構えについて2時間徹底的に説明しまくるという、ほとんどなんかのセミナーじみたものです。実際のところ説明しなければならないことは多く、しかも最初にある程度説明しておかないと、あとになってからでは身につかないことが多いのです。そして、厳しいです。最初のうち厳しくしておかないと、あとになって「これは仕事なんだからちゃんとやれ」と要求したところで、それが本当の意味では相手に通じないことが多いのです。
高校生あたりだと、そう集中力は長く続くもんじゃないですし、人の話を聞いてるフリをする、なんて器用なこともできません。必然的に飽きてくるんですが、そのときに「この説明を聞くことも金のうちだから。ちゃんと聞かないってことは、金もらうに値しない仕事してるってことだぜ。そんなことは許されてないよ」というようなかなり厳しい言いかたをするのです。それでだいたいは引き締まります。
しかしこの彼の反応はひと味違っていました。
じっと不服そうな顔をしてこちらを睨むのです。えーと、表情としては拗ねてるに近い。「なんでそんなことを言われなきゃいけないんだ」みたいな。それでもって、そこからしばらくは話をまともに聞かない。で、話を聞かないことを責めると、今度は泣きそうな顔になる。泣かれたら厄介ですから、こっちだってトーンダウンです。
おそらく彼の内面の理屈はこうでしょう。
「自分は無条件で愛され、また機嫌をとってもらうべき存在なのに、こいつは意味わからない理屈で自分を責める。話聞いてもらいたいならおもしろく話せ。なにがわからないか察して当然だろ」
わかりやすくするために極端にしてますが、おそらくそう外れてないと思います。で、これって、俺の知ってる限り、いわゆる「女」のメンタリティなんです。あくまでカギカッコ付きの、ですけど。俺は、このタイプとは猛烈に相性が悪いので、特に鋭敏です。具体的には外見がよくてちやほやされてるタイプの女。
で、一方ではそれを「かわいい」と表現する女がいる。

このことは、今回だけのよほど特殊なケースなのかもしれないんですが、少なくとも俺の目の前でその特殊例が展開されたことは事実です。そして特殊例かもしれないけれど、少なくともこの手の男を「かわいい」と評価する価値観というものが、そう特殊なものではないということ、つまらないことで男が女に電話して泣き言(文字どおり)を言うことがさほど異常な行為ではない、というのはほぼ確実かと思います。
俺は常に現状追認しかしない人なので、そういうことがあれば「ああ、そういうものなのか」としか思わないんですが、従来の男女の価値観、ありかたというものが、大きく変化してきているのはまちがいないんだろうなーと思います。
そこで思い出すのが「せつなくて危険な恋がいっぱい」と銘打たれたような、若年女性層向けのエロマンガ雑誌です。ああいう雑誌に登場する男の類型が、完全な俺様男か、あるいはペットっぽいしっぽついてるわんわんっぽい男かに二極分化してることは興味深いです。

ちなみにまゆみさんにこの話をしたところ、以下のような返答でした。
「それは、あれだろ。女がタイプ別に分かれてきてるんだよ。男が使えないから自立するか、あるいはオンナを売りものにして利用できる男をつかまえるか、男に依存するか」
ちなみに男のほうについては、
「そんなもんだろ」
の一言で終わりでした。もはやそこになんの感慨もありません。

俺の過去のテキストをご存知の方は、まちがっても俺が「男らしさ」に拘泥する人間ではないことを、かなり微妙な感覚とともに知っていると思います。具体的には「女の子になりたかった……!」とか素で言えちゃうような人なんですが。
しかしそんな俺でも、ここまで情けない物体を見てしまうと、なんとはなしに不快感のようなものがある、ということに驚きました。もっとも、男女を問わずにこういう存在のことはあまり好きではないですけど。
しかしまー、なんつーか。時代も変わったなあ。変わったところで俺にとっては、バイトは、仕事できるかどうかがすべてなんで、まあどうでもいいっちゃどうでもいいんですけど。
しかしなあ、泣くかなあ。ふつう(以下無限ループ)。
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見殺しにするとかそんな感じの

2007-05-16 21:01:06 | MK2がなんか
てゆうわけで、珍しくトラックバックなんかしてみたよ。

えーとですね。
http://blog.goo.ne.jp/ikafurai007/e/4be4bb6577d4212da87f10c891f5aa71
こちらを読んだのでした。

