季節の変化

活動の状況

福島市の放射線量2017年

2017-07-16 00:02:35 | Weblog
福島市放射線量2017年


最初に訪れた2011年、福島市は汚染されていた。
福島市を歩くと、ズボンのポケットに入れた、
放射線量計がピッピッ鳴る。
この場所から、すぐに退避しろ!

国際放射線防護委員会(ICRP)は、毎時の被ばく限度を、
0.52マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]と定めている。
それで、放射線量計は、
0.50マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超えると、
ピッピッ鳴るように設定しておいた。

ピッピッ鳴る状況は、南相馬市も同様であった。しかし、
放射線量の値は、福島市の方が、はるかに高かった。
2倍~3倍、ところによっては、20倍以上も。
 
福島第一原発から、
南相馬市の「原ノ町駅」までは、北に24キロと近い。
「福島駅」までは、北西に63キロと離れているが、
よりひどく汚染されていたのは、福島市だった。

6年経った2017年、福島市は除染が進んで、
放射線量は減少している。
しかし、除染は、やり切れるものではない。
放射線量が高いところは残っている。⑩弁天山、
⑪福島駅西の植え込みのほかに、⑥紅葉山公園でも。

2017年には、うれしくなることがあった。
校庭で遊ぶ児童を、初めて見た。

福島第一小学校、2017年6月29日。
除染の成果だと思う。

⇒放射線量計が、校舎の前にある。
外部からは、放射線量の値を見ることはできないが、
先生は、これで安全を確かめて、児童を外に出しているのだろう。

うれしいことは、ほかにもあった。
女の子と男の子、数人が寄ってきた。
6年生くらいかな?  女の子の方が積極的で、
「写真を撮ってちょうだい! 」と、ポーズをとる。
元気だ!

学校は、安全な場所になった。
そして、学業が続けられる喜びを、見る思いだ。
この元気な女の子は、6年前の2011年に、天神橋から、
声をかけられた女の子と重なってくるのだが。

振り返ってみると、2011年9月6日、
福島第一小学校のとなりの県庁前公園には、
放射線量を警告する看板があった。

左の奥に福島第一小学校がある。

公園を利用する皆さんへ
公園の利用は、1日あたり、1時間程度としてください

実際に、⑦県庁前公園で測ってみると、
2.65マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。

これは高い! 汚染されている。

2012年には、この警告板は、
お知らせ」に置き換わった。

2012年6月19日撮影。
「この公園は、除染作業が完了しました。」
後方は、ふくしま南幼稚園。この左は、福島第一小学校。

2013年には、除染作業が完了した「お知らせ」のほかに、
放射線量が表示されていた。
0.53マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]とある。

2013年7月3日撮影。

2014年には、「お知らせ」はなくなって、
放射線量だけが表示されるようになった。
0.36マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

2014年6月24日撮影。

2016年には、放射線量は、
0.28マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]になった。

2016年7月1日撮影。

そして、2017年には、
0.22マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]になっていた。
撮影するのを忘れていた。児童が校庭で遊んでいるのを見ていて。

福島市は、この放射線量の測定を、
安全であることの、よりどころにしていると思う。
もう一つ、安全のよりどころがある。

福島市のホームページにある、放射線量の測定データ。


福島市放射線量測定マップ(平成27年2月23日~3月実施)から、
福島駅周辺を含む中心街を作成。

地上1メートルで測定。マス目は、500メートル四方、山間地は1キロ四方。

放射線量-例。


福島市を訪れていたのは、①~③、
①福島駅周辺、0.23~0.5マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
②福島県庁周辺、0.23~0.5マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
③弁天山公園周辺、0.23~0.5マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

2011年に、初めて福島市を訪れた。そして、放射線量を測定した。
それから、2017年まで、福島市を訪問すること10回。
「福島市の放射線量201X」を9回、記載してきた。

