謂われなき反日を語るBlog(仮運用中)

誇りと恥を。
小異に拘わり、大道を外す事なかれ。

雨を見ながら思ふことを

2005年07月04日 01時43分41秒 | 無名人
さてさて、更新の続かないブログですなぁ(苦笑
私も挨拶以来の書き込みですから、やはり少しは状況改善をしないとw
また暫し落ち着かない日々となりそうですから、
その前に少しは、お話しをしておきましょう。


先ほどからの激しい雨を見ながら、西の水不足はこれで少しは解消されただろうか、
逆に地滑り等での被害は出ていないだろうかなどと思いながらふと思ったことをお話しましょう。

昨今、リアルの仕事上でも、とみに感じることが多くなりましたが、
以前から多方面でよく言われております、日本の社会構造自体の歪といって良いやうなものが、
教育欠如世代がトップに座り、空白世代が中堅層に座り始めた今、
いよいよ表面化する時期に出てきている感があります。

手前どもの話で申し訳ないのですが、我々の業界では昔から「協力会社」という云い方があります。
これは、自社より下位に着く会社も同位に着く会社も一派一絡げに指す言葉であります。
たしかに、上位は珍しいですが、下位同位が入れ替わった状態の仕事も多くありますので、便利な言葉ではあるのですが、私自身は、大変日本人らしい謙虚な言葉であると感じ多用して参りました。

しかし、昨今、この言葉を使う方がめっきり減りました。
今までも言葉だけの心不在を嘆くことは良く在りましたが、
このごろは、その言葉すら使われない。
実に空虚な世界が広がりつつあります。

利益至上主義の結果、「下は叩けるだけ叩く」「無理難題があれば全て下に回す」的な
極めて「仕事人(仕事をして利益を得る人を指す言葉として使いますが)」としては
情けない仕事振りを恥じもせず、その都合の悪さから夜中にメールでそっと通達してみたり
忙しい振りをして無感情に伝達してみたりと、妙な苦心振りは良くわかるのですが、
何の解決にもなっていない事の如何に多いことか。
全ては、自らの保身や面倒さを避けるための極めて利己的な他を鑑みない心から生まれていることがあからさまで、そのいい年の方々を見て、なんとも見ているこちらが恥ずかしくなるやうな事が多見されるやうになってまいりました。

そのやうな方々に、仕事に対する情熱や誠意を求めても無駄なのでしょうが、
そのうちに当初の企画参入時の説明であったことも「そんな事はいった覚えがない」といった按配が始まります。
結局のところ、「心」>「相手を思んばかる気持ち」「生かされているといった感謝の念」
の欠如なのでしょうね。
教育>教え育てるといった国家=社会の成立に不可欠な事を蔑ろにしてきた結果の皺寄せが、いよいよ本格的に鎌首を持ち上げてきた気がしてなりません。

実際問題、上記のやうな取引先に如何に交流を図り便宜を図っても、表面的にはともかく、人間的な相互理解に至ることはまれですし、結果としてどうしても事務的に為らざるを得なくなる状況が生まれていくのでしょう。
実に悲しいことです。
このままでは、まさに米国のやうな訴訟社会となってゆくでしょうし、
実際、今まで殆どが信用商売で契約書なぞ取り交わさなかった私の業界でも
契約書の束が船室に浸水するがごとく増えていっている事が、何よりも嘆かわしい事です。

さらに悲しいのは、酒の席等で気持ち悪くなるやうなお追従を云い、その場にいない者を貶めたり
出来もしないことをや心にもないことを口にするなどして、取り入ろうとする者が付随するやうに増えていることでしょう。
彼らの考えることは、強者に寄り添いあわよくばそのおこぼれに預かろうとする思いでしょうが、
その見苦しい行為自体の恥はさておいても、その結果として自分以外の多くのものが泣く事すら彼らの頭の中にはないなど、度し難い馬鹿者達であります。
そのやうな取り入り方をした場合、成功するからこそやることなのでしょうが、
その行為をする者に対し、信を置かない者が出たときの彼らの驚愕振りは、実に情けないものであります。その後は、判で押したやうに讒言となるか俗に言う逆切れになることから見ても、如何に人間的な部分や金銭に対し矜持を持たぬ低レベルな者が上にも下にも増えた事か、本当に歯軋りをする思いでもあります。