関連のテキストをいくつか読んでみたんですが、なんだかいろんなことがごっちゃになってよくわからなくなった。勉強できない人が難しい文章を読もうとするものじゃありません。哲学的に細かく腑分けして論じようとする議論なんかだと、もうまったくついていけない。まあ、こういうのって、俺がラノベ脳であることに問題があるのも確かながら、ある人にとって見える論点が、ほかの人にはそもそもまったく見えない、みたいな部分も問題なんじゃないだろうか。最終的に人は、ただ己の生きてきたようにしか物事を「見れない」し、あるいはそれを隠蔽しようとして書くことしかできない。基準になるのはあくまで「己」であって、そこに客観性は持ち込めない。もし無理やり持ち込むのであれば、それは己のを客観性の土俵のうえに置いたうえで、客観視された「己」と「事実」とのあいだの関数について記す、というような作業をしなければならないし、その双方を客観視する超越者ってのはどこにいるんだ、というような話になってしまい、つまり、なんだかよくわからない。というその「なんだかよくわからない」というのは、ほとんどの人が烈海王みたいに「数千年前に通過した」みたいなことなのかもしれない。でも俺は海王じゃないのだ。残念ながら。タントウからやり直せ、で、いまだにやってるのだ。
というわけで、俺はそうしたものをすべて排除して「己の幸福」にすべての論拠を置くような暴挙に出てみた。そうしないと生きていくのがなかなかつらいので。形而上であれ形而下であれ、ごはんであれ世界の幸福であれ、とにかくすべては「自分の幸福」につながっているかどうかがすべて。思考する人としてはおそらく怠慢であり、思考停止に等しいんだと思われるんですが、そうはいっても俺のこの肉体は現実に生きているので、論理で物事を考える前にまず生きろ、という話です。これが大人になるっていうことなんでしょうか。大人って汚いってやつでしょうか。
しかし「人は生きているのだ」というこの結論は一度は半分棺桶に足突っ込んでまで萌えーとかゆってた人間にとっての揺るがしがたい結論でありまして、なるほど棺桶のなかから見た世界は、すべてが奇跡に満ちていて、または絶望の展覧会であり、極彩色とセピア色に彩られた激情と郷愁の混乱であり、でもすべては結局「自分」という棺桶のなかに蠢いているさまざまなもののスライド投影だよね、という話。そのスライド投影そのものが美しさではある、というのはくれぐれも言っておきたいところではありますけど。
それでも、生きててナンボなのです。死んではまがまがしくて美しいスライドも見れないのであります。
だから俺は、今日も自分の幸福だけを願って生きるわけであります。

