日本キリスト教富谷教会 礼拝説教 辺見宗邦牧師

辺見宗邦牧師が富谷教会で行う礼拝説教を随時アップしてまいります。
毎週日曜日か、前日の土曜日に掲載いたします。

「主の復活顕現」 マタイによる福音書28章11~20節

2017-04-23 15:48:17 | キリスト教

                ↑ ジョン・シングルトン・コプリー(1738~1815)アメリカ人画家 「キリストの昇天」(1775年作品) 81×73㎝

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

日本キリスト教 富 谷 教 会    週 報

年間標語 『キリストに結ばれて、聖霊によって、日々心を新たにされ、キリストに似た者に造り変えていただこう。』

聖句「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。これらすべに加えて、愛を身につけなさい。キリストの言葉があなたがたの内に宿るようにしなさい。いつも感謝して心から神をほめたたえなさい。すべて主イエスの名によって行いなさい。」(コロサイ3:13~16の抜粋)

復活節第2主日   2017年4月23日(日)     午後5時~5時50分

礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 326(地よ、声たかく)

交読詩編   16(神よ、守ってください)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書(新共同訳)マタイによる福音書28章11~20節(p.60)

説  教    「主の復活顕現」   辺見宗邦牧師

祈 祷         

讃美歌   321(しずかな喜び)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏  

                                                  次週礼拝  4月30日(日) 午後5時~5時50分

                                                   聖書  マタイによる福音書12章38~42節

                                                   説教    「新しい命」

                                                   讃美歌(21)206 325 24 交読詩編116

   本日の聖書 マタイによる福音書28章11~20節

 11婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。 12そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、 13言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。 14もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」 15兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。

  16さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。 17そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。 18イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

     本日の説教

 ユダヤ人の祭司長たちは、イエスが生前に、十字架につけられた後、三日目によみがえると弟子たちに言っていたことを気にかけていました。彼らはそのような言葉を信じていたわけではありませんでした。だが、イエスの弟子たちが墓から遺体を盗み出し、イエスが死者の中から復活したと言いふらすかも知れません。そんな不安を覚えた彼らは、イエスの遺体が墓に葬られた翌日の土曜日、ユダヤを治めていたローマ総督ピラトのところに集まり、理由を告げて、三日目まで墓に番兵をおくように願い出ました。

 ピラトは、あなたたちには神殿警備隊の番兵がいるはずだから、その番兵に見張らせるがよいと答えました。そこで、彼らは墓の石に封印をし、番兵をおいていました。

 ところが、日曜日マグダラのマリアともう一人のマリアが明け方に、墓を見に行った少し前に、大きな地震が起こり、主の天使が天から降って近寄り、封印されていた石をわきへ転がし、その上に座ったので、番兵たちは恐れ、震え上がり、死人のようになりました。

 マルコによる福音書によると、マグダラのマリアたちが墓に着いたときには、番兵たち墓を去りました。

 婦人たちが、主の天使と、復活のイエスから、言われたことを伝えるために弟子たちのところへ急いで行きました。婦人たちが弟子たちの所に着く前に、数人の番兵は都に帰り、事の次第をすべて祭司長たちに報告しました。墓が空だったことも報告したのです。そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、偽証させました。弟子たちが夜中にやって来て、兵士たちが寝ている間に死体を盗んで行ったと言わせたのです。もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにすると約束したのです。兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにしました。ここに記されているのは、イエスの復活を否定するために虚偽のうわさを流すことに躍起になる祭司長たちの姿です。初代教会がここに記されているようなうわさが流されているただ中で、主イエスの復活を伝えていったのです。この話は、今日に至るまであるユダヤ人の間に広まって、マタイ福音書が書かれた時に及んでいます。

 さて、十一人の弟子たちは、婦人たちから聞いた主イエスの指示に従って、ガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登りました。山は、旧約以来、神が顕現する場所です。ガリラヤの山とは、山上の説教をされた山や、栄光の姿に変わられた山などが想起されます。弟子たちは、そこで、復活のイエスに会い、ひれ伏し、拝しました。しかし、疑う者もいました。主イエスの復活を信じる信仰は、人間によるものではなく、神の恵みによって与えられるものです。″聖霊によらなければ、誰も「イエスは主である」とは言えないのです"(一コリント12.3)。

   イエスは、近寄って来て、「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と言われました。

 復活によって、主イエスは全世界の主となられたのです。それゆえ、イスラエルの者たちに限られていた宣教を、すべての民に対して、全世界に向けて宣教するように弟子たちに命じたのです。ガリラヤから広く異邦世界への福音が展開するのです。このように、マタイによる福音書は、復活後エルサレムで起こった弟子たちへの顕現はすべて省き、弟子たちに対する宣教命令に焦点を当ています。

 「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」とあります。<父と子と聖霊>の三位一体の神が記されています。こうした三位一体的な言及は、Ⅰコリント12:4-6、エフェソ2:18、4:4-6にも出ています。すべての洗礼は、主イエスの名によって行われるものであり、ここには、御子が、御霊(みたま)として、御霊を与えるものとして働き神自らが、そこに働いて、救いを保証するのです。明らかにマタイは、宣教者たちが福音を宣べ伝えて信仰へと呼びかけるのは当然のこととしています。

   洗礼とともに重要なのは、すべての民を弟子とする、ということです。弟子とするとは、信仰者とするということです。イスラエル以外のすべての民も、その中に加えられるのです。

 さらに、弟子たちの命じておいたことをすべて守るように教えなさい、と命じています。洗礼を受けた者は、イエスの教えた新しい律法に生きることになるのです。それは主イエスと共にある生活をすることであります。

 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」マタイでは、よみがえりのイエスが天に上げられる前から継続して、インマヌエル、すなわち「神は我々と共におられる」お方であることを約束しています。(ルカ24:51では、イエスは「祝福しながら彼らを離れて、天に引き上げられた」とあるように、分離について語っています。)

  キリストは、ここに世界の支配者としての自らの立場を宣言されました。キリストの最後の共にいるとの約束の言葉は、伝道者だけに限定されたものではなく、教会全体とそれを構成するすべての会衆のためのものでもあり、主イエスの教えを守ることができるのも、伝道者たちの業も、主イエスが、彼らと共にいるから、できることなのです。主イエスは常にわたしたちと共にいてくださって、この世を完成させてくださるのです。

   イエスが天地を支配する一切の権能を授かったことは、イエスが神であることが明らかにされたのです。全宇宙の支配権を委任された主イエスが、わたしたちと共にいてくださるとは、何とありがたく、心強いことではないでしょうか。イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公けに宣べて、父なる神をたたえようではありませんか(フィリピ2:10-11)。

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