むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

米子城(鳥取県)

2018年01月24日 | 続百名城
米子城よなごじょう
別名久米城・湊山金城
構造平山城
築城者山名教之
築城年代1467年(応仁元年)
指定史跡国指定史跡
場所米子市西町 地図
スタンプ設置場所山陰歴史館・米子城天守東屋
御城印山陰歴史館・米子まちなか観光案内所
城郭検定出題あり

米子城は山名氏が米子飯山砦を築くことからはじまり、戦国期には湊山に縄張りを広げ
天守も築かれるようになりました。
中海を利用し、海水を引き込み軍港が造られるなど水軍を率いた毛利軍の特徴もみられる
縄張りも特徴的です。



駐車場

西登山口近くにある、無料駐車場を利用しました。


登城口

湊山側からの登城口です。
すぐ近くに湊山公園の駐車場があるのでここから登城すると便利です。



風情ある道をどんどん登って行くと登り石垣が見えて来ます。
ここまで来るとテンション上げ上げです


登り石垣

豊臣秀吉が朝鮮半島に築いた倭城に多く用いられた構造物で、
朝鮮出兵の際に吉川広家も参加していることから米子城築城に取り入れたと考えられます。


内膳丸

内膳丸は独立した出丸で石垣で二段に区分され、二重櫓や平櫓が築かれていました。
武器蔵もあったようです。



家老の横田内膳正村詮が構築したので「内膳丸」と呼ばれています。
ここには二重櫓がりました。


番所跡

御天守一帯を警備する役人詰所があり、昼夜見張り番が置かれていました。



この真下には二の丸へと続く道があります。


小天守の石垣

大天守は野面積ですが、この石垣は幕末に積み直されたため積み方が新しく打込接です。
小天守は三重四階の望楼型天守で大天守に似た造りでした。



鉄御門跡

二階建ての鉄張りの門があったようです。


本丸

お正月なので門松がお出迎え。



正面が天守台跡です。
とにかく眺めの良い立地です。
しかしここまで来たら雨に見舞われてしまいました。
晴れていたらさぞかし爽快な気分が楽しめただろうか…残念。


大天守の礎石

すごい眺めです!
さらに天守からの眺めを想像するとゾクゾクします。
大天守は四重五階の望楼型天守で岡山城天守のように三つの入母屋破風を同方向に重ねた
他にはあまり例の無い構造でした。


あずまや

雨が激しくなってきたので慌ててあづまやに避難しました。



小降りになるまで案内板などを読みながら雨宿りです。


パンフレット

攻城団のパンフレットがありました!
どうやって濡れずに持って帰ろうか…。


本丸西冠木御門跡

しっかりした石垣です。
各虎口にはこうした石垣式の門で形造られていました。


水手御門跡

ここから出山付近に設けられていた舟小屋へ通じる道がありました。


遠見櫓跡

ここには二重櫓が建てられていました。
吉川時代の旧本丸にあたる場所だそうです。



中海が見渡せて良い眺めです。


一の門

この門の奥には二重櫓があり二の丸へと続いています。


二の丸枡形

石垣で囲まれ城主の居館や侍部屋が築かれていました。


二の丸表門跡

二の丸には高石垣で囲まれ門や二重櫓が配され枡形の入口になっていました。



お城EXPO2017で春風亭昇太師匠、萩原さちこさんのトークショーの中で米子城の話題があり
これはぜひ行かねばならぬと思い楽しみにしていた城です。
登り石垣は彦根城、伊予松山城、竹田城、淡路洲本城で確認されていて昨年4月に
ここ米子城でも確認されたことが発表されました。
まずはここを見逃すまいと思い、湊山側から黙々と突き進みました。
萩原さちこさんが撮った場所で写真を撮りたかったのですが現在は紐が張られ立ち入り
出来ないようになっていました。
保存のためには仕方のないことなので外からいっぱい目に焼き付けて来ました。
まだまだ調査もされることと思われますのでこれからの調査にも期待します。



平成30年1月6日登城


続日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ特別編集)
公益財団法人 日本城郭協会
学研プラス


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