さて、そんな俺という長い前置きにお付き合いいただいたうえでですね。
イカフライさんのテキストと、その言及先のテキストをいくつかつらつらと読んでみたわけなんですけど、これってつまり「自分という存在がこの世界全体に関与しているのかどうか」という問題に見えました。俺言語で言うと「世界を引き受けているかどうか」ということです。引き受けたうえでどうするかっていうのは個人のモラルの問題なんで、ちょっとわきに置いておくとして。責任というのは、自分とその対象に関連性があるかどうかが問題なんで、この場合、先に来る問いとしては「関係している事実を認めるかどうか」が来るんだと思うのです。
ただこの「関係」というやつが成立するかどうかはどこのだれにも証明できない。まあ因果関係の濃度の問題っていうのは現実的にはあるでしょうけど、濃淡の違いというのは原理的には無関係な話です。濃かろうが薄かろうが、とにかく「あればある」んだから。だから、風が吹けば桶屋が儲かることはありうるわけです。もちろん風が吹いたって桶屋が儲からないことだってあります。というかふつうない。
だから俺に言わすと「そんなこと気にしたってしょうがないじゃん」という話にしかならないんです。あるいは「気にするにしたって自分の気の持ちようひとつじゃん」ということになる。
俺は極端な自己責任論者なんで、この世界に存在するすべてのものは自分と関係している、と考えます。すべての物事が自分と無関係である、と証明することはできないからです。関係している、と証明することもできないですけど、こっちは自分の意思で関係しようと思えばできる以上、可能性としては「関係している」ほうが濃厚なんです。なにしろ「関係したくない」という意思を持った時点で、対象とある種の関係を構築していることはまちがいないですし。
しかしそれでは「郵便ポストが赤いのも俺のせい」となって、発狂してしまうので「己の幸福」というものさしを用意したのです。
この「己の幸福」の内部には、たとえば「俺も人間だしなー、一人で生きてくのもつらいよなー。だからだれかと一緒がいいなー」とか「お金あったほうがいいなあ」とか「まゆみさんの喘息を俺のなまあたたかい息で吹き飛ばせたらいいなあ」とかが入っています。いや、ステロイドで一時的におさまってますけど(だれもそんなこと聞いてない)。この「幸福」のなかになにが入っているかは人によりさまざまなんですが、そこで人間どうしの利害はぶつかることが多いです。ぶつかったときどうするかっていうと、話し合いとか戦争とかまあいろいろあるんですが、それはまた別の問題。ただ俺自身は、徹底した利害の追及は、最終的には「みんななかよく」にしかならないと思ってますけど。
で、こうした「己の幸福の追求」という観点からいえば、目の前のホームレスを見殺しにすることによって「あのときああしていえば」という後悔めいたものが発生するのであれば、それは自分にとっての不利益なのです。だからどうにかすべきです。逆に「自分にとっての不利益にならない」と判断してスルーしたのであれば、たとえ風の噂でホームレスが死んだとしても、あるいは当人が亡霊になって「あのときおまえがスルーしたせいで死んだんすけど。マジうらむ」とか言いに来たとしても後悔すべきではない。
俺の考えでは、人はその瞬間瞬間において、無数の判断の連続のなかを生きている。そして、時間は不可逆である以上、選択してしまったことは変えようがない。後悔は体に悪い。幸福であることは楽しい。だから、できるだけ後悔しないように選択を続けよう。ちなみにそんな俺にとって「時間の流れ」というものは敵にも等しいですが。36歳にもなって、時間の流れに喜びを見出すことができないのは一種の中2病じゃないかと思います。
おやつ募金の話にしても同様で「その200円で助かるだれかがいるかもしれない」と思うのならば、そしてそのことで自分が気分いいならすればいいです。このときに「そんなの関係ないし」と思うことは、俺は一種の軽いニヒリズムだと思います。必要なのは「俺は200円を払わなかった」という選択をした、という自覚。あるいは「払った」という自覚。結果を求めるかどうかはまた個人によって判断が違うでしょう。こんな考えでいる以上「確かに役立った」という結果を求めるのも、俺にとっては不純に当たらないし。「確かにだれかを見殺しにした」という結果を求める必要は別にないと思うけど、結果としてそれを知ったときに、おやつを買った以上は、良心を痛めては「ならない」。どこか遠くのアフガンの人なんかよりも、目の前の自分のおやつのほうが大事だったんですよ。自分はそういう判断をしたということです。なにしろほら、人間、生まれる場所だけは自分で選択できないから。運がいいとか悪いとか、そういうのは言いたくないけど、生まれたときに与えられた運命だけは変えようがないです。そこに不平を唱えるのも自由だし、変革していくことも甘受することもすべては自由です。しかし「変えられない」という一点だけはどうしようもない。

以上、すべての文章は、ただ「自分の幸福」だけを考えたときにそう考えられる、というだけの話です。幸福を指向しない考えかたがあってもいいけど、それは俺の守備範疇じゃないです。俺は俺の生きてきたやりかたでしか物事を考えられないですから。
そして俺は、根本的なところでくるくるぱーなので、自分の幸福を願えば、自分のそばのだれかを幸福にせずにはいられない、と考えるのです。そして自分とだれかの幸福を願うのであれば、自分たちの周囲のみんなを幸福にしなければならない、と考えるのです。だから、世界平和を願うには、まずご町内を幸福にしなければならないわけです。ハイル・イルパラッツォ!なわけです。それで、俺はせいぜい、まゆみさんと自分の持ってる店くらいしか面倒みれないのです。

ちなみに偽善については「偽善も善のうちさ」です。徹底すれば華ですよ。偽善を責める人は、むしろ偽善が徹底してないことを責めるべきだと思いました。中途半端な嘘はつかないほうがよいのです。あるいは嘘つきの称号は謹んで受け取ればいいのです。

という感じなんですけど、どうでしょう、まゆみさん。「あんたの日本語はわからない」と言われて終わりそうな悪寒です。でもまゆみさんはここまで人悪くないよね……。でもまゆみさんも世界の平和を願っている人なのです。なぜなら世界が平和だと、安心して自宅に引きこもっていられるからだそーです。それもたいがい豪快ですが。
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業務連絡

2007-05-09 19:14:08 | MK2がなんか
自宅PCの電源が死にました……。ファンも回らないので、もう確定でしょう。ちょっとシフト的に厳しいのもあって更新しづらくなってます。死んだはずのまゆみさんのグラボは生き返ってます。たぶん熱ですよね……。くれた人、すごい発熱量だって言ってたもんなあ……。
近況としては、ばーさんの耳が遠くていらいらします。インスタントコーヒーを探したに来たじーさんに場所教えてあげたら、次にコーヒーの隣にあるクリープの場所を聞かれて軽くキレてます。まゆみさんは、ちびすけちゃんと同居を始めたら皮膚の調子が悪いです。ぬかづけちゃんは、牧草を食べません。ぽりんちゃんは布団の上から動きません。鶏竜田揚棒は売れています。以上です。
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ストイックなドライブ

