「賽克巴萊(セデック・バレ、日本語で近い表記はシェジェック・バレか)下集(後編)彩虹橋(虹の橋)」を3日に見てきた。本党は30日の封切日に見に行きたかったのだけれど、後で書くようにその日夜に台南のシラヤ族の夜祭を見る予定があったので、同じ日に長丁場の演目を二回も見るのは体力的にけっこうきつい、そして台北に戻ってきて土日は一時帰国の疲れも出てきてぐっすり寝ていたので、今日まで延びた次第だ。
前編では日本人に優しくない描き方がされていて、けっこう精神的に見るのがきつかったが、後編は一転して原住民と日本人の精神構造の近似性が描かれていて、後味はけっこうよかった。
やはり台湾人、しかも民進党支持の監督だけに、「反日」ということにはならなかった!
戦闘・自決シーンが多い点では、きついといえばきついが、最後に日本の司令官が「300人で5000人を相手に最後まで戦って、戦死でなければ自決したのは、100年前に失った武士道を見ているようだ」との台詞で、けっこう救われたと思う。
そう。司馬遼太郎も「台湾紀行」で描いたように、原住民の気質のある部分についてはきわめて日本人に近い。
面子が失われたり大失敗すると自決する。負けると命乞いなんかせずに自決する。
最初は単なる暴動だといえたが、最後の一兵まで戦い、そして包囲されると潔く割腹自殺するシーンは、日本人としては共感できるものだった。
これがシナ人だったら、泣き叫んで命乞いをするか、我先に逃げようとするだろうw。
実は監督がいいたかったのは、シナ人国民党への当てつけだったりしてw。
原作では「国際条約で禁止されている毒ガスで掃討した」という根拠のない俗説が書かれていたが、映画後編では「試験中の糜爛性ガス」に改められるなど、反日性を極力抑えた表現になっていた。
気になった点。
冒頭近くで埔里を「プーリー」などと北京語で読んでいたのはアウト!当時、北京語なんて台湾に存在しないから、これは「ほり」か台湾語の「ポーリー」と読むべきだ。ただし台北はちゃんと「たいほく」と読んでいたが。
それから旧知の林田氏も登場していて、けっこう目立っていたし、しかも首を刈られないおいしい役回りだったw。しかも林田氏、演技が以前と比べると見違えるようにうまくなっている。やっぱり精進の賜物ですなw。
エンドロールでは、CG処理が韓国になっていたが、関係者によると、あとで北京の会社に差し換えたらしい。どうやら韓国的なルーズさでもめたようだ。台湾と韓国のルーズさは方向性が違うので、衝突しやすい。
そして衝突するといえば、林田氏の役回りが最初日本の舞台俳優呼ぶ予定が、台湾的ルーズさに腹を立てた日本人が来なくなって代わりにお鉢が回ってきたとのこと。まあ、台湾人と日本人がまともに仕事をすると、こうなりやすいわなw。
エンドロール上では、台湾、日本、韓国、オーストラリア(音楽演奏)、シンガポール(演奏録音)となっていて、中国が出てこなかったように思う。意図的にはずしたのか。しかもこのリスト、アジア太平洋諸国の中でまともで質が高いのばかりを並べているところも、実は意図的だったのかも知れないね。
前編では日本人に優しくない描き方がされていて、けっこう精神的に見るのがきつかったが、後編は一転して原住民と日本人の精神構造の近似性が描かれていて、後味はけっこうよかった。
やはり台湾人、しかも民進党支持の監督だけに、「反日」ということにはならなかった!