かつての社会にも確かに小狡人間はおりました。
しかし、被害にあう者がいても、それを助ける周囲があり、
またその小狡者を許さない社会がありました。
しかし今の世の中に如何にその気風が薄くなったことか、
民はその日の生活に汲々とし、そのしがらみにて、といふ人も多いでしょうが、
私には、実際にそういう方々の多さよりも、それを言い訳にし無関心を装い自己の利益に汲々とする人間の方が目に付きます。
おそらく、先にも上げたやうな人達や、極めて矮小な自己保身のみに汲々とする方々には
「自らの子供にその背中を見せられるのか?」と問うたところで、
何の引っかかりもないのでしょう。
そのやうなもう型が出来上がってしまい、修正のきかなくなってしまっている無知蒙昧なる人々をどうするのかという事も、大きな問題なのかもしれませんが、私自身としては、有為の士を一人でも多くせねばならない時だと思い続けたいと、言い聞かせながら日々をすごしております。



日本は豊かな国です。
本来であれば、これほどの失業者が世にあふれ、非生産的な者が増え、若人が目的を失い、老人などが寂しい生活をしている訳がないほどの富んだ国のはずなのです。
この世の現状を恨む声は多く聞きますが、
私としては、一人でも多くの方がそういった何の為にもならぬ後ろ向きな醜い感情より、
その原因を訴求し、少しでも解決に向かって頂けるやうな前向きな明るい未来を目指して頂きたいと
強く思う今日この頃で御座います。


金素梅 靖国に入れず

2005年06月16日 00時30分34秒 | ななよ
台湾より、高砂族の代表と偽りの看板を下げて金素梅が来日。靖国神社への抗議を行うということで迎え撃つために準備を始めました。


いよいよ当日(14日)

朝、外苑休憩所に到着。そこを本部とする。
無線機(神社内にメンバーが散るので連絡用)をつけ、8時半過ぎより各門の状況確認などで神社内を動き回り、本部に連絡を入れる。
正面~車引きまで、団体の方々や私服公安、制服警官の方々が待機。ただし空気としてはピリリとしながらも、温和な感じもありました。
9時過ぎ、門脇翁と会いアテンドにつくことに。大型バスが向かってくるも、国内の慰霊団だと
わかり本部に連絡を入れる。
9時半ごろ、金素梅が二松学舎前にて足止めを食っていると情報が入る。一気に緊張が高まる。
警察が引き返すようにと交渉中とのこと。

しばらくして、門脇翁より台湾のTVスタッフ(金素梅側ではなく、中立のメディア。門脇翁の取材に来日されていた)のアテンドの依頼を受けTVスタッフの側にいることに。彼ら日本語が片言なためその補助につく。
10時ごろ、TVスタッフが二松学舎前に移動。同行。
二松学舎前では、バス2台がとまっており、バスの前では金素梅がマイクパフォーマンス中。
本来ならライト側の方々の罵声もあるところだが、時折単発で「台湾に帰れ」という声が飛ぶ程度。
総じて緊張はありながらも、それほど現場は荒れていない。
バスの中から随行者からの声が荒げてくる。金素梅のスタッフ?が宣伝用のCDーROM?(もしかしたらDVD?)を配布。受け取ろうと思ったが、名刺との交換だということで断念。
日本人は歩道側に、金素梅は車道側にと、整然と区分けがされている。しばらくたち、警察も十分に喋らせたと判断したのか随行者をバスの中に誘導し、金素梅も乗車させ、Uターンを促す。

バス2台がUターンし永田町方面へ。
事前に入手した情報では、11時より記者会見とのことだが場所が不明。アテンドについているTVスタッフがタクシーを止めて乗車。私はタイミングが合わずに同乗が適わなかった。為、別のタクシーを拾い、TVスタッフのタクシーを追いかけることに。しかしタイミングが悪く、間に5~6台の車が入り、追いかけるタクシーをロスト。失態!

ロストを本部に報告し連絡を待つ。本部より「記者会見は霞ヶ関、弁護士会館」との情報が入り急遽タクシーで向かう。
弁護士会館に到着。金素梅一行のバスはまだ到着していない。しかしNHKから民放、新聞社などのプレスが多く固まっている。彼らの手元を見るとFAXが。どうやら金素梅サイドからマスコミに対して記者会見の事前情報が流れていた模様。(横目で見ただけなので発信者が誰かは不明。もしかしたら日本側の支援者だったのかも)
そうこうするうちに、バス2台が到着。唄をうたいながら横断幕を掲げ弁護士会館の前庭でこちら
向く。主張、記者会見の開始。

