さてさて、更新の続かないブログですなぁ(苦笑
私も挨拶以来の書き込みですから、やはり少しは状況改善をしないとw
また暫し落ち着かない日々となりそうですから、
その前に少しは、お話しをしておきましょう。
先ほどからの激しい雨を見ながら、西の水不足はこれで少しは解消されただろうか、
逆に地滑り等での被害は出ていないだろうかなどと思いながらふと思ったことをお話しましょう。
昨今、リアルの仕事上でも、とみに感じることが多くなりましたが、
以前から多方面でよく言われております、日本の社会構造自体の歪といって良いやうなものが、
教育欠如世代がトップに座り、空白世代が中堅層に座り始めた今、
いよいよ表面化する時期に出てきている感があります。
手前どもの話で申し訳ないのですが、我々の業界では昔から「協力会社」という云い方があります。
これは、自社より下位に着く会社も同位に着く会社も一派一絡げに指す言葉であります。
たしかに、上位は珍しいですが、下位同位が入れ替わった状態の仕事も多くありますので、便利な言葉ではあるのですが、私自身は、大変日本人らしい謙虚な言葉であると感じ多用して参りました。
しかし、昨今、この言葉を使う方がめっきり減りました。
今までも言葉だけの心不在を嘆くことは良く在りましたが、
このごろは、その言葉すら使われない。
実に空虚な世界が広がりつつあります。
利益至上主義の結果、「下は叩けるだけ叩く」「無理難題があれば全て下に回す」的な
極めて「仕事人(仕事をして利益を得る人を指す言葉として使いますが)」としては
情けない仕事振りを恥じもせず、その都合の悪さから夜中にメールでそっと通達してみたり
忙しい振りをして無感情に伝達してみたりと、妙な苦心振りは良くわかるのですが、
何の解決にもなっていない事の如何に多いことか。
全ては、自らの保身や面倒さを避けるための極めて利己的な他を鑑みない心から生まれていることがあからさまで、そのいい年の方々を見て、なんとも見ているこちらが恥ずかしくなるやうな事が多見されるやうになってまいりました。
そのやうな方々に、仕事に対する情熱や誠意を求めても無駄なのでしょうが、
そのうちに当初の企画参入時の説明であったことも「そんな事はいった覚えがない」といった按配が始まります。
結局のところ、「心」>「相手を思んばかる気持ち」「生かされているといった感謝の念」
の欠如なのでしょうね。
教育>教え育てるといった国家=社会の成立に不可欠な事を蔑ろにしてきた結果の皺寄せが、いよいよ本格的に鎌首を持ち上げてきた気がしてなりません。
実際問題、上記のやうな取引先に如何に交流を図り便宜を図っても、表面的にはともかく、人間的な相互理解に至ることはまれですし、結果としてどうしても事務的に為らざるを得なくなる状況が生まれていくのでしょう。
実に悲しいことです。
このままでは、まさに米国のやうな訴訟社会となってゆくでしょうし、
実際、今まで殆どが信用商売で契約書なぞ取り交わさなかった私の業界でも
契約書の束が船室に浸水するがごとく増えていっている事が、何よりも嘆かわしい事です。
さらに悲しいのは、酒の席等で気持ち悪くなるやうなお追従を云い、その場にいない者を貶めたり
出来もしないことをや心にもないことを口にするなどして、取り入ろうとする者が付随するやうに増えていることでしょう。
彼らの考えることは、強者に寄り添いあわよくばそのおこぼれに預かろうとする思いでしょうが、
その見苦しい行為自体の恥はさておいても、その結果として自分以外の多くのものが泣く事すら彼らの頭の中にはないなど、度し難い馬鹿者達であります。
そのやうな取り入り方をした場合、成功するからこそやることなのでしょうが、
その行為をする者に対し、信を置かない者が出たときの彼らの驚愕振りは、実に情けないものであります。その後は、判で押したやうに讒言となるか俗に言う逆切れになることから見ても、如何に人間的な部分や金銭に対し矜持を持たぬ低レベルな者が上にも下にも増えた事か、本当に歯軋りをする思いでもあります。
かつての社会にも確かに小狡人間はおりました。
しかし、被害にあう者がいても、それを助ける周囲があり、
またその小狡者を許さない社会がありました。
しかし今の世の中に如何にその気風が薄くなったことか、
民はその日の生活に汲々とし、そのしがらみにて、といふ人も多いでしょうが、
私には、実際にそういう方々の多さよりも、それを言い訳にし無関心を装い自己の利益に汲々とする人間の方が目に付きます。
おそらく、先にも上げたやうな人達や、極めて矮小な自己保身のみに汲々とする方々には
「自らの子供にその背中を見せられるのか?」と問うたところで、
何の引っかかりもないのでしょう。
そのやうなもう型が出来上がってしまい、修正のきかなくなってしまっている無知蒙昧なる人々をどうするのかという事も、大きな問題なのかもしれませんが、私自身としては、有為の士を一人でも多くせねばならない時だと思い続けたいと、言い聞かせながら日々をすごしております。
日本は豊かな国です。
本来であれば、これほどの失業者が世にあふれ、非生産的な者が増え、若人が目的を失い、老人などが寂しい生活をしている訳がないほどの富んだ国のはずなのです。
この世の現状を恨む声は多く聞きますが、
私としては、一人でも多くの方がそういった何の為にもならぬ後ろ向きな醜い感情より、
その原因を訴求し、少しでも解決に向かって頂けるやうな前向きな明るい未来を目指して頂きたいと
強く思う今日この頃で御座います。
私も挨拶以来の書き込みですから、やはり少しは状況改善をしないとw
また暫し落ち着かない日々となりそうですから、
その前に少しは、お話しをしておきましょう。
先ほどからの激しい雨を見ながら、西の水不足はこれで少しは解消されただろうか、
逆に地滑り等での被害は出ていないだろうかなどと思いながらふと思ったことをお話しましょう。
昨今、リアルの仕事上でも、とみに感じることが多くなりましたが、
以前から多方面でよく言われております、日本の社会構造自体の歪といって良いやうなものが、
教育欠如世代がトップに座り、空白世代が中堅層に座り始めた今、
いよいよ表面化する時期に出てきている感があります。
手前どもの話で申し訳ないのですが、我々の業界では昔から「協力会社」という云い方があります。
これは、自社より下位に着く会社も同位に着く会社も一派一絡げに指す言葉であります。
たしかに、上位は珍しいですが、下位同位が入れ替わった状態の仕事も多くありますので、便利な言葉ではあるのですが、私自身は、大変日本人らしい謙虚な言葉であると感じ多用して参りました。
しかし、昨今、この言葉を使う方がめっきり減りました。
今までも言葉だけの心不在を嘆くことは良く在りましたが、
このごろは、その言葉すら使われない。
実に空虚な世界が広がりつつあります。
利益至上主義の結果、「下は叩けるだけ叩く」「無理難題があれば全て下に回す」的な
極めて「仕事人(仕事をして利益を得る人を指す言葉として使いますが)」としては
情けない仕事振りを恥じもせず、その都合の悪さから夜中にメールでそっと通達してみたり
忙しい振りをして無感情に伝達してみたりと、妙な苦心振りは良くわかるのですが、
何の解決にもなっていない事の如何に多いことか。
全ては、自らの保身や面倒さを避けるための極めて利己的な他を鑑みない心から生まれていることがあからさまで、そのいい年の方々を見て、なんとも見ているこちらが恥ずかしくなるやうな事が多見されるやうになってまいりました。
そのやうな方々に、仕事に対する情熱や誠意を求めても無駄なのでしょうが、
そのうちに当初の企画参入時の説明であったことも「そんな事はいった覚えがない」といった按配が始まります。
結局のところ、「心」>「相手を思んばかる気持ち」「生かされているといった感謝の念」
の欠如なのでしょうね。
教育>教え育てるといった国家=社会の成立に不可欠な事を蔑ろにしてきた結果の皺寄せが、いよいよ本格的に鎌首を持ち上げてきた気がしてなりません。
実際問題、上記のやうな取引先に如何に交流を図り便宜を図っても、表面的にはともかく、人間的な相互理解に至ることはまれですし、結果としてどうしても事務的に為らざるを得なくなる状況が生まれていくのでしょう。
実に悲しいことです。
このままでは、まさに米国のやうな訴訟社会となってゆくでしょうし、
実際、今まで殆どが信用商売で契約書なぞ取り交わさなかった私の業界でも
契約書の束が船室に浸水するがごとく増えていっている事が、何よりも嘆かわしい事です。
さらに悲しいのは、酒の席等で気持ち悪くなるやうなお追従を云い、その場にいない者を貶めたり
出来もしないことをや心にもないことを口にするなどして、取り入ろうとする者が付随するやうに増えていることでしょう。
彼らの考えることは、強者に寄り添いあわよくばそのおこぼれに預かろうとする思いでしょうが、
その見苦しい行為自体の恥はさておいても、その結果として自分以外の多くのものが泣く事すら彼らの頭の中にはないなど、度し難い馬鹿者達であります。
そのやうな取り入り方をした場合、成功するからこそやることなのでしょうが、
その行為をする者に対し、信を置かない者が出たときの彼らの驚愕振りは、実に情けないものであります。その後は、判で押したやうに讒言となるか俗に言う逆切れになることから見ても、如何に人間的な部分や金銭に対し矜持を持たぬ低レベルな者が上にも下にも増えた事か、本当に歯軋りをする思いでもあります。
かつての社会にも確かに小狡人間はおりました。
しかし、被害にあう者がいても、それを助ける周囲があり、
またその小狡者を許さない社会がありました。
しかし今の世の中に如何にその気風が薄くなったことか、
民はその日の生活に汲々とし、そのしがらみにて、といふ人も多いでしょうが、
私には、実際にそういう方々の多さよりも、それを言い訳にし無関心を装い自己の利益に汲々とする人間の方が目に付きます。
おそらく、先にも上げたやうな人達や、極めて矮小な自己保身のみに汲々とする方々には
「自らの子供にその背中を見せられるのか?」と問うたところで、
何の引っかかりもないのでしょう。
そのやうなもう型が出来上がってしまい、修正のきかなくなってしまっている無知蒙昧なる人々をどうするのかという事も、大きな問題なのかもしれませんが、私自身としては、有為の士を一人でも多くせねばならない時だと思い続けたいと、言い聞かせながら日々をすごしております。
日本は豊かな国です。
本来であれば、これほどの失業者が世にあふれ、非生産的な者が増え、若人が目的を失い、老人などが寂しい生活をしている訳がないほどの富んだ国のはずなのです。
この世の現状を恨む声は多く聞きますが、
私としては、一人でも多くの方がそういった何の為にもならぬ後ろ向きな醜い感情より、
その原因を訴求し、少しでも解決に向かって頂けるやうな前向きな明るい未来を目指して頂きたいと
強く思う今日この頃で御座います。