戦闘・自決シーンが多い点では、きついといえばきついが、最後に日本の司令官が「300人で5000人を相手に最後まで戦って、戦死でなければ自決したのは、100年前に失った武士道を見ているようだ」との台詞で、けっこう救われたと思う。
そう。司馬遼太郎も「台湾紀行」で描いたように、原住民の気質のある部分についてはきわめて日本人に近い。
面子が失われたり大失敗すると自決する。負けると命乞いなんかせずに自決する。
最初は単なる暴動だといえたが、最後の一兵まで戦い、そして包囲されると潔く割腹自殺するシーンは、日本人としては共感できるものだった。
これがシナ人だったら、泣き叫んで命乞いをするか、我先に逃げようとするだろうw。
実は監督がいいたかったのは、シナ人国民党への当てつけだったりしてw。
原作では「国際条約で禁止されている毒ガスで掃討した」という根拠のない俗説が書かれていたが、映画後編では「試験中の糜爛性ガス」に改められるなど、反日性を極力抑えた表現になっていた。
気になった点。
冒頭近くで埔里を「プーリー」などと北京語で読んでいたのはアウト!当時、北京語なんて台湾に存在しないから、これは「ほり」か台湾語の「ポーリー」と読むべきだ。ただし台北はちゃんと「たいほく」と読んでいたが。
それから旧知の林田氏も登場していて、けっこう目立っていたし、しかも首を刈られないおいしい役回りだったw。しかも林田氏、演技が以前と比べると見違えるようにうまくなっている。やっぱり精進の賜物ですなw。
エンドロールでは、CG処理が韓国になっていたが、関係者によると、あとで北京の会社に差し換えたらしい。どうやら韓国的なルーズさでもめたようだ。台湾と韓国のルーズさは方向性が違うので、衝突しやすい。
そして衝突するといえば、林田氏の役回りが最初日本の舞台俳優呼ぶ予定が、台湾的ルーズさに腹を立てた日本人が来なくなって代わりにお鉢が回ってきたとのこと。まあ、台湾人と日本人がまともに仕事をすると、こうなりやすいわなw。
エンドロール上では、台湾、日本、韓国、オーストラリア(音楽演奏)、シンガポール(演奏録音)となっていて、中国が出てこなかったように思う。意図的にはずしたのか。しかもこのリスト、アジア太平洋諸国の中でまともで質が高いのばかりを並べているところも、実は意図的だったのかも知れないね。










日日新報や當時の雜誌の振り假名も「プーリ」か「ほり」のどっちか
「ポーリー」なんてまず見ない
英語圈ではPuliで通用していたので日本人もそれに倣っただけだろう
上海が國際的にシャンハイで通っているのと同じ理屈
何つーか日本的というか儒教チックな解釋だよね
日本と戰爭したことのあるタイヤル族やタロコ族でも同じようなことはあったのかしらん?
海角七號ときたから次はサヨンの鐘をリメイクしてほしかったけど
やっぱり魏監督の歷史觀とはあいいれない部分があるんだろうなー
>日日新報や當時の雜誌の振り假名も「プーリ」か「ほり」のどっちか
本当に当時の文献読んだことがあるのかよwww
日日なら絶対に日本語でルビを振る。北京語で振るはずがないw。
>「ポーリー」なんてまず見ない
台湾語ではポーリーと発音していたんだから、地元にいる人間なら普通はそっちを使うはず。
>英語圈ではPuliで通用していたので
??
台北ですら、英語圏では当時 Taihokuが一般的だったくらい、まして「埔里」なんてマイナーな地名、チャンコロは知りようがないし、まして英語人が北京語で呼ぶわけがないw。
英語でも、たとえばマッカイらは当然台湾語でPoliと書いていたのだよ。
大体、台湾は当時、北京政権の統治下ではないのだし、日本の合法的領土だったんだから、英語圏で北京語で読む必然性がない。
まったくでたらめw。
お前、台湾が当時から中国のものだったと歴史の歪曲をしたいチャンコロだろw。
>日本人もそれに倣っただけだろう
これもでたらめ。
日本の正式な領土であった台湾の地名をわざわざ北京語で読む英語人はいないし、ましてそなな日本人などいないよ。
領台初期だったら、埔里ほどのマイナーな地名は台湾語で読むのが普通だった。
>上海が國際的にシャンハイで通っているのと同じ理屈
????