2013年から、放射線量が減少し始めている。
「福島市の放射線量201X」を目にする機会があって、
除染されたのならば、福島市民のお役に立てたようで、うれしい。

「福島市の放射線量2013年」では、つぎのように記載している。
「もし、このブログを、目にする機会があって、
福島駅前を除染したのならば、
ブログが役に立ったようで、うれしい」

今回の2017年で、最後にしたい。
終えるにあたって、最初の2011年を振り返ってみる。
あわせて、福島市民の声を、記します。
もう少し、おつきあいください。

2011年3月11日に、東京電力の福島第一原発が、
メルトダウンしてから3か月後の、2011年6月30日。
訪れた福島市は、
南相馬市よりも、ひどく汚染されていたが、
福島市は、ゴーストタウンではなかった。
普段と変わらないと思われる人出だった。
南相馬市は、ゴーストタウンだった。
このちがいは、どこからくるのだろう?

南相馬市では、強制避難と自主避難で、大混乱だった。
「避難先は、つてを頼って、北は北海道から、南は沖縄まで」
避難しない人は、被曝から自衛して、窓を閉め切って、
ひっそりと生活していた。小学校は閉鎖された。
南相馬市では、
「津波でさらわれた肉親の捜索は、あきらめざるを得ない」
南相馬市では、
津波原発災害ダブルパンチを受けて、恐怖におびえた。
生活の基盤を崩され、新たな生活設計を築かなければならなかった。

福島市には、避難の混乱はない、肉親の捜索もない。
汚染されているが、学校も、幼稚園も閉鎖はなかった。
生活の基盤を崩されることもなく、除染に頼ることになる。

津波と原発災害の、ダブルパンチの恐怖におびえた、
南相馬市は、ゴーストタウンになり、
原発災害で、放射線量は高いが、実感がわかない、
福島市は、ゴーストタウンにならなかった。

つぎに、福島市民の生の声を、記します。
2011年。ふくしま南幼稚園の前。福島の男性が話しかけてきた。
「福島では、どの程度、健康や人体に被害が及ぶのか、
 また、いつ影響が出るのか、明確でないままに生活している」
「汚染物をいかに除去するか、除染が最大の関心事になっている」

「福島第一原発の1号機がメルトダウンしたのは、
 3月11日の地震発生から、5時間後だった」
「東京電力は、すぐに国際原子力機関IAEAに、
 メルトダウンしたことを報告していたが、
 国民に知らせたのは、65日後だった」

「メディアがメルトダウンを報道できなかったのは、
 東京電力の広告費、電機メーカーや商社の広告費で、
 メディアは成り立っているから、
 広告主の意に反することは書けなかった」
「メディアの経営のトップは、
 原子力を振興する財団などの役員をしているから、
 原子力発電に不利なことは書けなかった」
「海外のメディアは、東京電力とは、しがらみがないから、
 メルトダウンは早い段階で報じられた」
「それを見た日本への留学生、教授は、すぐに祖国にもどった」

2011年。天神橋の西。東京からの女性が話しかけてきた。
「放射線量を数値で見るのは初めてです」
「3.00マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]とは、高いですね」
そして、持参していたカメラで放射線量計の写真を撮った。

「原発の災害にあった浪江町の身内を、東京に避難させています」
「避難生活も6か月が限度で、これから自立することを考えるときです」
「浪江町には、もどれません。レベル7ですし、チェルノブイリを考えても」
「津波で家をなくしましたから、浪江町にはもどることは考えていません」
「でも、職を探し、新たな生活をしなければならないですから、大変です」
「避難を受け入れる方も、大変でした。出費も多い。
 受け入れる方の出費も、政府に援助してもらいたい」

2011年。天神橋の西。福島の男性が話しかけてきた。
「放射線量は、どのくらいありますか?」
「だいたい、3.00マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]です」
 と応えると、男性は近くのオフィスにもどった。それから、
「年間の被曝量は21ミリ・シーベルト[mSv/y]になります」
 と、伝えにきた。計算したのだ。

2012年。天神橋の西。福島の男性が話しかけてきた。
「こんどは、どのくらいですか?」
「3.33マイクロ・シーベルト毎時ですか?  増えていますね」
 と、ガッカリしていた。

