まんがパウチ (レビュー・ネタバレ)

漫画の絵とストーリーを、真空パウチするように書きとめました。
【ファイアパンチ】【進撃の巨人】【カラダ探し】など

ファイアパンチ 43話 「正しい教養」

2016年02月13日 | ファイアパンチ

ドマは、復讐に来たアグニに「魚を釣りに行くから一緒に来い」と言って、凍った湖に連れてきた。
そこでいつもそうしているように、氷に手動掘削機でガリガリと穴を掘って、釣りの準備を始めた。
見たことのない道具にトガタは思わず「楽しそう!私にもやらせろ!」と飛びついたが、体力と根気のいる作業だと気付いてすぐに辞めた。ドマの祝福を使えばすぐに穴を開けれそうなものなのに、ドマはそうはしていなかった。




ドマは、その小さな穴に糸を垂らし、小さな魚を一匹、また一匹と釣りながら、湖のほとりに立ってこっちを見ているアグニにようやく声をかけた。「そこから近づくな。氷の下は凍った湖だ。溶けて落ちると魚がにげる」

アグニは言われるがまま、黙ってドマが魚を釣るのを見ていたので、ドマが「話をしに来たんだろう、話せ」と促すと、アグニは「なぜ魚を釣っている?」と尋ねる。
ドマはその問いに意外そうな顔をしてから、自ら核心に近付いた。
「子ども達の胃袋に入れるためだ。そんな事を聞きに来たのか?
お前は殺しに来ると思っていた。その時は泣いて許しを請おうと思っていた。私の死は17人の死に繋がる。だがお前は話をしに来た。話をし済むなら、いくらでも話をしてやる」


アグニは間髪いれずに「許すわけないだろう!!」と激昂して、「これはお前の炎だ、どんなに忘れようとしても、炎を見る度痛みで脳みそが叫ばれるんだ、ドマを殺せってな!!!」と苛立った。

ドマは初めからアグニは復讐に来たとわかっていたので、淡々と「なら、殺しに来たのか」と聞く。


アグニは少し落ち着いて、そして正直に話した。
「前に進むために結果が欲しいんだ。お前を殺すか・・・殺せなくてもなにか結果が欲しい。ドマを殺すか殺さないか、話をして決める。
お前を殺して、お前だけ死ぬならお前を殺す。17人は俺の村に連れていく。食べるものに困らない。そうすればお前を殺しても、お前しか死なない。他に生きる理由があるなら言え!!」





今度はドマが黙ってしまい、アグニがせかした。「言えっ!!」


ドマはやっと釣れた一匹を針から外しながら「人肉を食わせる気か?」と聞いた。
アグニにとっては、狩りでとってきた鹿や魚を食うのと同じに当然の事だった。いや、自分さえ痛みに耐えれば、誰の何の命も奪う事なく食料を得る事が出来るのだ。
「そうだ、俺の肉を食わせてたんだ。お前が殺した村人もルナも、俺の肉を食っていたんだ!誰も殺していない!お前のカン違いだ」と、ドマが”誤解”で村人達を殺してしまったことを責めた。


だがドマは「カン違いしていない」と言うので、アグニは驚いた。
ではどうして殺されねばならなかったのか、アグニには理解できない。


ドマは、理解不能のアグニにかみ砕いて話してきかせた。
「アグニ、今の人々に足りないものは何だと思う?」と聞いてから、アグニの答えを待たずに「温かい気候でも、大量の食糧でも、神でもない、正しい教養だ」と自分で答えた。
これには、トガタもカメラから目を離してドマを見た。









次に「人肉で食いつないでいる村人は、お前が死んだらどうなると思う?」と質問した。
アグニは少し言い難そうにして「・・・・飢えて死ぬ・・」と答えた途端にドマが大きく否定した。ドマはアグニがそう答えるであろうことを予測していた。
「死なない。命は簡単に死なない。お前が死ねば、人肉を食う文化だけが残る。他の村を襲って人肉を作るか、仲間同士で共食いをするだろう。自分の基盤に正しい教養がないかせ簡単に馬鹿になれる。それなれば、それは人間ではない」