上海は中国領、台湾は日本領。ぜんぜん事情が違う。
お前の理屈が通るなら、ベトナムの河内も英語圏では「Heneiホーネイ」と読むのが普通なんでつか?wwww
上海は当時もまぎれもなく中国、埔里は日本領。ぜんぜん理屈が違う。
日本人の台詞なんだから、当たり前じゃんか?w
>日本と戰爭したことのあるタイヤル族やタロコ族でも同じようなことはあったのかしらん?
タイヤルとタロコが日本と戦争?ww
何ほざいてんの?w
お前やっぱりチャンコロだろ?w
>海角七號ときたから次はサヨンの鐘をリメイクしてほしかったけど
>やっぱり魏監督の歷史觀とはあいいれない部分があるんだろうなー
あんた、台湾語を無視したり、結局台湾独自の事情がまったくわかっていないみたいねw。
霧社事件は以前にもドラマになったことがあって、現代的にリメークしやすい題材だ。
サヨンの鐘じゃあ、今頃リメークするほど劇的要素はないじゃんw。
>日日なら絶対に日本語でルビを振る。北京語で振るはずがないw。
推測じゃなくて證據にもとづいていってくれ
たとえば例の口焦口巴口年だって公式には領臺以來ずっと日本語で「しょうはねん」だけど實際には臺灣在住內地人は昭和初期まで「タパニー」としか讀まなかったし
臺北の大加[虫内]堡も「たからっぽ」じゃなくて「たいかぜいほう」なんて讀んでたのは役人か内地在住者だけだよね
實際に清末に外人が作った地圖はスワトーとかアモイとかの教會所在地以外はほとんど北京語で書いてあるんだからしょーがない
http://academic.reed.edu/formosa/gallery/map_pages/map_indices/Map_Catalog.html
日本人が北京をペキン、上海をシャンハイって呼ぶのはただ白人をマネただけ
北京政權の領土かどうかとか何の關係もない
さらにゆーと當時の白人連中に「ホーロー語は支那語の方言」以上の概念があったかどうか疑わしい
>まして「埔里」な>んてマイナーな地名、
清代から廳が置かれていた所がマイナーとかどんだけアバウトなんだよwww
>日本人の台詞なんだから、当たり前じゃんか?w
臺灣軍の指令官ならセデックなんかよりタイヤルの方がはるかに勇敢で日本軍に對してよく敢鬪した史實を當然知っていたはずで
霧社事件を見て「セデックに武士道が殘っていた!」なんて感想をいだくはずがない
所詮は臺灣の事情にうとい東京の都人士の發想だろう
>タイヤルとタロコが日本と戦争?ww
>何ほざいてんの?w
北勢蕃討伐やガオガン討伐、タロコ討伐はどう考えても戰爭としか表現しようがないでしょ
1)討伐前は完全に獨立狀態で一切總督府のコントロールが效いていなかった
2)總督府だけでは對應できずに軍隊も出動した
3)日本側にも霧社事件をはるかに上回る甚大な被害が出た
>霧社事件は以前にもドラマになったことがあって、現代的にリメークしやすい題材だ。
>サヨンの鐘じゃあ、今頃リメークするほど劇的要素はないじゃんw。
高砂族が積極的に大東亞戰爭を支持したのは自分達と同じ血を引く海南島の原住民やフィリピン人、インドネシア人、マレー人が支那人や白人に差別され迫害されているのが許せないっちゅー義憤に基づくものだったってことが最近の研究で明らかになってきているし
サヨンの鐘は少なくとも海角七號よりはずっと世界史的、劇的な要素を持っているよ
まぁリベラル指向の強い民進黨支持者がこのへん政治的に何となく氣にくわんのはよく分かるけどね
一方、サヨンの鐘なら、十一月下旬には「不一樣的月光」というサヨンの鐘をモチーフにした映画が上映だが、個人的には見に行きたいと思うが、日本人の方々はどう思うかな?
