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身のまわりのピカソ

2017-04-23 00:01:11 | Weblog
NHKの日曜美術館で、ピカソを放映していた。
2017年4月9日で、ゲストは北野武さん。

放映をきっかけに、身のまわりのピカソを整理してみる。
ピカソのを、部屋に飾ってある。

「ピカソ! 」と、中古店で見つけて、まよわずに買った、2011年。

ピカソのサインがある。
それに、絵の右下の角には、
Collection Marina Picassoとある。
マリーナ・ピカソは、ピカソの孫娘だから、
そのコレクションで、間違いなくピカソの作品だ。
しかし、タイトルは書いてない。

帽子の女は、だれだろう?
「横顔」と「正面」で描かれている。
ピカソの愛人、マリー・テレーズ、ではないかと、
勝手に思っている。

タイトルは、
「考え込む帽子の女」
と、名付けて、だいじにしている。

サイズは、縦77センチ、横59センチと、大きかった。
値段は、2,000円と、高かった。
単位は、万円でもなく、円。

ピカソのマグカップ

「鳩」を平和のシンボルとして描いている。右下に、ピカソのサイン。
東京国立近代美術館で買った、2009年。
毎朝、ピカソとコーヒーを飲んでいる!

ゲルニカ」を観に行った。

ソフィア王妃芸術センター、マドリッド。1991年。
斜めに写っているのは、ガラスの反射を避けたから。
縦3.5メートル、横7.8メートルは、厚いガラスで覆われていた。

「ゲルニカ」を知ったのは、中学生のときに、美術の先生から。
「大きな絵だ、白黒だ、戦争で市民や馬が殺されている」と思った。

スペイン政府は、フランコ将軍が率いる反乱軍と内戦状態にあった。
フランコ将軍と手を組んだナチスが、スペイン北部の小さな町、
ゲルニカを空襲、無差別攻撃した。1937年4月26日。

パリで制作活動をしていたピカソは、祖国のスペインから、
パリ万博のスペイン館を飾る壁画を依頼されていた。
急きょ、ゲルニカを題材にして仕上げた。1937年6月。
1991年に、ピカソの代表作「ゲルニカ」に会うことができた。

なお、東京でゲルニカを見ることができる、丸の内オアゾ。
大塚オーミ陶業が複製したもので、説明がある。
「ピカソの令息クロード氏の承諾を得て、
実寸大かつ忠実に再現されたセラミック」

「ゲルニカ」から10年後、ピカソ美術館へ行った。

バルセロナ、スペイン。2001年。
宮殿を改装した美術館は、この2階が展示室、1階は売店やカフェ。

ピカソは、1881年にマラガで生まれ、
1895年にバルセロナへ移住して、美術学校に入学した。
ピカソ美術館には、「科学と慈悲」があった。
「これが、16歳のときの作品か?」と、写実性にビックリした。
写真を撮ったが、ボケていた。残念!

ピカソ美術館は、子ども時代の作品が主で、
「青の時代」の兆しも、「キュビスム」の兆しもなかった。
これでは、ピカソを観たとは言えない。なんか、物足らない!

ピカソ美術館から12年後に、「青の時代」に会った。
それは、ロシアだった。2013年。
プーシキン美術館と、
エルミタージュ美術館

ハイメ・サバルテスの肖像」、1901年作。プーシキン美術館で。

窓ガラスが映ってしまった。
「青の時代」の代表的な作品だったのに。
サバルテスは、ピカソのバルセロナ時代からの友人。
のちに、バルセロナのピカソ美術館の初代の館長になる。

ピカソは、底辺で生きる人を「」で描いていく。
姉妹」、1902年作。エルミタージュ美術館で。


年老いたユダヤ人と少年」、1903年作。プーシキン美術館で。


ピカソは、「青の時代」から、「バラ色の時代」へ、
そして、「キュビスム」へと変遷、変革していくが、
「バラ色の時代」も、「キュビスム」も、ロシアで観ることができた。
プーシキン美術館と、エルミタージュ美術館で、2013年。

「青の時代」が終わり、「バラ色の時代」が始まるのは、
玉乗りのアクロバット」、1905年作。プーシキン美術館で。


扇子を持つ女性」、1908年作。エルミタージュ美術館で。


裸婦」、1909年作。エルミタージュ美術館で。

セザンヌの「円筒と球と円錐で捉る」という影響がある。

対象を各方面から眺めて、面にして、再構成する、
キュビスム」は、最初は、醜いと言われ、理解されなかった。
アヴィニョンの娘たち」、1907年作。

「週刊 朝日百科 世界の美術」、1979年購入から。
ニューヨークの近代美術館が所蔵。
キュビスムの始まりの作品。

アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」、1910年作。プーシキン美術館で。


楽器」、1912年作。エルミタージュ美術館で。


バイオリン」、1912年作。プーシキン美術館で。


クラリネットとバイオリン」、1913年作、エルミタージュ美術館で。


ドイツのミュンヘンで、ノイエ・ピナコテーク(新絵画館)へ、
ゴッホの「ひまわり」を観に行った。2002年。

ゴッホのほかにも、ドガ、ゴーギャン、マネ、ルノアール、セザンヌ、
クリムト…を観ていた。すると、ピカソが置いてあった。
ジェスター像」、1905年作。

「ピカソに彫刻がある!
と、発見した気分だった。そして、
「ピカソのイメージがある! 」と眺めた。
「青の時代」から、「バラ色の時代」へ変わるころである。

身のまわりには、ピカソの絵が12枚ある。
といっても、2012年のカレンダー「FOR PEACE 2012」で、
平和の使者、「鳩」を題材にした12か月。そのうちの一枚、
鳩と太陽に2人の女性」。

ピカソのサインと、日付は1955年10月31日とある。
東京国立近代美術館で買った、2011年。

ピカソは、
「青の時代」⇒ 「バラ色の時代」⇒ 「キュビスム」と、
留まることなく、変革し、創造してきた。
「キュビスム」は、醜い、と評されて、
最初は、受け入れられなかった。

北野武さんは、
「ピカソは、進化が止まらない」
「前を超える、新しいスタイルを求めている」
と言われている。
「これは、芸人にも共通する」
「同じことをしていると、飽きられる」
と、進化が求められる。

多くのピカソの作品は、ロシアの実業家、
モロゾフシチューキンによって、収集された。
このコレクションは、ロシア革命で没収されて、
国家のものになり、エルミタージュ美術館と、
プーシキン美術館に分けて移管された。
ソ連時代は、「ブルジョア的だ」と、
公開されなかった。

それが、ソ連は崩壊して、ロシアになった。そして、
ピカソの作品は、公開されるようになった。
モスクワのプーシキン美術館と、
サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館で。

ロシアへ行けば、ピカソの進化、
変革への挑戦と創造に、触れることができる。
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