内容は前出なので割愛。
日本の悪行を示すための写真パネルがあったが、どれも南京大虐殺なみのキャプションつき。
生首と子供が写っている写真に「日本軍が子供の首狩を奨励」などなど。高砂の方々は野蛮とは言え、首狩も文化であることはそっちのけ。
見事に記者会見・抗議のためのアイテムを準備している。高砂の方々のお話は「静かに慰霊に来たが追い返された」・・・・って、おいおい、その準備の充実振りはなんなんだ?
ひとしきり抗議が終了したところで、マスコミからの質疑応答を受ける。が、マスコミ活発に質問しない。ネタとしてばれているのかマスコミのテンション低すぎ。カメラを回すのはテンションを持ってまわすが、質問がぐだぐだなのはお約束?
二松学舎の前でバスの中から声を荒げていたご老人(70歳前後?)は、少し離れた場所で日本人たちとにこやかに談笑中。カメラの前に立っていた人たち以外は、ゆるりとした雰囲気でもあった。
金素梅と通訳は必死。


しばらくたち「時間がなくなったので私たちは出発します」と、箱根の温泉に気持ちが奪われたのか、記者会見は終了。そそくさとバスに乗る。残るは日本側の支援者(雰囲気的にレフト側弁護士?)が代弁する。が、多くのマスコミは帰路に帰る模様。
台湾のTVスタッフを捕まえ、門脇翁が待つ靖国へタクシーで移動。到着は12時半くらいだったかな?
TVスタッフを門脇翁に合わせ、ミッション終了。翁とTVスタッフは別の取材場所へ。お見送りをする。
本部に戻り口から出た第一声が「飲み物!食い物!タバコ!」w
そういや、朝から何も食べてないし8時半からは飲み物、タバコも中断していた。食べて飲んで一服して全員で撤収開始。私は仕事場へ・・・・・・

日曜日からの3日間、かなり濃い時間を過ごしたことを思い出しながら、仕事に励む火曜日の午後。

ファーストコンタクト

2005年05月15日 02時03分44秒 | ヤマモト
あれは平成15年の8月

先月やっていたTBS前の偏向報道抗議OFF
(玄海灘沖韓国船衝突事件をマスコミがスルーした件)
に参加しそびれた自分は、残念がっていた。参加すれば良かったと・・

そんな時、オフ板で玄海灘報道抗議オフとしてビラ配りをやるという
場所:京成線江戸川駅前(どこ?)
責任者:無名人(変な名前・・)
補足:当日は仕事が入ってるので、平行しながらオフに参加します。
   (何だかよくわからないけどまあいいか)
それで当日は現地近くに花火大会があり、多くの見物客が来るらしい。

ともかくオフ当日現地に向かう
当日は夏真っ盛り、ガンガンに日が照っていて、暑い暑い

初めて乗る路線でとまどいながらも昼過ぎに何とか到着(遠かった)

駅を出て、集合場所の駅前通りに出ると、道路の片側にゆかた姿(?)
バイト風の女の子3人組、その反対側に、スーツの男性一人、
私服の男性二人が段ボール箱を囲んで何やら話している。
(あれかな?)近づいていって、スーツの人に話しかけてみる。

自分「あ、あの・・」(2chのオフに不慣れなので恐る恐る話しかける)
スーツの人「えっ!!?」
何だかスーツの人は、びっくりしたようにまじまじとこっちを見る
(えっ!?な、何?)
自分「あ、あの、スレで参加表明したヤマモトですけど」
スーツの人「あっ!ああ、いや無名人です。」
「いやクライアントかと思って。びっくりした」
自分(何だよ、クライアントって)

段ボールには、ビラがぎっしり入っていた。
そのままじゃ配りにくそうなので二つ折りにする作業に入る。
そうこうしている間に、花火を見るため来た人々が続々と駅から出てくる。

無名人氏は、バイトらしいさっきの女の子達に、
配布用のうちわを渡している。
「早く終われば、早く帰れるからさ」
(仕事ってあれか・・)

女の子達がうちわを花火客に配り始めたので、
自分らも抗議用のビラを配ることにする
無名人氏が配布可能な範囲の説明をし
「何かあったら、自分を呼んで下さい」

3時ごろビラ配布開始。無名人氏は女の子と一緒にうちわを配る。

すでに、花火客で通りはあふれかえり、
露店も出てかなりの賑わいをみせている。
人手も多く、花火で気分が開放的になってるせいか
結構受け取り率は良い。

猛暑なので、うちわはかなりの勢いではけていく、
それに便乗してビラのはけも良い。
5時くらいに、まあまあ年配のリュックしょった
女性が飛び入り参加する。
凄いフットワークの良さでガンガン配っていく。
(素人の動きじゃない、すごいわ)

6時ごろ、うちわ配布を終えた無名人氏が女の子を帰して参加。
それからしばらくして、ビラ配り終了。配布数7、800枚くらいかな?