「公表されている値は低いから、空中の放射線量を測っているからだろう?」
「小学生がここを通るが、マスクをしなくなった。まだマスクが必要だ」
「こうして、放射線量を測って、教えてくれるから助かります」

2012年。紅葉山公園。福島の男性が話しかけてきた。
「紅葉山(もみじやま)公園が高いって言われている。県庁のとなりです」
「側溝で測ってみてください」
「27.4マイクロ・シーベルト毎時ですか!
「高いですね! 公表されている値だと、低くて問題はなかったが」
 と、ビックリし、ガッカリしていた。

23.6マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]が、撮影できた、

私にとっても、初めて経験する値だ! 南相馬市でも、経験しなかった。
なんかのまちがい! だろうとも思った。桁が違う!

福島の人は言う。
「今年は、落ち葉の清掃をしていない」
「いつもは、落ち葉をかき集めるが…」
「汚染された落ち葉を集めても、処分したり、
 持って行く場所がないからかな?」

人が通る散歩道だけ、落ち葉が少ない。落ち葉はかき集めていない。

「あれが、モニタリング・ポストです」
 と言われて、2人で近寄った。
左のモニタリング・ポストは地表から2メートル、
右のモニタリング・ポストは地表から50センチで、
空中に浮遊している放射線量を測っている。

「紅葉山公園の放射線量は公表されていない」
「なぜか? 聞いたら、
 ちがう場所にある、基になるモニタリングの値を公表しているから、
 と係員から言われた」
 と、強い不満の口調でした。

2015年。福島市街。除染作業中の人。
道路除染作業中」。

「土を入れ替えている」
「縁石は噴射して、洗浄する」
「側溝の中も洗浄する」
「歩道のポールは、雑巾で拭く」
「飯豊山まで除染する」
飯豊山(いいでさん)とは、新潟県、山形県、福島県にまたがる山。
標高は2,105メートルもある。

「除染は、いつごろまで、かかりますか?」と聞くと、
「除染は、いつまでかかるか、わからない」
「福島市中に灰が降ったから」
「それに、担当は道路沿いだから、全体はわからない」
とのことです。

2015年。渡利(わたり)地区。
除染で出た廃棄物が置かれたままであった。

緑のビニール・シートを見た時には、除染の廃棄物とは思わなかった。
家の庭先、家の横、駐車場、燐家との境、畑…にある。
危険なものを、身近に置いておくわけがない。

通りがかりの人に聞いてみると、
「除染したときに出た廃棄物です」と言う。それで、
「どうして、家に置いてあるのですか?」には、
「持っていってくれない」
せっかく除染したのに、廃棄しなければ意味がない、
と、不満であった。

そして、翌年の2017年6月29日には、
廃棄物は、ほとんどが、片づけられていた。
支所前と弁天山に残っていたのは、理由があるのだろう。

最後に、2011年。親水公園。小学生。
天神橋から、母親と連れ立った小学生が見下ろすように、
「おじさん、こんにちは」と、声をかけてきた。
「よう、こんにちは」と、返す。
かがんで、放射線量計を見ている様子が、
植物の撮影や、昆虫の観察に見えたのだろう?
福島の子よ、すくすく育ってほしい。
このときの親水公園の放射線量は、
3.06マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]でした。

この女の子が、
6年後の2017年6月29日に、福島第一小学校で、
「写真を撮ってちょうだい!
とポーズをとった、元気な女の子と重なってくる。

6年経って、すくすく育ったようで、うれしくなる。
福島の子らよ! 明るく、元気でいてほしい。

「福島では、どの程度、健康や人体に被害が及ぶのか、
 また、いつ影響が出るのか、明確でないままに生活している」
「汚染物をいかに除去するか、除染が最大の関心事になっている」
 と言う福島の市民、
除染は進んでいる、長い道のりだが、
「福島で、生きていて良かった!
と実感できるようになることを、願っています。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 南相馬市の放射線量2017年 | トップ | 浪江町にはもどれませんから6年 »
最近の画像もっと見る

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL