むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡る旅と日本城郭検定1級合格を目指してます。近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

会津若松城(福島県)

2016年09月18日 09時19分43秒 |  百名城
会津若松城(あいづわかまつじょう)
別名 鶴ヶ城(つるがじょう)
構造 平山城
築城者 葦名直盛、蒲生氏郷、加藤嘉明
築城年代 1384年、1592年(文禄元年)、1639年(寛永16年)
指定史跡 国指定史跡
場所 会津若松市追手町1-1
【 地図 】 

追手門跡

枡形で守り堅固な北出丸の入口。


北出丸 大腰掛

別名「みなごろし丸」とも言われ、四方から攻撃できて敵を迎え撃つための大腰掛が今も残されています。


太鼓門跡

美しい遊女を乗せて勢いをつけて運んだ石といわれる遊女石(右側石垣にある一番大きな石材)があります。


武者走り

太鼓門の上に兵を昇降させるための石垣が残されています。


本丸


鉄門

柱や扉はすべて鉄で覆われこの名前が付いたそうです。



上杉謙信公仮廟所跡

上杉景勝が会津に入封した際、上杉謙信の遺骨も運ばれこの仮廟所に安置した。


鐘撞堂

戊辰戦争の際、時を告げた鐘で、城外にいた味方が城の健在を知る鐘となっていました。
この鐘は開城になるまで時守が撃たれても別の者が鳴らし続けていたという。


梅坂

西出丸と帯郭をつなぐ枡形


鉄門わきの石垣

天守の石垣は野面積だが鉄門の石垣はきれいに四辺形に成形された切込接で積まれています。


南走長屋と干飯櫓

南走長屋は天守閣から表門をつなぎ、帯郭から本丸への敵の侵入を防ぐ役割をしていたとされています。
干飯櫓はその名から連想する通り米などの食料を貯蔵していた櫓です。


馬洗石

この石は馬の口を洗うための石と伝わります。



荒城の月碑

荒城の月碑は作詞・作曲のゆかり地であるここ鶴ヶ城、仙台の青葉城と大分の岡城の3箇所にあります。



御三階跡

現在建物は市内の阿弥陀寺に移築されています。
櫓の復元が検討され、調査のために石垣が撤去されています。



高石垣(扇の勾配)と廊下橋



茶壷櫓跡

ここには主に茶器等が納められていたといわれています。



月見櫓跡

ここでは櫓にかかる月がとても美しく月見の最適な場所であったと思われます。




武徳殿

剣道などの武道奨励のための道場です。
昭和9年に武道を愛する篤志家たちの寄付により建てられたそうです。



再建50周年整備の様子
同じ角度から整備前と後を見比べてみました。

2010年8月


2016年6月


2010年8月


2016年6月


お城ボくん

鶴ヶ城をモチーフとしてデザインされた観光PR用お城ロボットだそうです。


銀の鯱

屋根の改修工事の際に下ろされた鯱を見ることができました。
銀の鯱の目には2カラットのダイヤモンドが埋め込まれています。
現在は天守の屋根に乗っているので近くで見ることはできません。



赤瓦を一枚購入して裏に記名をして寄付をしました。
何十年後かまた屋根瓦を葺き替える時が来ることがあるでしょう。
その時自分の瓦が発見されたらおもしろいですね。
昭和40年の再建の際のグレーの屋根瓦を一枚記念に購入してきました。



早朝さんぽに訪れたのですが、多くの市民が集まり声を掛け合って楽しそうに散歩や体操をしていました。
城内に学校があることもあり、部活動のため学生も多く、年配の方が学生に地元の話を聞かせている様子も見受けられ
会津魂はこうやって普段の生活の中で伝えられて行くんだなあという場面を目の当たりにしました。




平成22年8月15日登城
平成28年6月4日再登城



スタンプNO.12


スタンプ設置場所
天守閣内売店


 おぼえておこう!
平成13年に復元された会津若松城の二重櫓は、干飯櫓内に食品を保存していたためこの名が付いたと言われる。
戊辰戦争時、新政府軍が会津若松城攻めで最初に突破した惣構の入口は甲賀町口



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