辺りも暗くなり、花火が打ち上がり始めた模様。
無名人氏が、ビールとやきとりをおごってくれて、
そのまま全員花火見物になだれ込む。

江戸川の土手で、ビールとやきとりをつまみに花火見物。
間近でみる花火はとても綺麗だった。

花火見ながら、マスコミの報道姿勢について語り合う。
普段こういうことあまり話せないだけに、楽しい。

花火終了までいると、電車が馬鹿混みするので先に退散することにする。
お疲れ様でした。


こんな感じでした。まあ思えば長い付き合いになったものです。






黒いスーツの中の中心でボヤく

2005年05月13日 13時39分50秒 | フブキ

ブログは日記らしいので、日記風にボヤくことにする(´・ω・`)
無名系スレでは書きにくい、人権擁護法案反対オフのことね(´・ω・`)
なんだか無名スレのコテが人権オフにかかわるのが、
大変お気に召さない粘着さん達がいらっしゃるようで(;´Д`)
結構気いつかってんのよ実際、コテ変えたりしてさ(;´Д`)
おいら別にな~んも悪くないのにね(´・ω・`)
で、別名「黒いスーツの中の人 ◆sVyGZTxOvI」(`・ω・´)
初参加の格好から、脊髄反射で考えました(;´Д`)
脳みそ使ってませんマジで(;´Д`)
つか、以後の服装を自縛してしまいますた(;´Д`)
つか、暑くなってきたらどうしよう(;´Д`)
脳みそまで沸騰するかも(;´Д`)
使ってないからまあいいか(・∀・)

上野(4/3)、日比谷(4/4)、秋葉原(4/9・4/10)、
浅草(4/16・4/17)、巣鴨(4/23)、浅草(4/24)、上野(4/30)
無名之会企画の3/20を入れれば、延べ50時間以上(`・ω・´)

ビラ配りには、反対運動全体の勢いを消さないってのを、
今は最大のテーマとしてやっているんだけど、
反応が受け取れないってのは、ヤパーリかなりむなしい・・(´・ω・`)
ビラデザインとか掲載サイトとか、もっと工夫したかったな・・(´・ω・`)

そういえば、人権擁護法案反対系サイトなんかも
あちこちで更新が停滞し始めてる(;´Д`)
正直、飽きてきた雰囲気を感じるよね(;´Д`)
熱しやすく冷めやすいネット世論の典型?(;´Д`)

ビラ配り参加者も、完全に固定された状態(´・ω・`)
参加者の平均年齢が低いからか、やたらとからまれる率が高い(´・ω・`)
おまいらど~せ大学のサークルかなんかでやらされてんだろ(・∀・)ニヤニヤ
みたいな感じのオサーンが本当に多い多い(´・ω・`)
最初からおちょくるつもりで質問してくるんだよねえ(´・ω・`)

そういえば、話してるうちに、あっわかったあんた韓国人だな( ゜Д゜)
と、おいらに言い残して横断歩道を走り去ったオサーンがいたな(;´Д`)
つか、なんでそういう結論になるのか(;´Д`)
あと、「からんでくる酔っ払いは皆何故か鼻毛が出ている」(;´Д`)
何故に酔っ払いは皆鼻毛が出ているのか?深い謎だ(`・ω・´)

テンション下がるからみんなスレにはツライって書かないけどね(´・ω・`)
レスで笑って(・∀・)心で泣いて・・・・゜・(ノД`)・゜・
ヘビー参加者のSUNA嬢にいたっては、

仕事クビになるかも・・・ ル´・ω・`)
彼氏と終わっちゃうかも・・・ ル´・ω・`)

とネタかマジかわからんボヤきを呟く始末(´・ω・`)

でも、まあいいや。どうせ国会ももうすぐ終わる(;´Д`)
そしたらいったん切り上げよう(;´Д`)
それまではもう少しの辛抱だ(`・ω・´)
他のみんなもそう思ってるらしいし(`・ω・´)

と、思ってたら・・・

郵政民営化法案の影響で延長、延長、また延長・・・( ゜Д゜)
五月中の人権法案提出見送りって、六月までやるの?( ゜Д゜)
つか、最大延長6/19って ガ━━━━━━∑(゜д゜lll)━━━━━━ン

死ぬ・・みんな確実に死ぬ・・・( ゜Д゜)


     つづく(注:筆者が生存の場合)

中国問題その他

2005年05月12日 05時39分07秒 | 佐倉
本日というか昨晩、月一で開かれる某保守系のいわば懇話会に行ってきました。
某ということもないかもですが、なんとなく気分は某かな(なんのこっちゃ(w )
ということなんですが、聞きたいと思っていた人権擁護法案の状況については
共同とかの報道と変わりなく、郵政民営化の党内調整が終わるまではペンディング
-賛成派、反対派それぞれこの期間に論点整理等行うとの見方でした。
今国会は期限切れになるかもしれないが、いずれにしても推進派はまた持ち出して
くるのは必至。キーマンex与謝野議員やなんとなく推進派議員へ有権者として
働きかけていこうというようなことでした。

その他拾い物としては、新しい歴史教科書の採択は結構良い感触で現在進行中
とのことでした。中国(韓国も?)が馬鹿騒ぎをする程、状況は有利になるとか(W
中国が騒いでもこちらはむしろ悠然としていた方が宜しいようです。なお、江東区千石
で実物が見ることができるとのことです。

そして大きな収穫ですが、来日10年という中国人の方が、唯一中国の真実を語る中国紙
(ニューヨークが発行元だから米紙じゃないか?という突っ込みは無し(w)大紀元時報
というものを紹介してくれました。凄いですよ、明確に反中国共産党です。次の定例には
お土産として持って行きます。(http://www.epochtimes.jp/)
その中国人曰く、中国共産党は脱党する者が多くあっぷあっぷの状態。それ故反日デモ騒ぎも
起きた。ここ一年の間にぶっ倒れても不思議はないとか。
中国についてはここのところ財政の問題、元、切り上げへの米国の圧力、エイズの蔓延等が
報じられていて妙に眼についていたのですが案外崩壊が早いかもしれません。

日本はこれ以上謝罪すべきではない

2005年05月12日 00時43分13秒 | ヤマモト
先のバンドン会議での、小泉首相の過去の日本の戦争に対する謝罪
正直あれは残念であった。
中共の反日政策を封じるためなのか。

確かに、国際社会には欧米メディアの一部にも過去の日本を断罪したがる勢力はいる。
しかしあえて言いたい、
日本はこれ以上謝罪すべきではない。

2001年のえひめ丸衝突事件、アメリカ側はほぼ全面的に責任を認め
パウエル国務長官は当時の河野外務大臣に対し電話で謝罪、ファロン海軍大将は大統領親書を携行して来日し、公式に日本側に対して謝罪している。