2007-05-04 07:25:47 | MK2がなんか

最近気の抜けたような文章ばかりが続いていますが、つまり俺の気が抜けてるからです。てゆうか最近仕事が忙しすぎるのです。とはいえ一定回数キーボードを叩いてないとストレスが解消できないので、なんでもいいから文章を書いてみる。俺にとっては、文章を書くことと同じくらい、キーボードを流れるようにタイピングするのがストレス解消なのでした。でも流れるように叩けてないという話もあります。タイピングの速度を判定するようなツールとか、一度だけチャレンジしたことがあるんですが、そのときの結果は散々でした。どうもああいうものって身構えてしまって、いきなりミスタイプを連発しだすのです。ふだんの打鍵速度ってどれくらいなんだろう……。
てゆうわけで、
http://www.jassa.jp/check/index_web.html
このへんでちょいと試してみたんですが、結果。

出題文字数 308
入力文字数 244
正解文字数 221
1分あたりの文字数 73
所要時間 180 秒

ということで、速くもなんともないです。むしろほとんど初心者レベル。長年親指シフターやっててこの体たらくってのはちょっとありえない。1分で73文字って、ほぼ1秒で1文字って感じじゃん……。もし本当にこの速度でこれだけテキストを大量に更新してるんだとしたら、俺はただのアホですが。いったい何時間かけてるんだ。
ちなみに1回のテキストにかける時間はだいたい20分から30分くらいです。なんにも考えないで書いてますから。
まゆみさんは2時間くらいかかるそうです。頭使って書いてますからねえ……。

一昨日、小田原のほうまでドライブに行ってきました。連休の狭間ってことで意外にも道路は混んでなかったです。ひたすらバイパスを使わず、国道1号を走りました。これだけ助手席経験が長いにもかかわらず、まゆみさんは意外にも国道1号の藤沢より西を通ったことがなかったそうです。まあ、あれ、昼間とかに続けて通過するような道じゃないからねえ。
印象深かったのは、平塚のあたりで見たホームセンターが品揃えがバカによかったことと、小田原で寄ったローソンが、たばこを170アイテム置いてたことです。そこまで行くともはや利益に貢献してないんじゃないか、という気がしてきますが。ソブラニとかいるのかあれ。
そのあと結局箱根越え。まゆみさんは後部座席で揺られているうちにほどよく眠くなってきたらしいです。峠を越えて静岡側に下りるときには寝てました。そんで、沼津のインターから東名に乗って、海老名とかでごはん食って帰ってきた。まあいつもどおりのドライブです。海老名のSAの軽食コーナーのラーメンはかなりがっかりな味がするので気をつけてください。カレーはおすすめです。いやほんとに。ラーメンすごいがっかりだった。
しかし、ドライブのあいだ、まゆみさんは本当に車から降りません。別に降りなくても悪いことはなにもないんですが、あれほど純粋に「ただ車に乗ってるだけ」で退屈しない人というのも稀なんじゃないかと思う今日このごろでした。ドライブを楽しむということなら、あれほどストイックにドライブを楽しんでる人もいないんじゃないかと思う。まあ、ただただ運転し続けて飽きない俺も俺ですが。腰痛と足の疲れと目の疲れさえなければ、一日中運転しててもまったく飽きないもんなあ。あ、渋滞はいやだ。

というわけで、ものすごく気の抜けたテキストをお送りしてみました。
明日は、こう、耳目をそばだたせ天地を揺るがし、疾風怒濤のごとくネット世界を駆け回るような衝撃的なテキストを書く予定です。嘘です。でも「衝撃的なテキスト」で真っ先に思いついたことが「とりあえずうんこで始めてうんこで終わってみよう」だったあたり、まじで小学生脳です。中二病の小学生脳とかどうだろう。あたまよわいな。
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クラボご逝去

2007-05-03 11:58:01 | MK2がなんか

時間がないときに限ってむりやり更新したくなるものです。いや、今日は本当に時間がないんですけど。

とりあえず、まゆみさんのパソコンのグラフィックボードが死にました。新しいの買った。まゆみさんはネトゲをやる人なので、あんまり性能の低いのを買ってしまうと悲しいことが起こります。とりあえずざっと調べて、15000円くらいのやつを買った。てゆうかグラボってだいたいいつの時代も15000円くらいのやつを買っておけばそれでいいような。まあ、別にこだわりがあるわけじゃないからなあ……。ちなみに以前まゆみさんが使ってたやつは、かなり前の世代(GeForce5800かな)の、当時としてはハイエンドだったやつです。人からもらった。ハイエンドというのはすごいもので、素人さんにはわからない部分できっとしっかりしてるんでしょうねえ、ずいぶんと長いこともちました。
ちなみに、俺のパソコンもそろそろ寿命が近づいてるっぽいです。こっちは単純に性能面で。マザボが2世代くらい前のやつなんですよね。でもどうせネットを巡回してテキスト書いて、エロゲやるのがせいぜいなんで、そんな性能のいいものはいらないのです。でもね、二束三文で買ったノートパソコンよりも性能が低いっていうのがちょっとね……あきらかにね……グラフィック性能がね……。ちょっと重たいエロゲのオープニングムービーとか流すとね、こう動きがかくかくとして……。

