日本キリスト教富谷教会 礼拝説教 辺見宗邦牧師

辺見宗邦牧師が富谷教会で行う礼拝説教を随時アップしてまいります。
毎週日曜日か、前日の土曜日に掲載いたします。

「神の霊に従って歩む者」 ローマの信徒への手紙8章12~14節、コロサイの信徒への手紙3章1~10節

2017-05-14 15:49:41 | キリスト教

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

日本キリスト教 富 谷 教 会  週 報

年間標語 『キリストに結ばれて、聖霊によって、日々心を新たにされ、

キリストに似た者に造り変えていただこう。』

聖句「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。これらすべに加えて、愛を身につけなさい。キリストの言葉があなたがたの内に宿るようにしなさい。いつも感謝して心から神をほめたたえなさい。すべて主イエスの名によって行いなさい。」(コロサイ3:13~16の抜粋) 

    復活節第5主日 2017年5月14日(日)午後0時30分~1時10分

     (仙台青葉荘教会壮年会との合同礼拝) 

          礼 拝 順 序

                司会 野崎 光男兄

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

 讃美歌(21) 459(飼い主わが主よ)

交読詩編   86(主よ、わたしに耳を傾け)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書(新共同訳)   ローマの信徒への手紙8章12~14節(p.284)

           コロサイの信徒への手紙3章1~10節(p.371)

説  教   「神の霊に従って歩む者」 辺見宗邦牧師

祈 祷         

讃美歌   521(とらえたまえ、われらを)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏  

             合同礼拝について

日本キリスト教団仙台青葉荘教会の壮年会の皆様は、毎年5月第二主日の昼頃から、富谷教会支援のために、富谷教会で合同礼拝をしてくださっています。今回は6名の方がお出でになり、礼拝の司会を担当されます。富谷教会の方では6名の参加予定です。礼拝後は、壮年会で用意して下さる弁当をいただきます。昼食後は、茶室で抹茶の接待をし、懇談の時を過ごします。終了は3時頃の予定です。

      本日の聖書 ローマの信徒への手紙8章12~14節

  12それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。 13肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。 14神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。

          コロサイの信徒への手紙3章1~10節

 1さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。 2上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。 3あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。 4あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。

 5だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。 6これらのことのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下ります。 7あなたがたも、以前このようなことの中にいたときには、それに従って歩んでいました。 8今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。 9互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、 10造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。

       本日の説教

  ローマの信徒への手紙を書き送ったのも、コロサイの信徒への手紙を書き送ったのも、キリストに福音を伝える使徒とされたユダヤ人のパウロという人です。宛先のコロサイは、現在のトルコ共和国の壮大な石灰棚で世界遺産となっているパムッカレの近くにあった町です。

  パウロは熱心なユダヤ教徒で、キリスト教徒を迫害していた人でしたが、十字架の死刑を受けて死んだと思っていたキリストの天上からの声を聞いて回心した人です。パウロの書いた13の手紙が新約聖書の正典とされています。

  パウロは、ローマの信徒への手紙で、人間はすべて、真の神を神として礼拝しようとしない、神に背く罪を宿していて、神の「律法」を守ることができない罪人であると説いています。

  7章では、律法の掟を実行しようとすると、自分が望むことは実行できず、かえって憎んでいることをするようになってしまうと深刻な葛藤の体験を述べ、律法の実行によっては罪の自覚しか生じないことを明らかにします。

  自分の望まないことをしているなら、それをしているのは、もはや自分ではなく、自分の中に住んでいる罪であり、その罪のとりこになっているみじめな人間を誰が救ってくれのでしょうか、と苦悶の叫びをあげます。このような人間を、救ってくださるのがイエス・キリストだと神に感謝するのです。

 神は人間が宿している罪を取り除くために、御子キリストを罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を断罪されました。これがキリストの十字架の死です。わたしたちも洗礼によってキリストと共に葬られました。また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられ、新しい命に生きる者とされたのです。イエスを死者の中から復活させられた方の霊が、わたしたちの内に宿り、「神の霊によって歩む者」とされたのです。

 古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためです。死んだ者は、罪から解放されています。キリスト者は、罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのです。自分自身を死者の中から生き返った者として神に捧げて生きるのです。罪は、もはや、キリスト者を支配することはないのです。キリスト者は、霊に従って歩む者です。霊も思いは命と平和です。

 使徒パウロはコロサイの信徒に対して、信徒たちは洗礼によって、キリストの十字架と共に死に、キリストの復活にあずかって、キリストと共に、<新しい命>に生かされていることを自覚させます(2章12~13節)」。そして、「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、ご自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました」(1:21,22)と伝えています。

 「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。」(3章1節)と勧め、「だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。」(3章5節)と命じます。

 <捨て去りなさい>は、原語では「殺しなさい」という、とても厳しい命令です。

 ローマ書にも、「肉に従って生きるならあなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を断つならば、あなたがたは生きます」(8章13節)と言っています。キリスト者は、なお日々「霊によってからだの働きを殺す」必要があるのです。

 私たちはキリストにあっては完全な者とされていますが、すでに完全な者となっているわけではありません(フィリピ3:12)。わたしたちの命は、キリストと共に神の内に隠されています。この世にあって大切なのは、新しく創造されることです(ガラテヤ6:15)。

「霊によって体の仕業を断つ」とは、私自身の力でやって行こうとする努力を殺すことです。そして霊の働きにまかせることです。私たち自身の責任は、私たちを通してキリストに働いていただくことです。パウロの強い勧告は、道徳的な闘いを求めているのではありません。自力で悪徳に立ち向かっても絶対に勝目はない。…「上にあるもの」に導かれることなくして悪徳への闘いは不可能なのです。  

内村鑑三は、「悪とは神を離れて存在することであり、神と共にあるならば、万事すべの行いは善となります。わたしたちは悪を避けようとするよりも、むしろ神と共にいることをつとむべきであり、そうすればわたしたちはおのずから善をなすことができ、悔い改めの苦痛を感じることもなくなるでしょう。(筆者による口語訳)」と述べています。

 パウロは、「キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません」(ローマ8:9)と言っています。「神の霊によって導かれる者は神の子です」(8:14)とパウロは宣言します。

 人間は、律法の行いによってではなく、ただこの神が救い主として与えてくださったキリストを信じる信仰によって、神の前で正しい者(義)とされ、救われるのです。キリストを信じている私たちは、神の霊に従って歩んでいる者であること、「神の子」とされた者であることを自覚して、絶えず祈りつつ、神との交わりの中に生きることが大切です。

              次週礼拝 5月21日(日) 午後5時~5時50分

               聖書 マタイによる福音書6章1~15節

               説教    「イエスの祈り」

               賛美歌(21)495 441 24 交読詩編93篇

 

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