それからしばらくして、米紙メディアはこう主張している。

「謝罪はもう充分にした。アメリカはこれ以上謝罪すべきではない。」

考えてみれば、謝罪は一回すれば充分なはずなのだ。
ことあるごとに、いちいち謝っていたらきりがないではないか。
米メディアの主張は理解できるものである。

ましてや戦争ともなれば、お互いの利害がぶつかってのことである。
堂々と日本の言い分を主張すればいい。

日本各地を空襲し、広島・長崎に原爆を投下し非戦闘員を虐殺したアメリカも
中立条約を破り、満身創痍の日本に対して、満州で悪逆非道の限りを尽くしたロシアも

日本対して全く謝罪していない。

しかし、軍事戦略・外交戦略次第でそれが通ってしまうのが国際社会というものである。
日本人はいい加減に理解すべきなのだ。

小泉首相の謝罪戦略は、小細工に墜ちたというべきだろう。
過去の日本=悪のレッテルを覆すには、途方もない時間と労力を要するだろう。

後世のことを考えているのだろうか。

とても残念だ。



未来に希望をもつ心が・・・

2005年05月11日 23時37分07秒 | くら
 経済は今後成長を見込むことは出来ず、生産拠点は海外に移って、生産の自動化も相俟って労働力が必要とされなくなり、雇用は減少していく。人口構成比に目をやれば、生産人口がどんどん減っていくにも関わらず、団塊の世代が定年を迎えて老齢人口の増加は急ピッチに進んで、少ない若者が大量のお年寄りを養っていかなければならない。年金を掛けていても、自分が給付年齢に達した時は年金制度が維持出来ているかどうかわからず、掛けた年金が帰ってこない懼れが大である。こんな時代になって、未来に希望を持つはずの若者の心が、折れて萎えしぼんで行く状況となった。若者は前途に希望を見出せず、自ら定職につくことも無く、自分ひとりがようよう口を糊する程度のバイトの賃金で、気の向いた時だけ働けばよい。こうしてフリーターが生まれてきた。そんな風に私は理解してきた。
 高校の社会の教師をしている友人が、そんな時に私に語った話は結構衝撃だった。「今の子供たちは前途に対する希望も無いが、そもそも日本人であることを恥じ、日本という国に対して嫌悪を感じていて、そのことからも余計に心が折れて萎えてしまっている子が多くなっている。」ちょっと衝撃だった。
 極端な例だが、彼の社会の授業でこんな解答があった。「日本は明治維新以来外国を侵略してばかりいて、世界中から憎まれて孤立して太平洋戦争で負けた。戦争で負けた後、復興した日本は外国を経済侵略して失敗し、バブルの崩壊と言う第2の敗戦を迎えた。日本という国は結局世界の嫌われ者でしかなく、そんな国に生まれた自分は運がない。日本なんて無くなってしまえば良い。」極端な例であるため1人の子供の個性的な考えだろうと思ったが、念のためにホームルームで生徒たちの考えを聞いてみた。
1、戦前の日本が行ってきたことは、全て侵略行為だけだったと思うか?
2、日本の国旗や国歌は無い方が良いと思うか?
3、日本人は世界の嫌われ者なのか?
4、自分は日本に生まれてきてよかったか?
これらの質問に対して、1について彼らの多くは、太平洋戦争だけではなく日本の戦った戦争は、全て単に欲得だけの侵略戦争だと思うと言う意見が大半だった。「日本が帝国主義世界の中で、自存自衛のために行った戦争もあるんだけど」というと、それはあり得ない、日本の特に維新以後にやったことは戦争に負けるまでずっと悪いことだったんだ、と言う反論が多くて悲しくなったそうな。その理由について聞くと、そういう風に習ったと言う答えが大半だったそうだ。中国や韓国等近隣諸国から謝れと言われているから、悪いんだと思う、という意見もあったと言う。
 2については「学校の行事でいつも先生方とか父兄が言い合いをする元だから、国旗とか国歌という面倒くさいものはいらない。」という意見が出て、大半の生徒が支持した。「オリンピックとかワールドカップでの国旗や国歌の意義は無いのかな。」と聞けば、その時は一体感があってちょっといいかなと思うという返事が返ってきたので、若干ほっとしたそうな。
 3については、1の答えとかぶるが、やはり謝れなんて言われる国なんだから、世界の嫌われ者なんだと思うという意見に、支持が集まったという。
 4について、彼らが物心ついた平成の初めから、日本はバブルが崩壊してずっと経済不況が続いている為に、あまり日本に対するイメージが良くないからか、かなりの数の生徒が日本に生まれてこなければ良かったと思っているのに愕然としたそうだ。「戦争しても、経済競争しても負けてばかり。こんな国の何処が良いんだか。」というような意見に共感が集まった。もっとも「外人に生まれた方が、カッコよくて今よりもてたと思う。」というような、珍解答も飛び出したそうだ。(白人の容姿に対する憧れは根強いね。)
 確かにバブルが崩壊した頃から、日本の凋落と同時に日本の歴史教育に対する中国や韓国からの圧力が高まったのは事実だ。それについては政府の対応がそうだったんだから、彼らがそう思っても仕方が無い。日本の侵略戦争ということに関しても、昭和の軍閥が暴走して領土的野心を前面に打ち出して、満州に乗り出していったことを指してのことだろうから、これもそう思われても仕方が無い。卒業式などで国旗掲揚問題等が喧しく騒がれているから、生徒たちがうんざりするのもわかる。「だけど日本に生まれて来なければよかったというのは、なんか自己否定されているようでちょっとな・・・。」という彼の言葉には、私も沈黙するより無かった。
 フリートークに移って将来のことについて話が及んだ時、就職できなくてもいいやとか、なんで(結婚して)他人の面倒なんか見なきゃなんないんだとか、日本なんかどの道無くなってもしょうがないような国なんだから、そんなこといちいち話し合うのは馬鹿馬鹿しい、なんていうような話がいろいろ飛び出して、教師である彼は、子供たちの心が折れてしまっていることを感じたんだそうだ。そしてそこには将来の展望だけでなく、日本という国、日本人という民族に対する誇りを見出すことことができず、そのことが逆に自らの存在を嫌悪してしまっているように思ったという。だからといって彼がひとりで張り切っても、みんなの考えの潮流を、急に変えることは出来ないけれど「せめて自らの存在に誇りを見出せたら、萎んでしまった子供たちの心に活力が芽生えるんじゃないかな。」と語り合った。
 何の展望も提示できないのに、誇りを持てというのも乱暴に思われるかもしれないが、僕らと同じ時代を背負っていく為にも、彼らには自らの道を切り拓いていく力を掴んで貰わなければならないから、僕らは先達として時代への展望を提示する努力をすると共に、彼らに自信を持ってもらう、日本人としての誇りを持ってもらうことが必要なんじゃないかと考えるのです。
 なんか取り留めの無い長文になってすみません。

誇りと恥について

2005年05月11日 22時18分38秒 | Nohe
ヤマモトさんの「誇りとは何ぞや」に反応して、
以前に無名之会の定例の宿題で提出したものを発掘して再掲してみる。

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平成17年1月9日
文責:Nohe

●概要
誇りとは、自らに誠実であるように自らを規定することである。
恥とは、個人の中に存在する、社会的評価の元となるものである。

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●誇りとは
 人間は社会的動物です。一人では生きていけず、他の人間との社会的関係を以って、生存することが可能になります。よって、社会的評価というものが、存在の根幹に関わっており、そのあり方が個人を強く規定すると考えています。