まゆみさんは冷えで左腕全体が神経痛みたいな状態っぽいです。毎日のようにジュースを保管している冷蔵庫に1時間近くこもってるんだから、まあ当然かもしれません。あと、やっぱり喘息がひどくなってきています。連休中は、へたにこの町から外に出ると、3時間とか帰ってこれなくなるので、連休が終わってから病院に行く予定になってます。てゆうか頼む。客、手加減して。儲かるのはいいんだけど、おまえら来すぎ。もうちょっとこう……連休じゃないときとかに観光しろ、な?

ぽりんでもいたぶりながら寝るか……。
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日記を読むということ

2007-04-29 23:46:30 | MK2がなんか

えむけーつーです。
ブログというのはすごいなあとたまに思ったりします。なにがすごいって、テキストの出来不出来によってページビューか簡単に変わったりするのです。つまんないと、ページビューが減ったりします。おもしろいと判断されたのだと推測される日には、ユニークアクセスこそそんなに変わらないものの、ページビューのほうは増えたりします。特に俺の文章は当たり外れが激しいらしいので(しかも本人がおもしろいと思ったときが当たりとは限らない)、なおのことです。
俺はコンビニの経営者なんていう商売柄、ブログでも以前のサイトでもそうなんですが、アクセス数をとにかく気にします。数字がある。結果が出てる。ならば伸ばさねば。もうこれは本能みたいなものです。商売やってる人はだいたいそうだと思うんですが「数字が落ちる」ということがもう、いやでいやでしょうがないのです。ふつう「アクセスを伸ばしたい」という欲望というのは、虚栄心とかそういうのっぽくてあんまり印象がよくないのはわかってます。しかし悲しいかな、これも商売柄いやってほど痛感してるのですが、商品価値のないところに数字の伸びはありません。つまり、テキストがどれだけ人を楽しませられるか、ということです。
そんなわけで今日も俺は「どうやったら読んでくれる人が楽しんでくれるだろうか」と思いながらテキストを書いてるかと思ったら、実は自動筆記でものすごく長い。ごめんなさい。一日の終わり、仕事を終えて疲れて帰ってきてごはんを食べる。さーてネットでも巡回するかなーと思って「ふたつく」のブログに来たら、なんかスクロールバーが短い。
長文ってのは、それだけで人の気力を奪う力を持っているのではないかと思う今日このごろです。ちなみに最大で月産250KBくらい書いたことあります……。

さて、いきなりこんな話題でスタートしたのには、理由があるようなないような感じです。俺はまゆみさんの書いたテキストはそんなにつまらないほうではないと思うわけです。少なくとも文章力として標準以上のものは持っていると判断します。少なくとも、長文を書く人として、一定レベルの読みやすさを持っていることはまちがいないと思います。しかしまゆみさんはそのことが納得いかないらしいのです。
まゆみさんは「人に読んでもらう以上、推敲はするべきだし、句読点の位置も、段落も、読みやすいように工夫すべきだ」という考えを持って、相当に時間をかけてテキストを書いています。だから結果として読みやすいのはある意味必然だとすらいえます。俺みたいにミスタイプや誤変換すら確認しない人間とはわけが違います。
しかしです。まゆみさんはこう言うのです。
「自分みたいにちゃんと文章を書いたことがない人間ですら、それくらいのことはしてるんだから、みんなしてるはずだ」
またです。
まゆみさんはまた、世の標準のレベルを高く見積もってしまいました。
そんなわけで俺は、まゆみさんの文章は人前に出すにあたって(控えめにみても)さほど問題のあるものではない、ということを証明するために、書いた本人の目の前で「この文章のどこが優れているか」ということを説明するというよくわからない行動を始めました。そんな行動に出られたまゆみさんもたいがい困ったと思いますが。

