富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「天国の礼拝に迎えられるキリスト教徒」 ヨハネの黙示録7章9~17節

2017-10-20 23:12:11 | キリスト教

                 ↑ 見者ヨハネの幻視した天上の礼拝(ヨハネの黙示録4章)

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

       日本キリスト教 富 谷 教 会    週 報

年間標語 『キリストに結ばれて、聖霊によって、日々心を新たにされ、キリストに似た者に造り変えていただこう。』

聖句 「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。これらすべに加えて、愛を身につけなさい。キリストの言葉があなたがたの内に宿るようにしなさい。いつも感謝して心から神をほめたたえなさい。すべて主イエスの名によって行いなさい。」(コロサイ3:13~16の抜粋)

   聖霊降臨節第21主日  2017年10月22日(日)  午後5時~5時50分

    礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 355(主をほめよ、わが心)

交読詩編   36(神に逆らう者に罪が語りかけるが)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書(新共同訳)   ヨハネの黙示録7章9~17節 (p.460)

説  教    「天国の礼拝に迎えられるキリスト教徒」 辺見宗邦牧師

祈 祷         

讃美歌   390(主は教会の基となり) 

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏  

          次週礼拝 10月29日(日)  午後5時~5時50分

           聖書   創世記2章4b~9、15~25節

           説教     「創造」

           讃美歌(21)227 6 24 交読詩編19篇 

  本日の聖書 ヨハネの黙示録7章9~17節

  9この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、 10大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」 11また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、 12こう言った。「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン。」 13すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」 14そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。 15それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る。 16彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。 17玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。」

      本日の説教

 人類救済の歴史を記すために、旧約聖書は創世記の天地創造から始めます。それに呼応して、新約聖書が記す救いの歴史は、ヨハネの黙示録の世の終末と新天新地の出現をもって終わります。黙示録は聖霊に満たされた預言者ヨハネの幻視による壮大な終末の描写です。世の終わりに来臨する勝利の君、さばき主・キリストはサタンと最後の決戦をして、神の国を来たらせます。黙示録にえがかれているのは、世の終わりに起こる神の審判と、神の完全な支配です。黙示録は神の秘密を解き明かす文書です。黙示文学に特有なシンボルや奇異な視覚的表現が用いてられているのは、キリスト教徒を迫害する圧制の中では、ローマ帝国に対する神の裁きをあからさまに言えないからなのです。この黙示録では、キリストを小羊という言葉で表現しています。また、破滅するローマの都をバビロンという言葉で表現しています。

 第一世紀の終わり頃、ローマ帝国の属州であったアジア州(トルコ)の諸教会は、紀元95年頃、ドミティアヌステ帝の時に行われたキリスト教の迫害によって、殉教者が出始めました。教会内部でも偽りの使徒により内部分裂の危機にさらされていました。福音宣教のためにパトモスの島に流刑の身となっていた見者ヨハネは、キリストの再臨と勝利、この世の終末と神の国の完成を告げて、殉教の危機にさらされている諸教会と信徒を激励し、忍耐をもって信仰を守り抜かせるために、書いたのが黙示録です。

 黙示録の構成は、次のようになっています。

  1章 初めの言葉 七つの教会へのあいさつ ヨハネへの啓示が示された顛末(天上におられるキリストの姿)

  2章-3章 七つの教会へのメッセージ(エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキア)

  4章-5章  天上の礼拝と巻物を開く小羊

  6章-8章5節 六つの封印が開かれる-災いをもたらす色々の馬が現れる    神の刻印を押されたイスラエルの子ら    白い衣を着た大群衆 第七の封印が開かれる 

 8章6節-11章19節 天使のラッパと災い 天使が巻物を渡す 二人の証人 第七の 天使がラッパを吹く(天の神殿が開かれる)

 12章-14章 天の戦い(女と竜-神の民を迫害する)、二匹の獣 十四万四千人の歌、三人の天使のことば、鎌が地に投げ入れられる

 15章-16章 最後の七つの災い-七人の天使が七つの鉢から神の怒りをぶちまける 神の怒りが極みに達する 

 17・18章 大淫婦の裁きとバビロンの滅亡

 19章1-10節 天における礼拝 子羊の婚宴

 19章11節-20章 キリストの千年の統治の開始、サタンと人々の裁き 白馬の騎手の君臨 千年間の支配(千年王国)サタンの敗北 最後の裁き

 21章 新らしい天と新しい地 新しいエルサレム

 22章1-5節 神と子羊の玉座からいのちの水の川が流れる

 22章6-21節 全体の結び キリストの再臨 警告

  