 私はこの個人を対象とした社会的評価を主体と受け手によって大きく四つに分類しています。
  1.他者→他者
  2.他者→自己
  3.自己→他者
  4.自己→自己

 他者から他の他者へ自己の評価が行われる場合、これを私は「評判」と呼んでいます。自分の見えないところで自己への評価が行われているため、日本人は特にこれを恐れてきました。大抵の名誉と呼ばれるものも、結局は評判を守るための物であることが多いでしょう。

 他者から自己へ伝えられる評価、これを私は「面子」と呼んでいます。面と向かって自己に対する評価が行われるわけですから、悪い評価であった場合は直接的な侮辱となります。また、得られるはずの良い評価がないことも、相対的にマイナスであり、これを「面子が立たない」として非常に重視する場合があります。 

 自己から他者への評価、これを私は「自負」と呼んでいます。「自分は自分をこれだけ評価している」と他者に対して表明することですが、欧米社会では、積極的にこれを行って社会的評価を形成する傾向があります。一方、日本ではこうした意思表示はあまりされていません。

 最後のパターンが、自己に対する評価を自分自身で行って自分のうちに留めるものになります。自己の中で完結するため、社会的評価としてはかなり特殊な部類に入りますが、私はこれこそが「誇り」であると考えています。自己内部で純度を高めることが可能であるため、他者との関係において発生するものに対して質的に異なったものとなりえます。
 日本においては、「恥」によって自らの行動を戒めることが求められていましたが、他者からの評価のための行動と自らに誠実であるための行動は、本質的には大きく異なります。特に、観測者がいない場合においては、全く逆の行動をとることもありえます。自らに誠実であるように自らを規定し、初めて自らを誇れるようになる。他者と比べて、ではなく自らが許せるかどうか。これが「誇り」の本質であると私は考えています。

 また特殊な例として、神による評価というものがあります。欧米では、絶対的存在によって評価されると考えることにより、道徳が成立しています。

●恥とは
 恥とは、個人の中に存在し、自己への社会的評価を認識する枠組みであると私は考えています。社会的評価は目に見えないものであるため、認識の方法は社会によって大きく異なります。日本の社会においては、「恥」となる行動が観測されることによって、その人間の社会的評価の低下が認識されていました。
 この意味における「恥」は、個々の人間で異なっていては「社会的」な評価として成立しないので、社会集団において共有されます。その集団内部で、恥につながる行動が観測された場合、その行為者の社会的評価が低下することになります。
 また、「恥」は個人の中に存在するため、観測者と被観測者の双方にそれぞれ存在するため、一致しないことがありえます。特に異なった社会集団の間では共有されないことが多く、異文化交流を難しくする大きな要因になっていると言えるでしょう。


●なぜ誇りと恥が失われたか
 まず、誇りと恥の関連性ですが、ここでいう「誇り」は、社会的評価の特殊なものです。また、個人内部で完結するため、個人の社会的評価を決定する枠組みである「恥」に大きな影響を受けます。

 まず最初に失われたものは「恥」でしょう。その主な原因は二つあると考えています。
 第一に、社会集団の崩壊です。現代社会では、社会集団に「帰属する」という意識が非常に希薄になっています。たとえその社会集団から大きな利益を受けているとしても、自分がその一員であるとは考えないのです。その結果、その社会集団からの評価を無視するようになります。社会集団による評価の低下が自分の社会生活に影響を与えることを認識できないのです。これは、社会生活に対する想像力の低下ということもできます。自分を中心としてしか世界を認識できず、社会全体としての相互に発生する利益の循環を意識できないのです。
 第二に、異文化の流入があります。開国以来、異なった文化における社会的評価の枠組みが日本社会に流入し続けていたのですが、敗戦以後はそれが破壊的な方法で行われるようになりました。以前は日本的な枠組みと融合するように行われていたのに対し、敗戦後はそれを破壊して入ってくるようになりました。

 「誇り」が失われたことは、その前提となる「恥」が失われたことにもよります。しかし、それ以上に、自己を自ら評価し続けるという覚悟を日本人が失ってしまったことが大きいと私は考えています。自らを厳しく評価しても、直接社会的な利益が得られることはありまえせん。自らを律し続けるというのは、精神的に非常に辛いことです。水が低きに流れるように、自然の状態では続けることはできません。常に自らの内部に静かな炎を燃やし続ける覚悟が、何より必要だと思います。

●失われたものを取り戻すには
 「誇り」も「恥」も、個人の中に存在するものです。一度失われてしまえば、取り戻すのは容易ではありません。また、特に「誇り」は、他人に言われたからといって持てる持てるものではないと思います。まず、自分自身がそれを持ち続ける意思こそが重要なのだと、私は考えています。