こちらなのですが、台湾の方と韓国の方の方向性の違うルーズさというのは具体的にはどのような違いなのでしょう。
時間的なルーズさという意味では、台湾人の知己がいますのでなんとなくイメージは出来るのですが。
もし、むじなさんがよろしければ教えていただければと思います。
しかもセデクバレの時代は、台湾が日本になってからすでに35年も経過している。
なぜわざわざ台湾語でも日本語でもなく、北京語を使うのか、君にはその合理的説明がない。
>たとえば例の口焦口巴口年だって公式には領臺以來ずっと日本語で「しょうはねん」だけど實際には臺灣在住內地人は昭和初期まで「タパニー」としか讀まなかったし
口焦口巴口をタパニーと台湾語読みするなら埔里を北京語で読むわけがない。
>臺北の大加[虫内]堡も「たからっぽ」じゃなくて「たいかぜいほう」なんて讀んでたのは役人か内地在住者だけだよね
タカラッポも台湾語読みだよ。
あんた、台湾語と北京語の区別もできないで、台湾のこと語っているの?
>實際に清末に外人が作った地圖はスワトーとかアモイとかの教會所在地以外はほとんど北京語で書いてあるんだからしょーがない
スワトーやアモイは日本領台湾ではなくて、まさに中国だから。
てか、お前、台湾が清朝末期にはすでに日本領になっていたことも知らないのか?
清朝末期の1895年には台湾はすでに日本になっていたので、西洋人がつくった地図の多くは台湾語読みか日本語読み。
台北はTaihokuとなっていた。
そもそも、霧社事件は清朝末期ではなく、1930年の話・
Mackayが書いた本と地図には、
>http://academic.reed.edu/formosa/gallery/map_pages/map_indices/Map_Catalog.html
君があげた古地図でも、半分以上は北京語読みではないが?w
たとえば
"Formosa island and the Pescadores, China" (detail, northern Formosa). 1870. Map. Le Gendre, 1874, Vol 4, plate 1.
では東勢角は「Tang-si-kak」など、ほとんどの地名が台湾語読みになっているし。
てか、君は単純に北京語と台湾語の区別を知らないだけでは?w
私が台湾で見た清朝時代の外国人作成地図でも、地名の多くは台湾語読み。
埔里は当然Pouliと台湾語読み。
>日本人が北京をペキン、上海をシャンハイって呼ぶのはただ白人をマネただけ
北京も上海も中国だから。
台湾とは関係ない話。
お前は台湾を中国と思い込んでいる中国共産党の回し者だろw。
>北京政權の領土かどうかとか何の關係もない
北京政権の領土ではないところすら北京語で読むというなら、1884年まで清朝領だったハノイもHeneiと書かなくてはいけないなw
>さらにゆーと當時の白人連中に「ホーロー語は支那語の方言」以上の概念があったかどうか疑わしい
「疑わしい」という証拠は?www
あのね。君、教会文書を読んだことないでしょ?
ここでわざわざ「白人」などと強調しているが、「毛唐だから、アジアの区別なんてできない」と思い込んでいるとしたら、それこそ根拠のない思い込み。
わざわざ台湾語をローマ字で記したのは。台湾語はシナ語の方言ではないという認識があったからだよ。
マカイは明確に台湾語を中国語とは別ものだと書いているよ。
>まして「埔里」な>んてマイナーな地名、
>清代から廳が置かれていた所がマイナーとかどんだけアバウトなんだよwww
日本が清朝の制度を継承する義理はないのでw
はいはい、だったら日本時代には、首府の台北をTaipeiじゃなくてTaihokuと書いているのはなぜ?
打狗もTakouじゃなくてTakauやTakaoになっているよね?
庁どころか、台北は清朝支配の末期からすでに台湾の首府だったところだが?
要するに君は台湾を中国の一部だと思い込み、毛唐には台湾の独自性が理解できなかったと思い込んでいるだけ。
は?