    4章と5章には、見者ヨハネが見た天上の光景が一つの劇のように描かれています。これは聖霊によってがヨハネが幻視した礼拝の劇(ドラマ)です。

 天上に神の玉座があり、その玉座の座っている方がおられた。玉座の周りに二十四の座があって、頭の金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。玉座の前には七つのともしびが燃えていた。これは神の七つの霊である。玉座の周りには四つの生き物がいた。獅子のようなもの、若い雄牛のようなもの、人間の顔のようなもの、鷲のようなものがいた。それぞれ六つの翼があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく、神をほめたたえていた。二十四人の長老はひれ伏して礼拝し、冠を玉座の前に投げ出した。玉座にいる方の右の手に巻物が見えた。巻物は七つの封印で堅く封じられていた。七つの封印を開いて、巻物を開くことができるのは神の小羊(キリスト)です。小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。6章は、小羊が六つの封印の一つを開く場面です。その封印が次々に開かれて行った。白い馬、赤い馬、黒い馬、青白い馬が現れた。恐るべき審判の光景が次々に現れた。す殉教者の一人一人には白い衣が与えられ、待つように言われた。大地震がおきました。神と小羊の怒りの大いなる日が来たので、地上に人々は恐れて隠れました。

 7章1~17節は、礼拝劇の中の幕間劇です。7章の1節から8節には、イスラエルの十二部族の中から選ばれた神の僕たちが、天使によって、神のさばきから守られるために神の刻印を押されました。刻印を押された人々の数は、十四万四千人でした。

  そして、今日の聖書の箇所である7章9~17節に入ります。

  

   「この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」(7・9~10)

 世界の民の中から集まった大群衆が白い衣を身に着け、手にナツメヤシの枝を持ち、王座と小羊の前に集まりました。<白い衣>は、勝利を得る者、殉教者に与えられるものです(3・5、6・9~11)。<なつめやしの枝>も<白い衣>と同様に勝利や賛美の形容で、キリストのエルサレム入場を迎える群衆の如く、喜びを象徴しています。彼らは、大声で<救いは……神と小羊とのものである>と叫びました。救いと勝利の信仰は、神とキリストから与えられると彼らは大声で賛美したのです。

 「また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、こう言った。アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン。」(7・11~12)

 5章2節では、キリストに対する賛美でしたが、ここは神に対する賛美がなされました。ここには、5章の「富」の代わりに、「感謝」が神にあるようにと賛美しました。<アーメン>で始まり、<アーメン>で終わる神への賛美でした。

 「すると、長老の一人がわたしに問いかけた。『この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。』そこで、わたしが、『わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです』と答えると、長老はまた、わたしに言った。『彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。』」(7・13~14)

 白い衣を着た人々が、殉教者(6・9~11参照)であり、信仰の勝利者であり、あらゆる国々から来たことは既に言われていました。二十四人の長老の一人の質問は、より詳しく述べるための会話を効果的に使ったのです。「あなたの方がご存知のはずです」と言われ、「彼らは<大きな苦難を通って来た者>で、その衣を<小羊の血で洗って白くした>のである」と長老は言いました。彼らは、キリストの十字架によって、罪が赦され、迫害や偶像礼拝を克服した者たちです。彼らは、終わりの日に臨む苦難を乗り越え信仰の勝利者です(黙1・4~5)。

 「『それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る。彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。』」(7・15~17)

 それゆえ彼らは、神の王座の前で、<昼も夜もその神殿で神に仕える>のです。黙示録22・3~5の<神の僕たちは神を礼拝し……もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない>と平行する言葉です。王座に座っている方が、この者達の上に<幕屋を張る>は、黙21・3では、<神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み…>と記しています。彼らは<飢え、渇き、太陽、暑さに苦しむことはもはやなく、彼らは命の水へ導かれる>。この賛美の歌詞はイザヤ書49・10に基づいています。<命の水の泉へ導き>とある牧者像の背景は詩篇23・2にあります。殉教者、信仰の勝利者に対して、神が<彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる>と黙21・4にも記されています。刻印を押された<十四万四千人>のイスラエル人と白い衣の異邦人の大群衆、この二つの場面は、21、22章になって述べる救いの完成の場面と類似しています。見者ヨハネは第6と第7の封印の場面の間に。苦難と災いに打ち勝った勝利の賛美・礼拝のドラマを見ました。ヨハネを自称する著者は、迫害下にあって苦しむキリスト教徒の信仰を励まし続けた牧会者です。

 今日の聖書の箇所の礼拝の光景は、迫害に耐えた信仰者や殉教者が、天上の礼拝に迎えられ、神とキリスト共に、永遠の命に生きることができることを約束していることから、キリスト教徒にとっては大きな慰めであり、励ましとなる御言葉です。黙示録の最後に記されている主イエスの言葉は、「然り、わたしはすぐ来る。」です。わたしたちも、それに応えて、「アーメン、主イエスよ、来てください。」(黙22・20)と言いましょう。 「マラナ・タ(アラム語:<主よ・来てください>の意)(第1コリント16:22) 。

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