誇りとは何ぞや

2005年05月09日 23時45分53秒 | ヤマモト
前回の懇親会でくらさんと話していた時、くらさんが
「若い人に誇りを持って欲しい。日本は悪ではなかったのだと、
 日本に大義があったのだということを」
と言っていたのを聞いて、うーんと考え込んでしまった。

いや、くらさんの言っていることに異存があるのではない、諸手を挙げて賛成したいのだが

「誇り」という言葉でどうも引っかかってしまうのである。

誇りとは何か。過去の日本を正当化すれば誇りが持てるのか。それはどんな誇りなのか。

過去の日本が虐げられてきたとはいえ、それは過ぎたことである。
過ぎたことに拘って、誇り云々言うのは非生産的ではないのかとすら思うこともある。


若者の雇用問題、フリーターの増加は深刻な社会現象となっている。
自らの意志でフリーターになる者もいるが、正社員になれなくて仕方なく
フリーターをやっている者も多い。
「衣食足りて礼節を知る」と言うが、このような状況で若者が、愛国心や誇りが持てるのか
甚だ疑問である。

もちろん誇りを持つことは悪いことではない。健全な愛国心をもつのは大切なことだろうと思う。
日本の自虐っぷりも是非改めてもらいたい。

しかしそれ以上に、将来への指針を持つこと、ビジョンを描くことは重要であろう。


でも、好きなんです

2005年05月06日 01時59分43秒 | 佐倉
少し書き込む間が空いてしまいました。
この間、救う会の国民大集会、平田氏の人権擁護法案反対デモと、このブログでは私がネタ振りしたイベントがあっ
たわけですが、そちらの内容はいろいろ漏れ聞こえていると思うのでパス。(日が空いてしまって今更だしね。)

で、デモがらみでどーしょもないネタをひとつ。
実は今回のデモに一つ個人的な課題を持っていたのです。
なにかと云うと『マイ・プラカード』の作成。

まあ、今回というよりもここ2,3年いくつかデモに参加する度に、ハードとしてのマイ・プラカードを作ってみたい、
という思いがありまして。
携帯便利(=組立て式、軽量)、実用に耐える強度(できれば一回限りでなく繰り返し使用可能であること)
低コスト、でのプラカード作りのノウ・ハウを確立し公開する。ほんでもって、一家に一台(一本か?)もしくは
一人一本常備してもらって国民は事あれば気楽にデモで意思表示を……まあ、夢想なんですが…。

それに作ろうとすると意外というか、前記の携帯性、強度、経済性を全て満足するのは難しいのです。ところが、
最近の百円ショップの品揃えの充実により少なくとも作る方は現実味がでてきました。(なんのこっちゃ(w )
 ・伸縮式引っ掛け棒 55㎝~90㎝(ダイソー/ポール13)  ¥100
 ・ワイヤーネット 約62㎝×29.5㎝(ダイソー)      ¥100
 ・コンピューター用ミニマジックバンド(ダイソー パソコンNo.7 ) ¥ 100 (4本入り、1~2本使用)
  ↑コードの結索具、引っ掛け棒にワイヤーネットを固定するのに使用。
 ・ダンボール箱                        (¥128)
  ↑無料で仕入れるのも手ですが、大きくて“きれいな”物を…(そろそろ趣味の領域)
 ・針金、たこ糸、木工用ボンド、ガムテープ
 ・補強用木材 (ダイソー 工作材料 B-2 3㎜×21㎜×910㎜ 3本)¥100
 ・ダブルクリップ                        ¥100~¥300
 
携帯性を確保:プラカードの大きさはA2サイズにするとして、ダンボール箱からA3サイズ2枚を切り出し、
       合わせてA2サイズとして使用。
携帯性を確保:素材をダンボールにすることで、軽量化が図れる。コストも安い。(木材等と比較)
強度の確保:ダンボールをワイヤーネット(スチール製)で裏打ちして強度確保。比較的軽量。
強度の疑問点:伸縮式引っ掛け棒の捻じれに対する強度が少し不安。
再利用性:ダンボール(A3×2枚)で作った土台に、表示用に別のダンボール(A3×2枚)をダブルクリップで
     挟んで止める方式にする。

言葉だけでは、説明が難しく、写真でも、うpできればいいのでしょうが、上記で雰囲気だけでも掴んでいた
だけるでしょうか。

今回も結局実戦投入には至りませんでした。製作しだすと、いろいろと趣味的部分が広がったりして、忙しい人には
お奨めできない(w代物になっていきましたし。しかしかなり手ごたえを感じておりますので、何時の日かスレで
デモをという話になった時は機を見て燃料投下したいと思っております。