アグニは自分の想像を超えたドマの意見に動揺しつつ、必死で反論した。
「そんなの、お前の妄想だ!」

ドマは冷静に、でも力強くアグニを否定する。
「妄想ではない、想像だ。教養がないから先のことを想像できない。想像が出来ないから間違った正義をふりかざしてしまう」

アグニはしどろもどろになりながら、抵抗を続けたがその声は力なく小さかった。
「・・・振りかざしてなどいない」
正義をふりかざしたつもりなど微塵もない。痛いし辛いし、しなくて済むならしたくない事だが、そうでもしないと目の前の人達は餓死していくしかなかったのだ。仕方なく、どうしようもなく、差し迫られて親切というより、生きていて欲しかっただけだった。


だがドマは真っ向否定した。
「振りかざした。お前の教養なく正義がべヘムドルグを滅ぼしたのだ。
これも想像だが、ベヘムドルグを滅ぼした後こう後悔しなかったか?いくらなんでも殺し過ぎてしまった。罪のない人も一緒に殺してしまった・・・とな」


アグニはあまりに図星で、もう何も言い返すことができず、あんぐり口を開けたまま黙ってしまった。

ドマは「アグニ、お前を責めはしない。私は責める権利を持っていない。お前を燃やしたのは正しい教養を持った私ではなく、間違った教養を持った私だったからだ。」
そう言ってドマは、自分の”正しくなかった頃”を思いだしていた。


若き日のドマは、あるビデオを見せられ、それが”神様”であると信じさせられていた。
ベヘムドルグでは代々そうやって”神様”を利用して人々を洗脳し、民を統治しやすくしていて、ドマも統治されていた一人だった。
戦争への出撃も、ユダ様が「神の天命」として指示を出していた。










神の意思だと信じていたドマは、奴隷を増やす為に出撃し、部下をたくさん失っても戦い続けていた。
だが、ある時戦利品の中に、映画のパッケージがあるのを見つけた。
今まで信じていたものは、実は娯楽用に作られた映画であり、”神様”だと思ってたのは、ただの人間の役者だったことを知る。





「私は男の演技を信じ、人を燃やしていたのだ」と釣りをしながら言った。






ドマとトガタに因縁があったことは驚きでしたが、トガタの持っていた映画でドマが宗教から目覚めるという、運命の繋がり。
切り離された事例に思える物事や運命は、実はひとつながりだというワンピース観。

ドマの覚醒は、自分が信じていた宗教や神がニセモノであったと気づくことですが、だからといってドマの立場で「正しい教養」が何であるかを知ることは難しいと思いました。

人肉を喰ってはならない理由は、なるほどと納得できるものでしたが、だからと言って餓死していく事に甘んじねばならないのか。
人肉を喰ってでも死に抵抗したいと思う人間の心理と、子供達に動物の肉を食わすために死に抵抗したいドマの思いに、どれほどの差があるのかも、難しいと思いました。

貧困と餓死の環境下で、がむしゃらにしがみつく「生」の本能の前に、「悪」は悪でなくなり、正義の位置が変わるのは、芥川龍之介が『羅生門』で描いたテーマだったでしょうか。
餓死者が出る国に、ダイエットが必要な飽食の先進国の”正義”が通用しないにもしかり。


さて、ドマは「正しい教養」が必要だと説き、自らを「先生」とする。
ここで「神」にならなかったことがドマの良さで、アグニの愚かさなのだと思いますが、『正しい』を言い切ってしまう。

アグニが味方にとっては神、敵にとっては悪魔であるように、ドマは「正しい」を言いきれる立場には立っていないのに「正しい」を言い切ってしまう危うさを感じました。
とはいえ、『正しい』を言いきれる立場ってどんな立場なのだろう、と思います。
それが『神』の立場なのでしょうか。
でも、「神」もこちらでは有難いが、あちらでは憎憎しい存在ですし、そもそもこの世に「絶対正しい」が存在するのかすら疑問です。


ネタバレになりますが、場面が大きく変わった55話あたりにでて来るドマの元教え子の少女のセリフが、ドマの”正さ”に言及していました。
「ドマ先生の言うことの中には歪んでいるものもあった。だから私達は先生から離れた」と。
そこを読んだ時に、ドマが許されたというか、許容されていたというか、一人の愚かでまっすぐに生きた人であるとされている事に、ホッとしたものを感じました。

”神”に祭りたてられたアグニやユダの”信者”に、そうした許容がないのが、二人の救いのなさのような気がします。
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