知ったかぶりもいいところだw・
あんた、タイヤル族の友人いないでしょ?www
やっぱあんた台湾のことわかっとらんわw
そもそもあんたは、「セデックよりもタイヤルのほうが勇敢」といっているが、そもそも両者には区別なんかない。
特に日本統治時代には、セデックとタイヤルを区別なんかしていない。
どっちもタイヤル。
現在でも厳密に区別なんかできない。
言葉も社会体系も共通している。
タイヤルにも惰弱な部落はたくさんある。「現地事情を熟知している司令官」なら、タイヤルがすべて勇敢なんて、そんなアバウトな認識を持つわけがないw・
しかも霧社で反抗したのはタクダヤだけ。他のセデックは味方藩になるなどした。
それをいうならセデックを除くタイヤルだって同じ。部落によって反抗度や勇敢さは異なる。
タイヤルとセデックの民族性を明確に区別できると思ったうえで、タイヤル全体が勇敢だと思っているとしたら、それこそあんたはタイヤルの知り合いが一人もいないってことだね。
妄想と推測で議論しちゃ駄目だよ。
>霧社事件を見て「セデックに武士道が殘っていた!」なんて感想をいだくはずがない
映画のこの部分はフィクションというか、この映画が反日ではないことを示す部分なんだから、ここを否定したら、映画に対する批評としては意味がなくなる。
せっかく台湾人が日本人を悪く描いた後に、反日だと思われてはまずいからと思って挿入した台詞にケチをつけるあんたって、台湾人を反日シナ人側に追いやりたい人なの?w
>所詮は臺灣の事情にうとい東京の都人士の發想だろう
そっちこそ、映画を見ていないでしょ?w
映画を見ないで、フィクション部分に絡んでいる馬鹿に言われたくないな。
>北勢蕃討伐やガオガン討伐、タロコ討伐はどう考えても戰爭としか表現しようがないでしょ
はいはい、それをいうなら、日本統治初期はすべて戦争。別にタイヤルやタロコだけじゃない。客家、泉州、ショウ州系とも戦争やってた。
>1)討伐前は完全に獨立狀態で一切總督府のコントロールが效いていなかった
それを認めるなら、台湾があたかも清朝がちゃんと支配していたというあなたの主張は、否定されるねw・
>2)總督府だけでは對應できずに軍隊も出動した
何いってんの?
台湾においては軍隊も総督府の指揮下だが?w
警察といいたいんだろうか?w
>3)日本側にも霧社事件をはるかに上回る甚大な被害が出た
それをいうなら、客家や泉州、ショウ州系ともたくさんの戦争をしているね。
霧社事件は1930年。
領台初期とは事情が違うってことが、あんたはわかっていないようだな?w
>高砂族が積極的に大東亞戰爭を支持したのは自分達と同じ血を引く海南島の原住民やフィリピン人、インドネシア人、マレー人が支那人や白人に差別され迫害されているのが許せないっちゅー義憤に基づくものだったってことが最近の研究で明らかになってきているし
誰の、どういう研究?www
同じ高砂族どうしで首狩やっていたのに、義憤?wwww
そもそもマレー系には「マレー同胞意識」なんてものはないよ。
いまでもマレーシアとインドネシアは一番仲悪いし、台湾の高砂族は一番シナ人国民党を支持しているしなw・
>サヨンの鐘は少なくとも海角七號よりはずっと世界史的、劇的な要素を持っているよ
海角七號は初めから台湾内部向けのローカルを前提に作られているんだから、当たり前w。
そんなものと比較する時点で、サヨンの鐘が初めからたいしたことがないことを証明しているようなものw・
>まぁリベラル指向の強い民進黨支持者がこのへん政治的に何となく氣にくわんのはよく分かるけどね
そういうお前は台湾をシナだと思い込んでいる反日国民党の手先・
「じゃん」は関東方言だけじゃないから。しかも、関東でももともと神奈川の一部だけだった。
日本は広い。お前が知らない方言がたくさんあるだけのこと。
そんなものは文章で解説できるものではない。