その説明の過程で気づいたことがいくつかあります。
前提として、俺とまゆみさんの書いていることは、ただの日記です。それも身辺雑記という、いってみれば読む人にとって価値を持ちにくいものです。俺はあまりに長いことネット上でテキストを晒してきたので、いまさらそのことの持つ「意味」というようなことを考えたことがありませんでした。ましてや俺、書いたテキストはみんなアップする、というだけで自動的に更新してきたようなもんだし。
そう。人は他人の身辺雑記を読む。
よく考えたら、それだけで不思議なことです。この世界は利害だけで成立してるわけじゃないですが、たとえば俺がエスプレッソ好きであることなんかどうでもいいわけですよ。読んだ人にとってクソの役にも立ちません。俺は、自分もほかの人のブログとか読む人なんで、このへんのことを疑問に感じたことがなかったんです。
ただ、まゆみさんに説明している俺は、何度も「内容なんかどうでもいい。なんだっていいんだ」と力説してました。なぜだろう。文章である以上、まったくなんでもいいっていうことはないはずなのに。
そこで俺は気づきました。ある人の日記をある程度の期間にわたって読めるということ。それは、その人の価値観なりなんなりにある程度の共感が最初からあるということなんでしょう。ある人によって日記が書かれるということ。それはその人が生きた世界を、その人なりの言葉で再編集したものです。人が生きている。そのことに別に価値はないです。おなかすけばごはん食べるし、仕事行くし、学校行くし。それは、ただそれだけのことです。
でも、学校で楽しいことがあるかもしれない。それを「友だちとしゃべって楽しかった」と書いてしまうだけならば、それはそれだけのことです。しかし「どれだけ楽しかったのか」そして「ただそれだけのことではなかったのか」について書くのであれば、それはその人の世界観の反映です。たとえば俺は、まゆみさんと家でおでんを作って食べます。まあ、楽しいんですけど、それは、コロナの自然対流式ストーブの上で初めてやった煮物だから楽しかったんです。具材が煮えてくるのをいまかいまかと待ちかまえているのが楽しかったんです。もちろんまゆみさんと一緒だから楽しいです。俺にとってはただ「おでんを食って楽しかった」だけのことではなかったんです。
そうやって「おでんを一緒に作って食った。楽しかった」という表面的な描写と、実際に自分が感じた楽しさ、そのあいだに存在する落差。その落差を埋めようと俺は一生懸命テキストを書く。たとえば俺の書いた文章を読んでだれかが「おもしろい」と思ってくれるならば、その「おもしろい」という価値の源泉は、その「落差」を埋めようとする営為そのものに対する共感なんじゃないでしょうか。単純な事実は「おでんを食った」というそれだけです。しかしその「おでんを食う」という事実ひとつを把握するにしても、大根のうまさに着目するのか、あるいは気温、湿度とおでんのうまさの関係について言及するのか、さもなくばおでんの具材にロールキャベツが含まれることに対する抗議でもいいでしょう。とにかく切り口は無限にあるんです。

「それで」
と俺は、まゆみさんに説明を続けます。
「題材とかはなんでもいいんだ。まゆみさんが見たこと、感じたことを書くわけじゃん。その視点というか、切り口みたいなものが、そのまま人を楽しませる可能性があるってことだ。それをそのまま書けばいいんだよ。俺みたいに、必要以上にテキストをおもしろおかしく飾りたてようとする必要なんてないんだよ」
「そうだね。あんたの文章ってなんにも言ってないことが多いもんね」
そこまで言うことないじゃん!
ほんとにそうだけど!
いいじゃん別に! そういう芸風なんだから!

まあ、そんなようなことを長々とまゆみさん相手に語っていたわけです。
そんでもまあ実際のところは、だれにとっての価値ということでなしに、俺がまゆみさんのテキストを読んでおもしろいと思えばそれでいいのです。実は。
最後の最後で豪快に自分の書いたことを無効化してみました。

で、それはそれとして、俺は今日も時間帯別のアクセス数を見て分析とかしてたりするわけですが。
「今日は連休の初日で外に出る人が多いから、ネットやってる人は少ないな……」
「やっぱり休みの前日は遅い時間帯のアクセスが増える傾向がある」
「このアクセスの少なさはサッカーの試合のせいだな」
ちなみに分析はなんの役にも立ちません。
ほんとはアクセス伸ばしたいなら政治の問題でも扱っときゃいいわけだし。でもやりません。ここは「ふたりでつくる」。俺とまゆみさんが、俺とまゆみさんの日常をただ書くだけの場所だからです。
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まゆみさんはシーツを交換した

2007-04-29 00:32:12 | MK2がなんか

部屋の模様替えというやつをしました。ものすごく疲れています。テキストが淡々としてると思いますけど、読んでやっていただければ幸いです。もっとも俺からおかしなノリを取ったらいったいなにが残るというのでしょう。ああ疲れた体と心にフィッシュマンズがしみます。

昨日の夜22時から朝6時まで仕事。残業で溜まってた仕事を多少片付ける。
で、仮眠とって12時から17時までまた仕事。
そのあと、行きつけの喫茶店に行きました。まゆみさんはマンデリンを、俺はその店のオリジナルブレンドであるエルポエムというやつを註文しました。
いつもは、判で押したようにエスプレッソばっかなんですが、最近、その店のエスプレッソマシーンがブッ壊れていて、どうぜデロンギかなんかなんでしょうけど、イタリアから部品を取り寄せるので、修理できるまでにはえらい時間がかかるとのこと。
以前にも書きましたが、まゆみさんはコーヒーの酸味がまったくだめという人で、そのため、事実上ふつうの喫茶店ではマンデリンしか飲めないのです。
で、ひさしぶりにまゆみさんのマンデリンを飲ませてもらったのですが、なんだか攻撃的なコーヒーの風味がしました。俺の註文したエルポエムは、ブラックでもおいしく飲めるやわらかい風味が特徴ということらしく、それと比較するとマンデリンの風味、特に苦味はもう攻撃的というしかないのです。特にその店のコーヒー、全般的に焙煎が深めなので、苦味はいっそう攻撃的です。
しかしまあ、以前は本当にジョージアのロング缶でも飲めなかった人が、長年コーヒー好きやってる人と一緒にコーヒーを飲めるんですから、変わるものです。

で、家に帰ってきてから、模様替え開始です。
俺の部屋からベッドを搬出。まゆみさんの部屋からもベッドを搬出。その過程で掃除だなんだ。あと、いままで放置してあったテレビをつなげてみたりもしたんですが、こっちはアンテナ接続しても、まったく電波が来てないっぽいです。かろうじてNHKの音声だけは聞こえたけど。そりゃ周囲のうちみんなケーブルなわけだよ。
しかしまったくなにも映らないケーブルというのもさびしいものがありますので、とりあえずまゆみさんのPS2を接続しておきました。ゲームないんですけど。
あとは、まゆみさんがシーツとかを交換するという珍しいイベントが発生しました。……このあと店に行って発注やらなきゃいけないんだよなあ……。ああもう、らき☆すた読んで寝てえ。しかも風呂も入らなきゃだめじゃん。いろいろめんどくせえなあ。

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20070427

2007-04-28 01:10:21 | まゆみさんの日記


明日からゴールデンウィークが始まるっていうのに平日と何も変わらない日々を送ることになりそうなにゃにゃです、こんにちわ。
一昨日からテオロングを飲み始めたので、少しだけ喘息が落ち着いてきて久々に昨夜は熟睡できました。よく寝たー!と感じられたのは久しぶりです。連休明けたら病院に行くことにします。

昨日は棚卸でした。棚卸中は商品いじれないので、開始前に飲料を片付けたかったのですが間に合わず放置し、ただでさえ多い箱在庫がさらに増え、その前の日である一昨日の分もなぜか手付かずで残っていてまたもや足の踏み場がないウォークインになってしまいました。
ですが今日は納品休みの日だったのでこれ以上増えることはなく、溜まっていた分を片付けることにしました。ついでに、伊右衛門のオマケ付きも出しました。やわらかい色合いのものが多く、これならすぐに捌けそうな感じです。いっぱいあるのでどんどん買っていってください。そして、確認を怠ったせいで大量に納品されてしまったオリジナルオマケ付き3種もいい加減出そうと思い、箱と開けました。そして発覚する新たなる誤算。

2本組みだよ!聞いてないよ!場所ないよ!
しかも2本組みじゃそんなに売れないよ!

1本に1個、首掛けされていると勝手に信じ込んでいたのです。それであったなら普通に並べるだけで済むのですが、2本組みだとそうはいきません。
通常の1本用フェースと2本組み用フェースを別に用意しないとならないのです。オマケ付がほしい人だけ2本組みを買え、ということです。一本単位ならほしくてもいらなくても、自動的にオマケ付きを買っていってくれるので減るのも早いのですが、2本組みだと購入層が絞られてしまい、ペースはかなり下がってしまいます。
しかも、対象商品はオマケ付き以外、バラ在庫はありません。つまり、わざわざ付いているオマケを外して並べないといけないのです。そして外したオマケはもったいないので、いつか通常状態で納品されたらまたくっ付けて並べるかもしれないので捨てられません。なにこの二度手間。
ちゃんと確認しなかったことを心の底から後悔しています。後悔したところで減ってくれるわけではありません。だから後悔しないで済むように生きてきたのですが、こんなところでしくじってしまうとは。まさに後悔先に立たずです。

そして、昨日の棚卸後、業者は書類を見ながら、ソフトドリンクの在庫がすごい増えてますね、と真顔で言いました。そんなもん見りゃわかるだろ、言うな!数字で言われると余計に凹みます。
さらに間の悪いことに、7月あたりに酒免許が下りる見込みが高いそうです。大家である酒屋さんはうちの店の地番で申請していたらしく、それを現在の地番に変更する手続き完了の目処が立ったようなのです。そうなればうちの店の地番が空くので酒免許の申請ができ、2〜3ヶ月で酒が売れるようになるわけです。ややこしい話です。
棚卸時はSVも店に来るのですが、酒が入ったらアイテム数がどうの、納品量はこうで、新商品の初回納品は、としきりに言っていました。リーチイン3本と6本ではアイテム数と在庫量は大きく変わります。お前、そこんとこわかってるんだろうな、と彼は言いたいわけです。
不安になるのはごもっともです。でも大丈夫、そのあたりは心得てます。今回はたまたま2本組みだと気づかず、上限を確認しないで最大数発注しただけです。常習犯などでは決してありません。過去数回やったことがあるなんてことはないのです。

まあ、やってしまったものはどうしようもないので気にしないことにするとして。
なぜかベーカリーの在庫が大爆裂中です。納品前なのに納品直後のようなベーカリーの棚。パンが詰まりまくってます、今にも雪崩れてきそうです。そんな状態のなか、新たにやってきたパンの前で途方にくれるSさん。
ここ数日、弾けた売れかたはしてませんが、毎日一定数以上は捌けてます。先週はベーカリーの在庫が少なめだったので今週はちょっと多めにしてみただけなのです。なのになぜ、腰まで届きそうな在庫がバックルームに積みあがるのでしょうか。不思議でなりません。

やってしまったついでにもう一つ。ノベルティアイスの在庫も爆裂中♪
もうなんにも入らない。
皆さんごめんなさい、少しは自重します。

今日は早々に仕事を切り上げて、家の模様替えをするつもりでしたが、遅くなってしまったので明日やることになりました。
それぞれの部屋にあるベッドを居間に動かし、居間にいるちびすけは俺の部屋に引越ししてきてもらう予定です。
でかすけはごはんのときこそ凶暴ですが、同居人が寝ようとするとおとなしくしていてくれます。水がない、牧草もない、などという状態にならないかぎり、騒いで起こされるようなことはありません。
ところがちびすけは正反対で、ごはんのときはおとなしく、人が寝ようとすると騒ぎ出します。ヤツが我が家にやってきたばかりのころは俺も居間で寝起きしていたのですが、一晩中がたがた、がさがさ、だんっ、どたんっと、音が止むことがほぼなかったのです。手のひらサイズだったにもかかわらず、立てる音は今と変わらないくらいでした。一週間でキレた俺は一緒の部屋暮らせないと諦めました。その後もおとなしく過ごすことはなく、相変わらず騒音うさぎではありますが、耳元で騒がれるよりずいぶんマシです。
そういった理由で居間から撤退してもらうわけです。

ところがここで問題があります。
ちびすけは、ケージの場所を変えるのを激しく嫌がります。
以前、ちびすけが居間を走り回っている隙に、ケージの向きを90度変えたことがありました。そうしたら、おうちなくなった!ここにあったはずなのに、といわんばかりに落ち着きなくうろうろと探しているようでした。見えているはずです、向きが違うだけですから。でもちびすけにはそれがわからないらしく、不安げに俺をちらちらと見ます。やがて怒り始めたので抱き上げてケージに戻してやりました。角度が変わっただけでケージの中は触ってはいないのですが、別の場所に思えるらしく、蹲ったまま動こうとしません。大好きなペレットを皿に入れても無反応です。しばらく傍で様子をみていたのですが、やっぱり固まったままです。やがては慣れたのかもしれないのですが、如何せんこうさぎです。当時は今と違いかなり華奢だったので、万が一があってはならないと思い、一度ケージから出して元の角度に戻しました。すると、あ、おうちあった!と、ケージに帰っていきました。良かったね、見つかって。
じゃなくて。
そんなことがあって以来、たまに数センチ移動することはあっても大移動はしませんでした。

今はもう立派なおとなうさぎです。最近ちょっとだけ、肉だれのようなものもできてきました。MK2はまだまだ成長すると言い張っています。
なので、今回は部屋移動にチャレンジです。慣れてくれるといいのですが。

ちなみに、でかすけは部屋内部の移動が2度、部屋移動が1度ありますが、初めからそこにいたかのような反応でした。全然気にしませんでした。でも隙あらば俺の部屋に入ろうとします。最初に過ごしたのが俺の部屋だったからでしょうか。
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